ランドへの報告
部屋に差し込む朝の光で、ロゼルはゆっくりと目を開けた。
「……ん」
まだ少し重い頭を起こし、ベッドの上で体を起こす。
昨日の馬車の揺れが、ほんのわずかに記憶の底で揺れていた。
「……最悪だったな……」
ぼそりと呟く。
だが――
ふわりと、いい香りが鼻をくすぐった。
視線を向ける。
小さな机の上に、整えられた朝食。
卵料理に、色鮮やかな果物。
湯気の立つ紅茶。
そして、その横に立つアゼリア。
「おはようございます、ロゼル様」
静かな声。
いつも通りの、落ち着いた佇まいだった。
ロゼルは一瞬だけ目を細める。
それから、机の方へ視線を戻した。
「……これ、お前が作ったのか?」
素直な疑問。
アゼリアは小さく頷く。
「はい。宿屋の主人に厨房を借りました」
少しだけ間を置いて、
「お味はいかがでしょうか?」
ロゼルは無言でフォークを取る。
卵をひと口。
「……」
一瞬、止まる。
そして――
「うまい!」
即答だった。
そのまま、迷いなく食べ進める。
「マジでうまいなこれ……」
「昨日の気持ち悪さ、全部吹っ飛ぶわ」
半ばがっつくように平らげていく。
アゼリアはその様子を、少しだけ安心したように見ていた。
やがて食事を終え、紅茶を一口。
「……ふぅ」
一息つく。
「生き返るみたいだ」
その言葉に、アゼリアはわずかに微笑んだ。
支度を整え、二人は宿を出る。
朝の街は、すでに動き出していた。
通りには人の流れ。
露店が並び、威勢のいい声が飛び交う。
荷車が行き交い、鉄のぶつかる音や、遠くから聞こえる鍛冶の音が重なる。
活気。
喧騒。
生きている街の音。
ロゼルはそれを横目に見ながら、肩に斧を担いで歩く。
アゼリアはその半歩後ろ。
「ロゼル様」
静かに声をかける。
「昨日の方々ですが……」
ロゼルは視線を前に向けたまま答える。
「ああ、あいつらか」
アゼリアは続ける。
「以前、ロゼル様に返り討ちにされた方々ですよね?」
「話があると仰っていましたが……何か心当たりは?」
ロゼルは軽く鼻で笑う。
「さぁな」
興味なさそうに一言。
「そういう連中の話なんざ」
一拍。
「いい話も、悪い話も――だいたい悪い話だろうよ」
ぶっきらぼうな結論。
アゼリアはそれ以上は踏み込まず、小さく頷いた。
「……そうですね」
通りの端。
ぼろ布をまとった子供たちが、壁際に座り込んでいる。
視線だけが、通行人へ向けられていた。
ロゼルは足を止める。
ポケットから、無造作に小銭を取り出し――
投げるでもなく、
押し付けるでもなく、
ぽん、と軽く渡した。
「ほら」
短くそれだけ。
子供たちは一瞬ぽかんとし、
次の瞬間、慌てて頭を下げる。
「ありがとう……!」
ロゼルはもう見ていない。
そのまま歩き出す。
アゼリアが、横で小さく言う。
「……優しいのですね」
ロゼルは顔も向けずに返す。
「気分だ」
それだけだった。
人の流れを抜け、
大通りを進み――
やがて見えてくる。
大きな建物。
出入りする冒険者たち。
武装した者、疲れ切った者、笑っている者。
ざわめきの質が変わる。
「……着いたな」
ロゼルが小さく言う。
その視線の先――
ギルド。
「報告だ」
短く、いつもの調子で。
アゼリアも静かに頷いた。
「はい」
二人は、そのまま中へと足を踏み入れた。
次の面倒ごとが待っているとも知らずに――。
ギルドの扉を押し開けると、空気が変わる。
喧騒はそのまま。
だが、質が違う。
鉄の匂い。
革の軋み。
荒い笑い声と、苛立った怒号。
依頼を受ける者。
戻ってきた者。
結果を突きつけられる者。
その全てが、入り混じっていた。
ロゼルは気にした様子もなく、その中を真っ直ぐ進む。
カウンターの前。
忙しなく書類を捌いている受付嬢に声をかけた。
「――おい」
短い呼びかけ。
受付嬢は顔も上げずに、
「少々お待ちくださ――」
言いかけて、止まる。
顔を上げる。
ロゼルとアゼリアを見た瞬間、
わずかに目を見開いた。
「あ……」
ロゼルはそのまま言葉を続ける。
「受けた依頼の報告に来たんだが」
一拍。
「ランドさんに繋いでもらえるか?」
淡々とした口調。
「ロゼルとアゼリアが来たって言えば、分かるはずだ」
受付嬢はすぐに姿勢を正した。
「かしこまりました」
