ギルドにて。
朝食を終えた三人は、それぞれ身支度を整えた。
ロゼルは漆黒の大斧を背負い、
アゼリアは動きやすい軽装に腰の短剣を確かめる。
リアも新しい装備と弓を肩に掛け、気合い十分といった様子だ。
「準備はいいか?」
ロゼルが振り返る。
「はい」
「もちろん!」
二人が頷くのを見届けると、ロゼルは宿の扉を押し開けた。
朝の澄んだ空気が頬を撫でる。
大通りはすでに多くの人で賑わっていた。
露店を並べる商人。
忙しなく荷車を引く行商人。
仕事へ向かう冒険者たち。
活気に満ちた街の喧騒を抜けながら、一行は冒険者ギルドへと歩いていく。
今日の目的は依頼ではない。
A級冒険者パーティ《雪月花》への顔合わせ。
ディアから託された紹介札を手に、三人はギルドの重い扉を押し開けた。
からん、と鈴が鳴る。
昨日と変わらぬ賑わいの中、ロゼルは真っ直ぐ受付へ向かった。
「おはようさん。」
受付嬢は営業用の柔らかな笑みを浮かべる。
「おはようございます。本日はどのような──」
ロゼルは懐から一枚の札を取り出し、そっとカウンターへ置いた。
雪月花の紋章が刻まれた紹介札。
受付嬢の視線が、それに落ちる。
次の瞬間。
「──っ!」
営業スマイルが一瞬で消えた。
目を大きく見開き、札とロゼルの顔を何度も見比べる。
「しょ、少々お待ちください!」
慌てて紹介札を両手で持ち上げる。
「た、ただ今、確認いたします!」
言葉まで少し裏返っていた。
そのまま受付の奥へ駆けていく。
「あっ!」
危うく椅子に足を引っかけながらも体勢を立て直し、そのまま慌ただしく姿を消した。
残された三人は顔を見合わせる。
リアが小声で囁く。
「……なんか、すごく慌ててたわね。」
ロゼルは肩をすくめた。
「雪月花ってのは、やっぱり相当な大物らしいな。」
アゼリアも静かに頷く。
「紹介札一枚で、あれほど反応されるとは思いませんでした。」
三人は何が起こるのか分からないまま、受付の返事を静かに待った。
しばらくして――。
「はぁ……はぁ……」
額に汗を浮かべた受付嬢が、小走りで戻ってきた。
乱れた呼吸を整えながら、深々と頭を下げる。
「お、お待たせいたしました……!」
胸元で紹介札を大切そうに抱え、ロゼルへ差し出した。
「確認いたしましたところ、間違いなく本物の紹介札でした。」
ほっとしたように息を吐くと、姿勢を正す。
「これより《雪月花》の皆様へお知らせいたしますので、恐れ入りますが別室にてお待ちいただけますでしょうか?」
ロゼルはきょとんとした顔で首を傾げた。
「別にここで待ってても構わないぞ?」
その一言で、受付嬢の顔色がさっと変わる。
「そ、それはいけません!」
思わず声を張り上げてしまい、慌てて口元を押さえる。
周囲の視線が集まると、ぺこぺこと頭を下げてから、小声で続けた。
「《雪月花》のご友人に失礼があったなどとなれば……」
ごくり、と唾を飲み込む。
「わ、私の首が飛びます……物理的にも……」
その顔色は、もはや青を通り越して土色になっていた。
必死な様子に、ロゼルは苦笑する。
「わ、わかったよ。」
両手を軽く上げた。
「案内してくれるか?」
「ありがとうございます!」
受付嬢は何度も頭を下げる。
その横で、リアがロゼルの袖をくいっと引っ張った。
そして耳元へ顔を寄せ、小声で囁く。
「ねぇ、ロゼル……」
猫耳がぴくりと揺れる。
「雪月花って人たち……そんなにやばいの?」
ロゼルも小声で答えた。
「やばいかどうかは知らんが、国に数組しかいないA級パーティだ。」
紹介札をちらりと見る。
「ギルドも扱いには慎重なんだろうよ。」
その会話を聞いていたアゼリアが、少し申し訳なさそうに俯く。
「私……ロゼル様にご迷惑をお掛けしてしまいましたでしょうか……?」
ロゼルはひらひらと手を振った。
「ないない。」
気楽そうに笑う。
「ただの顔合わせさ。」
赤い瞳を細める。
「気楽にいこうぜ?」
その一言に、アゼリアも少し安心したように微笑んだ。
