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聖血のロゼル  作者: チョコレートスターフィッシュ
第1章

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6/77

10年以上前の死体

アゼリアが名乗ると、

ロゼインはしばらく黙っていた。

奈落は静かだった。

どこか遠くで、

水滴が石を叩く音だけが響いている。

ポツン。

ポツン。


ロゼインは自分の体をもう一度見た。

細い腕。

小さな手。

胸元まで垂れる金色の髪。


どう見ても、

自分の体ではない。


「……おい」

ロゼインが言った。


アゼリアは静かに首を傾げる。

「はい」


「これ」

ロゼインは自分を指差す。

「お前がやったのか」


少しの沈黙。


アゼリアは考えるように首を傾げた。

骨がコトリと鳴る。


「やった、と申しますと?」


「俺の体だよ!」


ロゼインは勢いよく立ち上がろうとして――

ふらついた。


視界が揺れる。

体が軽い。

軽すぎる。


「おっと…」


倒れそうになったロゼインを、

アゼリアが支えた。

骨の手だったが、

動きは驚くほど丁寧だった。


「まだお体が安定しておりません」


「……誰のせいだ」


アゼリアは少し困ったような声を出す。

「まぁ」

「一応…お命を助けたつもりなのですが…」


ロゼインの眉が動いた。

「助けた?」


アゼリアは修道服の袖から

小さなガラス瓶を取り出した。


中身は空。


「これをお飲みになりました」


「……なんだそれ?」


「聖血でございます」


奈落の静寂の中で、

その言葉だけが落ちた。


ロゼインは眉をひそめる。

「聞いたことねえな」


「わたくしも詳しくは存じません」


アゼリアは正直に言った。


「ですが」


「強い回復の奇跡を持つものだと」

「聞いております」


ロゼインは自分の体を見る。

小さな体。

細い腕。


「……奇跡?」


アゼリアは静かに頷いた。

「ええ」


「少々…副作用があったようですが…」


ロゼインの顔が引きつる。


「少しじゃねえ!」


奈落に少年の怒鳴り声が響いた。


その時だった

低い唸り声が奈落に響いた。

「グルルル……」

暗闇の奥で、赤い光が揺れる。

目だ。

4匹の目が暗闇で不気味に光る。


次の瞬間、影が動いた。

石の床を爪が引っ掻く。

ガリッ

暗闇から現れたのは

腐った狼だった。

毛は抜け落ち、肉が裂け、

ところどころ骨が露出している。

腐狼。

奈落の死肉を喰らう

ダンジョンの獣だ。

一匹が低く身を沈めた。

背中の毛が逆立つ。

「くそ!来るぞ――」

ロゼインが言い終わる前に

腐狼は飛んだ。

速い。

牙が喉を狙う。

ロゼインは反射的に腕を上げた。

「くっ――!」

その瞬間。

足が動いた。

石の床を踏み込む。

ドンッ

奈落の石床が鈍く鳴った。

靴が砂を散らす。

体が横へ滑る。

腐狼の牙が空を噛んだ。

ロゼインの頬のすぐ横。

腐臭が鼻を刺す。

「……は?」

体が軽い。

違う。

動きすぎる。

自分の意思より先に体が反応している。

もう一匹の腐狼が横から飛びかかった。

ロゼインの腕が伸び。

腐った首の毛皮を掴む。

ロゼインの手の握力で骨がギチリと軋む。

「え?」

ロゼインはそのまま、腐狼を力任せに振った。

ブンッ

腐狼の体が宙を回る。

ドガン!!

奈落の石壁に叩きつけられた。

古い石が割れる。

砂と小石がぱらぱら落ちる。

腐狼の体は壁にぶつかり、

腐った体は音を立てて崩れ落ちた。

ロゼインは固まる。

自分の手を見る。

白く細い腕。

子供の腕そのものだ。

「……俺?」

ロゼインの周りに低い唸り声が広がる。

残りの腐狼が円を描くように広がった。

ロゼインのいる通路は狭く。

逃げ場はない。

腐狼の口から涎が垂れる。

「来いよ……」

ロゼインが構える。

次の瞬間。

三匹の腐狼が同時に動いた。

一匹が正面から。

一匹が柱の影を回り込む。

もう一匹が跳び上がる。

ロゼインの視界が静かになる。

動きが見える。

全部。

遅い。

正面の牙を避ける。

床を蹴る。

砂が舞う。

体を捻る。

拳が振り抜かれる。

ドンッ!!

