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聖血のロゼル  作者: チョコレートスターフィッシュ
第二章

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32/36

夜の静寂

村長の家の中は、静かだった。

外と同じように、何事もない朝の延長のような空気。

だが、その中にだけわずかな張り詰めた気配がある。

部屋の奥、壁際。

ロゼルは腕を組んだまま、扉の方を見ていた。

「……遅ぇな」

小さく呟く。

村長から話は聞いている。

レイラがいなくなったこと。

アゼリアが一人で追ったこと。

だからこそ――待っている。

落ち着いているようで、落ち着いていない。

足が、わずかに床を叩いた。

そのとき。

――扉が開いた。

「……戻りました」

アゼリアの声。

その背に――レイラ。

細い腕が、力なく肩に回されている。

顔はアゼリアの背に埋もれ、ぐったりと重みを預けていた。

衣服は乱れ、土と擦れた跡が残っている。

頬には乾ききっていない涙の筋。

呼吸はある。

だが浅く、不安定に上下していた。

「……!」

村長が、椅子を弾くように立ち上がる。

杖をつくことも忘れ、ふらつきながら駆け寄る。

「レイラ……! レイラ……!」

震える手が、恐る恐るその頬に触れる。

冷たいわけではない。

だが――弱い。

「……っ」

言葉にならない息が漏れる。

顔を近づける。

呼吸を確かめるように。

「……生きとる……」

絞り出すような声。

その瞬間、膝から力が抜けかける。

「大丈夫です」

アゼリアが静かに言う。

「命に別状はありません。消耗しているだけです」

その言葉で、ようやく村長は息を吐いた。

崩れそうになる体を支えながら、何度も頷く。

「よかった……よかった……」

繰り返す声は、ほとんど祈りだった。

アゼリアはゆっくりと膝をつき、レイラを寝台へと下ろす。

頭を支え、そっと横たえる。

その動きは、どこまでも丁寧だった。

ロゼルは少し離れた場所から、それを見ている。

ロゼルは少し離れた場所から、それを見ている。

一拍。

「……二人とも無事でよかったぜ」

ぶっきらぼうに言う。

だが視線は、寝台のレイラと、その傍にいるアゼリアへ向いていた。

「それで?」

わずかに顎をしゃくる。

「何があったんだ?」

アゼリアは一度だけレイラに視線を落とし、容態を確認する。

小さく息を整えてから、ロゼルへ向き直った。

「……森の中で、レイラちゃんを発見しました」

声は落ち着いている。だが、ほんのわずかに硬い。

「既に拘束されており、犯人と接触しました」

ロゼルの眉がわずかに動く。

「単独か?」

「はい。ですが――」

一拍。

「ただの人間ではありませんでした」

短く、要点だけを落とす。

ロゼルは小さく鼻を鳴らした。

「……だろうな」

興味はある。だが驚きはない。

「で?」

視線が細くなる。

「始末はついてるんだろ」

アゼリアは静かに頷いた。

「……はい。脅威は排除しました」

その言葉に、村長がびくりと肩を震わせる。

だが口は挟まない。

ただ、レイラの手を握りしめている。

ロゼルはその様子を一瞬だけ見て――すぐに視線を戻す。

「そうか」

短い返答。

それだけで十分だった。

そして今度は、ロゼルの方が口を開く。

「こっちも当たりだ」

アゼリアの青い瞳がわずかに揺れる。

「……ロゼル様も?」

「ああ」

肩を軽く回す。

「“処理役”とか抜かしてた奴が出てきた」

吐き捨てるように言う。

アゼリアの青い瞳が、わずかに細くなる。

「処理役……ですか」

「そうだ」

ロゼルは軽く肩をすくめた。

「村人を攫ってる仲間の“後始末係”って感じだったな」

一拍。

「で、そいつも並の人間じゃなかった」

アゼリアが視線を上げる。

ロゼルは続ける。

「……まるで“魔物の力を無理やり引っ張り出してる”みたいな感じだったな」

その言葉に、アゼリアの表情がわずかに動く。

「……同様です」

静かな声。

ロゼルは視線を細める。

「そっちもか」

アゼリアは頷く。

「はい。対象は、毒性と異形化の特性を一時的に発現させていました」

ロゼルは舌打ちする。

「やっぱ同じだな」

腕を組む。

「“改造”ってよりは――」

少し間を置く。

「魔物の力を、無理やり人間に“憑けてる”感じだ」

アゼリアが静かに補足する。

「……定着しているわけではなく、制御も不完全でした」

