宴
ギルドの中は、まだ戦いの熱気に包まれていた。
酒場スペースでは冒険者たちが大声で武勇伝を語り合い、あちこちで笑い声が上がっている。
「あのオークファイターを倒したんだぞ!」
「見たか? あの金髪の嬢ちゃんの怪力!」
そんな声が飛び交う。
討伐成功。
その事実だけで、ギルド全体が浮き足立っていた。
受付では、セレナが討伐完了の報告を終えている。
緊急依頼――オーク討伐。
報酬は金貨二百枚。
参加した冒険者たち全員で山分けとなり、一人あたり金貨四枚ほどの取り分になった。
決して一攫千金ではない。
だが、駆け出し冒険者にとっては十分な額だ。
「こちらが報酬になります」
受付嬢が差し出した皮袋を、ロゼルは片手で受け取った。
じゃらり、と金貨の音が鳴る。
ロゼルは中身を確認すると、自分の分だけを抜き取り、残りを二つの小袋へ分けた。
そして何の躊躇いもなく放る。
「ほら」
一つはアゼリアへ。
もう一つはリアへ。
「アゼリアの分」
アゼリアは受け取ると、柔らかく微笑んだ。
「感謝します」
「んで、こっちはリアだ」
ぽすっ。
リアは慌てて両手で受け止める。
予想より重かった。
「……え?」
袋を開く。
中には金貨が数枚。
きらりと光を反射している。
リアは何度も瞬きをした。
「……これ、私の?」
ロゼルは不思議そうな顔をする。
「他に誰がいるんだよ」
「で、でも……」
リアの耳が戸惑うように揺れた。
「こんな大金……」
声が小さくなる。
「私なんかが貰っていいの……?」
その言葉に、アゼリアがくすりと笑った。
「もちろんですよ」
リアが振り向く。
アゼリアは優しく続けた。
「リアは十分活躍しました」
「でも……」
「オークファイターの目を射抜いたのは誰でしたか?」
リアが言葉に詰まる。
「それに」
アゼリアは微笑んだまま言った。
「私を助けてくださった矢もありました」
リアの耳がぴくりと動いた。
ロゼルも腕を組む。
「いいから貰っとけ」
ぶっきらぼうな口調。
だが、その赤い瞳はどこか満足そうだった。
「それはお前が得た正当な報酬だ」
リアは袋を見る。
金貨。
自分の金貨。
誰かに命じられて稼いだ金ではない。
誰かに取り上げられるための金でもない。
自分が戦い、自分で手に入れた報酬。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
ぎゅっと袋を抱きしめた。
「……そっか」
小さく呟く。
そして照れ臭そうに顔を背けた。
「じゃあ……遠慮なく貰っとく」
だが。
尻尾だけは隠せなかった。
ぶん。
ぶん。
ぶん。
嬉しそうに左右へ揺れている。
ロゼルが吹き出した。
「尻尾が正直すぎるだろ」
「う、うるさい!」
リアが顔を真っ赤にする。
アゼリアも口元に手を当てて笑った。
初めての依頼。
初めての報酬。
初めて仲間と分け合う戦果。
リアは金貨の入った袋を胸に抱えながら、小さく思った。
――冒険者になってよかった。
そう思えるくらいには。
今の自分は、少しだけ幸せだった。
リアが初めての報酬を胸に抱え、夢見心地になっていた時だった。
「やぁ、ロゼル君だったかな?」
背後から声がかかる。
振り向くと、そこにはセレナと《紅蓮の牙》の仲間たちが立っていた。
戦闘の時と同じ軽装鎧。
だが、先ほどまでの張り詰めた空気はなく、皆どこか晴れやかな表情をしている。
ロゼルは軽く手を上げた。
「よお、お疲れ様」
セレナが小さく笑う。
「君達もな」
そう言うと、少しだけ表情を柔らかくした。
「これから仲間達と打ち上げに行くんだが」
琥珀色の瞳が三人を見る。
「どうかな? 君達も来ないか?」
ロゼルは隣を見る。
アゼリアはにこりと微笑んだ。
リアは目を輝かせながら何度も頷いている。
その様子を見たロゼルの口元がニヤリと吊り上がった。
「奢りかい?」
