金糸雀亭。
普段のロゼルたちには縁のない、高級宿や敷居の高い飲食店が立ち並ぶエリアを歩く一行。
通りを行き交う人々は身なりの整った者ばかりで、泥だらけのロゼルたちを見ては、露骨に顔をしかめていた。
リアが周囲を見回しながら、小声で言う。
「な、なんか……場違いっぽくない、私たち?」
アゼリアも困ったように笑う。
「そ、そうかもしれませんね……」
「この辺りは、私もまだ訪れたことがありません」
「俺だってないさ」
ロゼルは自分の泥だらけの服を見下ろす。
「参ったな……」
「せめて代わりの靴と服くらい買ってから宿に行きたいが……」
裸足の足元を見る。
「このなりじゃ、店にも入れてもらえないぞ……」
「困りましたね……」
アゼリアもロゼルの格好を見て、苦笑する。
するとリアが、ふと思いついたように言った。
「どうするの、ロゼル?」
「少し大きいけど、私の予備の服を貸そうか?」
「いや、リアの服を汚すのは悪いし……」
ロゼルは少し考える。
「そうだな……面倒だが、一度いつもの宿屋に荷物を取りに行ってからになるかな」
「え〜……取りに行くの?」
リアが露骨に嫌そうな顔をする。
「もうクタクタよ……」
「そうだよな……」
ロゼルも疲れ切った顔でため息を吐く。
「リアたちは先に宿に行っててくれ」
「俺一人で取りに行くからさ」
「ロゼル様、一人では行かせませんとも」
アゼリアがすぐに言う。
「私もお供します」
「いや、でも――」
その時だった。
ギィィ……。
一行の目の前にある豪華な扉が、ゆっくりと開いた。
扉の隙間から、眩しいほどの明かりが通りへと溢れ出す。
三人が思わずそちらへ目を向ける。
そして――
「……あ」
リアが声を漏らした。
扉の向こうから姿を現したのは、見覚えのある人物だった。
「ロゼル様」
泥だらけのロゼルたちを見つ
見めるその男は――
オリゴだった。
オリゴはロゼルたちの姿を確認すると、ぱっと顔を明るくした。
「おお!
ロゼル様! お待ちしておりました!」
ロゼルは少し驚いたように目を瞬かせる。
「待ってたって……あれからずっとか?」
「オリゴさんも疲れてるだろうに……」
するとオリゴは深いため息を吐いた。
「それが……エリナ様に、ロゼル様が来るまで入り口で待っていろとの命でして……」
「まぁ……」
アゼリアが困ったような表情を浮かべる。
リアも呆れたように言った。
「あの姫様、人使いあらいのね……」
「なるほどな……」
ロゼルはオリゴの顔を見ながら、しみじみと言う。
「同情するぜ、オリゴさん」
「まぁ、慣れておりますので……」
オリゴは苦笑する。
そして、すぐに気を取り直した。
「それより、さぁさぁ!」
「中へお入りください」
「替えの服や靴も、従者に買いに行かせましょう」
ロゼルは少し戸惑ったように自分の泥だらけの服を見る。
「いいのか?」
「なんか悪いな……」
するとオリゴは、心外だと言わんばかりに目を見開いた。
「何を仰られますか!」
「ロゼル様は、エリナ様の――いえ、我々の命の恩人ではございませんか!」
そう言って、オリゴは宿の中へ手を向ける。
「遠慮なさらず、どうぞこちらへ!」
「さぁ、皆様も!」
「……じゃあ、お言葉に甘えるか」
ロゼルはそう言って、少しだけ肩の力を抜いた。
オリゴに促され、一行は豪華な宿の中へと足を踏み入れていった。
宿の中へ一歩足を踏み入れた瞬間――
三人の足が、ぴたりと止まった。
「……おお……」
思わずロゼルの口から声が漏れる。
そこに広がっていたのは、今まで彼らが泊まってきた安宿とはまるで別世界だった。
天井には巨大なシャンデリアが吊るされ、無数の魔石が淡い光を放っている。
床には赤を基調とした厚手の絨毯が敷き詰められ、その上を歩けば靴音すら吸い込まれてしまいそうだった。
壁には細かな彫刻が施され、ところどころに飾られた花瓶や調度品も、見るからに高価そうなものばかり。
受付のカウンターにまで細かな装飾が施されている。
まるで貴族の屋敷を、そのまま宿にしたような雰囲気だった。
リアが目を丸くしながら、あちこちを見回す。
「すご……」
そしてシャンデリアを見上げる。
「あれ……金でできてるのかな?」
「俺にもわからん……」
ロゼルも呆然としながら周囲を見回す。
「いいのかよ、こんな宿……」
普段なら一泊するどころか、入口の前を通るだけでも躊躇しそうな場所だ。
そんな中、アゼリアはというと――
「…………」
どこか気まずそうにモジモジしていた。
自分の泥だらけの服を見下ろし、周囲をちらちらと見回す。
