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聖血のロゼル  作者: チョコレートスターフィッシュ
第4章

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スリーポイント

宿へ戻る頃には、夕陽が街並みを赤く染め始めていた。

石畳を踏みしめながら歩くロゼル達は、さすがに疲れた様子だ。

宿の扉を開けると、帳場にいた宿屋の主人が顔を上げた。

「おう、あんたらか。」

相変わらず無愛想な声だ。

「部屋はそのままにしてある。」

ロゼルは軽く手を上げる。

「助かる。」

そして、大きく肩を回しながらぼやいた。

「くたびれたぜ……。」

トボトボと足取り重く階段を上っていく。

その後ろをリアとアゼリアも続いた。

部屋へ戻ると、ロゼルは真っ先に背負っていた漆黒の大斧を壁際へ立てかける。

ガタン、と鈍い音が部屋に響いた。

そのままソファへ身を投げ出す。

「はぁぁぁ……。」

深く息を吐き、天井を見上げた。

一方、リアは靴を脱ぎ捨てると、

「よいしょっと。」

勢いよくベッドへ飛び込む。

柔らかな布団へ顔を埋めながら、大きく伸びをした。

「私、お腹すいたー。」

その声に、アゼリアが優しく微笑む。

「ふふ。」

「また宿の厨房をお借りしてきますね。」

「何か作りましょう。」

リアの猫耳がぴくりと動いた。

「お願い、アゼ姐〜。」

甘えるような声に、アゼリアは思わずくすりと笑う。

「はいはい。」

「腕を振るいますね。」

そう言って、エプロンを手に部屋を出ていった。

静かになった部屋。

ベッドへ寝転がったまま、リアはソファのロゼルへ視線を向ける。

「ロゼルも流石に疲れた感じね。」

ロゼルは目を閉じたまま、小さく笑った。

「まーな。」

「もう歳だしな、俺も。」

リアの耳がぴこんと立つ。

「……ん?」

不思議そうに首を傾げた。

「ロゼルって幾つなの?」

ロゼルは何でもないことのように答える。

「もうすぐ四十だ。」

一瞬、部屋が静かになった。

「……。」

リアがゆっくりと起き上がる。

「……マジ?」

「マジ。」

あまりにも即答だった。

リアはまじまじとロゼルを見る。

小柄な体。

白く滑らかな肌。

長い金髪。

整いすぎた少女のような顔立ち。

どう見ても十歳そこそこの美少女にしか見えない。

しばらく考え込んだあと、

リアは真顔で口を開いた。

「やっぱりさ……。」

「ロゼルって妖怪?」

ロゼルは片目だけ開けた。

「ぶつよ?」

その一言で、

「いーーーやーーーーっ!!」

リアはベッドの上で足をバタバタさせながら大騒ぎする。

「絶対嘘だもん!」

「そんな四十歳いるわけないじゃん!」

ロゼルはケラケラと笑う。

「いるんだよ、ここにな。」

「信じる信じないは勝手だけどな。」

「やだやだやだ!」

リアは布団を抱き締めながら首をぶんぶん振る。

「私の中のロゼル像が壊れるー!」

その騒がしい声が廊下まで響き、

ちょうど厨房へ向かっていたアゼリアが、思わず廊下でくすりと笑った。

「ふふ……賑やかですね。」


アゼリアが宿の厨房から戻ってきた頃には、部屋中に食欲をそそる香りがふわりと広がった。

両手には湯気の立つ深皿。

「お待たせしました。」

にこりと微笑みながらテーブルへ皿を並べていく。

淡い黄色をしたじゃがいものスープ。

炒めた玉ねぎの甘い香りに、胡椒がほんのりと効いている。

さらに、帰り道で買ってきたばかりのタマゴサンドも包み紙から取り出し、綺麗に皿へ盛り付けた。

「簡単な物ですが、どうぞ。」

その一言を聞いた瞬間――

先ほどまでソファとベッドでだらけきっていた二人が、ぴたりと動きを止める。

