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聖血のロゼル  作者: チョコレートスターフィッシュ
第4章

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リアの迷宮デビュー。

朝日が宿の窓から柔らかく差し込み、部屋を淡い黄金色に染めていた。

小鳥のさえずりと、街を行き交う人々の賑わいが窓の外から微かに聞こえてくる。

ベッドの上では、リアがゆっくりと目を開けた。

「んん……」

猫のように両腕をぐっと前へ伸ばし、大きく背中を反らせる。

欠けた耳がぴくりと揺れ、長い尻尾も機嫌良さそうに左右へふわりと動いた。

「ふぁぁぁ……。」

大きなあくびを一つ。

まだ少し眠たそうに目を擦りながら部屋を見渡す。

ロゼルは既に起きていた。

ソファに腰掛け、小さなカップを片手にゆっくりとコーヒーを味わっている。

立ち上る湯気と香ばしい香りが部屋いっぱいに広がっていた。

テーブルにはアゼリアが用意した朝食が並んでいる。

こんがりと狐色に焼かれたパン。

彩り豊かな小さなサラダ。

食べやすい大きさに切り分けられた瑞々しい果物。

朝から食欲をそそる香りが部屋を満たしていた。

リアは眠そうに目頭をもにゅもにゅと擦りながら席へ着く。

「ふぁ……二人とも、おはよう〜。」

ロゼルはカップを片手に軽く手を上げる。

「ん……おはよ。」

アゼリアも優しく微笑んだ。

「おはようございます、リア。」

リアはまだ半分眠ったような顔のまま手を合わせる。

「いただきまーす。」

焼きたてのパンを一口。

サクッ。

心地よい音を立てて表面が砕け、その直後、ふんわりと柔らかな生地が口いっぱいに広がる。

小麦の甘みと焼きたての香ばしい香りが鼻を抜けた。

リアの猫耳がぴんと立つ。

「ん〜〜っ!」

目を輝かせながら幸せそうに頬を押さえる。

「おいしい〜……幸せぇ〜。」

その表情を見て、アゼリアはくすりと笑った。

「そんな、大袈裟ですよ。」

リアは首を横に振る。

「大袈裟じゃないもん。」

「ロゼルもそう思うでしょう?」

ロゼルはコーヒーをテーブルへ置き、小さく笑う。

「ああ。」

「もう、この飯がない日々には戻れないな。」

その一言に、アゼリアの動きがぴたりと止まる。

みるみる頬が赤く染まり、両手をそっと頬へ添えた。

「そ、それは……。」

恥ずかしそうに視線を泳がせながら、小さな声で呟く。

「つまり……。」

「私を絶対に離したくない……。」

「そういう意味ですね、ロゼル様。」

ロゼルは一瞬きょとんとした後、額に手を当てて苦笑する。


ロゼルは苦笑したまま肩をすくめた。

「そうだな。」

「手放し難いな。」

その言葉に、リアはぽけーっとした顔でロゼルを見つめる。

数秒、じっと見つめたあと、小さくため息を吐いた。

「……ロゼルって天然よね。」

ロゼルは首を傾げる。

「ん?」

リアは呆れたように肩を落とした。

「きっとそうやって女性をたぶらかしてきたんだよ……。」

「絶対……。」

その横では、アゼリアが俯いたまま固まっていた。

顔は耳まで真っ赤。

肩が小さく震えている。

リアは心配そうに覗き込む。

「だ、大丈夫? アゼ姐……。」

その瞬間だった。

「ロゼル様ぁっ!!」

勢いよくアゼリアが飛びつく。

ぎゅううっとロゼルへ抱きつき、細い腕で離すまいとしがみついた。

「私はロゼル様から離れたりしません!」

「ずうっと、ずうっとそばにいますとも!」

ロゼルは突然の出来事に目を丸くする。

「お、おい!」