白い髪にも埃が絡み、服には迷宮でついた泥や汚れが残っている。
これほど豪華な場所に、今の自分の格好で入っていいものなのか。
そんな気恥ずかしさが、表情にありありと浮かんでいた。
リアがそんなアゼリアに気づく。
「アゼ姐、どうしたの?」
「い、いえ……」
アゼリアは困ったように微笑む。
「この様な格好でよろしい…のでしょうか?……」
その言葉にロゼルも自分の格好を改めて見下ろした。
泥だらけの服。
裸足。
そして疲れ切った顔。
「……まあ」
ロゼルは小さく息を吐く。
「俺たち全員、似たようなもんだな」
そう言って、苦笑した。
ロゼル一行がロビーへと通されると、そこではオリゴが代わりに受付をしていた。
カウンターに立つ店員は仕立てのいいスーツに身を包み、姿勢も所作も隙がない。
泥だらけのロゼルたちを見ても、眉をほんのわずかに動かしただけ。
すぐに静かな微笑みを浮かべ、
「いらっしゃいませ」
と丁寧に頭を下げる。
さすがは高級宿、といったところか。
ロゼルはそんな店員の様子を見ながら、ふとオリゴへ視線を向ける。
その手から金貨が二、三十枚ほど店員へ渡っていた。
「…………」
ロゼルは何も見なかったことにした。
それぞれに店員が付き従い、三人の荷物を手に取る。
「こちらへどうぞ」
丁寧な案内に従い、ロゼルたちは廊下を進んでいく。
しかし――
ロゼルの大斧を代わりに持ち上げようとした店員の顔が、一瞬で青ざめた。
「……っ」
両手で柄を握り、持ち上げようとする。
だが、大斧はびくともしない。
「…………」
店員の額に、じわりと汗が浮かぶ。
ロゼルがそれに気づいた。
大斧に魔力を吸い尽くされても困る。
「いいよ。それは自分で運ぶから」
「え?」
ロゼルは大斧をひょいと持ち上げ、そのまま肩へ担ぐ。
店員は目を見開いた。
「…………」
まるで信じられないものを見るような表情だ。
そして、すぐに深々と頭を下げる。
「も、申し訳ございません、お客様……!」
「気にしないでくれ」
ロゼルは苦笑する。
「それより、部屋に案内してくれるか?」
「は、はい! もちろんでございます!」
店員は慌てて先頭へ戻り、再び歩き始める。
その背中を見ながら、リアが小さく笑った。
「ロゼルって、こういうところでもやっぱ目立つよね」
「……俺だけって訳じゃないだろ…」
ロゼルは肩の大斧を軽く担ぎ直しながら、ため息を吐いた。
それぞれの部屋へと案内されるロゼルたち。
廊下の途中で、アゼリアが自分の部屋とロゼルの部屋が別々だと知ると、どこか不満げな表情を浮かべた。
「……」
そんなアゼリアを見て、ロゼルが声をかける。
「アゼリア」
「はい?」
「一人が嫌なら、いつでも俺の部屋に来ていいぞ」
アゼリアの表情がぱっと明るくなる。
「よろしいのですか、ロゼル様?」
「ああ、構わないぜ」
ロゼルは何でもないことのように言う。
「一人じゃ心細いだろ?」
「はい!」
アゼリアが嬉しそうに微笑む。
その様子を見ていたリアが、すかさず口を挟んだ。
「アゼ姐だけずるい!」
「私は?」
「リアも来たければ好きにしな」
「やった!」
ロゼルは二人の反応を見て苦笑する。
「じゃあ、俺は先に部屋を見てくるからな」
そう言って、ロゼルは自分の部屋へ入っていった。
そして――
扉が閉まった瞬間。
ロゼルの動きが止まった。
「…………」
しばらく、何も言葉が出てこない。
目の前に広がっていたのは、これまで泊まってきた安宿とは比べ物にならない空間だった。
「……なんだこりゃ……」
思わず声が漏れる。
部屋は信じられないほど広い。
中央には上質なソファが並び、その奥には立派な暖炉まで備え付けられている。
壁際には小さなバーカウンター。
その上にはグラスや酒瓶が整然と並べられていた。
天井から吊るされた小さなシャンデリアが淡い光を放ち、壁には火の魔石が組み込まれた照明がいくつも設置されている。
その光は暖かな色合いで、部屋全体を柔らかく照らしていた。
ロゼルは入口に立ったまま、ゆっくりと部屋を見回す。
「……これ、本当に宿の一室か?」
思わず呆然としてしまうほどの豪華さだった。
ロゼルは適当な場所に荷物を下ろすと、改めて部屋の中を見渡した。
「……広すぎるだろ、ここ」
ソファや暖炉、バーカウンターまである室内を眺めながら歩いていると、奥にもう一つ扉を見つける。
「ん?」
扉を開けてみる。
そこは浴室だった。
そして――
「…………」
ロゼルは思わず息を飲んだ。
そこには、陶器でできた広々とした浴槽が備え付けられていた。
