胸糞悪い殺し
森を抜けた頃には、日は傾き始めていた。
行商人の馬車は軋む音を立てながら、小さな村の入口で止まる。
木の柵に囲まれた質素な集落。畑と古びた家々が並び、静かな空気が流れている。
「……ここだ」
行商人が小さく呟く。
どこか、張り詰めたような声音だった。
門番代わりの村人が一人、こちらに気づいて歩み寄ってくる。
「商人さんか……今回は随分遅かったな」
「ああ……ちょっとな。途中で“妙なもん”に出くわしてよ」
その言葉に、村人の顔色が変わる。
「……やっぱりか」
低く呟き、すぐにロゼルたちへ視線を向ける。
「その人たちは?」
「護衛だ。いや……恩人だな」
苦笑混じりにそう言うと、村人は頷いた。
「村長のところへ案内する。例の件だ」
ロゼルとアゼリアは顔を見合わせ、小さく頷く。
村の中は静かだった。
人の気配はあるが、どこか落ち着かない空気が漂っている。
やがて、少し大きめの家の前で足が止まる。
「ここだ」
扉を叩くと、中から年配の男が現れた。
「……あなた方が冒険者か?」
その視線はすぐにロゼルたちへ向けられる。
「その様子だと、あれに会ったな」
ロゼルは短く頷く。
「村から程ない森の前の街道で一体。……妙な奴だった」
村長は深く息を吐いた。
「やはり出たか……」
ゆっくりと語り始める。
「ここ最近、村の人間が森で行方不明になる。
数日後――“ああいうもの”になって現れる」
静かな声。だが、確かな恐怖が滲んでいる。
「最初は魔物だと思った。だが違う」
視線が落ちる。
「……元は、村の人間だ」
その言葉に、アゼリアの青い瞳がわずかに揺れる。
ロゼルは無言のまま、懐に手を入れた。
「……これ、心当たりあるか?」
取り出したのは、あの金の指輪。
村長の目が見開かれる。
「……それは……」
震える手で受け取り、じっと見つめる。
「……間違いない」
ゆっくりと、言葉を絞り出す。
「これは、トーマスのものだ」
空気が重く沈む。
「娘がいる……まだ小さい子だ」
その瞬間。
外から、軽い足音が近づいてきた。
「村長さーん!」
明るい声。
扉が開き、小さな少女が顔を覗かせる。
「あ、いた!」
無邪気な笑顔。
場の空気など、何も知らない顔。
「ねえ、村長さん。お父さん、まだ帰ってこないの?」
その言葉に。
部屋の中の誰もが、言葉を失う。
村長の手にある指輪が、わずかに震える。
少女は不思議そうに首を傾げる。
「……?」
ロゼルは視線を逸らさない。
赤い瞳のまま、ただその光景を見ていた。
村長はゆっくりとしゃがみ込み、少女と目線を合わせる。
「……レイラ」
その名が、静かに落ちる。
少女はぱっと顔を明るくする。
「うん!」
村長は一瞬だけ目を閉じ――
そして、指輪を握りしめたまま、少女をあやす、
その背後で。
ロゼルは、何も言わなかった。
ただ一度だけ、懐に触れた指先を止める。
――あの掠れた声が、まだ耳に残っている。
「……れ……い……ら……」
夕暮れの光が、部屋の中に差し込む。
それはあまりにも穏やかで、
あまりにも残酷な静けさだった。
村長の家の居間には、古い木の家具と暖炉の煤のにおいが漂う。窓から差し込む夕暮れの光が、赤茶けた床に柔らかく影を落としていた。ロゼルは背中の大斧を壁に立てかけ、落ち着いた足取りで村長の前に立つ。アゼリアも横に控え、青い瞳で辺りを観察する。
「村長、まずは状況を整理させてもらおう」
ロゼルの声は冷静だが、冒険者らしい鋭さがある。
村長は震える手で書き付けたメモを差し出した。