アゼリアは幸せそうに頬を擦り寄せ――。

「すぅぅぅ……。」

思い切りロゼルの頭の匂いを吸い込んだ。

「ロゼル様の香り……。」

「今日も素敵です……。」

「おまっ……!」

ロゼルは慌ててアゼリアの顔を両手で押し返そうとする。

「落ち着け!」

「頭の匂い嗅ぐな!」

「おいっ!」

しかしアゼリアは幸せそうな笑みを浮かべたまま、まるで子猫のように頬をすりすりと擦り寄せてくる。

「ふふふ……。」

「離しません。」

「今日は絶対に離しません。」

ロゼルが必死に引き剥がそうとするたび、アゼリアはさらにぎゅっと抱きつく。

その光景を見ていたリアは、頬杖をつきながら楽しそうに笑った。

「アゼ姐って……。」

「ほんとロゼルが好きよね〜。」


そんなこんなで、賑やかな朝食の時間はあっという間に過ぎていった。

ようやくアゼリアを引き剥がしたロゼルは、乱れた髪を手で整えながら深く息を吐く。

「……ふぅ。」

そして一つ咳払いをした。

「ゴホン。」

気持ちを切り替えるように姿勢を正す。

一方のアゼリアはというと、先程の余韻がまだ残っているのか、上機嫌な様子で銀色の長い髪を指先でくるくると弄んでいた。

頬はほんのり赤く、どこか幸せそうな笑みを浮かべている。

そんなアゼリアを横目で見て、ロゼルは苦笑しながら本題を切り出した。

「今日は何か依頼を受けて――」

「リアを迷宮へ連れて行こうと思ってる。」

その一言に、リアの耳がぴくりと立つ。

「迷宮?」

目を輝かせながら身を乗り出した。

「いよいよ私も迷宮デビューなのね!」

ロゼルは頷く。

「そう。」

「今日はリアの迷宮デビューだ。」

コーヒーを一口飲み、静かに続ける。

「迷宮ってのは、ただ魔物を倒して金を稼ぐ場所じゃない。」

「綺麗な景色もあれば、息を呑むような場所もある。」

「その反面、一歩間違えれば命を落とす。」

「今日はその凄さと怖さを、自分の肌で感じてほしい。」

リアの表情から笑みが少し消えた。

ごくり、と唾を飲み込む。

「……怖さ?」

アゼリアも静かに頷く。

「そうですね。」

「迷宮は、とても美しい場所でもありますが……。」

「同時に、とても怖く危ない場所です。」

「ほんの少しの油断で、命を落とす冒険者も少なくありません。」

リアは自然と背筋を伸ばした。

先程までの浮かれた様子はなく、真剣な表情になっている。

ロゼルはそんなリアを見て、小さく頷いた。

「だからこそ、色々学んでほしい。」

「魔物のこと。」

「仲間との連携。」

「迷宮で生き残るための立ち回り。」

「全部だ。」

ロゼルは立ち上がり、部屋の隅へ立て掛けてあった漆黒の大斧を肩へ担ぐ。

「準備が済んだらギルドへ向かう。」

リアは胸の前でぎゅっと拳を握った。

「なんだか……緊張する。」

ロゼルはニカッと笑う。

「大丈夫。」

「俺たちがついてる。」

「それに今日は危険な階層へ足を踏み入れたりはしない。」

「まずは迷宮って場所を知ることから始めようぜ。」

その言葉に、リアは安心したように小さく笑った。

「……うん!」

「よろしくね、先生!」

「先生はやめろ。」

ロゼルは苦笑し、アゼリアもくすりと笑う。

穏やかな笑い声と共に、三人は初めての迷宮探索へ向けて支度を始めた。


身支度を終えた三人は部屋を出て、一階へと降りる。

古びた木の階段が、ぎしっ、ぎしっと音を立てた。

受付の奥では、宿の主人が帳簿を眺めていた。

しかしロゼルたちの姿を見つけた瞬間――。

店主はぴくりと肩を震わせ、気まずそうに視線を逸らした。

