竜虎相搏つ
ギルドの裏手。
石畳が敷き詰められた広い試験場には、すでに人払いがされていた。
周囲には高い壁。
模擬戦や昇格試験に使われる場所だけあって、多少の魔法や衝撃では壊れないよう造られている。
ロゼルたちが足を踏み入れると――
「はぁ……はぁ……!」
息を切らしたランドが駆け込んできた。
「一体何の騒ぎだ!」
額の汗を拭いながら辺りを見回す。
「試験場を借りたいなどと聞いて飛んできたが……」
ロゼルは頭をかきながら笑う。
「悪いな、ランドさん。」
にかっといつもの笑顔を浮かべた。
「揉めちまった。」
ランドは思わず額を押さえた。
「笑っている場合か…」
ラズを指差す。
「彼女の実力は本物だぞ!」
「死なないまでも、冒険者を続けられなくなる怪我を負う可能性だってある!」
ロゼルを真っ直ぐ見つめる。
「今ならまだ間に合う。」
「やめるんだ。」
するとアゼリアが一歩前へ出た。
「ご安心ください。」
穏やかに微笑む。
「もし怪我をされても、わたくしが癒します。」
ディアとシエルへ視線を向ける。
「それに、ディアさんとシエルさんも見守ってくださいます。」
「大事にはならないかと。」
ランドは困ったように眉を寄せた。
「そういう問題じゃないんだが……。」
その横でシエルがくすりと笑う。
「いいじゃないか、ランドさん。」
どこか上機嫌な様子で言う。
「ただの模擬戦だ。」
「冒険者同士の模擬戦など、珍しいことでもあるまい?」
ランドは深いため息をついた。
「これが新人同士なら、私も何も言わんさ……。」
ディアが申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、ランドさん。」
ランドは苦笑した。
「まともなのは君だけのようだな。」
肩を落としながら言う。
「とにかく……。」
「やり過ぎだけは勘弁してくれ。」
その時。
腕を組んだラズが大声を張り上げた。
「おーい!」
「私は腹が減ってるんだ!」
ロゼルを指差す。
「すぐぶちのめしてやるから、さっさと上がってこい!」
ロゼルは肩をすくめる。
「飯ねぇ……。」
ニヤリと笑った。
「今夜は食えないと思うぜ?」
ゆっくりと試験場の中央へ歩いていく。
「痛くて、フォークも持てねぇだろうからな。」
ラズの額に青筋が浮かぶ。
「ッ……!」
拳を握り締める。
「この……!」
怒りで肩が震える。
「少し手加減してやるつもりだったが……やめた。」
獰猛な笑みを浮かべた。
「ぶっ潰す。」
その一言だけだった。
アゼリアが静かにロゼルへ声を掛ける。
「ロゼル様……。」
少しだけ心配そうな瞳。
「どうか、お気を付けください。」
ロゼルは振り返り、軽く手を振る。
「おう。」
リアがおずおずと口を開いた。
「ロゼル……。」
耳がしゅんと垂れている。
「ごめんね……。」
ロゼルは笑って答えた。
「気にすんな。」
赤い瞳が細くなる。
「見てろ。」
ロゼルは試験場の中央まで歩くと、
肩に担いでいた漆黒の大斧をゆっくりと地面へ降ろした。
ガコン――。
それを見たラズが眉をひそめた。
「……おい。」
「武器は使わねぇのか?」
ロゼルは両手を軽く握ったり開いたりして感触を確かめる。
「今回は素手で十分だ。」
何でもないことのように言った。
その一言で、ラズのこめかみに青筋が浮かぶ。
「……は?」
「舐めてんのか?」
ロゼルは肩を竦める。
「別に。」
「斧を振り回したら危ねぇだろ。」
「模擬戦なんだからよ。」
その言葉にラズの怒りが頂点へ達する。
「ッ……!」
「絶対後悔させてやる……!」
ディアは思わず額を押さえた。
「ロゼル君……。」
「その言い方は挑発にしか聞こえないぞ……。」
シエルだけは口元を押さえ、くすりと笑う。
「面白い。」
ロゼルとラズ。
