傲りは滅びに先立つ
ギルドへ戻ると、さっそく周囲がざわつき始めた。
「おい、雪月花だ……!」
「ディアさんだ!」
「ラズベリアもいるぞ!」
だが、次の瞬間。
「あれ……?」
誰かが小さく呟く。
ラズはディアの背中でぐったりと眠っている。
その様子を見て、冒険者達の表情が変わった。
そんな中、一人の少女が勇気を振り絞るように前へ出た。
以前、ディアにサインを貰った新人冒険者だ。
あの日よりも頬は赤く、瞳は潤んでいる。
もはや憧れではない。
恋する乙女そのものだった。
「ディ、ディアさん……!」
緊張で声が震える。
「お、お疲れ様です!」
ディアが足を止める。
少女は嬉しそうに続けた。
「こ、こないだはサインありがとうございました!」
「ずっと大切にしています!」
だが――。
ディアの表情はいつもと違った。
穏やかな笑みはなく、眉間には皺が寄っている。
ラズを背負う腕に力を込めたまま、低い声で言った。
「……すまない。」
少女の笑顔が固まる。
「退いてくれるか?」
その声には焦りが滲んでいた。
「今日は構ってやれる余裕がないんだ。」
鋭い視線が一瞬だけ少女へ向けられる。
その迫力に、少女の肩がびくりと震えた。
「あ……。」
顔から血の気が引いていく。
「ご、ごめんなさい……。」
ディアはそれ以上何も言わず、そのまま少女の横を通り過ぎた。
少女は立ち尽くしたまま動けない。
今にも泣き出しそうな顔だった。
周囲の冒険者達がざわめき始める。
「今の見たか?」
「ディアさんがあんな顔するなんて……。」
「背負ってたの、ラズベリアだったよな?」
「何があったんだ……?」
少女は唇を噛み締める。
涙が零れ落ちそうになった、その時だった。
「やぁ。」
穏やかな声が聞こえた。
少女が顔を上げる。
そこには、一人の女性が立っていた。
周囲が再びざわつく。
「お、おい……。」
「あれ、雪月花のリーダーのシエルじゃないか?」
「初めて見たぞ……。」
「普段ほとんど姿を見せないって聞いてたが……。」
シエルは少女の前で足を止め、柔らかく微笑んだ。
「ディアが冷たくしてしまって、すまなかったね。」
少女は目を丸くする。
「し、シエルさん……!」
シエルは首を傾げた。
「私をご存知のようだ。」
少女はぶんぶんと勢いよく頷く。
「も、もちろんです!」
「シエルさん達、雪月花は私の憧れなんです!」
その言葉に、シエルは嬉しそうに目を細めた。
「それは喜ばしい。」
「君のような若い冒険者に憧れてもらえるのは、とても嬉しいことだ。」
そして、ギルドの奥へ視線を向ける。
「本当なら、もう少し話をしたいところなんだが……。」
少し困ったように笑う。
「今日は時間がなくてね。」
軽く一礼した。
「では、また。」
そう言ってディアの後を追って歩き出す。
少女はしばらくその背中を見つめていた。
頬はほんのり赤く染まり、どこか夢を見るような表情になる。
「シエルさんも……素敵……。」
ぽつりと漏らしたその一言に、周囲の冒険者達は思わず苦笑した。
ラズの部屋へ戻ると、ディアは静かにベッドの傍へ歩み寄った。
眠るラズを揺らさないよう、細心の注意を払いながら、ゆっくりとベッドへ寝かせる。
その一つ一つの所作には、自然と優しさが滲んでいた。
ディアはラズの傷がないことをもう一度確認すると、小さく息を吐く。
「どうすれば……。」
少し考え、はっとしたように呟く。
「そうだ。着替えさせないと。」
「それに、身体も拭いてやらないとな。」
ディアは汚れた服を慎重に脱がせる。
傷は癒えていても、土埃や血で服はすっかり汚れていた。
桶に張ったぬるま湯へ布を浸し、固く絞る。
「冷たいかもしれないが、少し我慢してくれ。」
返事はない。
それでもディアは、腕、肩、首元と、一つ一つ丁寧に汚れを拭き取っていく。
やがて身体を綺麗にすると、今度は柔らかな部屋着へ着替えさせた。
最後に布団を胸元まで掛ける。
「……よし。」
額の汗を袖で拭い、小さく安堵の息を漏らした。
ベッドの傍へ腰を下ろし、眠るラズのアッシュグレーの髪を優しく撫でる。
その姿は、遠目に見れば母親が子供を寝かしつけているようにも見えた。
その時だった。
「……ディア。」
かすれた、小さな声。
ディアは弾かれたように顔を上げる。
「ラズ!」
すぐに身を乗り出した。
「どうした?」
「どこか痛むのか?」
ラズは薄く目を開ける。
まだ焦点は定まっていない。
「……顔が痛い。」
小さく息を吸う。
「喉……渇いた……。」
「待っていろ。」
ディアはすぐに立ち上がった。
「今、水を持ってくる。」
部屋の水差しから冷たい水を注ぎ、コップを持って戻る。
ベッドへ腰掛けると、ラズの身体をそっと支えた。
「ほら。」
「ゆっくり飲みな。」
ラズは小さく頷き、こくり、こくりと喉を鳴らしながら水を飲む。
少しだけ表情が和らいだ。
「……ありがとう。」
「礼なんていいさ。」
ディアは優しく微笑む。
「他に欲しいものはあるかい?」
ラズはぼんやりと天井を見つめたあと、小さく呟いた。
「前に三人で食べた……。」
少しだけ口元が緩む。
「氷菓子……食べたい。」
「覚えてる?」
ディアも自然と笑みを浮かべた。
「ああ。」
「もちろん覚えているさ。」
「あの日、シエルが一人で三つも食べて怒られていたな。」
思い出し笑いを浮かべる。
「わかった。」
「用意させよう。」
ラズの顔にも少しだけ笑みが戻る。
「……やった。」
「また三人で……食べ……。」
言葉は途中で途切れていく。
瞼が重そうに閉じ始めた。
ディアは布団を掛け直しながら、穏やかな声で言う。
「ああ。」
「また三人で食べよう。」
「今はゆっくり休むんだ。」
「体力を戻さないとな。」
ラズは小さく頷く。
そして、ふと思い出したように呟いた。
「……シエルは?」
「いる……?」
部屋の壁に背を預け、静かに様子を見守っていたシエルが歩み寄る。
ベッドの横へ膝をついた。
「いるに決まってる。」
柔らかく微笑む。
「お前が起きるまで、そばにいるさ。」
ラズは安心したように息を吐いた。
「……二人とも。」
「ごめん……。」
シエルはそっとラズの頭を撫でる。
「私もディアも気にしていない。」
「だから今は何も考えなくていい。」
「ゆっくり眠りなさい。」
「起きたら、三人で何か美味しいものを食べよう。」
その言葉を聞いたラズの表情から力が抜ける。
安心したように、小さな寝息が聞こえ始めた。
「……すぅ……。」
静かな部屋。
その中で、ラズが寝言を漏らす。
「……次は……。」
「負けない……んだから……。」
その一言に。
ディアとシエルは顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく吹き出す。
「ふふっ。」
「くくっ……。」
「本当に、懲りない子だ。」
ディアが苦笑すると、
シエルも肩を揺らして笑った。
部屋には、二人の穏やかな笑い声だけが静かに響いていた。




