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聖血のロゼル  作者: チョコレートスターフィッシュ
第二章

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異形の怪物と荷馬車酔い

行商人の馬車は、石畳の街道をゆっくりと抜け、街の喧騒を背にして進む。

ロゼルとアゼリアは荷物の隙間に体を押し込み、木箱や袋に囲まれて座っていた。干し肉や布、香辛料の袋が足元や横に積まれ、馬車内は少し窮屈で、木の軋む音と荷物が揺れる音が混ざり合う。

「……街を離れると、妙に落ち着くな」

ロゼルが小さく呟くと、アゼリアは窓の隙間から外の景色を覗き込む。

「ええ、雑多な馬車の中でも、こうして街の喧騒を離れると、感覚が研ぎ澄まされますね」

ロゼルは視線を外に向けながら考える。

――こんな風に依頼を受けて、楽しむ感覚――いつぶりだろう。

いや…もしかすると、今まで一度もなかったかもしれない。

以前と違うのは――

そっとアゼリアをチラリと見る。

青い瞳が窓の光を反射して揺れている。

――こいつのおかげかもしれないな。

荷物の間を通る風がほのかに香辛料の匂いを運ぶ。馬車の揺れに合わせ、木箱や袋が軋む音が耳に入る。外では細い土道が続き、草や小さな花が揺れる。鳥のさえずりが時折、馬の蹄音に混ざり、自然の息遣いを感じさせる。



木箱や袋に囲まれた狭いスペースに腰を下ろすと、干し肉や布袋が足元や膝に押し付けられ、体はぎゅうぎゅうに窮屈だった。馬車が石畳の道をゆっくりと進むたび、木箱がかすかに揺れ、荷物同士がぶつかる音が耳に届く。

「……ぐぅ……」

ロゼルは小さく呻き、膝に手を置いて体を丸めた。以前ならこんなことで体調を崩すことはなかったはずだ。だが今は、体の感覚が小さく軽くなったせいか、揺れが思った以上に響いてしまう。

「ロゼル様、大丈夫ですか?」

アゼリアが優しく視線を向ける。青い瞳にわずかに心配が宿る。

「いや、別に……」

しかし顔色が微かに青ざめ、口元は引きつる。体が小さくなったことで、揺れや匂いに敏感になったのか。普段なら気にもならない馬車の揺れが、今は思いのほか強く感じられる。

荷物の袋が揺れ、木箱がかすかにぶつかるたび、胃がひゅっと冷たくなる。


「……背中、ちょっと……摩ってくれないか?」

思わず素直に頼む声が漏れる。小さな体のロゼルは、普段の堂々とした姿とは違い、可愛らしく膝を抱えて座っていた。

アゼリアは微笑み、そっと手を伸ばす。彼女の手が背中に触れると、ロゼルの肩の力が少しずつ抜け、馬車の揺れにも少し耐えられるようになった。窮屈で雑然とした空間の中で、二人の間には穏やかな時間が流れる。


「村までは、あとどれくらいでしょうか?」

アゼリアが窓の外を見ながら、少し声を張って尋ねる。

行商人は馬の手綱を緩め、ゆったりと答えた。

「後半日はかかるね。道はひどく曲がりくねってるし、森を抜けないといけない」

その言葉に、ロゼルは馬車の揺れに合わせて小さくビクッと体を震わせた。

「……うっ……」

思わず膝を抱えて俯く。小さくなった体は、揺れや匂いに敏感で、普段ならなんでもない会話でも、馬車の振動や匂いが胃にひゅっと響いたのだ。

「……背中、もう少し……摩ってくれないか?」

小さな声で頼む。普段の堂々とした姿からは想像できない、少し甘えた可愛らしい雰囲気。アゼリアは微笑み、そっと手を伸ばして背中を撫でる。肩の力が抜け、少しだけ揺れに耐えられるようになった。

馬車は森へと続く土道を進む。木々の影が差し込み、鳥のさえずりや葉のざわめきがかすかに耳に届く。揺れと不慣れな体の感覚で、ロゼルはまだ膝を抱え、背中をアゼリアに預けたままだった。

