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聖血のロゼル  作者: チョコレートスターフィッシュ
第二章

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23/36

初依頼に蜜に金貨

ロゼルは木製の掲示板から依頼の紙を取り、指先で丁寧になぞった。

「――これだな」

アゼリアの瞳がぱっと輝き、まるで朝の光を吸い込んだ宝石のようにきらめく。

「ロゼル様、どんな依頼ですか?」

ギルドの薄暗い室内には、紙をめくる微かな音や、遠くで依頼人が話す声が静かに響いている。ロゼルは紙面をじっと見つめ、口元に微かに笑みを浮かべた。

「……高額な依頼だ。しかも、ちょっと珍しいものだな」

アゼリアは目を大きく見開き、好奇心と期待に胸を躍らせる。

「珍しいもの……ですか?」

ロゼルは肩をすくめ、紙を軽く丸めるように握る。

「迷宮の6階層にある、ある植物の採集だ。報酬はかなりの額らしい。回復薬に使うのはもちろん、媚薬や美容液にも加工される――貴族の間で非常に需要があるらしい」

アゼリアは思わず息を呑んだ。

「……そ、それって……!」

ロゼルが小さく言葉を継ぐ。

「貴重な蜜が採れるらしい。高値で取引されるそうだ」

その言葉に、アゼリアの表情には純粋な期待と、わずかに控えめな好奇心が同時に浮かぶ。小さな肩をそっと揺らし、目を輝かせる姿は、まるで花が光を受けて静かに咲くかのようだ。

ロゼルは紙をたたみ、低く柔らかい声で告げる。

「報酬は高額だが、少々面倒でな……」

アゼリアは首をかしげ、無垢な疑問を口にする。

「面倒……ですか?」

ロゼルはくすりと笑い、軽く首を横に振った。

「それは行ってみればわかるさ。……まぁ、心配するな。お前に危険はない」

アゼリアは安心したように小さく頷き、微笑む。その仕草には、素直でありながらもどこか品のある可憐さが漂っていた。

「はい……ロゼル様が一緒なら」

ロゼルは懐から小銭を取り出し、真剣な表情のまま言う。

「よし、残りの金で蜜を入れる瓶をありったけ買うぞ」

アゼリアは嬉しそうに手を合わせ、顔を輝かせた。

「わぁ…! これならたくさんの蜜が集められますね!」

二人は町の雑貨屋へ向かった。木の床を踏むたび、軋む音が静かに響き、店内には陶器やガラス、木製の小物が整然と並ぶ。アゼリアは目を輝かせながら、慎重に棚の瓶を一つひとつ手に取り、指先で確かめる。

