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聖血のロゼル  作者: チョコレートスターフィッシュ
第4章

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水竜

「リア!」

ロゼルが叫んだ。

「戦おうとしなくていい! 上層の入り口に向かって走れ!」

「わ、わかったわ!」

リアは一瞬だけ水竜へ視線を向けた。

だが、すぐにロゼルの言葉に従って走り出す。

「アゼリアもだ!」

「はい!」

「走れ!」

「承知しました!」

ロゼルたちは一斉に駆け出した。

背後では、アゼリアが生み出した骨龍とスケルトン兵たちが、水竜へ向かって殺到していく。

二体の骨龍が巨大な顎を開き、地面を揺らしながら突進する。

無数のスケルトン兵も、その後に続いた。

だが――。

「グォォォォォッ!」

水竜が咆哮した。

その巨体がわずかに動く。

そして。

ブォンッ!!

巨大な尾が横薙ぎに振るわれた。

直撃。

一体の骨龍が、まるで紙細工のように吹き飛んだ。

骨が砕ける。

頭蓋が割れ、背骨が折れ、肋骨が散らばる。

巨大な身体が一瞬でバラバラになった。

それでも、残った骨が地面を這うように動いた。

前脚の骨が水竜へ伸びる。

鋭い爪が、その巨体へ食らいつこうとする。

ガキィンッ!

しかし――。

傷一つ、つかなかった。

水竜の鱗はまるで巨大な鎧だった。

骨龍の爪が弾かれる。

「グルル……」

水竜はそれすら気に留めていない。

その足元では、スケルトン兵たちが必死に槍を突き立てていた。

「カタカタカタ……!」

骨の槍が鱗へ突き刺さる。

だが――。

ギィンッ!

槍の穂先が砕けた。

一本。

また一本。

何本突き立てても、水竜の鱗には傷一つ残らない。

水竜は鬱陶しそうに足を持ち上げる。

そして――。

ドンッ!

軽く振り払った。

それだけだった。

数体のスケルトン兵がまとめて吹き飛び、岩壁へ叩きつけられる。

骨が砕け、身体がバラバラに崩れ落ちた。

それでも水竜は、逃げていくロゼルたちを追おうともせず、邪魔をする骨の群れを払い続けている。

ロゼルは走りながら、背後を一瞬だけ確認した。

「……よし」

骨龍もスケルトン兵も、時間稼ぎにはなっている。

「これなら抜けられる!」

そう思った、その瞬間だった。

――♪

ロゼルの耳に、何かが届いた。

足が止まりかける。

「……?」

遠くから聞こえてくる。

水の音に混じっている。

かすかで、美しい声。

――♪ ♪……

歌。

ロゼルの目が見開かれた。

「これは……歌?」

その瞬間。

走っていたはずの身体が、ぴたりと止まった。

「……?」

足が動かない。

頭では走れと分かっている。

なのに、身体が言うことを聞かなかった。

歌声が、妙に心地いい。

もっと聞きたい。

もっと近くで聞きたい。

そんな考えが、頭の中へゆっくりと染み込んでくる。

「……セイレーンだ」

ロゼルが呟いた。

その声に、リアが振り返る。

「ロゼル?」

ロゼルは答えられない。

歌声のする方へ、身体が勝手に向こうとしている。

湖の方へ。

水の中へ。

まるで何かに手招きされているように――。

「……くそっ」

ロゼルは自分の意思とは無関係に、一歩を踏み出した。

セイレーン。

その歌声が、三人へ襲いかかっていた。


「ロゼル様!」

アゼリアの叫び声が響いた。

しかし、ロゼルは止まらない。

まるで声が届いていないかのように、湖へ向かって歩き始めていた。

一歩。

また一歩。

その足取りには、先ほどまでの焦りも警戒もない。

ただ、歌声に導かれるように、ゆっくりと水際へ近づいていく。

「ロゼル様!」

アゼリアが駆け寄り、その背中を強く叩いた。

バシッ!

「……」

ロゼルは振り返らない。

足取りも止まらない。

「ロゼル様……!」

もう一度、肩を掴んで揺さぶる。

それでも反応はない。

アゼリアの眼窩の炎が大きく揺れた。

「意識が……戻らない……」

このままではロゼルが湖へ入ってしまう。

そう判断したアゼリアは、すぐに両手を前へ出した。

「ロゼル様……申し訳ありません!」

掌に小さな青い炎が集まり始める。

炎は渦を巻きながら、徐々に形を変えていった。

細い柄。

鋭い刃。

やがて、小さな骨で作られた短剣が完成する。

アゼリアはそれを握りしめると――。

「……っ!」

ロゼルの手を掴み、その手の甲へ短剣を突き立てた。

ザクッ!