「ええ、……最近10日間で、計5人が行方不明になりました。森の外れで最後に目撃されています。時間はほぼ夕刻です」
ロゼルはメモに目を走らせ、眉をひそめる。
「なるほど……被害は人間だけか?家畜や建物への影響は?」
「家畜も数頭やられました。家屋は無事ですが、森の中に足跡などの痕跡があります」
アゼリアが指を軽くたて、残響のように空気を撫でる。
「魔力の波が普通の魔物とは異なります。複数の生物の特徴が混ざっているという印象です。攻撃性も強い」
小さな少女が、床に広げた布や小さな人形を相手に、一人で遊んでいた。声を上げるでもなく、ただ楽しげに手を動かす姿は、森での恐怖を想像させる緊張を一瞬和らげた。
「ねえ、村長さん。お父さん、まだ帰ってこないの?」
少女の問いに、村長はわずかに息を吐き、肩を落とした。だが、赤い瞳のロゼルは動かず、ただ少女の無邪気な動きを見守る。
布で作った“家”に人形を並べ、少女は小さな声で話しかける。
「お父さんもここにいるのかな……」
言葉の裏に何も知らない純粋さが滲む。
アゼリアはそっと背後から少女を見守り、青い瞳が揺れるが、声はかけずに静かに立っている。
その光景に、ロゼルは赤い瞳を細め、深呼吸する。戦いと日常が隣り合う、この村の現実を、胸の奥で静かに受け止めた。
「――村長。森や村での被害について、詳しく教えてもらえるか?時間帯は?」
村長は少女に目を向け、ひと息ついてから説明を始める。
「時間帯はまちまちだ。昼でも夕方でも、夜でも……とにかく森の中で姿を消す」
ロゼルは頷き、村長が置いた金の指輪を軽く握る。
「…他に変わった点は?」
村長は静かに答える。
「共通点といえば、全員が森の奥へ入って行方不明になったことだけだ。ほかに目立った痕跡はない」
アゼリアの青い瞳がわずかに揺れる。
「なるほど……村周辺の痕跡や魔力の異常な反応を確認する必要がありますね」
ロゼルは赤い瞳を鋭く光らせる。
「分かった。俺たちが森を見て、正確に把握する」
村長は深く頷き、床に置かれた椅子に腰を下ろす。
「頼む……村を守るためにも。奴らがまだ森にいるなら、見逃せん」
村長宅を後にしたロゼルとアゼリアは、村の小道を静かに進む。
村は沈黙に包まれていた。家々の扉は固く閉ざされ、窓には明かりがなく、村人たちは中で息を潜めている。外界に目を向ける者はいない。まるで、村そのものが何かに怯えて息を殺しているようだった。
「……誰も出てこないな」
ロゼルは低く呟き、大斧を肩に担ぎ直す。背筋がひんやりとする。
アゼリアは指先を軽く伸ばし、空気の中の魔力の痕跡を探る。森の奥から微かな波動が流れ、風に乗って森の中を漂っているのを感じ取る
二人は村を抜け、森の縁に差し掛かった。
木々は密に生い茂り、葉の間から差し込む光もまばらで、地面に影が不規則に揺れる。
踏みしめる落ち葉の音が森の静けさに小さく響き、風も止んだ森は、異様な緊張感に包まれていた。
「……慎重にな」
ロゼルは大斧を握り直し、足元を確かめながら進む。
アゼリアは静かに指先を伸ばし、空気の中の微かな魔力の波動を拾う。
「……普通じゃない。魔力が複雑に絡み合っている。森の奥から漂ってきます」
二人が森の中を進むにつれ、空気に漂う臭いが変わった。腐った土と生肉の匂い、何かを貪ったような濃い匂いが鼻を突く。
ロゼルが足を止める。視線の先には、無残に食い荒らされた小動物の死骸が散乱していた。
「……ひどいな……」
顔をしかめ、ロゼルはひとつの死骸に近づき、噛み跡や引き裂かれた肉、爪痕を指で追うように確認する。その表情には不快さと憤りが入り混じり、荒々しく貪られた様子を前に思わず眉を寄せた。