「飯だ!」

「ご飯!」

ほぼ同時に立ち上がり、一直線にテーブルへ向かった。

「あはは……。」

アゼリアは思わず笑ってしまう。

三人は席に着き、

「いただきます。」

手を合わせる。

ロゼルはまずスープを一口。

熱すぎず、優しい温かさが疲れた体へ染み渡る。

「うめぇ……。」

自然と肩の力が抜けた。

隣ではリアが目を丸くしている。

スプーンを持つ手が止まらない。

「うま〜!」

猫耳がぴこぴこと揺れる。

「これなに?」

「どうやったらこの味になるの?」

アゼリアは困ったように笑った。

「ふふ。」

「隠し味は秘密です。」

ロゼルはタマゴサンドを頬張りながら頷く。

「これだけ作れるなら店開けるんじゃないか?」

「本当に?」

アゼリアは照れたように頬へ手を添えた。

「そう言っていただけると嬉しいです。」

それからは三人とも黙々と食べ続けた。

タマゴサンドを頬張り、

スープを飲み、

またサンドイッチを口へ運ぶ。

会話はほとんどない。

ただ、美味しい料理を味わう時間だけが流れていく。

やがて――

皿の上は綺麗に空になった。

ロゼルが満足そうに息を吐く。

「ふぅ……。」

リアもお腹をぽんぽんと叩いた。

二人は顔を見合わせる。

そして、

「「ご馳走様〜。」」

声が綺麗に重なった。

アゼリアは嬉しそうに微笑む。

「お粗末様でした。」

食器を重ね、水桶へ運び始める。

リアも慌てて立ち上がった。

「私も手伝う!」

「ありがとうございます。」

二人が楽しそうに後片付けを始めた、その時だった。

――コン、コン。

遠慮がちなノックが部屋へ響く。

三人の動きが止まる。

「はい。」

アゼリアが返事をすると、ゆっくりと扉が開いた。

顔を覗かせたのは宿屋の主人だった。

しかし、いつものぶっきらぼうな表情ではない。

どこか気まずそうに頭を掻き、申し訳なさそうに口を開く。

「悪いな……。」

「あんた達に、ちょっと……お客さんなんだが。」

ロゼルが首を傾げる。

「客?」

主人はごくりと唾を飲み込んだ。

「あんた達に会いたいって人が来てる。」

「……断れそうな相手じゃなくてな。」

その一言に、部屋の空気が少しだけ張り詰める。

ロゼルはゆっくりと立ち上がった。

「俺たちに?」

主人は苦い顔で頷く。

「見たこともねぇくらい身なりのいい男だ。」

「黒いスーツを着ていて……。」

「後ろには、いかにも強そうな連中を三人引き連れてる。」

リアが思わずアゼリアの袖を掴む。

ロゼルは小さく息を吐き、苦笑した。

「……心当たりはねぇな。」

主人は廊下をちらりと振り返る。

「とにかく……。」

「あんた達に会わせてくれって譲らねぇんだ。」

廊下の向こうから、

コツ――

コツ――

と、規則正しい革靴の音が静かに近付いてきていた。


――コン。

扉が静かに閉まる。

部屋の空気が、一変した。

「……失礼する。」

低く落ち着いた声と共に、最初の一人が姿を現す。

長い黒髪を背中まで流した、色白の男。

仕立ての良い漆黒のスーツを隙なく着こなし、その立ち姿には一切の無駄がない。

整った顔立ちだが、その瞳だけは底知れない闇を湛えていた。

怒鳴りも威圧もしない。

それなのに、部屋へ足を踏み入れただけで空気が重くなる。

思わず息を呑んでしまうような、不思議な迫力を纏った男だった。

その後ろから、もう一人。

髪を油で固めたようなオールバック。

顎には無精髭を生やし、鋭い眼光で部屋の隅々まで舐めるように見回している。

体格も良く、腕には太い筋肉が浮かび上がっていた。

いかにも場数を踏んできた男という風格だ。

続いて現れたのは、一人の女。

長い髪を高い位置でポニーテールに束ね、

腰には一本の刀を帯びている。