セレナは思わず吹き出した。
「ははは!」
肩を揺らして笑う。
「君達の分は我がパーティが持とう」
その瞬間。
ロゼルの笑みが深くなった。
「なら喜んで付き合うさ」
「そう言ってくれると思ってね」
セレナは頷く。
「近くの酒場に席を用意してある」
そして踵を返した。
「それじゃ行こうか」
――――――
酒場はすでに賑わっていた。
木造りの広い店内。
焼いた肉の匂い。
香辛料の香り。
酒の匂い。
冒険者たちの笑い声。
店員たちが忙しそうに駆け回っている。
セレナ達が確保していた長テーブルへ、一同は腰を下ろした。
すると。
「おーい!!」
ドワーフのラウルが店員へ向かって怒鳴る。
「酒をじゃんじゃん持ってこい!」
太い指を振りながら叫んだ。
「それと魚だ! 焼いたやつを山ほどな!」
店員が慌てて頭を下げる。
「かしこまりました!」
しばらくすると。
よく冷えたエール。
琥珀色の火酒。
葡萄酒。
果実酒。
様々な酒が次々と運ばれてきた。
さらに焼き魚や肉料理も並ぶ。
あっという間にテーブルは宴会状態になった。
「おお……」
リアの耳がぴんと立つ。
「すごい……」
ロゼルは迷わずエールを掴んだ。
リアは葡萄酒を選ぶ。
アゼリアは静かに果実酒の入ったグラスを手に取った。
全員に酒が行き渡ったところで。
セレナが立ち上がる。
コホン、と咳払い。
自然と周囲の視線が集まった。
「皆」
静かな声。
だがよく通る。
「オーク討伐、ご苦労だった」
場が静まる。
「なかなかの強敵だったが」
セレナの視線がロゼル達へ向く。
「ここにいるロゼル君一行の助力もあり、無事撃退することができた」
《紅蓮の牙》の面々も頷く。
ラウルなどは腕を組みながら、
「まったくだ」
と豪快に笑っている。
セレナはグラスを掲げた。
「今日は私の奢りだ」
歓声が上がる。
「好きなだけ飲んでくれ」
そして。
少しだけ口元を緩めた。
「では――乾杯」
「乾杯!!」
無数の声が重なる。
グラス同士がぶつかる音が響いた。
だが。
セレナの言葉が終わるか終わらないかのタイミングで。
ラウルはすでに飲み始めていた。
ゴクッ。
ゴクッ。
ゴクッ。
「ぷはぁぁぁぁ!!」
巨大なジョッキが一瞬で空になる。
周囲が笑う。
「早ぇよ!」
「まだ乾杯終わってねぇぞ!」
ラウルは豪快に笑った。
「細かいことは気にするな!」
そして空になったジョッキを掲げる。
「次だ!!」
もう次の酒へ手を伸ばしていた。
ロゼルも負けていない。
エールを一気に煽る。
冷たい液体が喉を駆け抜ける。
「ぷはっ!」
満足そうに息を吐いた。
「やっぱ仕事の後の酒は最高だな」
その隣では。
リアが両手で葡萄酒のグラスを持っている。
ちびり。
ちびり。
まるで高級品でも味わうように少しずつ飲んでいた。
「おいしい……」
頬が少し赤い。
尻尾もご機嫌そうに揺れている。
一方。
アゼリアは静かだった。
グラスを口元へ運ぶ。
だが。
実際には唇を少し濡らす程度。
飲んでいるふりをしているだけだ。
その様子をロゼルがちらりと見る。
だが何も言わない。
代わりにエールを一口飲み、焼き魚へと手を伸ばした。
その時だった。
「アゼリアさん」
優しげな声がかかる。
顔を上げると、《紅蓮の牙》の僧侶――シルが微笑んでいた。
栗色の髪を肩で揃えた女性だ。
手には葡萄酒のグラスを持っている。
「アゼリアさんも、お酒は苦手なんですか?」
アゼリアは一瞬だけ目を瞬かせた。
シルは少し照れくさそうに笑う。
「実は私もあまり得意じゃなくて」
グラスを見つめる。
「味は好きなんですけどね」
アゼリアは柔らかく微笑んだ。
「そ、そうですね」
少しだけグラスを持ち上げる。
「私もあまり得意ではありません」
そして穏やかに笑った。
「一緒ですね」
シルの顔がぱっと明るくなる。
「ですよね!」