二人は試験場の中央で向かい合う。
互いに一歩も引かない。
鋭い視線がぶつかり合う。
空気が張り詰めた。
シエルが一歩前へ出る。
凛とした声が試験場へ響く。
「双方、聞きたまえ。」
「これはあくまで模擬戦だ。」
「殺し合いではない。」
静かに二人を見渡す。
「私とディアが危険と判断した場合、その時点で試合を止める。」
ディアも隣で静かに頷いた。
「異論はないな?」
ロゼルは肩に担いだ漆黒の大斧を軽く回す。
「いつでも。」
ラズは拳を鳴らした。
「さっさと始めて。」
シエルは二人を見比べる。
その表情はどこか楽しそうだった。
「では――」
口元がわずかに緩む。
「始め!」
その声が響いた瞬間。
ディアは隣で大きくため息をついた。
「……やっぱり君、少し楽しんでいるだろう。」
「ふふ。」
シエルは笑うだけで、否定はしなかった。
シエルの声が響く。
「――始め!」
その瞬間だった。
ラズは地面を蹴り、一気に後方へ飛び退く。
魔術師らしく、一瞬でロゼルとの距離を大きく開ける。
ロゼルは――
動かない。
試験開始の位置から、一歩も。
「……?」
ランドが眉をひそめる。
「追わないのか……?」
ラズがニヤリと口角を吊り上げた。
「後悔しても知らねぇぞ!」
次の瞬間。
ゴゴゴゴ……ッ!!
ラズの足元の石畳が、不気味にうねり始めた。
まるで粘土のように歪み、砕けることなく内側へと圧縮されていく。
ミシッ。
メキメキッ。
石が悲鳴を上げる。
やがて拳大ほどの岩石が出来上がる。
一つ。
二つ。
三つ。
――十。
十個もの岩石が宙へ浮かび上がった。
ラズが指を鳴らす。
「おらよッ!」
ドンッ!!
空気を裂き、圧縮された岩石が弾丸のような速度でロゼルへ襲い掛かった。
一発一発が人の頭ほどもある質量。
まともに受ければ鎧すら粉砕される威力だ。
「ロゼル様!」
アゼリアが思わず声を上げる。
だが――
ロゼルは慌てない。
右手を軽く上げる。
そして。
パシッ。
虫でも払うかのように、一発目を手のひらで叩き落とした。
岩石は軌道を変え、そのまま地面へ突き刺さる。
ズドォン!!
石畳が爆ぜ、土煙が舞い上がる。
ラズの目が見開かれた。
「っ!?」
二発目。
三発目。
四発目。
次々と飛来する岩石を、
ロゼルは片手だけで弾いていく。
パシッ。
パシンッ。
パァンッ!!
ドゴン!!
ドガァン!!
弾かれた岩石が壁や地面へ激突し、試験場中へ轟音が響き渡る。
その一撃一撃が、どれほど重い魔法だったかを物語っていた。
「……なんだ、これ。」
ランドが思わず呟く。
ロゼルは最後の一つを掴み取ると、
軽く重さを確かめるように手の中で転がした。
「へぇ。」
小さく笑う。
「なかなか重いじゃねぇか。」
そのまま右足を振り抜いた。
ドガァァァンッ!!
岩石が砲弾と化す。
ラズへ向かって一直線に飛んだ。
「お返しだ!」
「っ!?」
ラズは目を見開く。
自分が放った時とは比べ物にならない。
数倍。
いや、それ以上の速度。
「――ッ!」
とっさに身体を捻る。
岩石は頬をかすめ、そのまま後方の石壁へ激突した。
轟音。
壁が大きく抉れ、石片が雨のように降り注ぐ。
ラズは冷や汗を流しながら、その跡を見つめた。
「どうなってんのよ、コイツ……!」
喉が震える。
「馬鹿力ってレベルじゃない……!」
その様子を見ていたディアは、
ぽかん、と口を開けていた。
間の抜けた表情。
それなのに、不思議と絵になってしまう。
「……これは。」
思わず言葉を失う。
その隣で。
シエルだけが静かに紅茶でも味わうような穏やかな表情を崩さず、
ぼそりと呟いた。
「……ほう。」
ラズがギリッと歯を噛み締めた。
「この……オカマ野郎ッ!!」
アッシュグレーの髪がふわりと揺れる。
「これならどうだ!」
その瞬間。
バチッ――!
