囮作戦
朝の柔らかな光が村を包む中、ロゼルとアゼリアは村人になりすまし、ゆっくりと通りを歩いていた。
木製の家々は朝露に濡れ、軒先には洗濯物が揺れている。石畳の隙間には小さな草が顔を出し、どこにでもある穏やかな村の風景が広がっていた。野菜市では、まだ準備の途中らしく、籠に積まれた野菜に水をかける音が静かに響く。
その時――
ひらり。
ロゼルのスカートの裾が、風に揺れた。
「……っ」
一瞬、動きが止まる。
視線を落とす。
薄い布。
慣れない感触。
「……なんだこれ……落ち着かねぇな」
小さくぼやく。
歩くたびに、太ももに触れる感触がどうにも気になる。
スースーする。
落ち着かない。
気になって仕方ない。
それを見たアゼリアの視線が、ぴたりと止まる。
「……ロゼル様」
「なんだ?」
「そのお姿……」
一拍。
そして――
「とても……大変、素晴らしいです……」
声が震えている。
青い瞳が、じっとロゼルに吸い寄せられている。
「は?」
ロゼルが眉をひそめる。
アゼリアは口元を押さえた。
「い、いえ……その……」
一歩近づく。
視線が、明らかにおかしい。
「その可憐さと、内に秘めた力のギャップが……ああ……」
「おい」
「だ、だめです……鼻血が……」
すっと、鼻を押さえる。
「お前なにやってんだよ…てか出ないだろ鼻血…」
ロゼルは露骨に嫌そうな顔をする。
だがその頬は、ほんのわずかに赤い。
「見るなって言ってんだろ」
「いえ、無理です」
即答。
「無理ってなんだよ」
「目が離せません」
「離せ」
そんなやり取りをしながらも、二人の足は止まらない。
自然に、違和感なく。
“普通の村人”として、歩き続ける。
そんなやり取りをしながらも、二人の足は止まらない。
自然に、違和感なく。
“普通の村人”として、歩き続ける。
通りを抜け、井戸のある広場へ出る。
朝の水汲みを終えた村人が、桶を抱えて家へ戻っていく。
野菜市では、籠に積まれた野菜に水がかけられ、静かな準備の音が響いていた。
一見すれば、いつも通りの朝。
だが――
どこか、おかしい。
「……妙だな」
ロゼルが小さく呟く。
視線は自然に動かしながらも、細かい違和感を拾っていく。
アゼリアも同じように周囲を見ていた。
「ええ……」
声は小さい。
「皆、普通に生活していますが……」
一拍。
「どこか……怯えていますね」
その言葉の通りだった。
笑っている者もいる。
会話もある。
だが、目が違う。
ふとした瞬間に、森の方へ視線を向ける。
物音がすれば、わずかに肩が揺れる。
誰もが無意識に、何かを警戒している。
“日常を続けながら、恐れている”
そんな歪な空気。
ロゼルは鼻で小さく笑った。
「……なるほどな」
「こりゃ完全に“狩られてる側”の空気だ」
アゼリアは静かに頷く。
「はい……だからこそ、表には出てこないのでしょう」
「警戒してる」
「ええ……みなさん慎重です」
二人は歩きながら、その空気を肌で感じ取っていく。
広場を抜け、畑の脇を通る。
朝露に濡れた葉が光を弾く。
だが、作業しているはずの人影はまばらだ。
農具はある。
作物も手入れされている。
それでも――
「……人、少ねぇな」
ロゼルが低く呟く。
「ええ……」
アゼリアの青い瞳が細まる。
「減っているのか、隠れているのか……どちらにせよ、不自然です」
風が吹く。
森の方から、冷たい空気が流れてくる。
二人はそのまま、村の外れへと出る。
石畳が途切れ、土の道へ。
そして――森。
木々が重なり、光を遮る。
入口は明るいが、その奥はすぐに陰へ沈む。
ロゼルは立ち止まらず、低く呟く。
「……餌は出してる」
「なのに食いつかねぇ」
わざと隙を見せている。
無防備な村人として。
それでも、出てこない。
アゼリアは森の奥を見据えたまま言う。
「……見ていますね」
「俺たちを、値踏みしてる」
短い沈黙。
葉が揺れる音だけが響く。
ロゼルは舌打ちした。
「……埒があかねぇな」
足を止める。
視線だけをアゼリアへ向ける。
「このまま二人で動いても意味がねぇ」
「確率を上げる」
アゼリアは一瞬だけ目を伏せ――頷く。
「……別行動、ですね」
「ああ」
ロゼルは軽く手を振る。
「どっちかに食いつけば、それでいい」
その言葉に、迷いはない。
アゼリアはわずかに息を整え、
「……お気を付けて」
とだけ言う。
ロゼルは背を向けたまま答える。
「お前こそな」
進む方向を分ける。
ロゼルは南側の獣道へ。