先ほどまでの事務的な声とは違う。
明らかに、丁寧さが増している。
「待合室で少々お待ちください」
「今、ランドにお伝えいたします」
ロゼルは軽く顎を引いた。
「頼む」
案内されたのは、ギルドの奥にある小さな部屋だった。
外の喧騒が嘘のように、静かだ。
簡素だが、整えられた室内。
柔らかな椅子。
小さな机。
ロゼルは部屋の中を一瞥し、
ゆっくりと腰を下ろした。
「……へぇ」
小さく呟く。
しばらくして、先ほどの受付嬢が紅茶を持って戻ってきた。
「お待たせしました」
丁寧にカップを置く。
湯気が、静かに立ち上る。
ロゼルはそれを見て――
ほんのわずかに、口元を歪めた。
(……こんな扱い、初めてだな)
昔の自分なら。
この姿になる前の自分なら。
ギルドに来ても、
立ったまま待たされるのが当たり前だった。
呼ばれることすら遅く、
対応も雑で。
「……は」
小さく、苦笑が漏れる。
情けなさか。
皮肉か。
自分でもよく分からない笑いだった。
一方で――
アゼリアは、紅茶に手をつけていなかった。
ただ静かに、カップを前にしたまま座っている。
受付嬢が、それに気づく。
一瞬だけ視線が揺れ、
少し気まずそうに口を開いた。
「……あの」
遠慮がちな声。
「紅茶は、お嫌いでしたでしょうか……?」
アゼリアは顔を上げる。
そして、やわらかく首を振った。
「そんなことはありませんよ」
静かな声。
「少し冷ましてから飲むのが好きなんです」
その言葉に、受付嬢の表情がふっと緩む。
「あ、そうでしたか……」
ほっとしたように、小さく息を吐いた。
「よかった……」
それだけ言って、軽く頭を下げると、
静かに部屋を後にする。
扉が閉まる。
再び、静寂。
ロゼルはその様子を横目で見ながら、
カップに手を伸ばした。
「……ずいぶん丁寧じゃねぇか」
ぼそりと呟く。
紅茶を一口。
「……悪くねぇ」
ぽつりと、そんな感想を落とした。
やがて――
コンコン、と軽いノック。
「入るぞ」
低く落ち着いた声とともに、扉が開く。
入ってきたのはランドだった。
無駄のない動きで室内に入り、二人を見渡す。
「二人とも、ご苦労だったな」
短く労う。
そのまま向かいの椅子に腰を下ろした。
「もっと時間がかかると思っていたが……流石だ…」
わずかに口元を緩める。
だがすぐに、表情は仕事の顔に戻った。
「早速だが――」
視線が、まっすぐロゼルへ向く。
「村で何があったか、報告してくれるか?」
ロゼルはカップを置いた。
一度だけ、軽く首を鳴らす。
「……ああ」
短く返す。
そのまま、背もたれに寄りかからずに前へ少し体を傾けた。
「村人や、道行く行商が襲われてた理由だが――」
一拍。
「攫った村人に、何か実験みてぇなことしてる連中がいる」
ランドの眉が、わずかに動く。
ロゼルは続ける。
「ただの誘拐じゃねぇ」
「連中、“人間に何かを仕込んでる”」
ロゼルはわずかに視線を落とし、続けた。
「あと――村の周りで家畜が襲われてた件だが」
一拍。
「アレも原因は同じだ」
ランドの視線が鋭くなる。
ロゼルは淡々と言った。
「襲ってたのは……村人だった」
空気が、静かに沈む。
「正確には、“元”だな」
低い声。
「人の形は、ほとんど残っちゃいなかった」
「無理やり引っ張り出された力に、体が耐えきれてねぇ感じだった」
ほんのわずかに、眉が寄る。
「理性も飛んでたな。完全に暴走状態だ」
ランドは何も言わず、ただ聞いている。
ロゼルは短く息を吐いた。
「……だから」
一拍。
「俺が始末をつけた」
言い切る。
そこに、迷いはなかった。
ただ事実として、そこに置かれる。
静寂。
ランドの指が、机を軽く叩く。
「……そうか」
低く、短く呟いた。
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「村人を攫っていた相手も普通じゃなかった」
視線がわずかに鋭くなる。
「まるで――魔物の力を、無理やり引っ張り出してるみてぇな感じだったな」
静かに、だが確信を持って言い切る。
ランドは腕を組み、黙って聞いている。
ロゼルは顎でアゼリアを示した。
「こいつの相手も同じだ」
アゼリアが静かに口を開く。
「はい」
落ち着いた声。