その空気を感じ取りながらも、アゼリアはいつもと変わらぬ柔らかな笑みを浮かべる。

「おはようございます、ご主人さん。」

店主は頭を掻きながら、小さく苦笑した。

「あ、あんた達か……。」

「昨夜はすまなかったね。」

言葉を選ぶように口を開く。

「だけど、ああいう人種が宿を出入りするのは……その、困るんだ。」

「うちは普通の冒険者相手の宿だからね。」

ロゼルは軽く肩をすくめた。

「俺たちが呼んだ訳じゃないが……。」

「巻き込んじまって悪かったよ。」

その言葉に、リアがむっと頬を膨らませる。

「別にロゼルが謝る必要なくなーい?」

ロゼルは苦笑しながら首を振った。

「そういうわけにもいかないさ。」

店主は申し訳なさそうに目を伏せる。

「あんた達は金払いもいいし、部屋も綺麗に使ってくれる。」

「本当に助かってるんだ。」

「だけど、こっちも商売でね……。」

「変な噂が立つのは困るのさ……。」

宿を訪れる客は、安心して泊まれる場所を求めてやって来る。

『マフィアが出入りする宿』という噂が広まれば、それだけで客足は遠のいてしまう。

店主には店主の生活があった。

ロゼルは少しだけ考え、静かに頷く。

「わかった。」

「近いうちに、この宿は引き払うよ。」

「迷惑かけたな。」

そして、少しだけ笑って続ける。

「だが、もうしばらくは泊まらせてくれ。」

「次のヤサが見つかるまでの間さ。」

リアは納得がいかない様子で口を尖らせる。

「えぇ〜……。」

「ここ居心地いいのに。」

アゼリアも困ったようにロゼルと店主を交互に見つめる。

「……。」

何か言いたそうだったが、結局何も言えなかった。

店主はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷く。

「それぐらいなら構わないさ。」

「悪いね……。」

ロゼルは軽く手を振った。

「気にすんな。」

「立場が違えば、俺だって同じ判断をする。」

店主はその言葉に少しだけ救われたような表情を浮かべた。

「……ありがとう。」

朝の宿には、どこか少しだけ寂しい空気が流れていた。



宿を出た瞬間、朝の街の喧騒が三人を包み込んだ。

威勢のいい商人の呼び声。

荷馬車の車輪が石畳を軋ませる音。

鍛冶屋から響く金属を打つ甲高い音。

様々な音が入り混じり、生きた街の息吹となってロゼルたちの体へぶつかってくる。

漆黒の大斧を肩に担いだロゼルの姿は、嫌でも人目を引いた。

「……おい、あの子。」

「いや、本物じゃないだろ……?」

「なんであんな大斧を……。」

商人も冒険者も思わず二度見し、その小柄な体と不釣り合いな大斧に目を奪われる。

ロゼルはそんな視線など気にも留めず歩き続けた。

通りの端には、自分よりもさらに幼い物乞いの少年が膝を抱えて座っている。

ロゼルは足を止めることなく、腰の小袋から小銭を一枚取り出すと、少年の前へそっと置いた。

「そら…これで何か食いな。」

それだけ言って歩き去る。

少年は慌てて顔を上げた。

「……あ。」

一瞬だけロゼルと目が合う。

朝日に照らされた金色の髪。

透き通るような白い肌。

真紅の瞳。

その横顔は少年が思わず見惚れてしまうほど綺麗だった。

「あ、ありがとう……。」

ぽかんと口を開けたまま、少年の頬がほんのり赤く染まる。

その後ろを歩いていたアゼリアは少年へ優しく微笑みかけた。

リアも足を止めると、少年の頭をぽんっと軽く撫でる。

「ちゃんとご飯食べなさいよ。」

そう言って再びロゼルの後を追う。

しばらく歩いたところで、リアがふと思い出したように口を開いた。

「ロゼルって、小さい子には優しそうよね。」