受付嬢が一歩前へ出る。
「では、こちらへご案内いたします。」
三人は受付嬢の後をついて歩き出した。
賑やかなギルドホールを抜け、普段は関係者しか立ち入れない廊下へ。
重厚な木の扉がいくつも並んでいる。
その一番奥。
受付嬢が恭しく扉を開いた。
「こちらのお部屋でお待ちください。」
部屋へ足を踏み入れたリアが思わず目を丸くする。
「わぁ……」
室内は想像以上に広かった。
ふかふかの絨毯が敷かれ、大きな窓から柔らかな陽光が差し込んでいる。
中央には長いテーブル。
その上には銀食器が美しく並べられ、焼きたての肉料理や魚料理、新鮮な果物、色鮮やかな菓子まで、豪華な料理が所狭しと並べられていた。
リアの尻尾が思わずぴんと立つ。
「す、すごい……」
ロゼルも思わず口笛を吹く。
「顔合わせっていうより晩餐会だな。」
受付嬢は慣れた手つきで椅子を引きながら尋ねた。
「お飲み物はいかがいたしましょうか?」
少し考え、
「お酒は……さすがにお昼ですので控えた方がよろしいかと思いますが。」
営業用の笑顔を浮かべる。
「よく冷えた果実水や紅茶などもご用意できます。」
「いかがいたしますか?」
ロゼルは椅子へ腰掛けながら答えた。
「俺は水でいい。」
リアはぱっと手を挙げる。
「私は紅茶がいいわ!」
アゼリアは穏やかに微笑んだ。
「私も紅茶をお願いいたします。」
「かしこまりました。」
受付嬢は一礼する。
「すぐにお持ちいたします。」
扉の前で振り返り、もう一度深く頭を下げた。
「それと、《雪月花》の皆様へ取り次いでまいりますので、もう少々お待ちくださいませ。」
静かに扉が閉まり、広い応接室には三人だけが残された。
飲み物は思いのほか早く運ばれてきた。
銀の盆に載せられたグラスやティーカップが、それぞれの前へ丁寧に置かれる。
グラスの中では、透き通った氷がからん、と涼しげな音を立てた。
「おお……」
ロゼルが思わず声を漏らす。
天然の氷。
魔法で生み出した氷とは違い、保存にも運搬にも手間がかかる高級品だ。
庶民が口にする機会など滅多にない。
ロゼルはグラスを手に取り、一口飲む。
喉を滑るように冷たい水が染み渡る。
「ふぅ……」
思わず息を吐く。
赤い瞳を少し丸くした。
「随分美味い水だな……」
リアは湯気の立つ紅茶を両手で包み込む。
猫舌なのか、
「ふー……ふー……」
と何度も息を吹きかけ、慎重に口をつけた。
「……!」
ぱっと耳が立つ。
「これ、すっごくいい香り……」
もう一口。
ゆっくりと味わう。
「なんて茶葉なのかしら?」
アゼリアもティーカップを手に取る。
しかし口にはつけず、目を閉じて香りだけを楽しんだ。
「まあ……」
柔らかく微笑む。
「本当に良い香りですね。」
ゆっくりと目を開ける。
「市場にも、こんな香りのする紅茶はありませんでした。」
ロゼルは感心したように頷く。
「こりゃ一等級だな。」
グラスの水を揺らしながら呟く。
「本来なら貴族や王族に献上されるような品だ。」
苦笑しながら肩をすくめた。
「すげぇな……」
リアの視線は、いつの間にかテーブルいっぱいに並んだ料理へ向いていた。
焼きたての肉。
香ばしい魚料理。
果物に菓子。
どれも美味しそうだ。
「ねぇ、ロゼル……」
こそっと尋ねる。
「あの並んでる食べ物って……食べていいのかな?」
ロゼルは悪戯っぽく笑う。
「好きに食べればいいさ。」
グラスの水をごくりと飲み干す。
「俺達は今日は雪月花様のゲストらしいからな。」
口元をにやりと吊り上げた。
「遠慮する方が失礼かもしれんぞ?」
その言葉を聞いたリアの尻尾がぴんと立つ。
「じゃ、じゃあ少しだけ……」
恐る恐る果物を一つ摘まみ、ぱくり。
甘い果汁が口いっぱいに広がる。
「おいしい……」
思わず頬が緩んだ。
その様子を見て、アゼリアがくすくすと笑う。
穏やかな時間が流れた。
それから二十分ほど経った頃だった。
コンコン――。
部屋の扉が丁寧にノックされる。