「痛っ!」

白い肌から、真っ赤な血が噴き出した。

その瞬間だった。

ロゼルの瞳が大きく揺れる。

ぼんやりとしていた焦点が、徐々に戻っていく。

「……あ?」

自分がどこにいるのか。

なぜ湖へ向かって歩いていたのか。

そして――手の甲から流れる血。

ロゼルはそれらを一瞬で確認した。

「ロゼル様!」

アゼリアが叫ぶ。

ロゼルは自分の手の甲を見つめ、それからアゼリアへ視線を向けた。

「……助かった」

短く息を吐く。

「これが……セイレーンの魅了か」

「ロゼル様、お怪我は大丈夫ですか!?」

「ああ、大したことねぇ」

ロゼルはそう言うと、手の甲の傷口をペロリと舐めた。

口の中に広がった血を、すぐにペッと吐き出す。

「これくらいなら――」

その時だった。

背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。

「……待て」

何かがおかしい。

ロゼルは周囲を見回した。

「リアは?」

さっきまで一緒に走っていた。

自分とアゼリアのすぐ近くにいたはずだ。

「リアはどこに……?」

ロゼルの視線が湖へ向く。

そして――。

「……!」

水竜がいる方角。

その水際に、一人の人影があった。

「リア……?」

ふらふらと、覚束ない足取りで歩いている。

一歩。

また一歩。

まるで何かに引っ張られるように――。

リアは、ゆっくりと湖へ向かっていた。

「まずい!」

ロゼルが叫んだ。

「リア!!」

「リア!」

アゼリアも声を張り上げる。

「しっかりしてください!」

しかし、リアは振り返らない。

歌声は、まだ続いていた。

水竜のいる湖へ向かって――。

リアの足は、止まらなかった。


ロゼルは自分の服の裾を掴むと、勢いよく引き裂いた。

ビリッ――!

細長く裂けた布を手に取る。

そして、先ほどアゼリアに刺された手の甲の傷口を強く握り込んだ。

傷から滲んだ赤い血が、白い布へとじわりと染み込んでいく。

ロゼルはそれを確認すると、布をさらに細く丸めた。

そして――

自分の小さな耳へと、血の染みた布を詰め込んでいく。

「ロゼル様……?」

アゼリアが不安そうに声をかける。

ロゼルはもう一方の耳にも同じように布を詰めた。

これで完全に音を遮断できるわけじゃない。

それでも、何もしないよりは遥かにマシだ。

ロゼルは湖の方角を睨みつける。

「アゼリアはここにいろ!」

「えっ――」

返事を待つことなく、ロゼルは地面を蹴った。

一瞬で距離が開く。

「ロゼル様!」

アゼリアの叫び声を背中に受けながら、ロゼルは走った。

湖へ向かっていたリアの背中が見える。

「リア!」

だが、リアは振り返らない。

足取りはふらつき、何かに引っ張られるように一歩、また一歩と水辺へ向かっている。

「くそっ!」

ロゼルはさらに速度を上げた。

そして――

一気にリアの隣へと追いつく。

「リア!」

「…………」

返事はない。

ロゼルは腰の投擲用短剣を引き抜いた。

そして躊躇なく――

リアの手の甲へ突き刺した。

「っつぅ!」

リアの身体が跳ねた。

「痛っ……!」

刺さった手を反射的に胸元へ抱き寄せる。

そこでようやく、リアの瞳に光が戻った。

「ろ、ロゼル……?」

「喋ってる暇はねぇ!」

ロゼルはリアの顔を見ることもなく、湖の向こうへ視線を向けた。

そこには、水竜の起こした巨大な波に揺られながら、岩場に身を潜めていたセイレーンの姿があった。

歌声はまだ続いている。

ロゼルは短剣をもう一本抜いた。

「歌を止める!」

「え――?」

リアが声を上げるより早く、ロゼルは短剣を投げた。

ヒュッ――!

短剣が一直線に飛ぶ。

狙いは外れない。

「ギャッ――!」

短剣がセイレーンの喉へ吸い込まれた。

歌声が途切れる。

その瞬間だった。

水竜が巨大な身体を動かした。

ズゴォォォン――!

