ドレス再び。
アゼリアが持ってきてくれた黒いドレスを、ロゼルは渋々と手に取った。
「……クソ」
ドレスを広げながら、思わず悪態が漏れる。
「確かに、男物を買ってこいとは言わなかったけどよ……」
まさか女性物を買ってくるとは思わなかった。
とはいえ、他に着る服はない。
ロゼルは諦めたようにため息をつくと、慣れない手つきでドレスに腕を通していく。
「……なんだこれ」
普段なら簡単に済ませられる着替えも、勝手が違う。
布を整え、なんとか着終える。
そして浴室に備え付けられた大きな鏡の前に立った。
「…………」
鏡に映っているのは、黒いドレスを着た小さな少女。
ロゼルは無言で自分の姿を見つめる。
「…………」
そして、スカートの裾をつまんで、
ぴらっ。
「……はぁ」
何とも言えない顔になる。
「俺がこんな格好する羽目になるとはな……」
さらに足元を見る。
「……ん?」
そこには、ドレスに合わせるように用意された黒い靴が置かれていた。
「靴まであるのかよ」
気が利いているのか、余計なことをしているのか。
とりあえず履いてみる。
「…………」
足を踏み出した瞬間、いつもと違う感覚にロゼルは眉をひそめた。
少しだけ踵が高い。
「なんだ、この感覚……」
もう一歩歩いてみる。
「…………」
そして、顔をしかめた。
「踵が痛い……」
ロゼルはその場で何度か足踏みをしながら、靴の感触を確かめる。
「……歩きにくいな、これ」
そんなことを呟いていると――
コンコン。
再び、扉がノックされた。
「ロゼル?」
扉越しにリアの声が聞こえる。
「着替えは終わったの?」
「ああ、一応な……」
ロゼルはため息交じりに答える。
「開けてもいいぜ」
「じゃあ、開けるわよー」
ガチャリ。
扉が開いた。
「…………」
そこに立っていたのはリアだった。
ロゼルと似たような、少し踵の高い靴。
そして、黒いワンピース。
「…………」
「…………」
二人はしばらく無言で見つめ合った。
そして――
「ぷっ……」
「……ふっ」
次の瞬間。
「「あはははははははっ!!」」
二人同時に大声で笑い始めた。
「お、お前!」
ロゼルは腹を抱えながら、リアを指差す。
「な、なんだよその格好!」
「は、はははっ!」
リアも涙が出るほど笑いながらロゼルを指差す。
「ロ、ロゼルこそ!」
「くっ……はははは!」
「てか、本当に着るとは思わなかったわ!」
「仕方ねぇだろ! 他に服がないんだから!」
「それにしたって……あはははは!」
リアは笑いすぎて立っていられなくなり、そのまま床に転がった。
「お腹痛い……!」
「笑いすぎだろ、お前!」
ロゼルとリアは、互いの姿を見るたびに思い出したように笑い合っていた。
「くくっ……いや、マジでなんなんだよ、この状況……」
「ふふっ、ロゼルのその格好、何度見ても笑えるんだけど!」
「お前も同じ格好だろうが!」
そんなやり取りをしていたロゼルが、ふと周囲を見回した。
「……そういえば、アゼリアは?」
「ああ、アゼ姐なら向こうの隅でモジモジしてるわよ」
リアはニヤニヤしながら、部屋の片隅を指差した。
ロゼルがそちらに目を向ける。
すると、窓際のカーテンの陰から、白い髪がちらりと覗いていた。
どうやらアゼリアは、カーテンの陰に隠れてこちらの様子を窺っているらしい。
「……何やってんだ、あいつ」
ロゼルは首を傾げると、カーテンの方へ歩いていった。
「どうしたんだ、アゼリア?」
「ロ、ロゼル様……」
カーテンの向こうから、か細い声が返ってくる。
「さっきから何をモジモジしてるんだ?」
「そ、それは……」
アゼリアは少しだけ顔を覗かせると、頬を赤く染めた。
「ロゼル様が……大変お可愛いお姿でしたので……」
「……は?」
思わず聞き返すロゼル。
「い、いえ! それもあるのですが……実は、私に渡された服が少々問題がありまして……」
「問題?」
ロゼルが眉をひそめる。
すると、後ろで二人のやり取りを聞いていたリアが、ニヤニヤしながら口を挟んだ。
「私、先に見たけどさ。あれ、すごいよ?」
「リア、余計なことを言わないでください……!」
「だって、本当のことでしょ?」
リアは楽しそうに笑っている。
一方のアゼリアは、ますますカーテンの陰へ引っ込んでしまった。
「……それで、何が問題なんだ?」
ロゼルが尋ねると、アゼリアは意を決したように口を開いた。
「……布が、少ないのです」
「布?」
「はい……胸元や、スカートの丈が……その……」
説明する声が、だんだん小さくなっていく。
そして最後には、すっぽりとカーテンの陰へ隠れてしまった。
「…………」
ロゼルは数秒ほど黙り込んだ。
それから、ようやく事情を察したように頷く。
「なるほど……」
どうやら、リアとは別の意味で大変なことになっていたらしい。