アゼリアは北側の林へ。
距離が、ゆっくりと開いていく。
やがて――
互いの気配が、森に溶けた。
残るのは、静寂と。
“怯えた日常”の、その先に潜む気配だけだった。
朝の光が村を包み、屋根や石畳の道を柔らかく照らす。アゼリアは村の外れの通りを、村人になりすましたまま堂々と歩く。木製の家々の軒先には洗濯物が揺れ、籠には新鮮な野菜が並ぶ。鶏の鳴き声や水をかける音がかすかに響くが、村全体には微かな緊張が漂っていた。子供が声を上げると、大人はすぐに顔を曇らせ、そっと注意を払う。
まだ明るい昼間なのに、木々の間には影が濃く落ちていた。アゼリアは軽く息を整えながら、細い土道を歩く。足音をできるだけ抑え、草や小枝の揺れる音に耳を澄ませる。
村の外れに差し掛かると、家々の影は遠ざかり、風が葉を揺らす音だけが静かに響いた。周囲の気配を探るため、魔力をほんの僅かに流し、森の入り口に向けて感覚を伸ばす。
「……誰も出てこない……か」
小さく呟く声は、風にかき消される。アゼリアの青い瞳が、薄暗い木陰をくまなく捉えた。木漏れ日が地面に斑に落ちる中、微かに人の気配を探す。森に潜む者に悟られぬよう、姿勢を低く保ち、身体の緊張を解かない。
目の端に見える小さな動きにも敏感に反応する。
その時、土の匂いに混じって、遠くから荒い呼吸が近づいてくる気配。森の入り口から足音がかすかに響く。アゼリアは軽く視線だけで相手を追う。
「……来たか」
目を細め、息を潜める。
森の入り口で息を潜めるアゼリアの目に、遠くの土道を必死に駆ける影が映った。
「アゼリアさん! 見つけた!」
声は震え、途中で荒い息が混じる。
土を蹴る音は速く乱れ、一定ではない。杖をつきながらも、村長は倒れそうになりつつ、必死に前へ進む。額には汗が滲み、呼吸は荒く、口元からは「はぁ、はぁ」と途切れ途切れに息が漏れる。
「レイラが……い、いなくなったんじゃ! 誰も……誰も見ておらんのじゃ!」
村長の目は血走り、体は小刻みに震える。足取りは速く、時折地面に躓きそうになりながらも止まらない。風に揺れる草や葉を払いのけ、森の入り口まで駆け寄る。
アゼリアは青い瞳を細め、静かに立っていた。村長の焦り、緊張、そして必死で駆けてきた様子が、言葉や仕草のすべてから伝わる。
「……落ち着いてください、村長」
声は低く、穏やかだが、森の静寂を切り裂くように響く。
村長は杖を握りしめ、肩で大きく息をしながらも止まらない。
「じゃがの……あの子がの……! あんた達2人を心配して、追いかけて行ったんじゃ!」
その言葉は、息切れと共に震え、焦燥が全身から漏れ出している。
額の汗が光り、足取りは乱れ、時折地面に躓きそうになりながらも、村長は必死に立っていた。
「……レイラちゃん……」
その名前を心の中で静かに呼ぶ。
彼女の魔力の温度、質感、微かな揺らぎを探る。森の中で混ざり合う風や葉のざわめきの中、アゼリアの感覚は一点に集中する。
薄暗い木漏れ日の中で、微かな揺らぎが視界の端に映る。
普通の生物の気配とは違う、柔らかくも確かな光。
それは、レイラの魔力だ――小さく、しかし不安げに震えている。
「……ここか」
息を殺し、音を立てないように慎重に進む。枝や落ち葉を避けながら、魔力の流れを手繰るように、森の奥へと足を運ぶ。
(攫われたのだとしたら…ロゼル様に伝えている時間はない……私が一人で助けないと……)
次の瞬間、アゼリアの足が地面を強く蹴った。
「村長、ここで待っていてください!」
振り返りもせず、それだけを言い残す。
返事を待つ時間すらない。
土が弾ける。
一歩で距離を詰める。
二歩目で風を切る。
アゼリアの身体が、一気に森の奥へと加速した。
枝を避ける。
低く垂れた蔦を払い、足元の根を踏み越える。
常人なら足を取られる地形を、迷いなく駆け抜ける。
視界は暗い。
だが関係ない。
青い瞳が捉えているのは、ただ一つ――
レイラの魔力の揺らぎ。
小さい。
弱い。
だが確かに、奥へと引きずられている。
「……っ」
無意識に、踏み込みがさらに強くなる。
乾いた枝が足の下で砕ける音が、遅れて響く。
風が背後へ流れる。
木々の間を、影のように駆け抜ける。
レイラの魔力が揺れる。
乱れている。
恐怖で震えている。
そして――もう一つ。
「……誰か、いる……」
レイラのすぐ側に、別の気配。
歪んだ、濁った魔力。
間違いない。
「……犯人」
その瞬間、アゼリアの速度がさらに上がった。