ロゼルは前を向いたまま肩をすくめる。

「そうか?」

「そうよ。」

リアは笑って続けた。

「レジィたちが見つかったら、あの子たちにも優しくしてくれる?」

ロゼルは苦笑しながら頭を掻いた。

「リアみたいなのが一人二人増えても、大して変わらないさ。」

その一言に、リアはむっと頬を膨らませる。

「私のこと子供扱いしてるー!」

ずんずんとロゼルの隣まで歩み寄ると、両手でロゼルの頬を軽く挟んだ。

「むにっ。」

「お、おい。」

リアはいたずらっぽく笑う。

「リアお姉さんに甘えてもいいのよ?」

そう言ってロゼルの肩に腕を回し、からかうようにぐいっと引き寄せる。

ロゼルは慌てて身を引いた。

「よ、よせよ!」

「てか俺の方が歳上な!」

その慌てぶりを見て、リアはけらけらと笑い出す。

「見た目はどう見ても私の方がお姉さんだけどね〜。」


その様子を見ていたアゼリアは、にこりと微笑んだ。

「……リア。」

その笑顔はいつも通り柔らかい。

だが、どこか圧を感じる。

「ロゼル様にあまりくっつき過ぎてはいけませんよ?」

優しい口調なのに、不思議と逆らえない。

リアはびくっと肩を震わせた。

「あ、アゼ姐……?」

アゼリアは笑顔のまま一歩近付く。

「ロゼル様がお困りでしょう?」

「さぁ、こちらへ。」

そう言ってリアの襟首をひょいっと掴み、ロゼルから引き離す。

「わわっ!」

リアはじたばたと手足を動かす。

「アゼ姐〜!?」

アゼリアは微笑みを崩さない。

「ふふ。」

「ロゼル様に甘えていいのは。」

「一日三回。」

「五秒までです。」

一瞬、沈黙が流れる。

「短っ!」

「回数制なの!?」

リアが思わず叫ぶ。

ロゼルはそのやり取りを見て苦笑しながら頭を掻いた。

「……やれやれ。」

ロゼルは額を押さえながらため息をつく。

「お前ら……俺を何だと思ってるんだ。」

三人のやり取りに、通りを歩く人々が思わず笑みをこぼしていた。


ギルドへ足を踏み入れた瞬間、三人を包み込むように喧騒が押し寄せた。

依頼を終えた冒険者たちの笑い声。

受付へ群がる人々。

武器や鎧がぶつかり合う金属音。

酒場から漂う料理と酒の香り。

朝だというのに、ギルドは相変わらず活気に満ち溢れていた。

獣人。

ドワーフ。

人族。

エルフ。

様々な種族の冒険者たちが入り乱れ、まるで一つの街がそのまま建物の中へ押し込められたような賑わいを見せている。

「うぅ……。」

リアが思わず眉をしかめた。

慣れない人混みに目を回しそうになり、ふらりとよろめく。

そんなリアの背中を、アゼリアがそっと撫でた。

「大丈夫ですよ、リア。」

「ゆっくり歩きましょう。」

その優しい声に、リアは小さく頷く。

「……うん。」

一方、ロゼルは慣れた足取りで人混みを掻き分ける。

「悪い、通るぞ。」

自然と人の流れを避けながら、大きな依頼掲示板の前へ立った。

無数の依頼書が隙間なく貼られている。

ロゼルは小さな顎へ手を当て、真剣な表情で一枚一枚へ目を通していく。

「ふむ……。」

「これは時間がかかるよな……。」

一枚剥がしかけて、すぐ戻す。

「これだとリアにはきついか。」

次の依頼へ目を移す。

「……これは悪くない。」

「いや、報酬の割に危険すぎるな。」

腕を組みながら、ぶつぶつと独り言を漏らし、経験豊富な冒険者らしい目で依頼を吟味していく。

その真剣な横顔へ、不意に声が掛かった。

「おはよう、ロゼル。」

ロゼルは顔を上げる。

「ん?」

そこに立っていたのは――紅蓮の牙の一行だった。

先頭には、赤髪を揺らすセレナ。