「どうぞ。」
ロゼルが声をかけると、
ガチャリ、と扉が開いた。
入ってきたのは、先ほどの受付嬢ではない。
ランドだった。
年齢を感じさせないしっかりとした足取りで部屋へ入り、三人の姿を見回す。
ロゼルはグラスを軽く持ち上げた。
「よう、ランドさん。」
アゼリアもにこにこと頭を下げる。
「おはようございます、ランドさん。」
リアは慌てて口いっぱいに頬張っていた果物を飲み込み、
「ど、どうも……」
とぎこちなく頭を下げた。
ランドは目頭を指でごしごしと揉みながら、大きくため息をつく。
「お前たち……驚いたぞ。」
視線がロゼルへ向く。
「雪月花の紹介札を持って現れたそうだな。」
腕を組み、眉を寄せる。
「一体全体どういうことだ?」
「冒険者になって間もない、パーティ名すらないお前たちが……どうやって雪月花と繋がる?」
ロゼルは両手を上げて肩をすくめる。
「俺に聞かれてもなぁ。」
降参、とでも言うような仕草だった。
アゼリアが申し訳なさそうに立ち上がる。
「すみません……ご説明します。」
グラントの鍛冶屋で出会ったこと。
ディアから紹介札を渡されたこと。
ぜひ一度訪ねてきてほしいと言われたこと。
アゼリアは順を追って丁寧に話した。
話を聞き終えたランドは、顎に手を当てる。
「……なるほど。」
ゆっくり頷いた。
「そこの新人は、その時に出会ったという訳か。」
「はい。」
アゼリアは頭を下げる。
「ランドさんにまでご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません……。」
するとリアが慌てて立ち上がった。
「アゼ姉は何も悪くないわ!」
真剣な顔で言い切る。
アゼリアはそんなリアを見て、優しく微笑んだ。
ランドは苦笑混じりに息を吐く。
「構わんさ。」
「驚きはしたがな。」
そして表情を少し引き締めた。
「これから雪月花の変人共のところへ、お前たちを連れて行く。」
その一言に、ロゼルが思わず吹き出す。
「ぷっ。」
「変人共って。」
ランドは真顔のまま続けた。
「癖の強い連中の集まりだ。」
「……だが、あれでもギルドお抱えのA級冒険者。」
視線を三人へ向ける。
「一応忠告しておくが、粗相のないようにな。」
ロゼルは軽く手を上げた。
「あいよ。」
アゼリアは背筋を伸ばして答える。
「はい!」
リアも少し緊張した面持ちで頷いた。
「は、はい……!」
その返事を聞いたランドは、
(……本当に大丈夫か、こいつら。)
そんな目で三人を見つめる。
やがて諦めたように肩をすくめた。
「まあいい。」
踵を返す。
「ついて来なさい。」
ランドの後ろを歩き、一行はギルドの奥へと進んでいく。
関係者しか立ち入れない静かな廊下。
そして階段。
一段、また一段と上へ。
やがて三階へ辿り着いた。
そこは一階や二階とは違い、人の気配がほとんどない。
廊下の突き当たりには、一際大きく重厚な木製の扉が鎮座していた。
金属で縁取られた豪華な扉。
まるで貴族の屋敷を思わせる風格だ。
ランドはその扉の前で足を止める。
「ギルド三階のフロアは、あいつら専用になっている。」
ため息混じりに肩を落とした。
「ただでさえ書類が山積みで部屋数も足りんというのに……やれやれ。」
そうぼやいてから、三人へ向き直る。
「とにかく、私はここまでだ。」
親指で扉を示す。
「この先は君たちだけで行くといい。」
ロゼルは軽く頭を下げた。
「悪いな、ランドさん。」
「手間かけさせちまった。」
ランドは静かに首を振る。
「君たちに一目置いているのは、雪月花だけではないからな。」
少しだけ口元を緩める。
「それに、新人の受付嬢には荷が重いと思っただけさ。」
そして最後に表情を引き締めた。
「……くれぐれも、揉め事だけは起こさないように。」
鋭い視線を三人へ向ける。
その言葉を残し、ランドは静かに階段の方へと去っていった。
重厚な扉の前には、ロゼルたち三人だけが残された。




