最悪な顔合わせ。
ロゼルは重厚な扉を見上げ、小さく息を吐いた。
「では……行くとしますか。」
そう呟くと、こんこん、と扉をノックする。
しばらくして、
ガチャリ――。
ゆっくりと扉が開いた。
姿を現したのは、白と黒の落ち着いた制服に身を包んだ一人の女性だった。
綺麗に整えられた髪。
無駄のない立ち居振る舞い。
いかにも訓練された使用人という雰囲気だ。
「皆様ですね。」
女性は優雅に一礼した。
「主人よりお話は伺っております。」
柔らかな笑みを浮かべる。
「どうぞ、こちらへ。」
ロゼルは思わず小さく呟いた。
「……メイド初めて見た。」
リアがくすっと笑う。
「そこなの?」
三人はメイドの後について歩き始めた。
専用フロアの中は、まるで貴族の屋敷だった。
長く続く赤い絨毯。
壁には名画と思われる絵画が等間隔に飾られている。
金細工が施された燭台。
年代物と思われる壺や彫刻。
一つ一つが高価なのだと、素人目にも分かった。
リアはきょろきょろと辺りを見回す。
「すごい……」
猫耳が忙しなく動く。
「全部高そう……」
ロゼルも感心したように周囲を眺める。
「さすがA級様だな。」
やがてメイドは、一枚の大きな扉の前で立ち止まった。
慣れた手つきで、こんこん、と二度ノックする。
「ご主人様。」
穏やかな声で告げる。
「お客様をご案内いたしました。」
数秒ほど静寂が流れる。
だが返事を待つことなく、
メイドは静かに扉を開いた。
「どうぞ。」
三人は部屋へ足を踏み入れる。
中は意外なほど質素だった。
広々とした空間に、必要最低限の家具しか置かれていない。
大きな机もなければ豪華な装飾もない。
中央にソファと小さなテーブルがあるだけだ。
その奥。
ソファには一人の女性が気だるそうに腰掛けていた。
燃えるような赤い髪。
鋭い眼差し。
腕を組み、静かにこちらを眺めている。
一方、その向かい側のソファでは、
黒髪の女性が立ち上がった。
長身で中性的な顔立ち。
男装がよく似合う、凛とした雰囲気。
ロゼルたちを見るなり、その表情がぱっと明るくなる。
「やぁ!」
少しかすれた低い声が部屋に響いた。
「アゼリア君!」
大股で歩み寄る。
「よく来てくれたね!」
ディアはそのままアゼリアの前まで来ると、嬉しそうに手を差し出した。
アゼリアも微笑みながら、その手を握る。
「お久しぶりです、ディアさん。」
「会いに来てくれないかと思っていたよ。」
ディアは本当に嬉しそうに笑った。
「本当によく来てくれた。」
そして、アゼリアの後ろへ視線を向ける。
金髪赤眼の小柄なロゼル。
その隣には猫人のリア。
ディアの目がロゼルで止まる。
口元がわずかに緩んだ。
「それで――」
少し首を傾げる。
「後ろにいる君が、アゼリア君の話していたリーダー……で間違いないかな?」
ロゼルは一歩前へ出ると、軽く手を上げた。
「ロゼルだ。よろしく。」
その姿を見た瞬間だった。
ディアの表情が、一瞬だけ固まる。
「……。」
視線がロゼルの全身をゆっくりとなぞる。
肩まで流れる金色の髪。
透き通るように白い肌。
長いまつ毛に縁取られた赤い瞳。
形の良い小さな唇。
人形のように整いすぎた顔立ちは、思わず息を呑むほど美しい。
華奢な体つきも相まって、どう見ても十歳ほどの可憐な少女にしか見えなかった。
(この子が……?)