そのとき、森の奥から、何かがじっとこちらを見ている気配が漂い始める。枝や葉が不自然に揺れ、馬車の揺れに混ざって奇妙な音を立てた。

青い瞳を一瞬外に向けたロゼルは、揺れと緊張で小さく「……あっ」と息を漏らす。乗り物酔いの不快感と、森の陰から漂う得体の知れない気配が重なり、思わず体が縮まる。

森の影の奥、正体は分からない、異様なシルエットがゆらりと見えた。体の輪郭は歪み、黒い影がこちらをじっと見据えているようだった。

アゼリアがそっと声をかける。

「ロゼル様……しっかりしてください」

小さな体のロゼルは、可愛らしくも不安げに膝を抱え、青い瞳を森の闇のシルエットに向けた。


森の奥から、何かがじっとこちらを見ている気配が漂った。

枝や葉がわずかに揺れ、馬車の揺れに混ざる奇妙な音が耳に届く。

赤い瞳を冷静に光らせ、ロゼルは膝を抱えたまま視線を向けた。吐き気に眉をひそめるが、表情は落ち着いている。

「……なにかいるな」

小さく呟き、揺れに合わせて体勢を整える。体は小さくなったせいで感覚は敏感だが、冒険者としての経験が心を鎮めていた。

森の影から現れたのは、得体の知れない異形の存在だった。

体の輪郭は一定せず、複数の魔物が混じり合ったような歪んだ形。黒い影の中から、人の腕のようなものが不自然に生えているのがちらりと見えた。足は何本あるのか定かでなく、ゆらりと揺れるごとに不気味な音を立てる。

アゼリアは背中越しに息を呑む。揺れる馬車の中で、二人の視線はその異形に釘付けだ。

影は馬車の前方に立ち止まり、こちらをじっと見据える。ぎこちない動きながらも、視線には意思が宿っているかのようだ。森の奥で枝が揺れるたび、異様な体の一部がちらりと光を反射し、見る者の想像力をかき立てる。

ロゼルは深呼吸を一つし、吐き気を押さえながら赤い瞳を細める。

「……馬車を止めろ!俺が様子を見る」

声には迷いはなく、熟練冒険者としての落ち着きがにじんでいた。

森の中、正体の分からない異形の影と揺れる馬車、小柄な冒険者の冷静な観察が、静かに、しかし確実に緊張を帯び始めた。

森の影は、馬車の側にまで迫ってきた。枝の間から、異様な腕や鋭い突起がちらりと見え、光を反射して薄白く浮かぶ。揺れる枝の音と、荷物がぶつかる音が混ざり合い、空気は張り詰めた。

ロゼルは小さな体を丸めたまま、赤い瞳を冷静に光らせる。乗り物酔いで気分は悪いはずだが、それを表に出さず、影の動きを見極める。

影の腕の一つが、馬車の側面をかすめるように揺れた。木箱がひとつ大きくずれ、荷物の間にあった香辛料の袋が転がる。アゼリアが息を呑む。

「ロゼル様…」

小さな声に、ロゼルは瞬時に反応した。腰を少し前に乗り出し、手元にあった木箱を軽くつかむと、影の動きに合わせて体を低く構える。

影はさらに近づき、異形の腕がもう一方の側面をかすめた。その形は人の腕に似ているが、関節は奇妙に曲がり、先端は爪のように鋭い。森の薄暗さの中、影はまるで生きているかのようにじっと馬車を見つめる。

「……落ち着け」

ロゼルは自分に言い聞かせるように呟き、赤い瞳をさらに研ぎ澄ませた。小さな体を馬車の隅に寄せ、揺れを最小限に抑えつつ、手はすぐに攻撃に移せる位置に置かれる。乗り物酔いの不快感も、今は集中の邪魔にはならなかった。

アゼリアがそっと背中に手を回す。揺れる馬車の中で支え合いながら、二人は異形の影を見据える。影の輪郭はまだはっきりせず、何の魔物かは分からない。だが、その気配は確実に、馬車に向かって動いていた。

森の風が揺れ、葉のざわめきが耳に届く。その中で、赤い瞳を光らせたロゼルは、静かに、しかし着実に次の動きを決めていた。


ロゼルは赤い瞳を光らせ、静かに馬車の側面に手をついた。影の動きはまだはっきりしないが、触れられる前に先制する必要がある。

「……よし」

小さな体を丸めながら馬車の外に足を下ろした瞬間――

「おえっ……!」

荷馬車から降りたとたん、吐き気が一気に襲い、ロゼルは思わず前かがみに。赤い瞳は意地ギラつかせるものの、吐き気で顔をしかめる。

「ロゼル様っ!」

アゼリアがすぐに駆け寄り、腕で彼を支える。青い瞳が揺れ、ほんの一瞬ためらいを見せるが、次の瞬間、彼女は指先から青い炎を滴らせた。ぽたり、ぽたりと地面に落ちる炎の滴が、床の上で光を集め、骨の輪郭を浮かび上がらせる。

炎の滴が触れた瞬間、スケルトンが立ち上がる。青白い光を帯びた骨格が静かにロゼルを抱き上げ、吐き気でふらつく赤い瞳の彼を森の奥へと運び出す。

馬車の前方では異形の影が姿を現す。腕のような突起、歪んだ体、複数の生物の特徴が混ざり合ったその姿に、行商人は悲鳴を上げた。

「ひゃあああっ!」

恐怖で手綱を握りしめ、馬も騒ぐ。影はゆらりと揺れ、馬車の周囲を取り囲むように蠢いた。森の奥に溶け込むその魔物は、正体はまだ不明だ。だがその異形さは、見る者の常識を逸脱していた。