「ぐ……完全に、喰い散らかされてる……」
ロゼルは一瞬、死骸の周囲を見渡した。裂かれた肉、散乱する骨片、深くえぐられた爪痕――確かに獣の仕業だが、どこか違和感がある。
「……魔物の仕業じゃねぇな」
低く呟き、顔をしかめる。
アゼリアも静かに地面に手をかざし、魔力の残響を読み取る。
「……はい。単純な魔獣の魔力じゃない。力の層が複数重なっている。意思のある……いや、人間的な魔力の痕跡が混じっています」
ロゼルは死骸の周囲をもう一度見渡し、荒々しく残された痕跡を指でなぞる。
「……足跡も、普通の獣じゃない。歩き方、爪の跡、噛み跡……全部、計算されてない、乱暴な食い方だ」
アゼリアは森の奥を見据え、指先で空気を撫でるように魔力を追う。
ロゼルは眉をひそめ、落ち葉や枝の折れた痕跡を踏まないように慎重に進む。
「追うしかねぇな……まだ近くにいる」
二人は足音を殺しながら、森の奥へと進む。木々の間を抜ける風が、微かに冷たく指先を撫でる。落ち葉の下に残る足跡、折れた枝の方向、地面にこぼれた血の跡。
ロゼルは大斧を肩に担ぎ直し、痕跡を一つひとつ確かめながら慎重に歩く。
「……こっちだ」
アゼリアも魔力の波動を頼りに進む。
「……前方、強い波動があります。小動物の残骸とは違う、意識のある力……」
やがて、二人は地面に残る濃い血痕と、引きずられたような枝の痕跡を見つける。
「……こいつ、生き物を喰らいながら移動してる」
ロゼルの声が低く響く。赤い瞳が森の暗がりに光を反射した。
アゼリアは指先を森の奥に向け、波動を辿る。
「……もう少しで、中心部。魔力の濃度が段違いに強い」
森は徐々に薄暗く、密集した樹木の影が絡み合う。風の音も止み、静寂が濃くなる。
二人は呼吸を整え、互いの視線を交わす。
「……準備はいいな」
「ああ……行くぞ」
足跡と血痕を頼りに、森の奥へと踏み込む二人。視界の先で、何かがこちらを待ち受けている気配がする。
微かに、だが確かに――生気を持った魔力が、森の奥深くから蠢いていた。
森の奥、木々の影が絡み合う場所で、二人の足音が止まった。
前方、倒木の陰から何かが蠢く。視界に入ったのは――生きたままの小さなゴブリンのような魔物を、異形の怪物が丸呑みにしようとしている光景だった。
その巨躯は、人間の骨格を元に、しかし不自然にねじれた肢体を持つ。口は巨大に裂け、滴る唾液で光る牙が見える。目は血走り、冷たい光を放っていた。
「……!」
アゼリアは指先を震わせ、魔力の波動を固く握りしめる。
怪物は、丸呑みにした獲物を喉に押し込みながら――ゴクリ、と喉を鳴らす。続けざまに咀嚼する音が森に響き、腐肉と生気の混ざった匂いが鼻を突いた。
ロゼルの眉がピクリと動く。赤い瞳が鋭く光る。
「……いやがったな……」
声には吐き気と怒りが混じる。
「こいつが、元々は……村人だってのかよ……」
アゼリアも視線を逸らさず、怪物の魔力を読み取る。
「……意思の残滓が残っている。確かに、人間だった……でも、もう……完全に……」
二人の間に、沈黙と恐怖が重く落ちる。
森の風が止まり、木々のざわめきも消えたかのようだった。
怪物は、咀嚼を終えた後、目をこちらに向ける。口元にはまだ獲物の残滓が付いていた。
その視線が、まるで“次の獲物”を探すかのように、二人を捉えて離さない。
ロゼルは大斧を握り直す。
「……行くぞ、アゼリア」
二人の戦いは、すぐそこまで迫っていた。