アゼリアから聞いていたのは、「とても強いリーダーがいる」という話だけ。
だからこそ、目の前に立つ人物とのギャップに言葉を失う。
歴戦の戦士を想像していた。
まさか、これほど幼く、美しい少女のような容姿とは思ってもみなかった。
「……君が?」
思わず漏れた一言。
ロゼルは困ったように苦笑した。
「ああ。その反応には慣れてるよ。」
ディアは我に返り、小さく息を吐く。
「……すまない。」
「少し意外だっただけだ。」
そう言って苦笑すると、すぐに表情を引き締めた。
「アゼリア君がそこまで信頼している相手だ。見た目だけで判断するつもりはない。」
ディアはふっと表情を和らげると、ロゼルへ向かって右手を差し出した。
「先程は失礼した。」
穏やかに微笑む。
「雪月花のディアという者だ。」
「今日は来てくれて感謝するよ。」
ロゼルも気軽な調子でその手を握り返した。
「こちらこそ。」
固く握られた手。
その瞬間だった。
ディアの表情がわずかに変わる。
(……っ。)
細く見える腕。
華奢な指先。
だが、その奥に潜む力はまるで違った。
まるで巨大な獣の前脚に触れているような、圧倒的な密度。
少しでも力比べをしようものなら、一瞬で捻り潰される。
そんな確信にも似た感覚が、握った手から伝わってきた。
一方のロゼルも、ディアを見つめていた。
(……こいつ、強いな。)
握手一つで分かる。
無駄のない筋肉。
鍛え抜かれた体幹。
そして、常人とは比べものにならない身体能力。
ただの剣士ではない。
相当な修羅場を潜り抜けてきた人間だ。
二人はしばらく無言のまま見つめ合う。
やがてディアが、小さく笑った。
「驚いた。」
「本当に強いんだね。」
感心したように目を細める。
「こんな感覚は初めてだよ。」
「握手をしただけで、相手の底が見えないなんてね。」
ロゼルは肩を竦める。
「お互い様さ。」
その時。
二人の後ろから、静かな声が聞こえた。
「……私も紹介してくれないか、ディア。」
いつの間にそこへ来たのか。
先程までソファに座っていたはずの女性が、音もなくディアの背後へ立っていた。
リアがびくりと肩を震わせる。
「い、いつの間に……?」
ディアは苦笑しながら肩をすくめた。
「ああ、すまない。」
そしてロゼルたちへ向き直る。
「紹介しよう。」
「ロゼル君、アゼリア君、リア君。」
「我々《雪月花》のリーダー――シエルだ。」
赤髪の女性は静かに一歩前へ出る。
感情を表に出さない瞳。
隙のない立ち姿。
その場に立っているだけで、部屋の空気が張り詰める。
「シエルだ。」
短く名乗る。
それだけだった。
ディアは空気を和らげるように軽く手を叩く。
「さあ、立ち話も何だ。」
「皆、座ってくれ。」
そう言ってソファへ案内する。
ロゼルたちが席へ腰を下ろすと、ディアは控えていたメイドへ視線を向けた。
「飲み物を頼めるかな。」
「それと、軽く摘まめる物も用意してくれ。」
メイドは優雅に一礼する。
「かしこまりました。」
静かに部屋を後にした。
ディアがメイドへ指示を出してから、ものの数分も経たなかった。
いや、数分も掛かっていない。
どうやって用意したのか。
気が付けば、目の前のテーブルには色とりどりの焼き菓子や小さなケーキ、果物が美しく並べられ、湯気の立つ紅茶が一人一人の前へ置かれていた。
甘く上品な香りが部屋いっぱいに広がる。
シエルはカップを手に取り、静かに一口だけ口へ運んだ。
そして、穏やかな表情で言う。
「さぁ、君達も遠慮なく。」
リアは目の前の豪華なお菓子を見つめたまま固まっていた。
食べてもいいのか分からない。
ちらり。
ちらり。
何度もロゼルの方を見る。
その視線に気付いたロゼルは肩を竦めた。