ロゼルは頷く。

「だから暴走気味か」

視線が、わずかに冷える。

「どいつもこいつも、“借り物の力”ってわけだな」

一拍。

そして、短く吐く。

「気持ち悪ぃ連中だ」

その言葉に、村長が小さく息を呑む。

ロゼルは気にせず続ける。

「で、共通してるってことは――」

アゼリアを見る。

「裏で同じもん掴ませてる奴がいるってことだろ」

アゼリアは、静かに頷いた。

「はい」

「同一の技術、もしくは組織の関与がある可能性が高いです」

ロゼルは軽く目を閉じる。

そして、すぐ開く。

「面倒くせぇ話になってきたな」

軽く吐き捨てる。

ロゼルは軽く息を吐いた。

「とにかく一旦街に戻ってギルドに報告だな」

視線をアゼリアへ向ける。

「これ以上、単独で探っても情報が薄い」

アゼリアは一度だけ頷いた。

「……はい。了解しました」

村長はまだレイラの手を握ったまま、小さく何度も頷いている。

「……本当に、ありがとうございますじゃ……」

ロゼルはそれに軽く手を振る。

「礼はギルド通してくれりゃいい」

ぶっきらぼうに言って、踵を返した。

「今日はもうここまでだな」

その一言で、空気が少しだけ緩む。

アゼリアも静かに頷いた。

「明日の朝、出発しましょう」

ロゼルは軽く肩をすくめる。

「それでいい」

そう言って、その場の話は区切られた。



その夜。

村長の家は、静けさに包まれていた。

外から聞こえるのは、風が木々を揺らすかすかな音だけ。

部屋の中では、レイラが寝台に横たえられたまま、浅い眠りを続けている。

その傍らに、アゼリアは座っていた。

背筋は崩さないまま、ただじっとレイラを見守っている。

(……体温は安定している)

指先で額に触れ、呼吸の間隔を確かめる。

乱れはない。

だが、まだ完全ではない。

ほんのわずかな消耗の残滓が、体の奥に沈んでいる。

アゼリアは静かに息を吐いた。

何度も水を替え、布を湿らせ、額を冷やし、呼吸を見て。

その繰り返しだけで、夜はゆっくりと進んでいく。

レイラは浅い眠りの中にいた。

時折、まつ毛がかすかに震え、苦しそうに息を詰める。

そのたびにアゼリアは静かに手を伸ばし、額に触れる。

「……大丈夫ですよ」

声は届いているのか分からない。

それでも、そう言わずにはいられなかった。

村長は隣の部屋で休むよう言われていたが、結局ほとんど眠れていないのだろう。

時折、扉の向こうで立ち上がる気配がする。

そして――夜がさらに深くなった頃。

レイラの呼吸が、わずかに変わった。

「……ん……」

小さな声。

まぶたが、ゆっくりと動く。

アゼリアの手が、ほんの一瞬止まった。

(……意識が戻る)

静かに息を整える。

だが、そのまま動かない。

顔を近づけすぎないように、距離を保つ。

レイラの瞳が、ゆっくりと開いた。

最初はぼんやりとしていた視線が、天井をなぞる。

次に、横に動く。

寝台の縁。

部屋の灯り。

そして――隣にいる気配。

「……あれ……」

かすれた声。

視線がアゼリアに向いた瞬間、

レイラの動きがほんのわずかに止まった。

「……アゼリア……お姉ちゃん……?」

その呼び方に、アゼリアの指先がほんの少しだけ動く。

「はい」

短く、静かな返事。

レイラはぼんやりとしたまま瞬きをする。

状況がまだ掴めていない。

だが――安心だけは、そこにあった。

「……ここ……どこ……?」

「村長さんの家です」

アゼリアは淡々と答えた。

声はいつも通り穏やかだ。

レイラはゆっくりと体を起こそうとして――すぐに力が入らず、布団に沈む。

「……わたし……」

そこで言葉が途切れる。

記憶が途切れているのだろう。

森。

恐怖。

誰かに掴まれた感覚。

そこまでは浮かんでいる。

だが、その先が曖昧だ。

アゼリアは少しだけ目を伏せた。

(無理に思い出させる必要はない)

そう判断して、静かに言う。

「もう大丈夫です。安心してください」

その言葉に、レイラは小さく息を吐いた。

「……よかった……」

ほんの少しだけ、笑おうとして――すぐに顔をしかめる。

体が痛いわけではない。

ただ、消耗が残っているだけ。

それでも安心したように、まぶたが重くなる。

そのときだった。

扉の外から、小さな足音。

次の瞬間、バタンと勢いよく扉が開いた。

「レイラ!」

村長の声だった。

だが――その声を聞いた瞬間。

アゼリアの肩が、ほんのわずかに強張った。

(……私は…あの姿をこの子に見られているのでは?)