拳が腐狼の胴にめり込んだ。

骨が砕ける音。

体が床を滑る。

そのまま柱にぶつかり止まった。

ロゼインは止まらない。

背後。

風の動きで分かる。

振り向きざまに腕を振る。

ゴンッ

拳が腐狼の頭に当たる。

頭蓋が歪む。

体が浮く。

そのまま石床に落ちた。

乾いた音。

動かない。

残った腐狼が止まった。

赤い目が揺れる。

唸るが、近づかない。

ロゼインが一歩踏み出す。

石がコツンと鳴る。

腐狼が後退る。

もう一歩。

ロゼインの拳がゆっくり握られる。

「……なんだよこれ」

奈落は静かだった。

遠くで水滴が落ちる。

腐狼は完全に怯えていた。

ロゼインの匂いを嗅ぐように鼻を動かしそして――

逃げだした。

暗い通路の奥へ。

爪の音が遠ざかる。

静寂が戻った。

ロゼインは立ち尽くす。

拳を見る。

息が荒い。

「……意味がわかんねえ」

背後で骨が鳴った。

コツン。

コツン。

アゼリアが歩いてくる。

「まぁ」

静かな声。

ロゼインが振り向く。

「おい」

「はい」

「これお前の薬のせいか?」

アゼリアはロゼインを見つめた。

骨の瞳。

観察するように。

しばらくして言う。

「可能性はございます」

ロゼインは額を押さえる。

「ふざけんな……」

アゼリアは優しく拍手した。

「ですが」

「お強いです」

ロゼインは頭を抱えた。

「そういう問題じゃねえ……」


ロゼインはしばらく頭を抱えていた。

やがて大きく息を吐く。

「……はぁ」

それから視線を落とした。

床。

腐狼の死体。

そのすぐ横に――

黒く乾きかけた血があった。

ロゼインの眉がわずかに動く。

「……あ」

ぼんやりと何があったのか思い出す。

空腹。喉の渇き。

冷たい石床。

体が動かなくなっていく感覚。

視界が暗くなって――

その時だ。

口元に何かが触れた。

ガラス。

冷たい液体。

無理やり流し込まれた不思議な味。

ロゼインはゆっくり顔を上げた。

アゼリアを見る。

骨の顔。

黒い修道服。

静かに立っている。

ロゼインは少しだけ目を逸らした。

頭を掻く。

「……あー」

気まずそうに言う。

「さっきの」

「助けたって話」

アゼリアは静かに待っている。

ロゼインは眉をしかめた。

「……多分」

少し間。

「本当っぽいな」

アゼリアは小さく頷いた。

「はい」

ロゼインは鼻を鳴らした。

それからぼそっと言う。

「……その」

また沈黙。

奈落に水滴が落ちる。

ポツン。

ロゼインは顔をしかめた。

「一応礼を言っておく…」

アゼリアを見る。

「ありがとな」

奈落は静かだった。

アゼリアはゆっくり頭を下げる。

「どういたしまして」

ロゼインは少しだけ肩をすくめた。

それからふと顔を上げる。

「……で」

アゼリアを見る。

目が鋭くなる。

「話戻すぞ」

指を向ける。

「アゼリアとか言ったな」

アゼリアは頷いた。

「はい」

ロゼインは一歩近づく。

「お前は何者なんだ」

奈落の空気が少し張り詰める。

腐狼の死体の匂いが漂っていた。

「魔物か?」

アゼリアは少し考えるように沈黙した。

骨の指が顎に触れる。

コトン。

それから静かに答えた。

「……分かりません」

ロゼインの眉が跳ね上がる。

「は?」

アゼリアはゆっくり続けた。

「わたくし」

「多くの記憶を失っておりまして…」

「覚えているのは」

「アゼリアという名と」

「怪我をした冒険者を助けていたという事だけでございます」

ロゼインは腕を組んだ。

「……記憶喪失かよ」

アゼリアは静かに頷く。

「はい」

ロゼインは天井を見上げた

子供の体。

怪力。

スケルトン。

記憶喪失。

指を折って数える。

「……情報多すぎるだろ」

奈落は静まり返っていた。

遠くで水滴が落ちる。

ポツン。

ポツン。


ロゼインはしばらく黙っていた。


やがて、小さく咳払いする。


「……で」


アゼリアを見る。


「ここは何階層なんだ?」


アゼリアは少し考えるように沈黙した。


「……申し訳ございません」


「分かりません」


「……そうか」


ロゼインは小さく息を吐いた。


「ダメか……」


ゆっくりと立ち上がる。


足元で骨が転がった。


コツ。


乾いた音が奈落に響く。


ロゼインは周囲を見渡した。


骨。


砕けた鎧。


折れた武器。


そして、長い間放置された死体の残骸。


「……待てよ」


ロゼインは足元に落ちていた剣を拾い上げる。


刃は完全に錆びている。


だが、柄に刻まれた紋章は残っていた。


「……これ、王都遠征隊の紋章だ」


「有名なのでしょうか?」


「いや。有名っていうより……古い」


ロゼインは近くに転がっていた鎧にも目を向ける。


指で軽く叩いた。


カン。


「この装備も十年以上前の型だ」


そして、改めて周囲を見渡す。


これだけの死体。


これだけの装備。


それが、ほとんど手つかずのまま残っている。


「……おかしい」


「何がでございますか?」


「これだけの規模の死体や装備がそのまま残ってることだ」


ロゼインは古びた剣を見つめる。


「この迷宮は二十階層までは、一応地図がある」


「もちろん全部じゃない」


「特に十五階層から二十階層は、調査できてるのも六割くらいだ」


「それでも、遠征隊が何度も調査してるからな」


「階段の位置や大まかな構造くらいは分かってる」


ロゼインは足元の死体を見る。


「だから、こんな風に遠征隊の死体や装備が何年も放置されてる場所があるなんて……俺の知ってる奈落じゃ考えにくい」


「では……」


アゼリアが静かに尋ねる。


ロゼインは暗闇の奥へ目を向けた。


「二十階層より下……」


その言葉を口にした瞬間、ロゼインの表情が険しくなる。


「……かもしれない」


奈落の奥から、冷たい風が吹き抜ける。


ヒュウ……。


「二十階層より下は、ほとんど調査がされてない」


「地図だってない」


「何がいるのかも分からない」


ロゼインは古い遠征隊の残骸を見渡した。


そして、小さく息を吐く。


「もし本当にそうなら……」


一拍。


「俺たち、かなりヤバい場所にいるぞ」


静かな奈落に、その言葉だけが落ちた。




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