その隣では、ドワーフのラウルが目をしょぼしょぼさせながら大きな欠伸をしている。

どうやら昨夜も酒を飲み過ぎたらしい。

「ふぁぁ……。」

小さな黄金虫のような目が半分閉じかけていた。

その後ろでは僧侶のシルが落ち着きなく辺りを見回している。

「あれ……。」

「アゼリアさんは……。」

きょろきょろと探し回っていた視線が、ロゼルの後ろでリアを支えるアゼリアを見つけた瞬間、ぱっと明るくなった。

最後尾では盾役のランスがロゼルへ軽く会釈する。

ランスは再び掲示板へ視線を戻した。

依頼選びに集中しているようだ。

ロゼルは口元を緩める。

「セレナさんか。」

「おはよう。」

セレナも柔らかく笑う。

ロゼルは掲示板へ視線を戻しながら尋ねた。

「そっちも依頼を見繕いに来てるのかい?」


セレナは掲示板へ目を向けたまま、小さく頷いた。

「ああ。何かいい依頼はないものかと思ってね。」

ロゼルも苦笑しながら肩をすくめる。

「こっちも同じさ。」

「うちの新人に迷宮デビューをさせたくてね。程よい依頼を探してるんだが……。」

そう言いながら後ろへ目を向ける。

少し離れた場所では、シルがアゼリアの元へ駆け寄っていた。

「アゼリアさん、おはようございます!」

「おはようございます、シルさん。」

アゼリアは人混みに酔って少し青い顔をしているリアの背中を優しくさすっている。

「まだ少し辛そうですね……。」

シルは柔らかく微笑むと、リアへ手をかざした。

「少しだけ失礼します。」

淡い光が掌から溢れ、リアの体をふんわりと包み込む。

回復術だった。

「……あれ?」

リアは何度か瞬きをすると、さっきまでの気分の悪さが嘘のように消えている。

「気持ち悪いの治った!」

「ありがとう!」

シルは照れくさそうに笑った。

「い、いえ。このくらいなら。」

その様子を横目に見ながら、セレナが再び口を開く。

「なるほど……リアくんのデビュー戦って訳か。」

少し考え込むように腕を組み、

「それなら鉱石の採取依頼はどうだ?」

「浅い階層なら危険も少ないし、報酬も手堅い。迷宮の空気を知るには悪くない依頼だと思うが。」

ロゼルは「うーん」と唸りながら顎へ手を当てる。

「悪くはないんだけどな……。」

依頼書から目を離し、どこか遠くを見るように言った。

「せっかく初めて潜るんだ。」

「地下湖や冒険者の墓も見せてやりたいんだよ。」

「迷宮ってのは、魔物を倒して金を稼ぐだけの場所じゃない。」

「あの景色も、そこで眠る冒険者たちの生き様も含めて迷宮だからな。」

その言葉に、セレナは感心したように口元を緩めた。


セレナは掲示板を眺めながら、一枚の依頼書を指差した。

「地底湖へ行きたいのなら、“セイレーンの涙”の採取依頼はどうだ?」

「あの依頼なら地下湖が目的地だし、途中で冒険者の墓も通る。リアくんの迷宮デビューには丁度いいと思うぞ。」

ロゼルは依頼書へ目を落とし、小さく呟く。

「セイレーンか……。」

以前なら一人で受けるのは避けていた相手だ。

水場で戦う魔物は厄介だ。

逃げ場も足場も限られ、音で惑わされれば命取りになる。

だが――今は違う。

ロゼルは腕を組み、ふむ、と一つ頷いた。

「……ありかもな。」

そしてセレナへ向き直り、にっと笑う。

「ありがとな、セレナさん。」

「受ける依頼が決まったよ。」

セレナも穏やかに微笑む。

「役に立てたようで何よりだ。」

ロゼルは掲示板から依頼書を剥がし、そのまま受付へ向かった。

受付には昨日応対してくれた女性が立っていた。

依頼書を見るなり、ぱっと表情を明るくする。