しかも。
蛇口をひねると、湯が出てくる。
「……マジかよ」
流れ出る湯気を見ながら、ロゼルは呆然とする。
下の階にある設備から、お湯をここまで送っているのだろうか。
これだけでも、とんでもない費用がかかっていることがわかる。
「……さすが高級宿ってところか」
ロゼルは感心したように呟くと、
思わず口笛を吹いた。
そして、泥だらけになった服を一枚ずつ脱いでいく。
服を脱ぎ終えると、浴槽へと足を入れた。
暖かいお湯が、冷え切った体を包み込む。
「…………」
しばらく無言で湯に浸かっていたロゼルだったが――
「……はぁ~~~」
思わず、おじさん臭いため息が漏れた。
そして、肩まで湯に沈みながら、
「気持ち~~~……」
心の底から幸せそうな声を漏らした。
コンコン。
不意に、部屋の扉がノックされた。
「ロゼル様。お入りしてもよろしいでしょうか?」
聞き慣れた声がする。
「アゼリアか!」
浴槽の中からロゼルが声を張る。
「入って構わないぞ!」
「失礼します……」
ガチャリ。
扉が開く音がした。
続いて、アゼリアの小さな声が聞こえてくる。
「お邪魔いたします……」
「今、浴槽にいるから適当にゆっくりしててくれ」
「はい、わかりました」
そう返事を聞くと、ロゼルは気にせず体を洗い始めた。
頭から湯をかぶり、髪をわしわしと洗う。
体についた泥や汚れも、ゴシゴシと擦り落としていく。
すると――
「…………」
浴槽の湯が、みるみる茶色く染まっていった。
「……こりゃ酷いな」
自分でも呆れながら、ロゼルはさらに頭をじゃぶじゃぶと洗う。
「ふぅ……」
ようやく一通り洗い終えると、湯に浸かって一息ついた。
「……生き返るな」
しばらく温かい湯を堪能していると、ふと気づく。
「そういや……替えの服がねぇな……」
泥だらけになった服は、とてもじゃないが再び着る気にはなれない。
「とりあえず、バスローブでも着とくか」
そんなことを考えていると――
コンコン。
再び扉がノックされた。
今度はリアの声だった。
「ロゼル~。替えの服、届けてくれたみたいよ」
続いて、
「アゼ姐と私の分もあるみたい」
「アゼリア!」
ロゼルが浴室から声を張る。
「リアを部屋に入れてやってくれ!」
「はい!」
「それと、俺の分の替えの服を持ってきてくれるか?」
「かしこまりました、ロゼル様!」
アゼリアの返事が聞こえる。
そして、再び扉が開く音。
「失礼します――」
少し離れたところから、アゼリアの声が聞こえてきた。
「これは……」
「…………?」
ロゼルが首を傾げる。
すると次の瞬間――
「ぷっ……!」
リアの笑い声が響いた。
「ふふっ……あはははは!」
「…………?」
何が起きているのかわからず、ロゼルは浴槽の中で怪訝な顔を浮かべる。
「なんだ……?」
すると――
コンコン。
今度は浴室の扉がノックされた。
「入って大丈夫だぞ!」
ロゼルが浴室の中から声をかける。
「何かあったのか? アゼリア」
「……失礼します」
ガチャリと浴室の扉が開く。
アゼリアが、どこか気まずそうな表情を浮かべながら、ゆっくりと浴室へ入ってきた。
「ロゼル様……」
「ん?」
「従者の方から、替えの服が届いたのですが……」
「ですが?」
ロゼルが眉をひそめる。
「何か問題があったのか?」
アゼリアは手に持っていた服を見下ろし、それからロゼルを見る。
「あの……実は……」
少し言いにくそうに口ごもったあと、
「頂いた服が……女性もののようです……」
「…………」
ロゼルの顔が固まった。
アゼリアは申し訳なさそうに、一着の服を両手で広げる。
ひらり。
そこに現れたのは――黒いドレスだった。
「…………マジかよ」
ロゼルは呆然とする。
「……あの従者……」
まさか、こんなものを用意されるとは思っていなかった。
アゼリアも気まずそうに続ける。
「何着か買ってきてくださったのですが……」
そして、もう一度服を確認する。
「ピンクと青のドレスもございます……」
「…………」
「そちらの方が、よろしいでしょうか?」
「い、いや……」
ロゼルは即答する。
「く、黒のドレスで頼む……」
「かしこまりました……」
アゼリアは小さく頷くと、黒いドレスを部屋の隅にある衣服掛けへそっと掛けた。
「では、こちらに置いておきますね」
「ああ……」
そしてアゼリアが浴室を出ていく。
ロゼルはその背中を見送りながら、深いため息をついた。
「……リアが笑ってたのは、これのせいか……」
ようやく、先ほど聞こえてきた笑い声の理由を理解したのだった。