青い炎によって生み出されたスケルトンに抱えられ、ロゼルは吐き気を押さえつつ赤い瞳を影に向ける。乗り物酔いの不快感も、今は魔物の存在に比べれば些細なものだった。


森の影から姿を現した異形の魔物は、ただの怪物ではなかった。

全身は黒くねじれた肉塊と、骨の組み合わせで構成され、部分ごとに形が一定せず、見る者の脳をかき乱す。頭部は人の顔に似た形が歪んで付いていたが、口は大きく裂け、顎の骨がところどころ剥き出しになっている。

腕は異様に長く、関節が逆方向に曲がる箇所があり、先端は鋭い爪へと変化していた。一本の腕がもぎ取られると、そこから黒い血のような液体が滲み出し、森の薄暗さに溶けていく。脚は複数生え、どれが地面を支えているのか判別できず、歩くたびに歪んだ足が不規則な音を立てた。

背中には、骨でできた突起が斜めに伸び、枝のように折れ曲がって森の木々に絡む。体の一部は生身の肉で覆われ、別の部分はむき出しの骨が露出しており、まるで複数の生物を寄せ集めたかのような奇怪な形状だった。


スケルトンに抱えられたまま、ロゼルは赤い瞳で影を捉える。

「アゼリア、囲んで足止めできるか?」

低く、だが確かな声で指示を出す。

アゼリアは息を吸い、指先を地面に向ける。

「……来なさい、スケルトンたち」

その瞬間、彼女の顔がゆっくりと変化する。普段の柔らかく美しい表情が、魔法の炎に焼かれるように揺らぎ、淡く焦げるように消えていく。肌の下の骨格が次第に浮かび上がり、青い炎が双眸を満たすと、美しい顔は完全に消え去り、骸骨の顔が現れた。

青白く揺れる炎の光が、彼女の骸骨の顔を照らし出す。美しさは失われたが、その姿からは戦う意思だけが滲み出ていた。

指先から、ぽたり、と青い炎が地面に落ちる。その炎に触れるたび、周囲の土や葉が青白く照らされ、静かに10体のスケルトンが立ち上がった。骨格の一つ一つが光を反射し、森の闇に浮かぶ。スケルトンたちは無言で、しかし忠実に異形の魔物を囲む位置に配置される。

「……行け」

アゼリアの意思と炎が一体化すると、スケルトンたちは異形の魔物の逃げ場を完全に封じた。枝の揺れる音、骨と武器のぶつかる音、青い炎の光が森に不気味な静けさを作り出す。

森の奥で、異形の魔物は掠れた声で唸った。

「……レぃ…ラ……」

その掠れた声がかろうじて聞き取れる程度に、異形は押され、徐々に動きを制限されていく。青い炎に照らされた骸骨のアゼリアは、森の暗闇の中でも圧倒的な存在感を放っていた。

その隙を狙い、ロゼルは腰の漆黒の大斧に手をかけた。黒曜石のように深い漆黒の刃が、森の薄明かりに冷たく光る。柄の金属が微かに脈打ち、まるで大斧自体が彼の力に呼応しているかのようだった。

「……俺が行く」

馬車の脇から、ロゼルは小さな体を跳躍させ、異形に向かって駆け出す。乗り物酔いの悪寒を押し殺し、赤い瞳に決意を宿す。


ロゼルは、地面を強く踏み込んだ。

沈む土。

弾ける草。

小さな体が、一瞬だけ沈み――

次の瞬間、跳ねた。

「――ッ!」

低い唸りと共に、体が宙へ。

軽いはずの身体が、矢のように加速する。

吐き気も、揺れも、全部振り切る。

赤い瞳が、獲物だけを射抜く。

異形が腕を振り上げる。

だが――遅い。

ロゼルはそのさらに上を取るように、跳躍の頂点へ。

空中で、体をひねる。

漆黒の大斧が、大きく振りかぶられる。

その瞬間、ほんの一拍。

静止。

――溜め。

「……消えろ」

振り下ろされた。

重い。

速い。

そして――容赦がない。

ズンッ――!!

空気ごと叩き割る一撃。

斧は、異形の頭部から叩き込み――

そのまま、胴体を縦に裂き、

勢いのまま、背後の大木へと到達する。

ミシ――

軋み。

一瞬の静寂。

そして――

ズドォォンッ!!