「そっちはそっちで大変だったわけだな……」
「は、はい……」
「大丈夫だ、アゼリア。笑わないから出てこいよ」
ロゼルは努めて穏やかな声で語りかけた。
「……本当ですか?」
「ああ。約束する」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、カーテンがわずかに揺れる。
アゼリアはスカートの裾を両手で押さえながら、恐る恐る姿を現した。
「……失礼いたします」
その姿を見たロゼルは、思わず言葉を失った。
胸元は大きく開き、スカートの丈はかなり短い。
さらに背中まで大胆に開いており、普段の清楚な雰囲気とはまるで違う装いだった。
まさに、布地を節約したとしか思えないドレスである。
「…………」
ロゼルはアゼリアの姿を確認し、次にドレスを見て、最後にもう一度アゼリアを見た。
「……なるほど」
ようやく出てきた言葉は、それだけだった。
「ロゼル様……?」
「いや……」
ロゼルは額に手を当てた。
「エリナのところの従者、いったい何を考えて服を選んだんだ……」
「わ、私にもわかりません……」
アゼリアは恥ずかしそうに胸元を押さえ、落ち着かない様子で立っている。
その隣では、リアが必死に笑いを堪えていた。
「ぷっ……アゼ姐、似合ってるって……!」
「リア!」
「ご、ごめん! でも、いつものアゼ姐と違いすぎて……!」
とうとう堪えきれず、リアが吹き出す。
「ふふっ……!」
アゼリアは顔を真っ赤にして、再びカーテンへ逃げ込もうとした。
「ま、待て待て。隠れなくていいから!」
ロゼルは慌てて声をかける。
「その服しかないなら仕方ないだろ。とりあえず、何か羽織れるものがないか探してみようぜ」
「……よろしいのですか?」
「ああ。無理して着てる必要もないさ」
その言葉に、アゼリアはほっとしたように表情を和らげた。
「ありがとうございます、ロゼル様……!」
「はいはい。だから、そんなに裾を気にしなくてもいいって」
「で、ですが……!」
「……やれやれ」
ロゼルは、黒いドレス姿の自分を棚に上げてため息をついた。
どうやら、この宿での夜は、まだまだ落ち着きそうになかった。
ロゼルはアゼリアとリアを部屋に残し、扉を開けて廊下へ出た。
すると、すぐ近くにオリゴの姿があった。
どうやら、何かあればすぐに対応できるよう、部屋の外で待機していたらしい。
「オリゴさん、ちょっといいか?」
「はい。いかがなさいましたか、ロゼル様?」
ロゼルは背後をちらりと振り返った。
扉の向こうでは、アゼリアが相変わらず落ち着かない様子でモジモジしている。
「連れの服が少々派手すぎてな。あれじゃ部屋から出られないんだ。何か羽織るものはないか?」
オリゴはロゼルの肩越しに、室内の様子を窺った。
そして、アゼリアの姿をちらりと確認すると、
「……なるほど」
何かを察したように呟いた。
「私どもの従者が失礼いたしました……。ロゼル様のお召し物についても、申し訳ございません。すべて私のミスでございます」
オリゴは深々と頭を下げた。
「いや、俺は別にいいんだが……」
ロゼルは自分の黒いドレスを見下ろし、軽く肩をすくめる。
「連れはシャイでね。さすがに、あの格好で食事に行くのは抵抗があるらしい。どうにかできるか?」
「もちろんでございます。エリナ様のお召し物でよろしければ、何か羽織れるものもあるでしょう。すぐにお持ちいたします」
「エリナの服か……」
ロゼルは少し考え込んだ。
「勝手に着たら、あいつ怒るんじゃないか?」
「ご心配には及びません」
オリゴは穏やかに答えた。
「エリナ様は衣服を大量にお持ちですので、一着や二着なくなったところで、いちいち覚えてはいらっしゃいませんよ」
「……あいつらしいな」
ロゼルは呆れたように笑った。
服が多すぎて、自分の持ち物すら把握できていないらしい。
いかにも、あのお姫様らしい話だった。
「ところで、エリナはどうしてる?」
「はい。ロゼル様とご一緒にお食事をなさりたいようで、現在、ご自身のお部屋でめかし込んでおられます」
「……めかし込んでる?」
思わず聞き返す。
「ええ。ロゼル様がお越しになるのを、たいそう楽しみにしておられます」
「……そうかい」
ロゼルは何とも言えない顔で頭を掻いた。
あの姫様は、いったい何をするつもりなのだろうか。
そんなロゼルの心情を知ってか知らずか、オリゴは改めて姿勢を正した。
「ところで、ロゼル様。皆様とも、お食事はまだでございましょう?」
「ああ。まだだな」
「帰ってこられたばかりで、ご迷惑かもしれませんが……どうかエリナ様のお相手をお願いできませんでしょうか?」
オリゴは丁寧に頭を下げた。
「エリナ様も、皆様とお食事をされることを心待ちにしておられますので」
「まぁ、飯くらいなら付き合うが……」