「ありがたく頂こう。」
そう言うと、目の前の焼き菓子をひょいと摘まみ、そのまま口へ放り込む。
サクッ。
心地よい音が鳴る。
続けて紅茶を一口。
「……うまい。」
満足そうに息を吐いた。
そのいつも通りの様子を見て、アゼリアがくすりと笑う。
「ふふっ。」
ロゼルが食べ始めたのを見て安心したのか、リアも恐る恐るクッキーへ手を伸ばした。
ぱくり。
一口かじる。
次の瞬間。
「……!」
猫耳がぴんっと立つ。
「お、おいしい……!」
思わず目を輝かせながら、夢中でもう一口頬張った。
その様子を見ていたシエルの口元が、わずかに緩む。
「ディアから聞いていたが……。」
静かにカップを置く。
「驚いたよ。」
その視線はアゼリアへ向けられた。
「本当に凄まじい魔力量だ。」
「アゼリア君。」
「師はいるのかい?」
突然の問いに、アゼリアは少しだけ困ったように微笑む。
「いません……というよりも……。」
そこで小さくロゼルへ視線を向けた。
ロゼルは紅茶を味わいながら、その意味を理解したように小さく頷く。
それを見て、アゼリアは静かに口を開いた。
「実は……古い記憶がないんです。」
その言葉に、ディアが少し驚いた表情を浮かべる。
「記憶喪失……というやつかい?」
腕を組み、考え込む。
「君ほどの魔力を持つ人なら、有名でもおかしくない。」
「知り合いも見つけやすそうなものだが……。」
アゼリアは答えに詰まり、小さく俯いた。
部屋に短い沈黙が流れる。
その空気を和らげるように、ロゼルが口を開いた。
「記憶がなくて怯えていたところを、俺が助けたんだ。」
紅茶をテーブルへ戻し、穏やかな声で続ける。
「この件は、彼女にとって繊細な問題なんだ。」
「悪いが、あまり深くは触れないでもらえると助かる。」
ディアはすぐに事情を察したように頷いた。
「……なるほど。」
「すまなかった。」
シエルも静かに頭を下げる。
「私も踏み込んだ話題だったようだ。」
「申し訳ない。」
そして真っ直ぐアゼリアを見る。
「だが、もし何か力になれることがあるなら、いつでも相談してほしい。」
「遠慮は必要ない。」
その言葉に、アゼリアはほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます。」
優しい空気が、再び部屋を包んだ。
シエルは紅茶をもう一口だけ口に含むと、静かにカップをソーサーへ戻した。
そして、ロゼルへ視線を向ける。
「それと、ロゼル君。」
一拍置いて、穏やかな口調で言った。
「君は……男性だろう?」
その一言に。
「……は?」
ディアが思わず間の抜けた声を漏らす。
目を丸くし、ロゼルとシエルを交互に見比べる。
「まさか……。」
信じられない、と言いたげな表情だった。
一方、ロゼルは驚いたように目を細める。
「……わかるのか?」
シエルは静かに頷いた。
「なんとなくだがね。」
「歩く時の重心の取り方。」
「体の捌き方。」
「無意識の仕草。」
「そういうものを見ていると、不思議と分かる。」
ふっと微笑む。
「見た目があまりにも可愛らしいものだから、私も半信半疑だったが。」
紅茶を片手に、小さく笑った。
「やはりそうだったか。」
ディアはまだ信じられない様子でロゼルを見つめている。
「え……?」
「こんなに可愛いのに?」
言ってしまってから、慌てて咳払いをした。
「……いや、失礼した。」
ロゼルは苦笑しながら肩を竦める。
「せめて髪くらい切ろうと思ったんだけどな。」
その瞬間だった。
「いけません!!」
部屋にアゼリアの大きな声が響き渡る。
全員の視線が一斉に集まった。
当のアゼリア本人も、しまったというように口元を押さえる。
「……あ。」
耳まで少し赤くなっていた。