巨木ごと、叩き割れた。

幹が裂け、内部の繊維が弾け、葉が一斉に舞い上がる。

衝撃波が周囲に広がり、枝が大きく揺れる。

異形の体は、完全に両断されていた。

空中での一撃。

逃げ場は、最初からなかった。

ロゼルは、そのまま地面に着地する。

ドッ、と重い音。

小さな足が、土を踏み締める。

斧を振り切ったまま、数歩分前に滑る。

やがて止まる。

背後で――

裂けた大木が、ゆっくりと傾き、

ドサァ……と地面に崩れ落ちた。

ロゼルは振り返らない。

ただ、短く息を吐く。



――しかし、戦いの興奮も束の間、体は正直だった。

「……うっ……」

跳躍や斧の振り下ろしで揺れた体に、吐き気が一気に襲いかかる。森の重苦しい空気と魔力の波に押され、ロゼルは思わず口元を手で覆う。

「……んっ……ぅ……!」

その瞬間、鮮やかな斬撃の余韻も、漆黒の大斧の輝きも、全てが一瞬で小さな胃の反乱に塗り替えられた。

勢いよく、ロゼルは森の土に向かって「ぺっ……!」と吐き出す。吐瀉物が少し森の落ち葉に落ち、青い炎で召喚されたスケルトンたちが無言で横目に見る。

「……倒したけど……気持ち悪い…死にそう……」

吐き気に顔をしかめ、膝を抱えつつも、小さな手はしっかりと漆黒の大斧を握り直す。ゆっくりと体を起こし、よろめきながらも大斧を頭上に掲げる。

「……見たか、俺の……大斧……!」

スケルトンたちは無言で整列したまま、背後で淡い青白い光を放ち、まるで「お疲れ様」とでも言わんばかりに静かに見守る。

森の中、倒れた異形の残骸はまだ微かに痙攣していた。

ロゼルは漆黒の大斧を地面に突き立て、息を整えながらゆっくりと歩み寄る。吐き気はまだ喉の奥に残っているが、それでも視線は外さない。

「……こりゃ、なんだ……?」

しゃがみ込み、手袋越しに肉片を軽く押さえる。ぐに、と嫌な感触が返る。

だがその中に――明らかに“違うもの”が混ざっていた。

「……おい、これ」

ロゼルは指先で一部を持ち上げる。そこには、歪に引き裂かれながらも、明らかに人の形を残した腕があった。

皮膚は変色し、筋は裂け、骨はねじれている。だが――

「……指、だな」

五本、ある。

そして、そのうちの一本に――

「……指輪?」

泥と血に汚れたそれは、小さな金の輪だった。

不自然なほど、そこだけが“元の形”を保っている。

ロゼルの赤い瞳が、わずかに細くなる。

「……魔物にしちゃ、様子がおかし過ぎる」

ぼそりと呟き、視線を横へ流す。

「アゼリア。こいつ……何に見える?」

アゼリアは一歩近づき、静かにしゃがみ込む。

戦闘時の骸骨の顔はすでに消え、美しい顔に戻った彼女の青い瞳が、残骸をじっと見つめる。

「……魔物、ではありませんね」

静かに、しかしはっきりと言い切る。

「魔力の流れが不自然です。外から無理やり歪められている……ような」

「……元は、別の存在です」

その言葉に、ロゼルは手に持った指輪をもう一度見る。

「……だよな」

短く吐き捨てるように言い、立ち上がる。

――そのとき。

ぐち、と。

足元の残骸が、わずかに動いた。

ロゼルとアゼリアの視線が同時に落ちる。

裂けた肉の奥、砕けた顎の残骸が、わずかに震えていた。

もう声帯として機能しているとは思えないそれが――

言葉とも呼べない、かろうじて形を保った“声”。

「……ぃ……ら……ぁ……」

それは、誰かを呼んでいた。

ロゼルの動きが止まる。

指輪を持つ手に、わずかに力が入る。

アゼリアの青い瞳が、静かに細められる。

今の一声で、完全に力を失ったように、崩れ落ちた。

森に、沈黙が戻る。

ロゼルはゆっくりと息を吐き、手の中の指輪を見下ろす。

「……レイラ、か」

小さく呟く。

その名が、やけに重く感じられた。

後ろで様子を見ていた行商人が、恐る恐る口を開く。

「な、なんだよ今の……」

ロゼルは振り返らない。

「……さぁな」

短く返し、指輪を懐に仕舞う。

ほんの一瞬だけ、視線が森の奥へと向く。

「……ただの魔物じゃねぇのは、確かだ」

アゼリアは何も言わず、ただ静かに頷く。

青い瞳に、わずかな憂いが宿る。

森の風が、残骸の匂いをさらっていく。

その中で――

小さな金の指輪だけが、妙に重く感じられた。









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