アゼリアは指先を微かに光らせ、青い魔力の波動を凝縮する。
「はい、準備はできています……」
その声は森に溶けるように低く、しかし確かな決意を含んでいた。
アゼリアの美しい顔が燃えるように散りになり、
骸骨の双眸に青い炎が揺らめく。
怪物が唸りを上げ、背中の筋肉が波打つ。口を大きく開け、再び次の獲物――二人の方向へと体を傾けた。
「……来るぞ」
ロゼルの声と同時に、森に緊張が走る。
「……元は村人だ。できるだけ、苦しまずにいかせてやりたい」
ロゼルの声は低く、赤い瞳が異形を射抜く。
「初っ端から全力で行くぞ」
アゼリアがこくりと頷く。青い瞳が揺れ、手のひらに青い炎を集める。微かな光が指先から漏れ、森の影に青白く揺れた。
ロゼルは漆黒の大斧を握り直す。
「ミシリ……」
革と金属の軋む音が響き、大斧がその力に応えるように、微かにブルリと震えた。
森の空気がピンと張り詰める。
蹴り足が地面を打つ――ロゼルは弧を描くように飛び込む。
落ち葉や小枝が散り、森の静けさを切り裂く音が響いた。
大斧を横凪に振り下ろす――
「ゴォォッ!」
斧の刃が異形の皮膚を引き裂き、肉と骨片が吹き飛ぶ。
異形はくぐもった呻きと共に枝や根に叩きつけられ、歪んだ体を震わせる。
「たダぃぁ……」
異形は形を歪め、ロゼルの攻撃の衝撃に翻弄され、体の輪郭が崩れかける。
異形の意思とは無関係に崩れた体をロゼルに伸ばそうとする。
「させません!」
アゼリアが叫ぶ。手のひらの青い炎を弾くと、異形の周囲に瞬時に骨の牢が現れた。
「バキッ、バキバキッ!」
骨の響きが森に反響する。
異形は手を伸ばして脱出を試みるが、青い炎を纏った骨の牢がぴたりと動きを封じた。
「……浅かったか」
ロゼルは息を整え、懐に踏み込む。
「……ごめんな」
大斧に込められた力は先ほどの何倍も重く、振動が指先から腕を通じ、地面に伝わる。
「オオオォォ……!」
森が揺れるかのような大斧の唸りと共に、ロゼルは上段からの一閃を放つ。
斧の刃が異形を切り裂いた瞬間――
「バァァンッ!」
異形の体は内側から爆発するように吹き飛び、肉片、骨片、黒く濁った血が周囲に散乱した。
枝や葉に絡まり、空気に飛び散る破片が光を受けてキラリと光る。
痛みを感じる間もなく、異形は粉々になり、ほとんどの体が空中で爆散した。
森に残ったのは、血の匂いと、微かに揺れる骨片の残骸だけだった。
ロゼルは大斧を肩に戻し、荒い呼吸を整える。
アゼリアも手のひらの青い炎を静かに収め、青い光がゆっくり消えていった。
二人の視線に映るのは、もはや元の姿を留めぬ異形――だが、微かに残る皮膚の質感や手足の指の形から、人間だった痕跡が確認できる。
異形の残骸の中に、ひしゃげた金具が転がっていた。
ロゼルはしゃがみ込み、それを指先で拾い上げる。
歪み、片方のレンズは砕け、もう片方も血に濁っている――かつて眼鏡だったもの。
ほんの一瞬だけ、手が止まる。
ギリ、と奥歯が鳴った。
赤い瞳が細くなり、怒りを押し殺すように息を吐く。
「……村長に渡す」
低く、短い言葉。
それ以上は何も言わない。
だが、その一言に――やり場のない怒りと、せめてもの弔いが、重く滲んでいた。
森に、静寂が戻る。
血の匂いだけが、重く残った。
ロゼルは舌打ちした。
「……くそ……胸糞悪い依頼だ……」
握った大斧の柄が、ギリ、と音を立てる。
「今夜中に――こんな姿になった村人、全部探し出す」
低く、押し殺した声。
「楽にしてやるぞ、アゼリア」
アゼリアは静かに頷いた。
青い炎が、瞳の奥で揺れる。
