蟲
三階層を越えた一行は、さらに迷宮の奥へと進んでいった。
ロゼルは迷宮を知り尽くしているかのように、迷うことなく足を進めていく。
先ほどまで暗闇に怯えていたリアも、今ではすっかり迷宮の歩き方に慣れたのか、軽い足取りで二人についてきていた。
頭上では、アゼリアが生み出した青い炎の球がふわりと浮かび、三人の周囲を優しく照らしている。
そんな中――。
前方の暗闇に、何かの影が浮かび上がった。
ロゼルが足を止める。
「……ん?」
目を細め、じっと暗闇の先を見つめる。
リアもロゼルの視線を追い、小さな声で呟いた。
「ロゼル……あれは……?」
ロゼルは腰に引っ掛けていた小さな双眼鏡を取り出す。
音を立てないよう慎重に構え、暗闇の先を覗き込んだ。
しばらくして――。
「……ちっ。」
ロゼルの表情が僅かに険しくなる。
「ありゃ、ランビートだ。」
「ランビート……?」
アゼリアが首を傾げる。
「なんでしょう、ロゼル様?」
「六階層辺りからよく出てくる、でかい虫の魔物さ。」
ロゼルは双眼鏡を下ろす。
「……どうやら冒険者が襲われてるみたいだ。」
「冒険者!?」
リアの顔が強張る。
「無事なの!?」
「さぁな。」
ロゼルは再び暗闇へ目を向ける。
「ここからじゃ細かいところまでは見えん。」
そして、短く息を吐く。
「敵は4体いる。」
ロゼルがアゼリアを見る。
「アゼリア。スケルトンを召喚できるか?」
「はい。」
アゼリアの掌に、ゆらりと青い炎が灯る。
「斥候に使うのですね?」
「ああ。まず状況を確認する。」
ロゼルは続けてリアを見る。
「リアは援護だ。」
「私?」
「そうだ。」
ロゼルが指で前方を示す。
「こっちに向かってきたランビートを弓で牽制してくれ。無理に倒そうとするな。近づけさせなければそれでいい。」
リアは緊張した面持ちで弓を構える。
「……わかった。」
矢を一本つがえ、弦をゆっくりと引き絞る。
その横で、アゼリアが静かに腕を伸ばした。
青い炎が掌から地面へと垂れ落ちる。
ぽたり。
炎が石床へ触れた瞬間――。
青い光が円を描くように広がっていく。
円の中心から、カタ……カタ……と乾いた音が響いた。
やがて――。
「カタカタ……」
「カタ……」
骨が地面を擦る音と共に、白い腕が這い出してくる。
一体。
二体。
三体――。
そして四体。
骨の剣と盾を携えたスケルトンたちが、ゆっくりと地上へ這い出した。
アゼリアは静かに彼らを見つめる。
「いきなさい……。」
ロゼルは大斧を担ぎ直し、暗闇の先を睨んだ。
「さて……まずは奴らの出方を見せてもらおうか。」
四体のスケルトンが、音もなく迷宮の奥へと歩き始めた。
四体のスケルトンは、互いの距離を一定に保ちながら隊列を組んでいた。
前衛の二体が盾を構え、その後ろを残る二体が続く。
カチャ……カチャ……。
骨の足が石床を踏むたび、乾いた音が迷宮の中へ響いていく。
ロゼルはその背中をじっと見つめていた。
大斧の柄を、ギリッ……と強く握り込む。
「…………。」
敵がどう動くのか。
その一挙手一投足を見逃さない。
一方、リアもゆっくりと弓を構えた。
矢をつがえ、いつでも放てるようにしながら、小さく息を吐く。
「ふぅ……。」
緊張している。
だが、逃げるつもりはない。
その時だった。
スケルトンたちが数十メートルほど進んだところで――。
「カチ……カチカチ……!」
暗闇から、耳障りな音が響いた。
ランビートの一体が、スケルトンの存在に気づいたのだ。
巨大な甲殻を震わせ、鋭い顎を開閉する。
「カチカチカチッ!」
威嚇するような音が迷宮に響く。
それに反応し、別のランビートが振り返る。
さらにもう一体もスケルトンへと顔を向けた。
「……!」
リアの指に力が入る。
だが、ロゼルは動かない。
「まだだ。」
低い声で呟く。
次の瞬間――。
一体のランビートが地面を蹴った。
ズドンッ!