胸の奥に、冷たいものが落ちる。

さっきまでの戦闘。

骸骨の姿。

青い炎。

あれを、この子に見られていたら――

(怖がられる)

根拠はない。

むしろ逆だと分かっているはずなのに。

それでも、体が先に動いた。

アゼリアは立ち上がる。

「私は――」

言いかけて、止まる。

レイラが、こちらを見ている。

その視線は怖がっていない。

むしろ――探しているような、安心を求める目だ。

一瞬だけ、アゼリアの呼吸が乱れる。

(……ダメです)

(今は……)

レイラが完全に目を覚ましてしまう前に。

アゼリアはそっと視線を逸らした。

そして、静かに一歩後ろへ下がる。

「少し、外に出ます」

それだけ言うと、返事を待たずに部屋を出た。

木戸が閉まる音が、やけに静かに響く。

部屋の中には、村長とレイラだけが残る。

「……アゼリアお姉ちゃん?」

レイラの小さな声。

村長はそれに気づかず、ただ涙を拭っていた。

「よかった……本当に……」

その頃、廊下に出たアゼリアは背を扉に預ける。

ゆっくりと息を吐いた。

(……大丈夫)

(あの子は無事)

それだけでいいはずなのに。

胸の奥に、ほんの小さな痛みが残る。

――怖がられたくない。

ただそれだけの思いが、静かに沈んでいた。


夜はさらに深くなっていた。

村長の家の廊下は、灯りが落とされ、ほとんど影だけでできているように見える。

アゼリアは静かに歩き、扉の前で一度だけ立ち止まった。

(……ロゼル様は、もう休んでいるはず)

そう思いながらも、手は一瞬だけ戸口に触れて躊躇する。

そして、そっと扉を開けた。

軋む音はほとんどしなかった。

部屋の中は暗い。

窓から差し込む月明かりだけが、床と壁の輪郭をぼんやりと浮かせている。

その奥。

ロゼルは、ベッドに横になっていた。

片腕を頭の下に敷き、天井を見ている。

目は閉じていない。

眠っているというより、“休んでいるだけ”という状態だ。

アゼリアは、視線を落としたまま部屋に入る。

扉を静かに閉めると、そのまま壁際へと歩いた。

そして――

部屋の隅に置かれた椅子に、そっと腰を下ろす。

背中を壁につける。

姿勢は正しいまま。

だが、その指先だけがわずかに落ち着かないように揺れていた。

(……レイラちゃんは、安心して眠れました)

(命に別状はない)

頭では分かっている。

それでも。

胸の奥に残る“見られたかもしれない”という感覚が、消えない。

(怖がってはいなかった……)

(でも……もし、あの姿をはっきり見ていたら……)

青い炎。

骨の顔。

戦うための姿。

アゼリアは目を伏せる。

そのときだった。

「何かあったか?…」

ぽつりと、声が落ちた。

アゼリアの肩が、わずかに跳ねる。

ベッドの上。

ロゼルはまだ天井を見たまま、片目だけを開けていた。

「……ロゼル様」

小さく呼ぶ。

ロゼルは体勢を変えず、軽く鼻を鳴らす。

「お前のもう一つの姿の事」

一拍。

「見られたんじゃないかと不安なんだろ?」

アゼリアの肩がピクリと反応する。

「……はい」

言いかけて、言葉が続かない。

ロゼルはゆっくりと上体を起こした。

ベッドに肘をつきながら、アゼリアを見る。

「“もし”とか考え出したらキリねぇぞ」

淡々とした声。

だが、責めるような響きではない。

「助けた事実だけ見ろ」

一拍。

「それで十分だろ」

アゼリアはすぐに返事をしない。

視線を落としたまま、小さく息を吐く。

「……はい…あの子が助かっただけで十分です」

その声はいつもより少しだけ小さかった。

ロゼルはそれを見て、軽く肩をすくめる。

「ま、気になるなら明日自分で確認すりゃいい」

「逃げる必要もねぇだろ」

その言葉に、アゼリアの指先がほんの少しだけ動く。

「……はい」

今度は、少しだけはっきりした声だった。

ロゼルはそれ以上何も言わず、また天井に視線を戻す。

部屋は再び静かになる。

だが、さっきまでとは違う静けさだった。

アゼリアは椅子に座ったまま、ほんの少しだけ姿勢を緩める。

窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。




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