ラズの身体の周囲を青白い電流が走った。
空気が焼ける臭いが漂う。
髪の毛が逆立ち、衣服の裾が激しくはためく。
両手を前へ突き出す。
掌へ、
バチッ!
バチバチッ!!
凄まじい電撃が集まり始めた。
青白い稲妻が幾重にも絡み合い、その光だけで周囲を昼間のように照らす。
リアが思わず目を細めた。
「す、すごい魔力……!」
ラズはニヤリと笑う。
集まった雷を、無理やり両手で押し合わせた。
ギギギギギッ!!
暴れる雷鳴。
今にも暴発しそうな電撃を、力ずくで一つへと束ねていく。
やがて。
一本の巨大な雷槍のような形へと変わった。
ラズは右腕を大きく後ろへ引く。
その姿はまるで――
雷そのものを弦とした弓。
「次は避けられないわよ!」
バヂィィィンッ!!
空気が裂けた。
轟く雷鳴。
白銀の閃光が一直線にロゼルへと放たれる。
雷撃は石畳を焼き焦がしながら一直線に迫る。
その速度は、
先程の岩石とは比較にならない。
ロゼルは目を細めた。
「……ありゃ、やべぇな。」
そう呟くと、
右拳をゆっくり握り締める。
ミシリ……。
拳から鈍い音が鳴った。
次の瞬間。
ロゼルは腰を落とし、
拳を勢いよく地面へ叩きつける。
ドゴォォォンッ!!
試験場全体が大きく震えた。
石畳が砕け、
地面が盛り上がる。
まるで巨大な壁が生えたかのように、分厚い石の塊がロゼルの前へせり上がった。
ロゼルはその影へ身を滑り込ませる。
直後――
ズガァァァァァンッ!!
雷撃が石壁へ直撃した。
眩い閃光。
耳をつんざく轟音。
衝撃波が試験場中を吹き抜ける。
砕けた石が雨のように降り注ぎ、白い土煙が一帯を覆い尽くした。
「ロゼル!!」
リアの悲鳴が響く。
立ち込める煙の向こうは、もう何も見えなかった。
立ち込めた土煙が、ゆっくりと晴れていく。
その向こうに、人影が見えた。
「……ゴホッ、ゴホゴホッ!」
むせる声。
砂煙を払いながら現れたのは、ロゼルだった。
服は土埃で汚れているものの、大きな怪我は見当たらない。
ロゼルは顔をしかめながら肩を払う。
「あのクソ魔女……。」
口の中に入った砂を吐き出し、
「あんなもん平気でぶっ放しやがって……。」
ぶつぶつと文句を零す。
その姿を見たアゼリアは、胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「……よかった。」
安堵の笑みがこぼれる。
だが。
ラズは止まらない。
「まだ終わってねぇ!!」
再び両手を突き出す。
掌へ莫大な魔力が集まり始めた。
青白い雷が弾け、
空気がビリビリと震える。
二撃目。
今度こそ仕留める。
その殺意が魔力となって渦巻いていた。
しかし――
ロゼルの目が鋭く細まる。
「させるかよ!」
ドンッ!!
地面を蹴った。
石畳が砕け散る。
次の瞬間には、ロゼルの姿が掻き消えていた。
「っ!?」
ラズは咄嗟に掌を向ける。
高速で動くロゼルへ照準を合わせようとする。
右。
違う。
左。
いや、もう前だ。
速すぎる。
その脚力は常識を超えていた。
照準が、まるで定まらない。
「どこだッ!?」
気付いた時には――
ロゼルはもう、
ラズの懐へ潜り込んでいた。
真っ赤な瞳が、目の前にある。
ロゼルは口元を吊り上げた。
「お返しだぜ。」
ラズは反射的に魔力を散らし、
距離を取ろうと後ろへ飛ぶ。
だが。
遅い。
逃げ出すより先に、
ロゼルの拳が唸りを上げた。
ドゴォォンッ!!