巨体が跳ね上がり、一直線にスケルトンへと飛びかかる。
「カチィッ!」
ガキンッ!
鋭い顎がスケルトンの腕へ食らいついた。
さらにランビートの尾がしなり、その先端にある毒針が――
ズブッ!
スケルトンの胴体へ突き刺さる。
「……!」
リアが思わず息を呑む。
しかし――。
スケルトンは微動だにしなかった。
毒など、そもそも効く肉体がない。
「カタ……。」
乾いた顎を鳴らすと、スケルトンは無造作に剣を振り上げた。
ガンッ!
骨でできた剣が、ランビートの甲殻へ叩き込まれる。
「カチィッ!?」
ランビートが身をよじる。
だが、逃げるより早く――。
左右から別のスケルトンが迫った。
ガンッ!
ザシュッ!
ドゴッ!
盾で押さえつけ、剣を叩き込む。
一体のランビートを、四体のスケルトンが取り囲んでいく。
逃げ場はない。
前から。
横から。
そして背後から。
骨の剣が容赦なく振り下ろされる。
「カチッ! カチィッ!」
ランビートが激しく暴れる。
そのたびに甲殻が砕け、傷口から赤黒い体液が飛び散った。
スケルトンたちの白い骨が、赤黒く染まっていく。
「…………。」
リアはその光景を呆然と見つめていた。
魔物同士の戦い。
それは想像していたよりもずっと生々しく――。
そして、ずっと恐ろしかった。
喉が、ごくりと鳴る。
「……っ。」
握った弓が、わずかに震えた。
ロゼルはそんなリアの様子を横目で確認しながらも、視線は戦場から逸らさない。
四体のスケルトンが、一体のランビートを地面へと押さえつけている。
その隙を狙うように――。
残る三体のランビートが一斉に跳躍した。
巨体が、スケルトンたちの頭上を飛び越えていく。
「――来る!」
リアが息を呑む。
三体のランビートが、まっすぐロゼルたちへと迫る。
その瞬間――。
「リア!」
ロゼルが叫んだ。
「今だ!」
「――!」
リアが反射的に弓を引き絞る。
片目を閉じ、迫り来るランビートの一体へと狙いを定めた。
不思議だった。
さっきまであれほど緊張していたのに。
震えていた指が、ぴたりと止まる。
周囲の音が遠ざかっていく。
時間そのものが、ゆっくりになったような感覚。
リアの視界には、ただ一体のランビートだけが映っていた。
「…………。」
弦を引き絞る。
そして――。
ヒュッ!
矢が放たれた。
矢は一直線に飛び、まるで吸い込まれるようにランビートの外骨格の隙間へと滑り込む。
ズブッ!
「カチィッ!?」
空中でランビートの体勢が崩れた。
その巨体が地面へと落下する。
ドォンッ!
「一体!」
リアはすぐさま次の矢をつがえた。
弦を引く。
狙う。
放つ。
ヒュンッ!
二本目の矢が飛翔し――。
ズシュッ!
ランビートの目へと突き刺さった。
「カチィィィィッ!?」
悲鳴にも似た絶叫を上げ、ランビートが地面へ転がる。
リアは残る一体へと視線を向ける。
しかし――。
「……っ!」
間に合わない。
「ごめん、ロゼル!」
リアが叫ぶ。
「一体、いそこねた!」
「十分だ!」
ロゼルは迫り来るランビートを睨みつける。
「後は任せろ!」
そしてリアへと叫んだ。
「少し後ろへ下がって援護してくれ!」
「わかった!」
リアが後退する。
ロゼルはすぐさまアゼリアへ視線を向けた。
「アゼリア!」
「はい。」
「足場を作れるか!」
アゼリアが微笑む。
「容易く。」
掌に青い炎が集まる。
「お任せください。」
アゼリアが炎を纏った手を、地面へ叩きつけた。
ドンッ!