切れ長の目がロゼル達を静かに見据え、

右手は自然な動作で刀の鞘へと添えられていた。

少しでも異変があれば、瞬時に抜刀する。

そんな張り詰めた空気を漂わせている。

そして最後に、

部屋の入口を覆い隠すような巨大な影が現れた。

坊主頭の巨漢。

肩幅は扉いっぱいに広く、

隆起した筋肉が服の上からでもはっきりと分かる。

あまりの大きさに、頭を屈めるようにして部屋へ入ってきた。

床板が、

ギシッ……

と低く軋む。

四人が部屋へ揃った瞬間、

宿屋の主人が青ざめた顔で口を開いた。

「す、すまないね……。」

申し訳なさそうに頭を下げる。

額にはじっとりと汗が浮かんでいた。

「そ、それじゃ……。」

主人は筋骨隆々の大男の横を恐る恐るすり抜けると、

逃げるように部屋を後にする。

――パタン。

扉が静かに閉まる。

部屋には、

ロゼル達三人と、

得体の知れない四人だけが残された。


部屋に重苦しい沈黙が落ちる。

誰も口を開かない。

互いに相手の出方を探るような空気だけが流れていた。

ロゼルはゆっくりと目を細める。

真紅の瞳が四人を順番に捉えていく。

いきなり現れた得体の知れない来訪者。

その無遠慮さに、ロゼルの眉がぴくりと動いた。

表情こそ崩してはいないが、その目には明らかな警戒と不機嫌さが宿っている。

一方で――

アゼリアは何も言わず、一歩だけ前へ出た。

自然な動作だった。

だが、その立ち位置は怯えるリアを背中へ隠すような位置。

リアは小さく息を呑む。

突然現れた異様な四人に、耳も尻尾も緊張で強張っていた。

しかし、目の前に立つアゼリアの背中を見ると、その肩から少しだけ力が抜ける。

「……アゼ姐。」

小さく呟くリア。

アゼリアは振り返らず、優しく微笑むように小さく頷くだけだった。

その頃――

黒服の女が無言で部屋を見回す。

そして当然のように椅子を一脚引き寄せると、長い黒髪の男の後ろへ静かに置いた。

ギギ……。

椅子が床を擦る音だけが部屋に響く。

女は一礼する。

「どうぞ……お座りください。」

長髪の男は何も言わず、小さく頷くと椅子へ腰を下ろした。

まるでここが自分の部屋であるかのような落ち着きだった。

その様子を見た瞬間、

ロゼルの額に青筋が一本浮かぶ。

「おい。」

低い声が部屋に響く。

ロゼルは椅子へ深く座る男を睨みつけた。

「人の部屋に勝手に押しかけてきて――」

真紅の瞳が鋭く光る。

「くつろいでんじゃねぇ。」


部屋に重苦しい沈黙が流れる。

やがて、長い黒髪の男が小さく息を吐いた。

「……すまない。」

落ち着いた声だった。

「見ての通り、私の体は虚弱でね…、どうか許して欲しい。」

薄く微笑みながら、自らの胸元へ手を当てる。

「階段を上がるだけでこの有様でね。」

どこか自嘲するような口調だった。

そう言うと、男は懐へ静かに手を入れる。

その瞬間――

ロゼルの肩がぴくりと動く。

真紅の瞳が男の手元を鋭く射抜いた。

男はそれに気付いたのか、肩をすくめて笑う。

「ただの煙草だ。」

懐から一本取り出し、口へ咥える。

次の瞬間には、

オールバックの男が一歩前へ出て、慣れた手つきで火を灯した。

シュッ――。

火打石の乾いた音。

すぐに煙草へ火が移る。

あまりにも無駄のない、洗練された動きだった。

男はゆっくりと煙を吸い込み、

細く白い煙を吐き出す。

ほのかに甘く、それでいて苦みのある煙草の香りが部屋へ静かに広がった。

「自己紹介が遅れたな。」

煙越しにロゼルを見つめる。

「私の名はシンと言う。」

一拍置いて、

「この街で少々シノギをさせてもらっている者だ。」

穏やかな笑みを浮かべたまま続ける。

「──《スリーポイント》。君達も、一度くらいは耳にしたことがあるんじゃないか?」