どうやら話し相手を見つけて嬉しかったらしい。
そこからは止まらなかった。
好きな食べ物。
冒険者になった理由。
神殿での失敗談。
最近覚えた治癒魔法。
シルは次々と話題を持ち出す。
アゼリアは急かすこともなく、
「はい」
「なるほど」
「それは大変でしたね」
と優しく相槌を打ちながら話を聞いていた。
まるで年の離れた妹の話を聞く姉のようだった。
ロゼルはその様子を横目で眺める。
そして香ばしく焼かれた魚をぱくりと齧った。
「うま」
誰に言うでもなく呟く。
その隣では――
「リア殿」
低い声がかかった。
振り向くと、《紅蓮の牙》の盾役であるランスがいた。
大柄な男だ。
手にはエールのジョッキ。
「弓での援護、感謝する」
リアがきょとんとする。
ランスは真面目な顔で続けた。
「おかげで皆助かった」
少しだけ視線を落とす。
「皆を守るのは盾役である私の仕事なんだがな」
苦笑が漏れる。
「不甲斐ないばかりだ」
リアは慌てて首を振った。
「そ、そんなことないわよ!」
ランスは肩をすくめる。
そして話題を変えるように尋ねた。
「ところで」
「弓の腕はどうやって磨いたんだ?」
リアは葡萄酒から口を離した。
頬は少し赤い。
耳もほんのり熱を持っているように見える。
「故郷のおじいちゃんに習ったの」
少し懐かしそうな顔になる。
「おじいちゃん、元冒険者だったのよ」
ランスの眉が上がる。
「ほう」
リアは得意げに胸を張った。
「昔は結構有名だったらしいわ」
「らしい?」
ランスが笑う。
リアもつられて笑った。
「私が生まれるずっと前の話だもの」
そう言って葡萄酒を一口飲む。
「でもね」
少しだけ誇らしそうに続けた。
「弓だけは本当に凄かったの」
尻尾がゆらゆら揺れる。
「森の向こうの木の実も外さなかったんだから」
「それは凄いな」
ランスが感心したように頷く。
リアはえへへ、と笑った。
いつの間にか。
ロゼルとラウルの前には空いたジョッキが何本も並んでいた。
「まだまだぁ!」
ラウルが火酒を煽る。
ゴクゴクゴクッ!
豪快な飲みっぷりだ。
周囲から歓声が上がる。
「おおーっ!」
「さすがドワーフ!」
だが。
向かい側に座るロゼルも負けていない。
エールのジョッキを持ち上げる。
ゴクッ。
ゴクッ。
ゴクッ。
そして。
空になったジョッキを机へ置いた。
「ぷはっ」
平然としている。
ラウルの眉がぴくりと動いた。
「まだ飲めるな?」
ロゼルが不敵に笑う。
「そっちこそ」
二人の間に火花が散る。
周囲では苦笑が広がっていた。
ランスが額を押さえる。
「ほどほどにしろよ、ラウル」
「うるさい!」
ラウルが一蹴する。
「男には負けられん時があるんじゃ!」
「相手子供だぞ」
「関係あるか!」
即答だった。
周囲がどっと笑う。
セレナも苦笑していた。
だが視線はロゼルへ向いている。
「……大丈夫なのか?」
少し心配そうな声。
普通なら、とっくに潰れていてもおかしくない量だ。
しかし。
ロゼルは顔色一つ変えていない。
リアは完全に面白がっていた。
椅子の上で尻尾をぶんぶん振る。
「ロゼルいけー!」
「負けるなー!」
「やっちまえー!」
どちらの味方なのか分からない応援だ。
ロゼルが笑う。
「任せろ」
そして再びジョッキを掴んだ。
勝負はさらに続いた。
十分後。
机の上には大量の空ジョッキ。
そして――
「ぐっ……」
ラウルが机に突っ伏した。
顔が真っ赤だ。
「ば、馬鹿な……」
震える手でロゼルを指差す。
「なんで酔わんのじゃ……」
ロゼルはエールを飲み干す。
「酒に強いからだろ」
あっさり言った。
周囲から爆笑が起きる。
「はははは!」
「ラウル負けた!」
「ドワーフが酒で負けるとか初めて見たぞ!」
ラウルが悔しそうに歯噛みした。
「ぐぬぬぬぬ……」
しかし。
ドワーフは諦めない。
ばんっ!