拳が、
真正面からラズの顔面へ叩き込まれる。
「がっ――!」
今まで味わったことのない衝撃。
頭の中が真っ白になる。
歯が何本も宙を舞い、
鼻から鮮血が噴き出した。
身体ごと後方へ吹き飛び、
石畳を何度も跳ねながら転がる。
ズザァァァッ!!
ようやく止まった頃には、
ラズの顔は血で真っ赤に染まっていた。
ロゼルは拳をぶらりと下ろし、
鼻を鳴らす。
「ざまぁみろ。」
その一撃に、
ディアとシエルが同時に目を見開いた。
言葉が出ない。
雪月花の一員であるラズが、
真正面から殴り飛ばされる姿など、
二人とも見たことがなかった。
ディアは思わず一歩踏み出す。
止めに入ろうとした――
その瞬間。
「…………。」
ゆらり。
ラズが立ち上がった。
顔を片手で押さえたまま。
指の隙間から血がぽたぽたと滴り落ちる。
肩が小刻みに震えていた。
「この……。」
低い声。
「よくも……私の顔に……。」
血塗れの口元から息を吐く。
だが。
その瞳だけは死んでいない。
むしろ、
先程まで以上に強い光を宿していた。
「負けたら……。」
ぽつり、と呟く。
「私が負けたら……ディアや……シエルまで馬鹿にされる……。」
拳を強く握り締める。
「そんなの……。」
ラズはゆっくりと顔を上げた。
血に濡れた頬を伝いながらも、
その視線だけはまっすぐロゼルを射抜いている。
「許さない……!」
ドクン――。
その瞬間。
ラズの全身から、禍々しいほど濃密な魔力が噴き上がった。
バチバチバチッ!!
青白い稲妻が全身を駆け巡り、空気そのものが震え始める。
試験場にいた誰もが息を呑んだ。
ランドが額に汗を浮かべる。
「まずい……。」
「ラズの奴、本気になる気だ……。」
ラズは顔についた血を乱暴に拭い、ゆっくりと笑った。
「……もう加減はしねぇ。」
低く呟くと、両手を天へ掲げる。
バチ……バチバチッ!!
青白い雷が全身を這い回り、足元の石畳が耐え切れず砕け始めた。
魔力が渦を巻く。
その圧力だけで、試験場の空気がビリビリと震える。
ラズは両掌をゆっくりと重ねた。
膨大な雷が掌の間へと集まり、凄まじい勢いで圧縮されていく。
そして――
空中に巨大な満月が姿を現した。
白銀に輝く、美しい円。
夜空に浮かぶ満月をそのまま切り取ったような幻想的な光景。
だが、その正体は極限まで圧縮された雷の塊。
眩い光が試験場を昼間とは思えぬほど白く照らし出す。
ディアの表情が一変した。
「ラズッ!! やめろ!!」
思わず叫ぶ。
その声には焦りが滲んでいた。
シエルだけは静かに腕を組み、その行く末を見つめている。
ランドも額に汗を浮かべた。
「馬鹿者……! なんて威力の技を!」
ラズは聞こえていないかのように笑う。
「これが……あたいの切り札。」
巨大な満月へ掌を向ける。
「――《月堕》!!」
ドォォォォォンッ!!
轟音。
巨大な満月がロゼル目掛けて落ち始めた。
まるで空そのものが崩れ落ちてくるような圧迫感。
リアは顔を青ざめさせる。
「ロゼル……!」
アゼリアも思わず一歩前へ踏み出した。
「ロゼル様……!」
ロゼルは真紅の瞳を細める。
(まずい……。)
あんな攻撃をまともに受ければ、自分だけでは済まない。
視線だけを横へ向ける。
試験場の端にはリアとアゼリア。
二人との距離は十分ある。
だが、この規模の魔法なら爆発に巻き込まれる可能性がある。
(避ける訳にはいかねぇ……!)