湖面が大きく盛り上がり、巨大な波が岩場を飲み込んでいく。

セイレーンの身体も、その波にさらわれた。

「ギャ……!」

その姿は瞬く間に水の中へ消えていった。

ロゼルは振り返る。

「リア! 走れ!」

「う、うん!」

リアはまだ足元がおぼつかない。

それでも必死に身体を立て直し、アゼリアのいる方向へ走り出した。

「アゼ姐……!」

「リア!」

アゼリアが駆け寄る。

だが――

ロゼルはその場から動かなかった。

背後から、巨大な気配が迫っている。

ゆっくりと振り返る。

水竜がいた。

黒い瞳が、まっすぐロゼルを捉えている。

「……見てんじゃねーよデカブツ…」

水竜の身体が沈む。

次の瞬間――

ズンッ!

大地が揺れた。

巨大な前足が持ち上がる。

鋭い爪が夜石の光を受け、ぎらりと輝いた。

「ちっ!」

ロゼルは背負っていた大斧を引き抜く。

両手で柄を握り締める。

「来い……!」

水竜の前足が振り下ろされる。

ロゼルも同時に踏み込んだ。

「おおおおおおっ!」

全身の力を込め、大斧を振り上げる。

ガギィィィン――!

大斧の刃が、水竜の硬い鱗へ叩き込まれた。

凄まじい衝撃が腕を駆け抜ける。

だが――

「なっ……!」

傷がつかない。

水竜の鱗は、まるで巨大な鎧そのものだった。

そして次の瞬間。

「ぐっ――!」

水竜の前足が大斧ごとロゼルを弾き飛ばした。

ドゴォンッ!