「はい……ロゼル様」
その声は、いつもよりわずかに冷たい。
「私も……許せません……」
ロゼルは短く息を吐き、地面に残る魔力の残滓を睨む。
「……まだいるな」
アゼリアが指先をかざす。
空気が、わずかに歪む。
「……三つ。反応があります」
「距離は離れていますが……どれも、同質の歪んだ魔力です」
ロゼルは頷いた。
「順番に潰す。行くぞ」
――最初の一体。
森の浅い窪地。
そこにいたのは、四肢が異様に伸び、地面を這うように動く異形だった。
元は人間のはずの顔は、半ば潰れ、片目だけが異様に膨れ上がっている。
口は裂け、地面の土や虫を必死口にに掻き込んでいた。
「……可哀想に」
ロゼルは迷わない。
一歩踏み込み――振り下ろす。
鈍い衝撃と共に、異形は声を上げる間もなく砕けた。
崩れた体の側に、布の切れ端が落ちている。
「……持っていく」
ロゼルはそれを無言で拾った。
――二体目。
森の奥、倒木の影。
それは“立っていた”。
だが、立ち方が人間ではない。
関節が逆に折れ、首が傾き、ぶら下がるように揺れている。
近づいた瞬間――跳んだ。
「速ぇな……!」
だが、ロゼルの一撃の方が速い。
横薙ぎの斧が空気ごと切り裂き、異形の上半身を吹き飛ばした。
残った下半身が数歩歩いて――崩れる。
アゼリアが静かに目を伏せた。
その足元には、血に濡れた革靴。
「……これも、持ち帰りましょう」
――三体目。
最も奥。
魔力が濃く、空気が重い。
そこにいたそれは――もはや原型を留めていなかった。
複数の腕。
膨れ上がった胴。
顔らしきものが、体のあちこちに浮かび上がっている。
「……ちっ、ひでぇ姿だ」
それは叫び、同時に複数の腕を振り回す。
森の木々がへし折れ、地面が抉れる。
「アゼリア!」
「はい!」
青い炎が弾け、骨の杭が地面から突き出る。
動きを止めた一瞬。
ロゼルは踏み込んだ。
「終わりだ」
振り抜かれた大斧が――
次の瞬間、異形は中心から弾け飛んだ。
「バァンッ!!」
肉も骨も、形を保てず四散する。
森に、黒い雨が降った。
残ったのは、ひしゃげた髪留めと、わずかな布切れだけだった。
すべてが終わった頃には、森は完全に夜に沈んでいた。
ロゼルは肩で息をしながら、大斧を担ぐ。
その手には、4つの“形見”。
布の切れ端。
血に濡れた靴。
歪んだ髪留め。
ひしゃげたメガネ。
どれも、元は誰かの日常だったものだ。
「……行くぞ」
短く言い、森を振り返ることはしない。
アゼリアも静かに続く。
青い炎は、すでに消えている。
「……村長に、渡しましょう」
その声は静かだったが、確かな重みを持っていた。
二人は、闇に包まれた森を後にする。
背後にはもう、何も残っていなかった。
村へ戻った頃には、夜の帳がすでに降りていた。
灯りは少ない。
家々の隙間から漏れる光も、どこか弱々しい。
ロゼルとアゼリアは、無言のまま村長の家へと向かう。
扉を叩くと、すぐに開いた。
そこにいたのは――村長だった。
その目は、すべてを悟っていた。
「……戻ったか」
ロゼルは何も言わず、懐から布に包んだそれらを取り出す。
静かに、差し出した。
村長の手が震える。
ゆっくりと、ひとつひとつ包みを開く。
布の切れ端。
血に濡れた靴。
ひしゃげた髪留め。
そして――砕けた眼鏡。
「……っ……」
喉の奥で、言葉が詰まる。
だが村長は、声を押し殺し、歯を食いしばる。
震える手でそれらを抱きしめた。
「おお……みな……よく……帰ってきたな……」
掠れた声。
「子供の頃から……よう知っとる者たちだ……」