考える暇もなく。
巨大な満月は目前まで迫っていた。
その時だった。
カタリ――。
試験場の端に立て掛けられていた漆黒の大斧が、小さく震えた。
次の瞬間。
ゴォッ!!
何かに引き寄せられるように、大斧が独りでに宙を駆ける。
一直線に。
ロゼルの右手へ。
「っ!」
考えるより早く、身体が動いた。
飛び込んできた柄を力強く握る。
ズシリ、と馴染む重み。
その瞬間、ロゼルは確信した。
――いける。
全身の筋肉を軋ませ、大斧を大きく振りかぶる。
「おおおおおおッ!!」
咆哮。
漆黒の刃が、落ちてくる満月へ真正面から叩き込まれた。
ゴォォォンッ!!
轟音が試験場を揺るがす。
普通なら。
雷に物理攻撃など通じるはずがない。
普通なら、だ。
ロゼルが握る漆黒の大斧は、魔力そのものを喰らう呪具。
刃が満月へ触れた瞬間――
ギィィィィン……。
まるで歓喜するような唸り声を上げた。
飢えた獣が、ようやく極上の獲物へ喰らいついたかのように。
巨大な満月が激しく震える。
そして。
白銀の雷が渦を巻きながら、大斧へと吸い込まれていく。
「なっ……!」
ラズの表情が凍りつく。
膨大な魔力。
圧縮された雷。
その全てが、漆黒の刃へ飲み込まれていく。
眩い光は急速に小さくなり、
やがて――跡形もなく消え去った。
静寂。
誰一人、言葉を発せない。
ロゼルは止まらない。
一気にラズとの距離を詰める。
「しまっ――」
ラズが後退しようとするより早く、
ロゼルは大斧を反転させた。
刃ではなく、柄で。
ドゴォォォンッ!!
鋼鉄の柄頭がラズの腹へ深々とめり込み、そのまま地面へ叩きつける。
石畳が陥没し、蜘蛛の巣状の亀裂が四方へ走った。
「がはっ……!」
肺の中の空気が一瞬で押し出される。
血と涎が混じった飛沫がロゼルの服へ飛び散る。
ラズは苦しげに咳き込み、身体を震わせた。
しかし。
ロゼルの怒りは、まだ収まらない。
真紅の瞳が妖しく光る。
ゆっくりと大斧を振り上げる。
その姿に、ディアが顔色を変えた。
「ロゼル君ッ!!」
地面を蹴る。
同時にシエルも静かに前へ踏み出した。
ディアの姿が掻き消えた。
次の瞬間にはロゼルの左腕へ飛び付き、全体重をかけてその腕を押さえ込む。
「そこまでだッ!! ロゼル君!!」
必死の叫び。
しかし。
ロゼルの腕は止まらない。
ゆっくりと。
本当にゆっくりとではあるが、大斧はなおも振り下ろされようとしていた。
「くっ……!」
ディアの額に汗が滲む。
止まらない。
止められない。
その時――。
ズズズズズッ!!
石畳を突き破り、太い蔓が何本も地面から噴き出した。
蛇のようにうねりながら、大斧とロゼルの右腕へ一斉に絡みつく。
ギチッ。
ギチギチギチッ!!
蔓が軋む。
一本。
また一本と締め上げる。
シエルは両手で蔓を掴み、その場へ深く腰を落とした。
普段の穏やかな笑みは消え去っている。
歯を食いしばり、全身の筋肉に力を込める。
「ぐっ……!」
ギリ……。
ギリギリギリ……!!