ロゼルは困ったように笑う。
「こんな調子でね。」
「髪を切ろうとするたびに、連れが騒ぐもんだから。」
「結局、このままなんだ。」
アゼリアはこほん、と咳払いを一つすると、真面目な顔で言った。
「ロゼル様は、そのままで完璧なのです。」
ぐっと拳を握る。
「あの美しい髪を切るなど、とんでもありません。」
「絶対に反対です。」
ふんっ、と鼻息を荒くする。
その力説ぶりに、一瞬部屋が静まり返った。
そして。
ディアが耐えきれなくなったように吹き出した。
「ははははっ!」
肩を揺らしながら笑う。
「アゼリア君は、本当にロゼル君のことが大好きなんだね。」
アゼリアは少し照れたように微笑みながら、こくりと頷いた。
「はい。」
その返事には、一片の迷いもなかった。
ディアはロゼルをじっと見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「アゼリア君が言っていたんだが。」
腕を組み、口元に薄く笑みを浮かべる。
「ロゼル君も、相当な実力者らしいね。」
ロゼルは肩をすくめ、紅茶を一口飲んでから答えた。
「さあ?」
「俺のはただの力技さ。」
「それなりに器用だとは思うが、技やら駆け引きなんざさっぱりだ。」
飄々とした口調だった。
まるで大したことではないと言わんばかりだ。
だが、その言葉を聞いたディアは、口元をゆっくりと吊り上げた。
「……気になるな。」
その笑みはどこか獲物を見つけた獣のようでもあった。
男装の麗人らしい端正な顔立ち。
切れ長の瞳が細められる。
その凛々しい笑みに、思わず見惚れてしまいそうになるほどの魅力があった。
ディアはロゼルから視線を逸らさない。
「さっき握手した時に感じたよ。」
「君は強い。」
一拍置く。
「それも──凄まじいほどに。」
部屋の空気が少しだけ張り詰める。
ディアの言葉は、お世辞ではない。
強者だからこそ分かる確信だった。
ロゼルはその視線を受けても表情を崩さず、小さく笑うだけだった。
「買い被りすぎさ。」
そう言って紅茶を口へ運ぶが、その赤い瞳だけは静かにディアを見据えていた。
ガチャーン!!
勢いよく扉が開いた。
「ディアー!」
気だるそうな女性の声が部屋中に響く。
「腹減ったー!」
「なんか食うもんあるー?」
部屋へ入ってきたのは、一人の女性だった。
肩で切り揃えたアッシュグレーの髪。
少し吊り気味の鋭い瞳。
革のジャケットに短パン、膝まであるブーツというラフな格好で、どう見ても魔女というより街の不良娘のような雰囲気だ。
胸にはさらしが巻かれ、動きやすさを優先した服装をしている。
ディアはその姿を見るなり、小さくため息をついた。
「……全く。」
呆れたように肩をすくめる。
「どこへ行っていたんだ、ラズ。」
「心配するだろう?」
ラズと呼ばれた女性は、悪びれた様子もなく頭をぽりぽりとかいた。
「いやー。」
「ちょっと賭場に寄っててさ。」
ディアが目を閉じる。
「またか……。」
向かいでは、シエルが静かに紅茶を口へ運んでいた。
「それで。」
淡々とした声で尋ねる。
「今日は勝ったのかい?」
その一言で。
ラズの動きがぴたりと止まった。
視線が泳ぐ。
「…………。」
「………………。」
部屋に妙な沈黙が流れる。
やがてラズは、ばつが悪そうに頬をかいた。
「全部……なくなった。」
ロゼルが思わず目を瞬かせる。
ディアは額へ手を当てた。
「また全財産か。」
「うん。」
ラズはあっけらかんと頷く。
「今回は流れが来てると思ったんだけどさ。」
「最後に倍賭けしたら見事に全部持ってかれた。」
シエルは小さく息をつく。
「君は本当に学ばないね。」
「次こそ勝つ。」
ラズは拳を握りしめ、妙に力強く宣言した。