肩が、小さく震える。
「息子や娘と……なんら変わらん……」
目を閉じる。
それでも涙は、堪えきれず零れ落ちた。
「……よう……帰ってきた……」
静かな嗚咽が、部屋に滲む。
――そのとき。
小さな足音。
「……村長さん?」
レイラが、不安そうに顔を覗かせていた。
ロゼルは一瞬だけ目を伏せる。
そして――懐から、指輪を取り出した。
ゆっくりと、レイラの前にしゃがみ込む。
「……レイラちゃん」
低く、静かな声。
「これはな……君のお父さんのものだ」
小さな手に、そっと握らせる。
「……お父さんは……亡くなった」
レイラは、しばらく何も言わなかった。
ただ、指輪をじっと見つめる。
血のついていない、その金の輪を。
やがて、小さく呟いた。
「……お父さんの指輪……」
指で、そっとなぞる。
「死んだお母さんとの思い出が、たくさん詰まってるって……」
声は、震えていない。
「……いつも、大事にしてた」
ぎゅっと、握る。
小さな手が、白くなる。
そして――顔を上げた。
真っ直ぐに、ロゼルを見る。
「……お姉ちゃん、冒険者なんでしょ?」
ロゼルは、黙って頷く。
レイラは、一度だけ指輪を見て――
それを、差し出した。
「なら……これ、あげる」
小さな声。
だが、はっきりとした意思。
「だから……お父さんの仇を……討ってください」
その言葉に。
部屋の空気が、重く止まる。
ロゼルは、しばらく動かなかった。
差し出された指輪を見つめる。
そして――ゆっくりと、それを受け取った。
「……ああ」
短く。
だが、確かな重みを込めて。
赤い瞳が、静かに細まる。
「俺に任せろ」
握りしめた指輪が、わずかに鳴る。
「必ず、その依頼は達成する」
一瞬の間。
そして――
「……約束だ」
その言葉は、静かに。
だが、揺るがない重さで、部屋に落ちた。
村長の厚意で、その夜は屋敷に泊まることになった。
用意された部屋は質素だが、清潔で、どこか温かみがあった。
だが――その空気は、完全に落ち着いたものではない。
小さな影が、ぴたりとアゼリアに張り付いている。
「アゼリアお姉ちゃん……」
レイラだ。
服の裾を掴み、離れようとしない。
「……大丈夫ですよ」
アゼリアは、しゃがんで目線を合わせる。
その青い瞳は、いつもより柔らかく揺れていた。
だが――
「いっしょに寝る……」
きっぱり。
レイラはその場から動かない。
「……えっと……」
アゼリアが一瞬、言葉に詰まる。
そして――ちらり。
ロゼルを見る。
助けを求めるような視線。
もう一度。
ちらり。
今度はほんのわずかに、期待を含んでいる。
(……隣で寝たい)
そんな無言の主張が透けて見える。
だが――
ロゼルは、見ない。
完全に無視だ。
「……勝手にしろ」
ぶっきらぼうにそれだけ言い、ベッドに横になる。
アゼリアの肩が、ほんのわずかに落ちた。
「……では、ご一緒しましょうか」
そう言うと、レイラはぱっと顔を明るくする。
「うん!」
小さな手が、ぎゅっとアゼリアの腕に絡みついた。
その様子を、ロゼルは一瞥だけする。
そして、何も言わずに目を閉じた。
静かな夜が、ゆっくりと更けていく。
翌朝。
簡素だが温かい食卓。
焼いたパンと、薄いスープ。
村長が用意した朝食が並んでいる。
「粗末なものだが……」
「いや、十分だ」
ロゼルは短く答え、パンをかじる。
アゼリアの隣では、レイラがぴたりとくっついたままだ。
「……」
アゼリアは少し困ったように、しかしどこか嬉しそうにしている。
ロゼルはそれを横目で見て――口を開いた。