蔓が悲鳴を上げるような音を立てる。
それでも。
ロゼルの腕は止まらない。
わずかに。
ほんの数センチずつ。
確実に振り下ろされていく。
「なっ……!」
シエルの瞳が大きく見開かれた。
「これほど……なのか……!」
さらに魔力を込める。
新たな蔓が次々と生え、大斧へ何重にも巻き付く。
それでもなお、
ギチ……
ギチギチ……
ロゼルの腕は僅かに動き続ける。
ディアも左腕へしがみつき、全身で押さえ込む。
「ロゼル君!! もう十分だ!!」
シエルも声を張り上げた。
「仲間がやり過ぎたことは詫びよう!」
なおも全身で蔓を引く。
「ラズのあの一撃は、明らかに模擬戦の域を超えていた!」
ギリギリギリッ!!
蔓が千切れそうになる。
「雪月花を代表して謝罪する!」
シエルは深々と頭を下げたまま叫んだ。
「だから……!」
腕が震える。
蔓が悲鳴を上げる。
「どうか……!」
全身全霊でロゼルを止めながら、
シエルは必死に言葉を絞り出す。
「その怒りを……納めてほしい!!」
試験場には、
蔓が軋む音と、
ロゼルの荒い息遣いだけが響いていた。
「ロゼル!!」
リアの悲鳴にも似た声が試験場へ響いた。
「もう十分よ!!」
その声に続くように、アゼリアが駆け出す。
迷いはない。
ディアとシエルの間をすり抜け、ゆっくりとロゼルの前へ立った。
そして。
両手で、ロゼルの頬をそっと包み込む。
「ロゼル様……。」
優しい声。
慈しむような眼差し。
「もう十分です。」
青い瞳が真っ直ぐロゼルを見つめる。
「……お家に帰りましょう。」
その一言だった。
ギリギリと張り詰めていたロゼルの身体から、少しずつ力が抜けていく。
荒々しかった呼吸が落ち着き始める。
真紅の瞳から獣のような鋭さが薄れ、いつもの穏やかな光が戻ってきた。
「……。」
ロゼルはゆっくりと息を吐く。
「ディアさん……シエルさん。」
申し訳なさそうに苦笑した。
「俺も……やり過ぎたよ。」
肩の力を抜く。
「もう大丈夫。」
そして静かに言った。
「解放してくれるかい?」
その言葉を聞き、ディアはほっと息を吐いた。
「……よかった。」
ロゼルの左腕を掴んでいた手をゆっくりと離していく。
反対側ではシエルも蔓へ流していた魔力を止めた。
締め上げていた蔓が音もなくほどけ、地面へと消えていく。
ディアの腕には赤黒い痣がくっきりと浮かび上がっていた。
シエルも蔓を握り締め続けていたせいで、両手の掌の皮が擦り切れ、薄く血が滲んでいる。
ロゼルが静かにラズから距離を取る。
それを確認すると、ディアとシエルはすぐさまラズの元へ駆け寄った。
「ラズ!」
シエルが膝をつく。
「聞こえるか?」
ラズの瞳は焦点が合っていない。
シエルではなく、どこか遠くを見つめていた。
唇だけがかすかに動く。
「ぁ……ごめ……なさい……。」
掠れた声。
「……わたし……まけ……。」
シエルは首を横に振る。
「いい。」
震える声で答えた。
「喋るな。」
ラズの肩へ手を添える。
「すぐに治療してやる。」
ディアもラズの顔を見た瞬間、血の気が引いた。
先ほどまで冷静だった表情は消え失せている。
そこにいたのはA級冒険者ではなく、一人の少女だった。
「馬鹿……。」
震えた声が漏れる。
「調子に乗ってるから……バチが当たるんだ……。」
その言葉とは裏腹に、瞳は潤んでいた。
ラズはぼんやりとディアを見上げる。
そして弱々しく笑う。
「ディア……。」
掠れた声。
「泣いてる……顔……初めて……見た……。」
その言葉を最後に。
ラズの瞼がゆっくりと閉じた。
「ラズ!!」
ディアが叫ぶ。
シエルの顔色も変わる。
「いかん!」
ラズの脈を確かめながら叫んだ。
「このままでは間に合わない!」
ディアは絶望したように立ち尽くす。