「対象は、毒性および異形化の特性を一時的に発現させていました」
「いずれも制御が不完全で、極めて不安定な状態でした」
ランドの視線が細くなる。
「……なるほど」
低く呟く。
「人体に、魔物の特性を――か」
部屋の空気が、わずかに重くなる。
ロゼルは肩をすくめた。
「“改造”って感じじゃねぇな」
「どっちかって言うと……」
少し考えてから、
「無理やり“憑けてる”って方がしっくりくる」
ランドはしばらく沈黙したまま考える。
指先で机を軽く叩きながら。
「共通している、か……」
やがて顔を上げる。
「他に、気づいたことは?」
ロゼルは短く息を吐いた。
「“処理役”って名乗る奴がいた」
ランドの目がわずかに鋭くなる。
「処理役?」
「ああ」
「後始末専門って感じの動きだったな」
一拍。
「ってことは――」
ロゼルの視線が、まっすぐランドを捉える。
「本体は別にいる」
静かに言い切る。
ランドは、ゆっくりと頷いた。
「……間違いないだろうな」
その声は低く、重い。
「これは単発の事件じゃない」
部屋の空気が、完全に切り替わる。
依頼報告ではなく――
“案件”になった。
ランドは一度、深く息を吐いた。
「……厄介な話を持ち帰ってくれたな」
だが、その目はすでに次を見据えていた。
ランドは腕を組んだまま、わずかに視線を落とす。
「……今回の件で、何か手掛かりや引っ掛かる点はあるか?」
静かだが、探るような声音。
ロゼルは小さく息を吐いた。
「連中の持ち物は一通り探った」
指で軽く机を叩く。
「だが――ほとんど使えそうなもんはなかったな」
一拍。
「身元に繋がるような物も無し。統一された装備も無し」
「徹底して“足がつかねぇようにしてる”感じだ」
ランドの眉がわずかに寄る。
ロゼルは肩をすくめた。
「これ以外はな」
そう言って――
懐から、何かを取り出し。
コト、とテーブルの上に置いた。
細い筒。
金属と硝子でできた、小さな器具。
――注射器。
室内の空気が、わずかに変わる。
ロゼルはそれを指で軽く押した。
「中身は割れちまってて、残ってねぇが」
視線をランドへ向ける。
「この形には見覚えがある」
低く言い切る。
「数年前から、この迷宮都市で流行ってる薬物に使われてる注射器と同じだ」
ランドの目が、はっきりと細くなる。
一瞬。
何かが、繋がった。
「……なるほど」
小さく呟く。
「そういうことか……」
ゆっくりと背もたれに体を預ける。
「スリーポイント絡みの事件かもしれんな……」
その言葉に――
アゼリアが、わずかに首を傾ける。
「……スリーポイントとは、なんでしょうか?」
素直な疑問。
ロゼルが小さく鼻を鳴らす。
「ああ、お前は知らなかったな」
軽く顎をしゃくる。
「この都市に巣食ってる、三つのマフィアの通称だ」
指を三本、軽く立てる。
「それぞれ縄張り持っててな」
「薬、裏取引、人攫い……まあ、碌でもねぇことは大体あいつらが絡んでる」
視線が、テーブルの注射器へ落ちる。
「で、その薬物ってのも――そいつらのシノギの一つだ」
アゼリアの青い瞳が、静かに細まる。
「では今回の件も……」
ロゼルは肩をすくめた。
「可能性は高いな」
ランドがゆっくりと頷く。
「少なくとも、無関係とは考えにくい」
指先で机を軽く叩く。
「人体実験まがいの行為に、違法薬物の流通……」
低く、重い声。
「もしスリーポイントのどこかが動いているとすれば――」
一拍。
「これはかなり大きな案件になるぞ」
部屋の空気が、さらに一段階重くなる。
ロゼルはつまらなそうに息を吐いた。
「はぁ……面倒くせぇ」
ランドは一度、注射器へ視線を落とし――ゆっくりと息を吐いた。
「……こちらからも、さらなる情報を探ってみよう」
静かに言う。
「また進展があれば――君達二人に声をかけるかもしれん」
その言葉に。
ロゼルの顔が、露骨に歪んだ。
「……はぁ?」
嫌そうに眉を寄せる。
「マフィア絡みは面倒だからな」
肩をすくめる。
「正直、関わりたくねぇんだがね」
遠慮のない本音。
ランドは、それを聞いても特に表情を変えない。
むしろ、わずかに口元を緩めた。
「そう言うな」
落ち着いた声。
「ギルドが後ろ盾になる」
「単独で首を突っ込むわけではない」
一拍。