身体が宙を舞う。

地面へ叩きつけられ、そのまま何度も転がっていく。

「ロゼル様!」

アゼリアの叫び声が響いた。


ロゼルの身体は地面を何度も跳ねた。

「ぐっ……!」

背中を打ち、肩を擦り、最後には勢いのまま岩場へ叩きつけられる。

「がはっ……!」

土埃が舞い上がった。

全身のあちこちに裂傷が走り、服も大きく破れている。

それでも――。

「……っ」

ロゼルは歯を食いしばり、地面に手をついた。

痛む身体を無理やり起こす。

膝が震える。

それでも倒れない。

ロゼルはすかさず叫んだ。

「アゼリア! リアを連れて先にいけ!」

「ですが、ロゼル様は!?」

アゼリアが振り返る。

その隣では、リアが刺された手の甲をもう片方の手で押さえながら、苦しそうにロゼルを見ていた。

ロゼルはそんなリアの姿を一瞬だけ見つめる。

そして、すぐにアゼリアへ視線を戻した。

「俺なら大丈夫だ!」

「ですが――!」

「お前達だけで先にいけ!」

ロゼルは大斧を握り直す。

腕にはまだ水竜の一撃を受けた衝撃が残っている。

それでも、声だけは力強かった。

「墓所で合流しよう!」

アゼリアは言葉を失った。

目の前には、傷だらけになりながらも立ち上がったロゼル。

そして、痛む手を押さえながら立っているリア。

アゼリアはリアを見る。

それから、もう一度ロゼルを見る。

――私達がいては、ロゼル様の邪魔になってしまう……。

ならば――。

「……ここは、リアを連れて引くしか……」

アゼリアは拳を握り締めた。

そして、決意したように顔を上げる。

「わかりました、ロゼル様!」

ロゼルが頷く。

「墓所で待ちます」

アゼリアはリアの身体を支えるように肩を抱いた。

「どうか……ご無事で!」

「ああ。先に行ってろ」

アゼリアは一度だけ振り返った。

傷だらけのロゼルが、巨大な水竜と向かい合っている。

その姿を目に焼き付けるように見つめ――

「行きましょう、リア」

「……うん」

リアも小さく頷いた。

アゼリアに支えられながら、上層へ続く道へと歩き出す。

一歩。

また一歩。

二人の姿が暗い通路の奥へ消えていく。

それを見届けたロゼルは、ゆっくりと水竜へ向き直った。

「……さて」

大斧を構える。

「ここからは、俺一人だな」


ロゼルは、アゼリアとリアの姿が通路の奥へ消えていくのを確認した。

「……よし」

これで二人は大丈夫だ。

そう思った直後――。

ズン……。

地面が揺れた。

ロゼルが振り返る。

水竜が、ゆっくりとこちらへ近づいてきていた。

巨大な身体が動くたび、湖面が大きく揺れる。

黒い瞳が、まっすぐロゼルを捉えている。

「……まだ俺を狙ってやがるのか」

そのときだった。

ロゼルの視界の端に、うずくまっている人影が映った。

「……あ?」

すぐ近くだ。

エリナが地面にうずくまり、肩を震わせながら泣いている。

その隣では、先ほどから「爺」と呼ばれていた従者が必死に彼女を立たせようとしていた。

「エ、エリナ様!」

「……ひっ……!」

「立ってくだされ! お願いします!」

従者が両腕を掴んで引っ張る。

だが、エリナは恐怖で身体が固まってしまっている。

「いや……いやぁ……!」

涙を流しながら、ただ首を横に振る。

足にはまったく力が入っていない。

「エリナ様! このままでは……!」

「……チッ」

ロゼルは舌打ちした。

水竜は、もうすぐそこまで来ている。

このまま二人を置いていけば、あの巨体に巻き込まれるのは時間の問題だ。

「面倒くせぇ……!」

ロゼルは大斧を背中へ担いだ。

そしてエリナと従者のところまで一気に駆け寄る。

「えっ――」

「な、何を――」

ロゼルは二人の身体をまとめて掴んだ。

「うおっ!」

ぐいっ!

そのまま一気に持ち上げる。

両腕に二人分の人間を抱えたまま、ロゼルは立ち上がった。

「な、なんと……!」

従者が目を見開く。

「す、すごい力じゃ……!」

だが、エリナはそれどころではなかった。

突然身体を持ち上げられた恐怖で、さらに取り乱す。

「いやぁぁぁ!」

バタバタと足を動かす。

「降ろして! 降ろしてぇ!」

ロゼルの顔を叩く。

肩を叩く。

腕を振り回し、必死に抵抗する。

「このっ……!」

ロゼルの眉間に皺が寄った。

「大人しくしやがれ!」

バンッ!

「――っ!」

ロゼルは暴れるエリナを黙らせようと、思わず尻を強く叩いた。

思った以上に力が入っていた。

「…………!」

エリナの口が大きく開く。

声にならない叫びを漏らしたあと――

「…………」

ぐったり。

身体から力が抜けた。

「……お、お嬢様?」

従者が呆然とする。

エリナは完全に大人しくなっていた。

ロゼルは一瞬だけエリナを見た。

「……気絶したか?」

返事はない。

その口元からは、力が抜けたように涎が一筋垂れている。

「……まあいい!」

ロゼルは二人を抱え直した。

そして――

「走るぞ!」

地面を蹴った。

ドドドドドッ!

ロゼルは全力で駆け出した。

背後から、ズン……ズン……と巨大な足音が迫ってくる。

水竜がロゼルたちを追っていた。

上層へ続く入り口へ向かって走るロゼルを見て、水竜はその巨体を横へ動かした。

「……っ!」

ロゼルの目の前で、巨大な身体が上層への道を塞ごうとする。

「チッ!」

このままでは正面からぶつかる。

ロゼルは即座に方向を変えた。

「こっちだ!」

上層とは逆方向へ駆け出す。

水竜の横を抜け、さらに奥へ。

「グォォォォォ――!」

背後から、巨大な咆哮が響いた。

ロゼルは振り返らない。

ただひたすら走る。

腕にはエリナ。

もう片方には従者。

二人分の重量が両腕にかかっている。

それでも止まらない。

やがて、背後に見えていた水竜の姿が少しずつ小さくなっていく。

遠ざかっていく巨体。

「グォォォォ……!」

まるで、

――待て。

そう言っているかのような鳴き声が響く。

だが、ロゼルは無視した。

「知るか……!」

視界の端を魔物の影が横切る。

だが、それも無視する。

今は戦っている場合ではない。

ひたすら走る。

走って。

走って。

さらに走る。

どれだけ時間が経ったのか。

十数分か。

あるいは二十分ほどか。

ロゼルにはもう分からなかった。

ただ、足を止めれば追いつかれる。

それだけを考えて、全力で駆け抜けた。

「はぁ……っ!」

呼吸が乱れる。

肺が焼けるように苦しい。

それでも走る。

やがて――

「……っ!」

前方に、次の階層へ続く通路が見えた。

ロゼルはそこへ飛び込む。

長い通路を抜け――

「ここまで……来れば……!」

ようやく足を止めた。

ロゼルは抱えていた二人を地面へ下ろす。

「ほらっ!」

ドサッ。

エリナと従者が地面へ転がる。

そして――

「……俺も……無理……」

ロゼル自身も、その場でばたりと倒れ込んだ。

「ゼェ……ゼェ……!」

身体中が酸素を求めている。

肺が激しく上下する。

「ゼェ……ッ、ハァ……ッ……!」

腕も足も限界だった。

しばらく起き上がることすらできない。

ロゼルは地面に仰向けになったまま、荒い呼吸を繰り返す。

少しずつ。

少しずつ。

身体の鼓動が落ち着いていくのを待った。









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