迷宮での目覚め。
ロゼルがゆっくりと目を覚ますと、すぐ近くにアゼリアの姿があった。
アゼリアは、眠っているリアを優しい目で見つめている。
その視線に気づいたのか、アゼリアがロゼルへ振り向いた。
「おはようございます、ロゼル様」
「ああ。おはよう、アゼリア」
ロゼルは身体を起こし、小さく伸びをする。
「見張り、ありがとうな。お陰で一休みできた」
アゼリアは嬉しそうに微笑んだ。
「私でお役に立てるのでしたら、いつでもお任せください」
そう言ってから、アゼリアは眠っているリアへ視線を向ける。
「リアを起こしますか?」
「いや、まだ寝かせといていい」
ロゼルもリアへ目を向ける。
昨日は、リアにとって初めての迷宮だった。
暗闇に怯え、魔物と遭遇し、実際に自分の手で矢を放った。
きっと、身体が思っている以上に疲れている。
「リアが目を覚ますまでに、軽食でも作るとしよう」
「お手伝いします」
アゼリアがすぐに答える。
「ああ。また簡単なスープを作る」
ロゼルは荷物へ手を伸ばしながら続ける。
「味付けはアゼリアに任せるよ」
「はい。お任せください」
そう言うと、ロゼルは食材を取り出し、手際よく下ごしらえを始めた。
静かな墓所に、包丁が食材を刻む小さな音が響く。
遠くでは、誰かが墓前で祈っている。
冒険者が静かに眠る場所で、二人はいつものように食事の準備を始めていた。
ロゼルは鍋の中で温まっていくスープを眺めながら、ふと呟いた。
「スープだけじゃ、リアがぐずるか……」
そう言うと、荷物の中から硬いライ麦パンを取り出した。
程よい大きさに切り分けると、スープを温めている火にかざし、じっくりと炙っていく。
表面が少し温まったところで、今度は隠し持っていたベーコンを取り出した。
薄く切り、火の上に置く。
ジュッ、と小さな音が鳴った。
ベーコンの黄色い脂が、熱でぷつぷつと溶け出していく。
香ばしい匂いが辺りに広がった。
ロゼルは焼き目のついたベーコンを、玉ねぎを敷いたライ麦パンの上へ乗せていく。
その瞬間――。
「……ピクッ」
眠っていたリアの耳が、匂いを追うように小さく動いた。
もう一度、鼻がひくひくと動く。
そして。
「ぐぅぅ……」
静かな墓所に、腹の虫が響き渡った。
本人よりも先に、腹が目を覚ましたらしい。
ロゼルは思わず、くすくすと笑う。
「起きたか、リア」
「んん……」
リアは毛布の中でもぞもぞと動く。
やがて、のそりと身体を起こすと――
「ん~~~~……」
両腕を大きく伸ばした。
その姿は、まるで寝起きの猫そのものだった。
「ん~……何時間くらい寝てた?」
まだ半分眠っているような声で尋ねる。
アゼリアが、リアの様子を微笑ましそうに見ながら答えた。
「4時間ほどかと」
「結構寝てたのね……」
リアは目をこすりながら、アゼリアを見る。
「ずっと見張ってくれてありがとう、アゼ姐」
「いえいえ。お気になさらず」
アゼリアは優しく微笑んだ。
その横では、ロゼルが焼き上がったライ麦パンを皿へ並べていた。
リアの視線が、吸い寄せられるようにそちらへ向く。
「……それ、なに?」
「見て分からないか?」
「分かるけど……」
リアの耳が、またぴくりと動いた。
「……おいしそう」
ロゼルは焼き上がったばかりのライ麦パンをリアへ差し出した。
「ほら。冷めないうちに食べな」
「これからしばらくは、休憩はないぜ」
「いただきます」
リアは受け取ったパンに、さっそくガブリとかぶりついた。
香ばしく焼かれたパンに、ベーコンの脂と玉ねぎの甘みが重なっている。
「ん……!」
思わず頬が緩む。
そのままパンを頬張りながら、リアが尋ねた。
「しばらく?」
一度ごくんと飲み込む。
「なら、目的地が近いの?」
ロゼルは鍋のスープをよそいながら答えた。
「この先をしばらく行ったところに、地下湖がある」
「そこが目的地だ」
「そこに依頼の品がある」
アゼリアが反応する。
「セイレーンの涙ですか?」
「ああ」
ロゼルは頷いた。