その名を聞いた瞬間、

ロゼルの眉がわずかに動く。

「……なるほどな。」

短く鼻で笑う。

「あんたら、マフィアって訳か。」

真っ直ぐシンを見据える。

「俺達に何の用だ?」

シンは肩をすくめる。

「マフィアとは、少々言い方が悪い。」

煙草を灰皿へ軽く叩き、

「私は代々続く組織を預かっているだけさ。」

ロゼルは鼻で笑った。

「どうだか。」

その一言に、

オールバックの男の顔色が変わる。

額に青筋が浮かび、怒鳴り声を上げた。

「てめぇ……!」

一歩踏み出す。

「ぶち殺されてぇのかッ!」

しかし、

シンは静かに片手を上げた。

それだけで男の足が止まる。

「よせ。」

穏やかな声。

「失礼だぞ。」

オールバックの男は悔しそうに歯を食いしばると、一歩下がった。

シンはロゼルへ軽く頭を下げる。

「部下がすまない。」

そして煙草を指先で回しながら続けた。

「今日ここへ来たのは、君達に一つ尽力してもらいたい事があるからだ。」

ロゼルは即座に返す。

「依頼ならギルドを通せ。」

シンは静かに首を横へ振った。

「ギルドを通す訳にはいかない頼みでね、

それに、我々の様な職業はギルドには目の上のたんこぶだろう。」

そう言って視線を細める。

「この宿で、以前君達へ絡んだ男達がいただろう?」

「あれは末端ではあるが、私の部下だった。」

「重ね重ね、君達には失礼な真似をした。」

一拍置く。

「詫び……という訳ではないが。」

その言葉を合図に、

後ろで控えていたポニーテールの女が、無言で小さな木箱を前へ差し出した。

机へ静かに置き、

蓋を開く。

カチリ――。

中に入っていたものを見た瞬間、

リアが小さく息を呑む。

「っ……。」

思わずアゼリアの背中へ身を隠した。

箱の中には、

血の気を失った複数の切断された指が並べられていた。

シンは淡々と言う。

「こちらでケジメはつけさせてもらった。」

まるで当然の報告でもするような口調だった。

ロゼルは箱を一瞥すると、

眉間に深い皺を寄せる。

「……必要ねぇよ。」


シンは灰皿へ煙草の灰を静かに落とした。

「……ただのケジメさ。」

短くそう言うと、細く煙を吐き出す。

部屋には重苦しい空気だけが漂っていた。

シンはロゼルを真っ直ぐ見据える。

「君達に頼みたい事というのは――」

一拍置き、表情を引き締めた。

「昨今、《スリーポイント》の力関係がおかしくなってきている。」

「君達も街で流行り始めた薬物や、きな臭い噂くらいは耳にしているんじゃないか?」

その言葉に、ロゼルの脳裏へアルネ村での出来事が蘇る。

人ではなくなってしまった村人達。

苦しみながら襲い掛かってきた者達。

そして、自らの手で終わらせるしかなかったあの光景。

さらに、街へ流れ始めた違法薬物の話も思い出す。

ロゼルはゆっくりと目を細めた。

「……噂くらい知ってるさ。」

シンから視線を外さない。

「話ぶりからして、あんたらが街に薬を流してる訳じゃなさそうだな。」

少しだけ前へ身を乗り出す。

「それに、妙な人体実験をしている連中。」

部屋の空気が一段と張り詰める。

「そいつらも、あんたらと何か関わりがあるのか?」

ロゼルの真紅の瞳が鋭く光る。

「もし、アルネ村の村人達にあんな実験をしたのがあんたらなら……」

声が低くなる。

「俺も黙ってる訳にはいかねぇぞ。」

ギロリ、とシンを睨みつける。

その殺気に、

オールバックの男が一歩踏み出しかける。

ポニーテールの女も刀の柄へ静かに手を添えた。

しかし、シンは片手を軽く上げ、二人を制した。

そのままロゼルの視線を真正面から受け止め、静かに首を横へ振る。

「我々は薬物にも、カルネ村にも一切関わっていない。」