「それに――報酬もいいぞ?」
その言葉に、ロゼルの目がわずかに細くなる。
ランドはその変化を見逃さない。
「……報酬といえば」
軽く話を切り替える。
「今回の件、受付嬢には話を通しておく」
「後で受け取ってくれ」
そして、少しだけ間を置いた。
「それと――」
視線が二人へ向く。
「おめでとう」
短く告げる。
ロゼルが眉を上げる。
ランドは続けた。
「君達は明日から、Dランクだ」
空気が、わずかに止まる。
「ギルド長には、すでに了解を得ている」
はっきりと言い切る。
ロゼルは数秒、無言だった。
それから――
「……は?」
間の抜けた声が漏れる。
「おいおい、いきなりかよ」
呆れたように息を吐く。
だが、その口元はわずかに歪んでいた。
「昇格試験も何もなしでか?」
ランドは肩をすくめる。
「今回の働きは、それに値すると判断された」
「それだけの話だ」
簡潔な答え。
ロゼルは小さく舌打ちする。
「……面倒な案件押し付けるための餌だろ、それ」
ランドは否定もしない。
ただ、静かに返す。
「それでも、受ける価値はあると思うがな」
視線が、真っ直ぐロゼルを射抜く。
ロゼルはその視線を受けて――
「……チッ」
小さく舌を鳴らした。
「まぁ、ランクが上がるのは悪くねぇか」
ぶっきらぼうに言う。
その横で、アゼリアが静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
落ち着いた声。
ランドは小さく頷いた。
「話は以上だ。ひとまずは休め」
静かにそう告げた。
ギルドの待合室を出ると、空気が少しだけ軽くなる。
ロゼルは肩を鳴らしながら、カウンターの方へ歩いていった。
受付嬢を見つけると早速声をかける。
「ランドのおっちゃんから話が通ってるはずだ。報酬をもらいに来た」
受付嬢はすぐに気づき、丁寧に一礼する。
「はい、ロゼル様。今回の依頼報酬になります」
差し出されたのは――重みのある革袋。
テーブルの上に置かれ、口が開かれる。
中から現れたのは、ぎっしりと詰まった金貨。
光が反射して、わずかにきらめく。
「……へぇ」
ロゼルの口元が、にやりと歪んだ。
「ずいぶん気前いいじゃねぇか」
軽く指で一枚弾く。
硬貨同士が触れ合い、乾いた音が鳴る。
「四十枚、か」
満足そうに呟くと、ロゼルはそれを無造作に二つに分けた。
そして片方を、巾着ごとアゼリアへ差し出す。
「ほら」
突然の動きに、アゼリアがきょとんとする。
青い瞳が、巾着とロゼルの顔を行き来する。
「……これは、なんでしょう?」
ロゼルは肩をすくめた。
「決まってんだろ」
軽く言う。
「俺達は今日から正式にコンビだ」
一拍。
「つまり、報酬は山分けってことだ」
そのまま、軽く笑う。
「これからもよろしくな、アゼリア」
アゼリアの目が、わずかに見開かれる。
巾着の重みを、両手で受け止めながら――
「……こんなに多く……!」
思わず声が漏れる。
すぐに、ぶんぶんと首を振った。
「頂けません!」
慌てたように一歩引く。
「私は、ロゼル様と居られれば……それで満足なんですから」
あわあわと、言葉が追いつかない様子で続ける。
だが――
ロゼルは、ため息混じりに眉を寄せた。
「いいから受け取れって」
ぐい、と巾着を押し付ける。
「これはお前の取り分だ」
短く、はっきりと言う。
「使うも捨てるも、お前の好きにすればいい」
アゼリアの手の中に、ずしりと重みが残る。
逃げ場は、もうない。
しばらく迷うように視線を揺らし――
やがて、そっと握りしめた。
「……あ、ありがとうございます……ロゼル様」
小さく、だが確かな声。
その頬が、ほんのわずかに緩んでいた。
ロゼルはそれを見て、ふっと鼻で笑う。
「大げさなんだよ、お前は」
ロゼルは鼻で笑い、残りの金貨を懐にしまい込んだ。
「その分――きっちり働けよ」
ぶっきらぼうに言い捨てる。
アゼリアは、手の中の巾着をそっと持ち上げた。
ずしりとした重み。
口を開きかけて――閉じる。
また開いて――言葉が出てこない。
「……あの……」
小さく呟く。
視線が揺れる。
それでも、巾着だけはしっかりと抱きしめていた。
その仕草はまるで――
初めて大切なものをもらった子供のようだった。