その瞬間――。
ロゼルの足元から、巨大な骨の柱が突き出した。
「――ッ!」
柱が一気に伸びる。
ロゼルの身体が、まるでカタパルトから撃ち出されたかのように宙へと打ち上げられた。
「うおおおおっ!」
大斧が唸る。
ロゼルは空中で身体を捻り、大斧を頭上へと振り上げる。
その眼前へ、ランビートが迫った。
「カチィッ!」
尾の先にある毒針が伸びる。
狙いはロゼルの身体。
だが――。
「遅ぇ!」
ロゼルの方が速かった。
怪力を乗せた大斧が、猛烈な勢いで振り下ろされる。
「――ッラァ!」
ズドォンッ!!
大斧がランビートの身体へ叩き込まれた。
凄まじい衝撃。
甲殻が砕け、巨体が真っ二つに割れる。
「カ……ッ」
ランビートはそのまま力を失い、地面へ落下していった。
ロゼルもまた重力に引かれ、落下する。
しかし――。
空中で大斧を握り直す。
視線の先には、先ほどリアの矢を受けて地面を転げ回っているランビート。
「おまけだ。」
落下の勢いそのままに――。
ドゴォンッ!!
大斧がランビートの頭部へ叩き込まれた。
甲殻が砕ける。
頭蓋が粉々に弾け飛び、赤黒い体液が周囲へ飛び散った。
ロゼルは大斧を引き抜くと、ゆっくりと地面へ着地する。
その後ろでは、スケルトンたちが残るランビートを押さえつけていた。
ロゼルはちらりとリアを見る。
「……上出来だ。」
リアは弓を握ったまま、呆然とその光景を見つめていた。
「アゼリア!」
ロゼルが周囲を見回しながら声を上げる。
「まだ隠れている魔物がいるかもしれない。スケルトンたちに警戒させておいてくれ!」
「はい、ロゼル様!」
アゼリアはすぐに頷く。
「お前たち、周囲を索敵しなさい。」
四体のスケルトンが一斉にアゼリアへ顔を向ける。
「カタ……。」
こくり。
まるで命令を理解したかのように頷くと、四方へ散っていった。
それぞれが盾を構え、暗闇の奥へと視線を向ける。
ロゼルはそんなスケルトンたちを確認すると、リアへ振り返った。
「リア!」
「な、なに?」
「いい攻撃だったぜ。」
ロゼルがニカッと笑う。
「やるな。」
「ほ、ほんと?」
リアの猫耳がぴくりと動く。
「でも……一匹、撃ち漏らしちゃった……。」
「初めての迷宮での戦闘で、あれだけやれたら上出来さ。」
ロゼルは倒れたランビートへ視線を向ける。
「それに二体目まで撃ち落とすとは思わなかったよ。」
「そ、そうかな……。」
リアが少し照れたように頬を掻く。
すると、アゼリアも柔らかく微笑んだ。
「お見事でした。」
「リアは本当に頼りになります。」
「そ、そうかな……。」
リアは照れながら笑う。
「ありがと。」
そして、今度はアゼリアへと振り返った。
「アゼリアも凄かったわ!」
「え?」
「あれ!」
リアが地面を指差す。
「地面から突き出てきたやつ! あんなことできるのね!」
「そ、そんな……。」
アゼリアは少し困ったように両手を振る。
「私なんか、まだまだです。」
そう言いながら――。
ちらり。
アゼリアの視線がロゼルへ向く。
そして、もう一度。
ちらちら。
ロゼルはその視線に気づき、苦笑した。
「アゼリアもよくやった。」
「!」
「いい連携だったな、俺達。」
ロゼルが大斧を肩に担ぐ。
「さすが相棒だ。」
アゼリアの頬が一瞬で赤くなる。
「そ、そんな……!」
小さく呟きながら、俯いてしまう。
「パートナー……なんて……。」
「ん?」
「い、いえ! 何でもありません!」
リアがその様子を見て、くすりと笑う。
「アゼ姐、嬉しそうね。」
「そ、そんなことは……!」
アゼリアが慌てて顔を背ける。