その声音には、嘘をついている様子はなかった。

「……いや。」

煙草を灰皿へ置き、静かに続ける。

「それこそ、今日君達を訪ねた理由さ。」


ロゼルは腕を組んだまま、露骨に眉をひそめた。

「……なら、さっさと要件を言ったらどうなんだ。」

苛立ちを隠そうともせず吐き捨てる。

シンは怒る様子もなく、小さく煙草をふかした。

細く吐き出した白煙が、ゆっくりと部屋へ広がっていく。

やがて煙草を灰皿でもみ消すと、静かに口を開いた。

「では、本題に入ろう。」

その表情から笑みが消える。

「この街は長い間、三つの組織が互いを牽制し合うことで均衡を保ってきた。」

「誰か一つが力を持ち過ぎれば、残る二つが抑え込む。」

「そうやって、この街は表向きの平和を維持してきたのさ。」

シンはテーブルの上に置かれたタマゴサンドへ視線を向ける。

「君達も無関係ではない。」

「そのサンドイッチ。」

「それも、我々のシノギの一つだ。」

ロゼルは思わずサンドイッチへ目をやる。

シンは新しい煙草を一本取り出し、口に咥えた。

その瞬間。

オールバックの男が無言で前へ出る。

慣れた手つきで火をつける。

まるで何百回と繰り返してきたかのような、一切無駄のない動作だった。

シンは一度だけ煙を吸い込み、静かに続ける。

「だが――」

「その均衡が、今崩れようとしている。」

部屋の空気が一段と重くなる。

「一つの組織が違法薬物で莫大な資金を得た。」

「その金で人を集め、武器を集め……。」

「そして部下の人体を改造し、暴力によってこの街そのものを支配しようとしている。」

ロゼルの表情が険しくなる。

シンは低い声で言った。

「カルネ村で行われていたのは……その実験さ。」

その一言で、

ロゼルの額に青筋が浮かぶ。

拳がギリッと音を立てた。

「あの鬼畜な所業が……。」

真紅の瞳がシンを射抜く。

「そいつらの仕業って訳か。」

一歩だけ前へ出る。

「その証拠はあるのかよ。」

部屋が静まり返る。

すると、

シンの後ろに控えていたポニーテールの女が、鋭い目つきでロゼルを睨み返した。

刀の柄にそっと手を添え、低い声で言い放つ。

「……我々が嘘をついているとでも?」

ロゼルは視線を逸らすことなく、シンを真っ直ぐ見据えた。

「あんたらを信じる理由が、俺達にはないんでね。」

部屋の空気が一瞬で張り詰める。

その言葉を聞いたオールバックの男が一歩前へ踏み出した。

額に青筋を浮かべ、ロゼルを睨みつける。

「てめぇ……!」

拳を強く握り締める。

「うちの大将を侮辱する気か!」

今にも殴りかからんばかりの剣幕だった。

だが――

「よせ。」

静かな一言だった。

それだけで男の動きが止まる。

シンが片手を軽く上げ、部下を制したのだ。

「……重ね重ねすまない。」

穏やかな声でロゼルへ視線を向ける。

「部下の怒りを許してやって欲しい。」

煙草を指先で軽く回しながら、小さく笑った。

「私への忠誠心から来ているものだ。」

オールバックの男は悔しそうに歯を食いしばると、一歩下がった。

シンは静かに続ける。

「ロゼル君の言う通りだ。」

「我々が真実を話しているという証拠は、今この場では示せない。」

「疑われて当然だろう。」

一度言葉を区切る。

そして、ロゼルの真紅の瞳を真っ直ぐ見据えた。

「だが――」

「誠意なら見せることはできる。」

その一言に、ロゼルが僅かに眉を動かした。

「……誠意?」


シンは静かにロゼル達を見渡した。

そして、ぽつりと口を開く。

「アンに、ララ……それにレジィだったかな。」

その名前が部屋に響いた瞬間――

リアの肩がびくりと震えた。

瞳が大きく見開かれる。

「……っ!」

次の瞬間には床を蹴っていた。

ドンッ!!