「……作戦を決める」
空気が、わずかに引き締まる。
「俺とアゼリアで、囮になる」
パンを置き、指を軽く鳴らす。
「村人になりすまして、あえて森に入る」
赤い瞳が細くなる。
「それで、村人を攫ってるクソ野郎をおびき出す」
低く、はっきりとした声。
「出てきたところを叩く」
アゼリアはすぐに反応する。
「ですが……」
少しだけ首を傾げる。
「私達の見た目では、警戒されるのではありませんか?」
ロゼルは頷く。
「ああ、そこだ」
指で机を軽く叩く。
「だから装備は全部外す」
「完全に村人になりきる」
短く言い切る。
「武器は持たねぇ」
その言葉に、村長がわずかに目を見開く。
だがロゼルは気にしない。
「問題ねぇ」
拳を軽く握る。
骨が鳴る。
「アゼリアには魔法がある」
「俺には――」
一瞬、口元が歪む。
「この拳がある」
静かな自信。
揺るがない声。
アゼリアは、すっと背筋を伸ばす。
「……なるほど」
青い瞳が、わずかに細まる。
「流石、ロゼル様です」
その声には、確かな信頼が込められていた。
ロゼルは何も言わず、再びパンを手に取る。
その横で――
「あ…危なくない?」
小さな声。
レイラだった。不安そうな顔をしている。
ロゼルは少しだけ視線を落とす。
そして――
「大丈夫だ!俺…こう見えても結構強いんだぜ?」
パチリとウィンクをし、短く言う。
レイラがニコリと笑う。
それだけで、十分だった。
村長の家で、作戦用の服を借りることになった。
「すまん、冒険者殿……」
村長は頭をかきながら言う。
「お主の体に合う服が、どうにも見つからんのだ」
そう言って差し出されたのは――女物の服。
ロゼルは目を見開く。
「またかよ……しかもピンクのスカートって……」
村長はしょんぼり肩を落とす。
「やはり、これでは……ダメか……」
ロゼルは目を細め、ため息をつきつつも答える。
「い……いや。こういう服の方が、きっと油断を誘えるだろう……」
露骨に嫌そうな顔をするロゼル。
「……着るよ」
村長は少しほっとしたように微笑む。
「お姉さんの方はこれじゃ。レイラの母上が着ていたものだ」
アゼリアは手を胸に当て、静かに言う。
「よろしいのですか?大事な物では……」
「ううん!」
レイラは元気に答え、アゼリアの手を握る。
「アゼリアお姉ちゃんに着て欲しいの!」
アゼリアは優しく微笑む。
「ありがとうございますね、レイラちゃん。大事に着させていただきます」
二人は早速、着替えに取りかかる。
先に着替えを終えたアゼリア。
レイラは目を輝かせてじっと見つめる。
「わぁ……お母さんみたい……」
その言葉に、アゼリアは少し戸惑いながらも答える。
「変じゃありませんか?」
「とっても似合ってるわ!」
レイラはそう言うと、アゼリアの腰あたりに小さく抱きつく。
「変でなくてよかったです」
少し遅れて、ロゼルも着替えを終える。
スカートの扱いに手間取り、少しふらつきながら立つ姿は――なんとも可憐であった。
「……なんだか股がスースーして落ち着かねぇ」
村長は目を丸くして言う。
「……お主、本当に男なのか?」
アゼリアは目を輝かせ、思わず声を上げる。
「ロゼル様!お美しいです!抱きしめさせてください!」
ロゼルは慌てて逃げる。
「あ!何故逃げるのです!あ!ちょっ……逃げ……お待ちください!」
その二人を見て、レイラはケラケラと笑顔になる。
「ふふ……やっぱりお姉ちゃん達って面白いな!」
こうして、“綺麗な花には毒がある”作戦は、二人の予想外の魅力も添えて、始まったのであった。