「その台詞を、私はもう何度聞いたことだろう。」
ディアが肩を落とれる。
そんな雪月花のやり取りを見て、リアがロゼルの袖をちょんちょんと引っ張った。
「ねぇロゼル……。」
小声で囁く。
「この人、本当にA級冒険者なの……?」
ロゼルは苦笑いを浮かべた。
「……俺も今、それを考えてた。」
その言葉にアゼリアがくすりと笑う。
和やかな空気が部屋に広がる中、ラズはようやくロゼルたちの存在に気付いた。
「あれ?」
じろりと三人を見回す。
「客か?」
ディアは苦笑しながら頷く。
「ああ。」
「紹介しよう。」
「彼女はラズベリア。」
「我々は皆、ラズと呼んでいる。」
ラズは片手をひらひらと振った。
「ラズでいい。」
そう言って何気なくロゼルへ視線を向ける。
その瞬間――
「……。」
ラズの目が止まった。
金髪。
赤い瞳。
長いまつ毛。
整いすぎた顔立ち。
思わず見惚れてしまうほど可憐な容姿。
数秒、まじまじと見つめた後。
ラズはぽつりと呟いた。
「……かわい。」
その一言で、部屋の空気が少しだけ止まった。
そして、口元をにやりと歪めた。
「何、このチンチクリンは。」
ディアがすぐに眉をひそめる。
「失礼だぞ、ラズ。」
ラズは肩をすくめた。
「だって本当じゃん?」
悪びれる様子もない。
シエルが静かに口を開く。
「この方々は、ディアが見出した実力者だ。」
穏やかな声だったが、その言葉には重みがあった。
「ディアの見立てでは、我々にも引けを取らない実力を持っている。」
一度ラズを真っ直ぐ見据える。
「粗相のないよう頼む。」
その言葉を聞いたラズは、一瞬きょとんとした後――
「ぷっ……!」
吹き出した。
「ははははっ!」
腹を抱えて笑い出す。
「あたいらと近い実力?」
涙を拭いながらロゼルを指差した。
「こんなのが強いわけないでしょ!」
「せいぜい荷物持ちか、可愛がられる役くらいがちょうどいいんじゃない?」
部屋の空気が少し冷える。
ディアが低い声で言った。
「ラズ。」
「いい加減に慎め。」
珍しく厳しい声音だった。
「彼らはわざわざ会いに来てくれた客人だ。」
「雪月花の名に傷がつくぞ。」
ラズは「はいはい」と手を振るだけだった。
その時。
もじもじしていたリアが、おずおずと前へ出る。
「あ、あの……!」
皆の視線が集まる。
リアは緊張で尻尾を震わせながらも、ロゼルの前へ立った。
「ロ、ロゼルは弱くなんてないわ!」
勇気を振り絞るように叫ぶ。
「き、きっと……あなたより……強いわ……」
言った瞬間。
「しまった……」
というように顔が青くなる。
ラズの眉がぴくりと動いた。
「あぁ?」
ゆっくりとリアへ歩み寄る。
「そのチビが……あたいより強いって?」
ラズの視線が、リアの片耳で止まる。
欠けた耳を見て、口元が歪んだ。
「あんた……その耳。」
「もしかして奴隷?」
リアの肩がびくりと震える。
ラズは面白そうに笑った。
「なんで奴隷なんか連れて歩いてんの?」
ケラケラと笑いながら続ける。
「それとも――」
少し首を傾げる。
「ペットってやつ?」
その瞬間だった。
ギシッ。
椅子が軋む音が響く。
ロゼルが静かに立ち上がる。
同時に。
アゼリアからも、いつもの柔らかな笑みが消えていた。
部屋の空気が一変する。
ロゼルは真紅の瞳でラズを射抜くように見据えた。
その眼差しには、先ほどまでの軽薄さは欠片もない。
低く、静かな声が部屋に響く。
「……俺の仲間への悪口は、その辺にしてもらおうか。」
その一言だけで、部屋の温度が数度下がったような錯覚を覚えた。
ディアは慌てて二人の間へ割って入った。
「待ってくれ。」
両手を広げ、ラズを制する。
「仲間が失礼をした。」
ディアはロゼルへ頭を下げた。