ロゼルは気にした様子もなく、倒れたランビートたちへ目を向けた。
「とにかく――。」
表情が再び冒険者のものへ戻る。
「奴らが何をしていたのか、確かめよう。」
「うん。」
「はい、ロゼル様。」
三人は並んで歩き出す。
向かう先は――。
先ほどまでランビートたちが群がっていた、暗闇の奥。
何故、四体ものランビートがあそこに集まっていたのか。
その理由を確かめるために、一行はゆっくりと歩を進めていった。
ランビートが群がっていた場所へ近づくにつれ、迷宮の空気が重くなっていった。
ロゼルが足を止める。
「……。」
そこには、二人の冒険者が倒れていた。
まだ駆け出しだったのだろう。
装備も新しく、身につけている防具には使い込まれた跡がほとんどない。
一人はランビートに食い荒らされたのか、見るに堪えないほど酷い状態だった。
そしてもう一人は――。
不思議なほど、傷が少なかった。
ただ、身体は力なく横たわり、指先には地面を掻きむしった跡が残っている。
すぐそばには、折れた武器。
おそらく最後まで生きようともがいていたのだろう。
ランビートの毒針を受け、それでも逃げようとした。
だが、毒が身体を巡り……力尽きた。
ロゼルの眉間に深い皺が刻まれる。
「……。」
リアはその光景に耐えきれず、そっと顔を背けた。
「……ひどい。」
アゼリアは何も言わず、リアの頭をそっと胸元へ抱き寄せる。
そして、優しく。
ぽん、ぽん。
と、子供をあやすように頭を撫でた。
リアは目を伏せたまま、アゼリアの服をそっと握る。
ロゼルは二人の遺体をしばらく見つめていた。
そして、ふと目を細める。
「……見た顔だな。」
記憶を辿るように、目を細める。
「ランドさんの試験にいた奴らだろう……。」
その瞬間。
ランドの言葉が脳裏に蘇った。
――この中の半数近くは、数年以内に死ぬことになる。
ロゼルは小さく息を吐いた。
「……。」
リアがロゼルを心配そうに見る。
「友達……なの?」
「いや。」
ロゼルは首を横に振った。
「すれ違った程度さ。」
それだけ言うと、ロゼルは静かに片膝をついた。
バックパックを下ろし、中から一枚の羊皮紙を取り出す。
アゼリアが首を傾げた。
「ロゼル様、それは?」
「炎の魔法が組み込まれた羊皮紙だ。」
ロゼルは羊皮紙を広げる。
「安い物じゃないが……仕方ない。」
指先で魔法陣に触れる。
次の瞬間――。
ボッ。
羊皮紙から炎が噴き出した。
炎は二人の遺体を包み込み、あっという間に赤々と燃え上がる。
リアは炎から目を逸らさなかった。
ただ、じっと。
揺らめく炎を見つめている。
ロゼルは燃え上がる遺体へ向け、小さく呟いた。
「ごめんな……。」
「連れては帰れない。」
炎が静かに揺れる。
「これ以上、遺体を辱められないようにするのが……俺の精一杯だ。」
リアの瞳に、炎の赤が映り込む。
何も言わず、ただ遠い目でその光景を見つめていた。
やがてロゼルは立ち上がる。
そして、遺体のそばに落ちていた剣と杖を拾い上げた。
アゼリアが尋ねる。
「持ち帰られるのですか?」
「いや。」
ロゼルは二つの武器を眺める。
「この先にある場所へ持って行ってやろうと思ってな。」
「この先……?」
アゼリアが首を傾げる。
「それは、なんでしょうか?」
ロゼルは二人へ振り返り、僅かに笑った。
「まぁ、行けば分かるさ。」
そして、迷宮の奥へと視線を向ける。
「おそらく……あと一キロもしないで到着する。」
ロゼルは大斧を担ぎ直した。
「行こう。」
三人は再び、迷宮の奥へ向かって歩き始めた。