シンへ一直線に駆け寄ると、その胸ぐらを勢いよく掴み上げる。

「何であんたがあの子達の名前を知ってるの!!」

リアの声が部屋中に響く。

肩を震わせ、荒く息をつく。

猫耳は逆立ち、瞳は獣のように鋭く細められていた。

「答えなさい!!」

突然の出来事に、ポニーテールの女が鋭く目を細める。

「貴様ッ!」

腰の刀へ手が伸びる。

シャリン――。

刀身がわずかに鞘から覗いた。

その瞬間、

ロゼルも椅子を蹴るように立ち上がる。

真紅の瞳が女を射抜いた。

部屋の空気が一気に張り詰める。

しかし――

「お前達、動くな。」

静かな、それでいてよく通る声。

シンだった。

片手を軽く上げ、部下達を制する。

リアに胸ぐらを掴まれたまま、穏やかに続ける。

「私は大丈夫だ。」

刀を抜きかけた女は悔しそうに歯を食いしばる。

「ですが……!」

「命令だ。」

その一言で、女は静かに刀を鞘へ収めた。

オールバックの男も、大男も拳を握ったまま動きを止める。

シンは抵抗することなく、リアの怒りを真正面から受け止めた。

「君達を調べさせてもらった。」

静かな声で語り始める。

「ロゼル君とアゼリア君については、不思議なほど情報が集まらなかった。」

「まるで突然この街へ現れたようでね。」

そしてリアへ視線を向ける。

「だが、リア君。」

「君の情報は色々と手に入った。」

「奴隷だったこと。」

「そして、あの子達を探している…そうだろ?」

リアの目に涙が滲む。

「だったら……!」

「アン達の居場所を教えろ!!」

「ララは!? レジィは無事なの!?」

今にも噛みつきそうな勢いでシンを睨みつける。

その時だった。

「リア……。」

優しい声が響く。

アゼリアがそっとリアの肩へ手を添えた。

「落ち着いて。」

「まずは、お話を聞きましょう?」

その穏やかな声に、リアの肩から少しずつ力が抜けていく。

荒かった呼吸も、少しだけ落ち着きを取り戻した。

ロゼルも静かに口を開く。

「リア。」

「話を聞いてみよう。」

リアは唇を噛み締めながら小さく頷く。

そしてゆっくりと、シンの襟首から手を離した。

くしゃくしゃになったスーツを整えながらも、シンは怒る素振りを見せない。

一方で、その後ろに控える三人の部下は、今にも飛びかかりそうな殺気を辛うじて押さえ込んでいた。


シンは静かに煙草の灰を灰皿へ落とした。

「我々のシノギは多岐に渡る。」

細い煙がゆっくりと天井へ昇っていく。

「君達が食べている食べ物……。」

テーブルの上に置かれた卵サンドへ視線を向ける。

「それに奴隷市にも、我々の力は大きく関わっている。」

リアの耳がぴくりと動いた。

シンは静かな口調のまま続ける。

「我々の情報網を使えば、売られた子供達の居場所を調べるなど造作もないことだ。」

ロゼルは腕を組んだまま口を開く。

「……その代わりに俺達へ何かさせたいって訳か?」

シンは首を横に振った。

「違う。」

「これは、あくまで誠意だ。」

静かにロゼルを見る。

「子供達の情報は、君達に無償で渡そう。」

リアが目を見開く。

「その代わりと言っては何だが――」

煙草を指先で回しながら続ける。

「我々が他のファミリーと抗争になった場合、その時だけ君達の力を借りたい。」

「もちろん報酬も支払う。」

「相手は国もギルドも手を焼いている連中だ。」

「犯罪の片棒を担がせる気はない。」

「君達がプライベートで、一時的に我々へ協力する……そういう話さ。」

ロゼルは少しだけ目を細めた。

「なるほどな……。」

顎へ手を当てる。

「それなら確かに誠意は見せてる。」

そして、皮肉っぽく笑う。

「だが、子供達の情報だけ聞いて、俺達が『やっぱ協力しません』って言うかもしれねぇぞ?」

「それでもいいのか?」

シンは迷うことなく頷いた。

「構わない。」

「情報を渡した後、君達が協力を断っても無理強いはしない。」

「それも含めて、君達を信用しよう。」

部屋が静まり返る。

ロゼルは少しだけ考え込み、

やがて息を吐いた。

「……いいぜ。」

真紅の瞳でシンを見る。

「子供達の居場所を教えろ。」

「そしたら話くらいは聞いてやる。」

「協力するかどうかは、その後だ。」

シンの口元が僅かに緩む。

人相の悪さも相まって、笑顔というより獲物を見つけた獣のようにも見えた。