まるで世界が終わったかのような表情だった。
その時。
「大丈夫です。」
穏やかな声が響く。
アゼリアだった。
ゆっくりとラズの傍へ膝をつき、その身体をそっと抱き起こす。
ディアが思わず声を上げる。
「何を……?」
アゼリアは静かに微笑んだ。
「任せてください。」
優しくラズの髪を撫でる。
「大丈夫。」
「すぐによくなります。」
そう言うと。
アゼリアの掌へ青い炎が灯る。
揺らめく炎は熱を持たず、どこか神秘的な輝きを放っていた。
炎はゆっくりと雫へ姿を変える。
ぽたり。
一滴。
また一滴。
青い雫がラズの傷口へ落ちていく。
すると。
裂けていた皮膚がゆっくりと閉じ始めた。
折れていた歯が元の形へ戻っていく。
鼻の骨も。
頬の腫れも。
身体中の傷が、まるで時間を巻き戻すように癒えていく。
ディアは思わず息を呑んだ。
「これは……。」
シエルも目を見開く。
「回復魔術……?」
すぐに首を振る。
「いや……違う。」
食い入るように青い炎を見つめる。
「こんな力は……見たことがない。」
やがて。
ラズの顔から傷は完全に消え去った。
血もなくなり、元の綺麗な顔立ちへ戻っている。
眠るように目を閉じたその表情は、先ほどまでの勝気さが嘘のように幼かった。
アゼリアは小さく息を吐く。
「これでもう大丈夫です。」
ディアは深々と頭を下げた。
「感謝する、アゼリア君。」
真っ直ぐ見つめる。
「君には借りができた。」
シエルも静かに頷く。
「この力について詳しく聞きたい気持ちはある。」
そう言って苦笑する。
「だが今は、それより先に感謝を述べよう。」
軽く頭を下げた。
「ありがとう。」
アゼリアは優しく微笑み返す。
「いいえ。」
眠るラズを見つめる。
「治ってよかったです。」
そして穏やかに続けた。
「傷は治しましたが、かなり消耗しています。」
「すぐにベッドへ寝かせてあげてください。」
「……そうだね。」
ディアは頷き、ラズをそっと抱き上げた。
気絶したラズを丁寧に抱えるその姿は、凛々しい容姿も相まって、まるで姫を抱きかかえる王のようだった。
シエルはゆっくりと立ち上がる。
「本来なら、まだ話さなければならないことが山ほどある。」
静かに息を吐く。
「だが、今日はここまでにしよう。」
ランドへ向き直る。
「ランドさん。」
軽く頭を下げた。
「試験場の修繕費は雪月花が負担する。」
「ギルド長には、私が謝罪していたと伝えていただけるだろうか。」
ランドは黙って頷いた。
「わかった。」
一同を見回す。
「ギルド長には私からしっかり伝えておく。」
そして苦笑を浮かべる。
「君たちは……今日はもう行きなさい。」
ディアはラズがずり落ちないよう背中へ抱え直すと、小さく息を吐いた。
「ラズを早く休ませないと。」
その声には、いつもの余裕はなかった。
シエルも静かに頷く。
「ああ。」
「今は安静が一番だ。」
二人は試験場を後にし、ギルドへ向かって歩き始める。
しばらく歩いたところで。
シエルがふと足を止めた。
視線の先には、ロゼル達三人の姿。
ロゼル。
アゼリア。
リア。
夕日に照らされた3人をシエルはじっと見つめる。
そして、小さく呟いた。
「あの凄まじい怪力……実に興味深い。」
さらに思い返す。
ラズの命を救った、青い炎。
「あの回復術も……。」
ゆっくりと目を細めた。
「あれは、ただの回復魔術ではない。」
何かを思い出したように、シエルの瞳がわずかに揺れる。
「まさか……。」
だが、その先の言葉は口にしなかった。
「……いや、今はまだ早急か。」
小さく首を振ると、再び歩き出す。
「ディア、待ってくれ。」
「今行く。」
シエルはディアの背を追い、静かに試験場を後にした。
ロゼルは大きく息を吐き、頭を掻いた。