ロゼルは少し考えてから、口元を緩めた。
「その代わり、とびきり美味い料理を期待しているぜ」
「もちろんでございます。シェフを呼んでおりますので、ご期待にお応えできればよいのですが」
「そいつは楽しみだ」
ロゼルは満足げに頷いた。
迷宮から帰還して以来、泥だらけのまま走り回り、ようやく一息つけたところだ。
豪華な宿で、まともな料理を食べられるというのなら、悪い話ではない。
「ありがとうございます、ロゼル様」
オリゴは安堵したように微笑んだ。
「ご準備が整いましたら、三階の大部屋へお越しください。エリナ様も、そちらでお待ちしているかと存じます」
「わかった」
ロゼルは頷き、部屋の方を振り返った。
「それと、アゼリアの服。よろしく頼む」
「かしこまりました」
オリゴは静かに頷くと、再び深々と頭を下げた。
「すぐにご用意いたします」
「助かるよ、オリゴさん」
そう言ってロゼルは部屋へ戻っていった。
扉の向こうでは、まだアゼリアとリアが何やら話している声が聞こえていた。
ロゼルが部屋に戻ると、アゼリアがすぐさま駆け寄ってきた。
「ロゼル様……服は用意できそうでしょうか?」
「ああ、なんとかなりそうだ。少し待っててくれってさ」
「そ、そうですか……! ありがとうございます!」
アゼリアはホッと胸を撫で下ろした。
そして、なぜかロゼルの背後に回ると、ぴったりと張り付くようにして身を隠した。
「……おい、アゼリア。どうした?」
「い、いえ……その……」
アゼリアは恥ずかしそうに顔を伏せている。
どうやら、あのドレス姿で人前に出ることには、相当な抵抗があるらしい。
しかし、しばらくすると――
アゼリアはロゼルの髪にそっと手を伸ばした。
「……?」
手にしていた櫛で、金色の髪を優しく梳き始める。
「…………」
ロゼルは鏡越しにアゼリアの様子を窺った。
先ほどまで恥ずかしがっていたはずなのに、今はどこかご機嫌そうだ。
「……何してるんだ?」
「髪を整えております」
「いや、それは見ればわかるが……」
「ふふっ。ロゼル様の髪は、とても綺麗ですね」
アゼリアは嬉しそうに微笑みながら、丁寧に櫛を通していく。
どうやら、ロゼルのドレス姿がすっかり気に入ってしまったらしい。
「……まったく」
ロゼルは呆れたように息を吐いたが、特に抵抗することもなく、されるがままになっていた。
そして、数分後。
コンコン。
部屋の扉がノックされた。
「失礼いたします。お約束の品をお持ちいたしました」
オリゴの声だ。
「どうぞー!」
リアが返事をすると、扉が開き、オリゴが一着の衣類を手に入ってきた。
「お待たせいたしました。こちらなど、いかがでしょうか?」
差し出されたのは、カーディガンだった。
ただし、普通のカーディガンではない。
生地のあちこちに、小さな宝石が縫い付けられている。
照明を受けるたびにキラキラと輝き、どう見ても庶民が普段着にするような代物ではなかった。
「…………」
ロゼルはそれを見て、思わず黙り込んだ。
「……これで地味な方なのか?」
「はい……」
オリゴは申し訳なさそうに頭を下げた。
「誠に申し訳ございません。お嬢様のお召し物の中では、かなり地味な方の衣類なのですが……」
「……なるほどな」
ロゼルは遠い目をした。
あのお姫様の金銭感覚には、やはりついていけそうにない。
一方、アゼリアはというと、すぐさまカーディガンを受け取って羽織っていた。
胸元や背中が大きく開いたドレスも、上からカーディガンを着ることで、いくらか露出が抑えられている。
もっとも、宝石がキラキラと輝いているため、別の意味で目立つ格好ではあったが。
それでも、アゼリアは安心したように微笑んだ。
「大丈夫です。ご迷惑をおかけしました……」
「とんでもございません!」
オリゴは慌てて首を振る。
「ロゼル様方はエリナ様の命の恩人でございます。これくらい、どうということもございません。また何かお困りのことがございましたら、遠慮なくお申し付けください」
「ありがとうございます」
アゼリアは丁寧に頭を下げた。
それを見届けると、オリゴは三人へ向き直った。
「それでは皆様、お食事の準備はよろしいでしょうか?」
「ああ、大丈夫だぜ」
ロゼルが答える。
すると、待ってましたとばかりにリアが手を挙げた。
「私は大丈夫! もうお腹ぺこぺこよー!」
「ふふっ……」
アゼリアはそんなリアの様子を見て、楽しそうに微笑んだ。
先ほどまで服装を気にして落ち着かなかったのが嘘のようだ。
「では、こちらへご案内いたします」
オリゴは恭しく一礼すると、扉の外へと歩き出した。
「さあ、行こうぜ」
ロゼルが二人に声をかける。
「はーい!」
リアが元気よく返事をし、アゼリアも微笑みながら頷いた。
こうして三人は、エリナが待つ三階の大部屋へと向かうのだった。