「ロゼル様!」

「先日はありがとうございました!」

ロゼルは依頼書を差し出しながら苦笑する。

「昨日の受付嬢さんか。」

「迷惑かけなかったか?」

受付嬢は慌てて首を横に振った。

「とんでもございません!」

「また何かお困りのことがございましたら、私、アニタまで何でもご相談ください。」

ロゼルは軽く眉を上げる。

「アニタさんか。」

「それじゃあ贔屓にさせてもらうよ。」

その一言だけで、アニタの笑顔はさらに花開く。

「ありがとうございます!」

「ぜひよろしくお願いいたします!」

営業用とは思えないほど完璧な笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げた。

ロゼルは思わず苦笑する。

「ああ。」

「じゃあ依頼書の受理、頼む。」

「かしこまりました。」

アニタは手際よく依頼書へ受理印を押し、必要事項を記入していく。

ほどなくして顔を上げた。

「“セイレーンの涙採取依頼”、受理いたしました。お気を付けて行ってらっしゃいませ。」

「おう。」

ロゼルは軽く手を上げると受付を離れ、周囲を見渡した。

「よし、依頼は決まった。」

「アゼリアたちは――。」

視線の先では、アゼリアとリア、それにシルの三人が楽しそうに談笑していた。

シルは何やら一生懸命話し、リアは時折笑い声を上げ、アゼリアは優しく相槌を打っている。

その穏やかな光景に、ロゼルの口元も自然と緩んだ。

三人へ歩み寄りながら声を掛ける。

「依頼受けたぜ、二人とも。」

そしてリアの顔色を覗き込む。

「リア、体調はもう平気か?」


リアは自分の胸元に手を当て、先ほどまでの気分の悪さがすっかり引いていることを確かめるように息を吐いた。

「うん、シルさんのおかげでだいぶ楽になったわ」

そう言ってシルへ笑いかける。

「回復魔法って凄いわね」

「ふふ、少しでも楽になったのなら良かったです」

シルが微笑む。

その横で、アゼリアはリアの背中を優しくさすりながらロゼルへ尋ねた。

「依頼は決まりましたか?」

「ああ、バッチリだ」

ロゼルは受理された依頼書を軽く掲げてみせる。

「セイレーンの涙っていう採取依頼だ。地下湖まで行くことになる」

そしてリアへ視線を向け、ニカッと笑った。

「準備ができ次第、リアの初迷宮に出発だ」

「いよいよ……」

リアの猫耳がぴくりと動く。

期待と緊張が入り混じったような表情で、胸の前で両手を握った。

「なんだかドキドキする……」

「そんなに緊張するな」

ロゼルは苦笑する。

「今回はそこまで危険なルートは通らないさ」

そう言ってから、少しだけ真剣な顔になる。

「……まあ、油断はできないがな」

「迷宮って、やっぱりそんなに怖いところなの?」

リアが尋ねる。

「ああ」

ロゼルは迷宮の入口がある方角へ目を向けた。

「綺麗な場所もある。驚くような景色だって見られる」

「だけどな――」

ロゼルは小さく笑う。

「一歩間違えりゃ、そこが最後に見る景色になる」

その言葉に、リアはごくりと唾を飲み込んだ。

けれど、すぐに顔を上げる。

「……うん」

「ちゃんと覚える。ロゼルとアゼ姐についていくから」

「おう」

ロゼルは満足そうに頷いた。

「それじゃ、準備を整えて出発だ」

アゼリアも優しく微笑む。

「はい。リアの初めての迷宮ですから、しっかり準備しましょうね」

こうして――

リアにとって初めてとなる迷宮探索が、いよいよ始まろうとしていた。





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