「やり過ぎちまった……。」
試験場を見渡しながら苦笑する。
「ごめんよ、ランドさん。」
ランドは崩れた石畳や抉れた地面を見回し、肩を竦めた。
「あの状況では仕方あるまい……。」
そう言って小さく息を吐く。
「しかし……お前達には驚かせられっぱなしだ。」
ロゼルへ視線を向ける。
「あの雪月花の一人に勝ってしまうとはな……。」
ロゼルは困ったように笑う。
「騒がれたくないんだ。」
少し声を落とした。
「秘密にはできないか?」
ランドは苦い顔をする。
「そうしてやりたいところだが……。」
首を横に振る。
「私にも報告義務がある。」
壊れた試験場を見渡した。
「この有り様を見て、何もありませんでしたとは言えんだろう。」
「そっか……。」
ロゼルは肩を落とす。
ランドは腕を組みながら続けた。
「噂はすぐ広まるだろう。」
「だが悪いことばかりではない。」
少しだけ口元を緩める。
「君達を雇いたい依頼人も現れるだろうし、ランクも上がりやすくなる。」
ロゼルは心の中でため息をつく。
(あまり目立ちたくはないんだがな……。)
その時だった。
「ロゼル!」
リアが小走りで駆け寄ってくる。
心配そうに顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「怪我はない?」
ロゼルは笑って手をひらひらと振る。
「ああ、俺は平気さ。」
苦笑を浮かべる。
「最後のあれは、さすがにマジでやばかったけどな。」
リアはほっと胸を撫で下ろした。
そして少し俯く。
「ロゼル……あのね。」
照れくさそうに指先をもじもじさせる。
「私……ロゼルが怒った時……嬉しかったの。」
ロゼルは首を傾げる。
「嬉しかった?」
リアは小さく頷いた。
「私のために怒ってくれたんだって思って……。」
顔を赤くしながら笑う。
「ありがとう。」
ロゼルもつられて笑った。
「こっちも同じさ。」
リアの頭をぽんと軽く叩く。
「リアが俺を庇ってくれた時、嬉しかったぜ。」
「へへへ。」
リアは照れくさそうに笑う。
その様子を見ていたアゼリアが、じーっと二人を見つめた。
「……なんだか。」
少しだけ頬を膨らませる。
「二人とも、仲が良さそうですね。」
ロゼルは思わず吹き出した。
「ははは。」
悪戯っぽく笑う。
「妬くなよ。」
「妬いてなんていません!」
アゼリアはぷいっと顔を背ける。
「もう、宿へ帰りましょう。二人とも。」
するとリアが後ろからアゼリアへ抱きついた。
「えへへ。」
猫耳を揺らしながら笑う。
「アゼリア、妬いてるんだ〜。」
「リアまで!」
アゼリアはさらに頬を膨らませた。
「もう知りません!」
ロゼルはそんな二人を見て大笑いする。
「ほらほら!」
手を叩く。
「帰るぞ。」
ぐっと背伸びをした。
「今日はクタクタだ。」
アゼリアも表情を緩める。
「そうですね。」
「帰りましょう。」
「はーい!」
リアも元気よく返事をした。
三人はランドへ軽く頭を下げ、その場を後にする。
しばらく歩いたところで、ロゼルが何かを思い出したように振り返る。
「あ。」
「帰りにタマゴサンド買っていってもいいか?」
リアの耳がぴんと立つ。
「わっ!」
「私も!」
「私も食べたい!」
アゼリアがくすりと笑う。
「ふふ。」
「そうですね。」
「買って帰りましょうか。」
夕暮れへ染まり始めた街を、三人は並んで歩いていく。
その背中を見送りながら、ランドはぽつりと呟いた。
「……ここまでの才があるとは。」
静かに目を細める。
「ハンスの奴も、いよいよ黙ってはいないだろうな。」
そして、半ば崩壊した試験場へ視線を戻す。
深いため息を一つ。
「やれやれ……。」
「なんと報告したものか……。」