「すまない。」
そして振り返る。
「ラズ、彼らに謝るんだ。」
しかし。
「謝らなかったら?」
ディアの言葉を遮るようにラズが口を開いた。
ずいっとロゼルへ歩み寄る。
あと一歩で胸が触れそうな距離。
見下ろすように睨みつける。
「黙らなかったら、なんだって言うわけ?」
ロゼルは一歩も引かない。
真紅の瞳で真正面から見返した。
「これ以上言うなら――」
口元がゆっくり吊り上がる。
「黙らせる。」
静かな声。
「力ずくでもな。」
部屋の空気が凍りつく。
その様子を見ていたリアの顔が青ざめた。
「ロ、ロゼル……。」
震える声で呟く。
「ご、ごめんなさい……。」
耳もしょんぼりと垂れる。
「私が、生意気なこと言っちゃったから……。」
ロゼルは振り返らず答えた。
「お前は何も間違ったことは言ってないさ。」
肩越しに親指を立てる。
「俺の方が強い。」
ニヤリと笑った。
「……だろ?」
その一言で。
リアはぽかんと目を丸くする。
次の瞬間。
アゼリアがそっとリアを抱き寄せた。
「リア。」
優しく頭を撫でる。
「しー。」
穏やかな微笑みを浮かべた。
「後はロゼル様にお任せしましょう。」
その温かな手に撫でられ、リアも少しだけ落ち着きを取り戻していく。
一方。
ラズの額には太い青筋が浮かんでいた。
ギリッ……
歯を噛み締める音が響く。
「……あ?」
眉間に深い皺が刻まれる。
「誰が……誰より強いって?」
怒気を隠そうともせずロゼルを睨みつける。
「三下が……。」
ディアの表情も変わった。
先ほどまでの柔らかな笑みは消え失せている。
鋭い眼光がラズへ向けられた。
空気が張り詰める。
「ラズ。」
低い声が響く。
「いい加減にしないと……私も怒るぞ。」
その一言だけで、部屋の温度が下がったようだった。
「――そこまでだ。」
凛とした声が二人の間へ割って入る。
シエルだった。
静かに立ち上がり、一同を見渡す。
「双方、そこまでにしよう。」
その声には、不思議と逆らえない力があった。
少し間を置いて続ける。
「だが、このまま解散というわけにもいくまい。」
シエルは小さく微笑む。
「どうだ?」
「模擬戦で決着をつけるというのは。」
「シエル!」
ディアが思わず声を上げる。
「君までそんなことを言うのか!」
シエルは肩をすくめた。
「このままでは、お互い納得できないだろう。」
紅茶のカップを静かに置く。
「もちろん、殺し合いはさせない。」
「私とディアが審判を務める。」
そして、ロゼルへ視線を向けた。
「それに――」
どこか楽しそうに微笑む。
「私も、ロゼル君の実力を見てみたい。」
ロゼルは口元を吊り上げた。
「いいぜ。」
肩に力を入れず答える。
「やろう。」
そしてラズを見る。
「俺たち冒険者を納得させるにはさ。」
「結局、力を見せるのが一番早い。」
赤い瞳が細くなる。
「あんたも……そう思うだろ?」
ラズも獰猛に笑った。
「上等。」
拳を鳴らす。
「死なない程度に遊んでやるよ。」
その瞳には戦意が宿る。
「吐いた唾、飲み込むんじゃねぇぞ。」
シエルは満足そうに頷いた。
「決まりだな。」
「では双方、ギルド裏の試験場へ。」
「ギルドには私から話を通しておこう。」
ディアは深くため息をつき、額へ手を当てる。
「はぁ……。」
「こんなつもりじゃなかったんだが……。」
横目でシエルを見る。
「シエル。」
「君……少し楽しんでないか?」
シエルはくすりと笑った。
「まさか。」
そう言いながらも、その口元には微かな笑みが浮かんでいる。
「私はただ、お互いが納得できる方法を提案しただけさ。」
その笑みを見たディアは、小さく肩を落とした。
「……その顔で言われても、説得力がないよ。」