「ありがとう。」

「それで十分だ。」

シンは灰を灰皿へぽんと落とす。

「情報が分かり次第、また会いに来よう。」

ゆっくりと立ち上がる。

「我々は君達と、本当に仲良くなりたいのだよ。」

ロゼルへ視線を向ける。

「特に――あのラズベリアに勝った君とはね。」

その言葉に、

リアがびくりと肩を震わせた。

「……何で、その事を……。」

アゼリアも困惑した表情を浮かべる。

「ラズさんとの模擬戦は、非公式だったはずでは……?」

ロゼルの表情から笑みが消える。

「どうやって知ったかは知らねぇ。」

低い声だった。

「だが、あまり俺達の周りを探り過ぎる真似はするな。」

真紅の瞳が鋭く光る。

「不愉快だぜ。」

シンは両手を軽く上げ、降参するように肩をすくめた。

「安心してくれ。」

「探りを入れるのは、これで最後さ。」

「怒らないでほしい。」

そう言って静かに立ち上がる。

「では、我々はこの辺りで失礼しよう。」

「突然の訪問、申し訳なかった。」

吸い終えた煙草を揉み消し、シンは扉へ向かう。

三人の部下も無言でその後に続いた。

最後に部屋を出るポニーテールの女が、

ギロリ――と鋭い視線をロゼル達へ向ける。

敵意を隠そうともしない眼差しだった。

バタン。

扉が閉まる。

静寂が部屋を包む。

リアは何か言いたげに拳を握り締めたが、

唇を噛み、ぐっと堪えた。

先ほどまで張り詰めていた空気が、少しずつほどけていく。

ロゼルは扉をしばらく見つめ、廊下から足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、ゆっくりとリアへ視線を向けた。

「リア。」

リアも顔を上げる。

ロゼルはいつものように口元を緩めた。

「良かったな。」

「胡散臭い相手には違いねぇが、お前の探してる子供達の手掛かりは手に入りそうだ。」

リアは複雑そうな表情を浮かべる。

「あいつら……信用できるの?」

その問いに答えたのはアゼリアだった。

「おそらく、彼らに嘘をつく理由はありません。」

静かに言葉を続ける。

「少なくとも、今回のお話に関しては本当なのでしょう。」

ロゼルも頷いた。

「アゼリアの言う通りだ。」

腕を組み、天井を見上げる。

「だが、『信用できる』ってのとは程遠い連中だろうな。」

「利害関係が一致してるうちは問題ねぇ。」

「だが、それが崩れりゃどうなるかは分からん。」

リアは小さく俯いた。

「あいつらに……協力するの?」

申し訳なさそうに二人を見る。

「私の事情なのに……。」

「二人を巻き込んじゃって、なんだか悪いわ……。」

その言葉に、アゼリアはくすりと優しく笑った。

「水臭いですよ。」

穏やかな笑顔のまま首を傾げる。

「私達は仲間でしょう?」

ロゼルも大きく頷き、にかっと笑った。

「そうだぜ。」

「仲間が困ったら助ける。」

「それだけの話だろ?」

その一言に、リアの瞳が潤む。

少し照れ臭そうに笑いながら、小さく頭を下げた。

「……ありがとう。」

「二人とも。」

ロゼルは照れ隠しのように頭をかき、わざとらしく大きく伸びをした。

「とにかく!」

「今日はもう休もうぜ。」

「クタクタだ……。」

その途端、アゼリアがじっとロゼルを見る。

「ロゼル様。」

「ちゃんと歯を磨いてくださいね。」

ロゼルは肩を落とした。

「……へいへい。」

その横では、リアが何事もなかったように、そーっとベッドへ向かって歩き出す。

あと一歩で飛び込める――

というところで、

がしっ。

肩を優しく掴まれた。

「ひゃっ!」

恐る恐る振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべたアゼリアが立っていた。

「リアもです。」

にっこりと微笑みながら続ける。

「それに、お体も洗わないといけませんね。」

リアの顔が引きつる。

「げっ!」

「き、今日は疲れてるから明日で――」

「駄目です♪」

食い気味に返される。

「うぅ……。」

耳をしょんぼりと垂らすリア。

その様子を見て、ロゼルは苦笑しながら肩をすくめた。

「やれやれ……。」

宿の小さな部屋に、三人の穏やかな笑い声が響いた。











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