勢いよく机を叩く。
「なら次じゃ!」
ロゼルが眉を上げる。
「ん?」
ラウルが腕まくりした。
筋肉が盛り上がる。
「腕相撲だ!」
酒場の空気が一気に盛り上がる。
「おおっ!」
「そっちか!」
「いいぞラウル!」
ラウルが吠えた。
「酒で負けても力では負けん!」
その言葉に。
ロゼルの口元がゆっくり吊り上がる。
赤い瞳が細くなる。
「いいぜ?」
テーブルへ肘を置く。
小さな手を差し出した。
「その勝負、受けて立つ」
ラウルがニヤリと笑う。
ロゼルも笑う。
周囲の冒険者達は固唾を呑んで見守った。
――なお、この場でロゼルの怪力を知らない者は、まだラウルの勝利を疑っていなかった。
「それじゃあ私が審判やるわ!」
リアが勢いよく立ち上がる。
顔はほんのり赤い。
葡萄酒が回り始めているらしい。
周囲の冒険者達も面白そうに集まってきた。
即席の観客席だ。
テーブルの中央。
ロゼルとラウルが向かい合う。
互いに肘をつき、手を組む。
小さな手。
そしてドワーフの太い手。
どう見ても勝負にならない。
普通なら。
「よーい……」
リアが二人を見る。
尻尾がぴんと立つ。
「スタート!!」
その瞬間だった。
「ぬおおおおおおおおっ!!」
ラウルが吠える。
筋肉が膨れ上がる。
腕の血管が浮き出る。
顔が真っ赤になる。
全体重を乗せて押し込んだ。
ビシッ!!
メキッ!!
嫌な音が酒場に響く。
周囲から悲鳴が上がった。
「おいテーブル!」
「壊れるぞ!」
だが。
ロゼルの腕は。
ピクリとも動かない。
まるで岩だった。
ラウルの顔から笑みが消える。
「な……」
さらに力を込める。
筋肉が震える。
歯が軋む。
汗が噴き出す。
「な、なんじゃこれは!?」
目を見開く。
「う、動かん……!」
最早涙目だった。
ロゼルはそんなラウルを見ながら、
口に咥えた爪楊枝をくるりと回した。
そして退屈そうに言う。
「ん?」
赤い瞳が細くなる。
「そろそろ始めないか?」
酒場が静まる。
「酒が飲み足りないんでね」
ニヤリ。
不敵な笑み。
ラウルの額に青筋が浮いた。
「なっ……!」
「バカにしよってぇぇぇぇ!!」
フンガーッ!!
雄叫びと共にさらに力を込める。
顔の血管が今にも破裂しそうだ。
「ぬぉぉぉぉぉぉ!!」
「おおおおおお!!」
なぜか周囲まで応援し始める。
だが。
ロゼルは変わらない。
まるで昼寝でもしているかのような気楽さだ。
そして。
「よっと」
本当に軽い調子で言った。
次の瞬間。
ラウルの体が浮いた。
「へ?」
本人が一番驚いていた。
組まれた腕ごと。
椅子ごと。
ドワーフの巨体が持ち上がる。
そして――
ゴロン。
床へ転がった。
酒場が静まり返る。
誰も理解できなかった。
ラウルは床に転がったまま瞬きを繰り返す。
「…………」
「…………」
「…………え?」
完全に思考が止まっていた。
セレナも目を見開いている。
ランスなどは飲んでいたエールを吹きそうになっていた。
シルは口元を押さえて固まっている。
ロゼルは何事もなかったようにジョッキを持ち上げた。
「で?」
エールを一口飲む。
「続きやるか?」
ラウルが首をぶんぶん振った。
「やらん!!」
即答だった。
その瞬間。
リアが椅子の上へ飛び乗る。
「勝者ぁーーーっ!!」
ビシッとロゼルを指差す。
「ロゼルーーーっ!!」
顔は真っ赤。
完全に酔いが回っている。
周囲から歓声が上がった。
「おおおおおお!!」
「なんだあの子!」
「化け物か!?」
「ドワーフ投げ飛ばしやがった!」
酒場は爆笑と歓声に包まれた。
その中心で。
ロゼルだけが平然とエールを飲み続けていた。
「そら見た事か」
ジョッキを置く。
「見た目で判断するなってな」
ラウルは床に転がったまま、
心の底から思った。
――妖怪じゃろ、こいつ。
そして近くの席でリアが、
「それ私も言った!」
と笑っていた。