「セイレーン自体は、水中で戦わなければ大した魔物じゃない」
「ただ、厄介なのは――歌だ」
「歌?」
リアはライ麦パンをスープに浸し、そのまま口へ運ぶ。
「歌が危険なの?」
「ああ」
ロゼルの表情が少し真剣になる。
「セイレーンの歌声には、魅惑の力があるんだ」
「それに支配されたら、自分から水場へ近づいてしまう」
「そして、そのまま水中へ引きずり込まれる」
リアの動きが止まった。
「……怖いんだけど」
「だから、ソロじゃこの依頼は受けられない」
ロゼルはそう言って、二人を見る。
「でも、今の俺たちは三人だ」
「だから、この依頼を受けた」
リアはパンを片手に持ったまま、アゼリアを見る。
そして、ロゼルを見る。
「……なるほど」
少しだけ納得したように頷いた。
「つまり、三人なら大丈夫ってことね」
「ああ」
ロゼルは短く答えた。
その隣で、アゼリアが穏やかに微笑んでいる。
「ご安心ください、リアさん」
「セイレーンの魅惑は、私には効きませんから」
アゼリアがそう言うと、リアは目を丸くした。
「え?」
ロゼルもリアに続けて言う。
「そうだったの?」
アゼリアは少し困ったような顔を浮かべ、自分の身体を見下ろした。
「はい。私に魅了は効きません。骨ですから、私」
「なるほど」
ロゼルは改めてアゼリアの姿を見る。
確かに、白い骨の身体を持つアゼリアに、生きた人間と同じような魅了が通じるとは考えにくい。
「それなら尚更頼もしいな」
ロゼルは小さく笑った。
「俺とリアが魅了にかかった時は頼むぜ、アゼリア」
「はい。お任せください」
アゼリアはいつもの穏やかな笑顔で頷いた。
その頼もしい返事に、リアも嬉しそうに笑う。
「アゼ姐、頼もしいー」
「ふふ。お任せください」
そんな二人を眺めながら、ロゼルはリアの食事が終わっていることを確認した。
「飯は食い終わったか?」
「うん。もうお腹いっぱい」
リアが満足そうに空になった器を見せる。
「それなら、これで顔を拭きな」
ロゼルはそう言うと、水で濡らした手ぬぐいをリアへ放った。
「わっ」
リアは慌てて両手で受け取る。
「目ヤニついてんぞ」
「えっ……」
リアの耳がぴくっと動いた。
「うそ……」
慌てて目元に手をやる。
指先を確認すると、確かに少し付いていた。
「……もう」
恥ずかしそうに呟きながら、リアは手ぬぐいで顔をゴシゴシと拭く。
「朝っぱらから恥ずかしいところ見られた……」
「別に気にするほどじゃないだろ」
「気にするよ!」
リアは頬を膨らませる。
寝起きで乱れた髪を直しながら、もう一度目元を念入りに拭った。
ロゼルはそんなリアを見て、小さく笑う。
「何笑ってんのよ」
「いや。ようやく目が覚めたみたいだなと思ってな」
「最初から起きてるってば」
そう言い返すリアだったが、声にはまだ少し眠気が残っていた。
その間に、ロゼルとアゼリアは手早く片付けを始める。
食器をまとめ、調理器具をしまい、残った食材を袋へ戻していく。
寝床も畳み、荷物をそれぞれの背に戻す。
迷宮では、いつまでも休憩の準備をしたままにしておくわけにはいかない。
いつ何が襲ってくるか分からない場所だからこそ、休む時と動く時の切り替えは早い。
最後にロゼルが周囲を見渡し、忘れ物がないことを確認する。
「よし」
ロゼルが立ち上がる。
「行くぞ」
「はーい」
リアも荷物を背負い直し、腰の短剣と投げナイフを確認する。
アゼリアも静かに立ち上がった。
「準備はできています」
「ああ」
三人は墓所を振り返る。
先ほどまで休んでいた場所には、食事の痕跡もほとんど残っていない。
静寂を取り戻した墓所を背に、ロゼルたちは歩き始めた。
目的地は、この先にある地下湖。
そして、その湖に棲むセイレーンが持つ――セイレーンの涙。
「……どんな場所なんだろ」
歩きながら、リアが小さく呟く。
ロゼルは前を向いたまま答えた。
「行けば分かるさ」
その先に広がる暗闇へ向かって、三人は迷宮の奥へと進んでいった。