「この瓶、少し厚みがあって丈夫そうです……」

小さな声で呟きながらも、仕草には品の良さが滲む。ロゼルは少し微笑み、彼女の丁寧な動きを静かに見守る。

「こっちは蓋が二重になっているから、蜜が漏れにくいな」

ロゼルが瓶を手に取りつつ言うと、アゼリアは真剣な眼差しで頷いた。

「それに、デザインもきれいですね……。集めた蜜を入れるのが楽しみです」

小さな唇を少し結び、目を輝かせるその様子は、無垢でありながらも品のある愛らしさを帯びていた。

二人は慎重に瓶を選び、店主に支払いを済ませると、袋いっぱいの瓶を抱えて店を後にした。

迷宮に入るのはまだ先――だが、アゼリアの胸には、ロゼインとの冒険への期待が小さな光となって灯っていた。

ロゼルもまた、彼女の無垢な笑顔を見つめながら、これからの冒険への小さな高揚を感じていた。

夕方に差し掛かる時間。

2人は並んで瓶を鳴らし。

迷宮へと歩き出していく。


石造りの大階段を降りる。

ひんやりとした空気が、肌を撫でた。

迷宮。

湿った石の匂い。

遠くで反響する、かすかな水音。

その空気を、アゼリアは静かに吸い込む。

「……なんだか少し落ち着きます」

穏やかな声だった。

その後ろで、青い炎がひとつ落ちる。

ぽたり、と水滴のように石へ触れ、淡い波紋を広げた。

次の瞬間――

そこから、骨が音もなく立ち上がる。

召喚されたスケルトンは、一切の迷いなく動いた。

足元に置かれていた袋を拾い上げる。

中には、空の瓶が詰め込まれている。

割れやすいそれを守るように、骨の腕が丁寧に抱え込む。

瓶同士が触れぬよう、位置を細かく調整しながら。

かすかな音すら、迷宮では目立つ。

それを理解しているかのような、無駄のない動きだった。

「お願いしますね」

アゼリアが柔らかく声をかける。

スケルトンは応えるように、わずかに姿勢を整え、彼女の後方へと控えた。

――隊列が、自然と形になる。

最前にロゼル。

その後ろにアゼリア。

さらに後方に、荷を抱えたスケルトン。

守るべきものを中心に据えた、無駄のない並びだった。

ロゼルは一段先を行く。

小柄な体を沈め、重心を低く保ちながら歩く。

赤い瞳が、暗がりの奥を滑る。

柱の陰。

段差の影。

崩れた石の隙間。

何かが潜める場所を、すべて拾い上げるように視線を走らせていく。

ただ進んでいるのではない。

いつでも“割り込める位置”を保っていた。

アゼリアが一歩降りるたび、ロゼルも半歩だけ前へ出る。

距離は近すぎず、遠すぎず。

何かが来れば――その瞬間、間に入れる距離。

「足元、気をつけろ」

短く、低い声。

「はい」

アゼリアは小さく頷く。

すらりとした体が、静かに石段を降りていく。

長い脚が音を殺し、無駄なく運ばれる。

青い瞳は、暗がりの奥をまっすぐに見据えていた。

やがて、階段は終わる。

視界が開け、湿った石床の広間が現れた。

天井からは水滴が落ち、ぽたり、と一定の間隔で音を刻んでいる。

ロゼルは一歩踏み出しかけて――止まる。

赤い瞳が、広間の奥を射抜く。

静かだ。

あまりにも、静かすぎる。

数秒。

何も起きない。

「……気配が薄いな」

ぽつりと呟き、ゆっくりと歩みを再開する。

だが、構えは崩さない。

「静かですね……」

アゼリアも続きながら、周囲を見渡す。

「一階層だ。こんなもんさ」

ロゼルは淡々と答える。

だが、その視線は止まらない。

足場、影、死角――すべてを確認しながら進む。

「だが、油断はするな」

「はい」

それだけで十分だった。

ロゼルが前を切り、

アゼリアがその後ろを進み、

スケルトンが静かに荷を運ぶ。

骨の足音が、規則正しく後方に響く。

まだ何も入っていないはずの瓶。

それでも――

これから満たされるものを予感するかのように、

袋の中で、確かな重みを持っていた。

迷宮の奥へ。

三つの影は、音を殺しながら、静かに進んでいく。


石造りの階段を慎重に降り、二階層へ足を踏み入れる。湿った空気が肌を撫で、遠くで水滴が落ちる音が反響する。

隊列は自然と整った。最前に立つロゼル、中央にアゼリア、その後ろに空の瓶を抱えたスケルトン。青い炎を灯すアゼリアは、胸の中で期待を押し殺しながら進む。

「静かですね……」

アゼリアの声は囁くように低い。

ロゼルは赤い瞳で暗がりを走査する。柱の陰、床の歪み、段差、壁の影――すべてに潜む可能性を拾いながら、体勢を崩さず一歩ずつ進む

前方の闇が、わずかに揺れた。

小柄な影が、石床の広間から跳び出す。ゴブリンだ。二体、狂ったような声を上げて突進してきた。手にした棍棒が光を反射し、粗暴な動きで振り上げられる。

ロゼルは一歩も動じず、赤い瞳でその軌道を見据えた。

「――来たな」

筋肉が弾けるように腕を引き、床から拾った石を握りしめる。握力だけで圧縮した石は、手の中でわずかに粉を撒き散らし、まるで武器そのものが生きているかのように重みを帯びる。

「行くぞ!」

投擲。石は空気を切り裂き、光のように一直線にゴブリンの胸めがけて飛んだ。

一体目のゴブリンは石に打ち砕かれ、体は跳ね上がり、石壁に叩きつけられる。粉砕された骨と肉の破片が飛び散り、広間の空気が一瞬震えた。

二体目は回避しようとするが、ロゼルは無駄なく次の石を手に取る。片手で握り潰した石を、肩の筋肉を一閃させて投げる。空気を切る音とともに、ゴブリンの頭部を直撃。

「ぐあっ――!」

頭蓋が砕け、体が真横に吹き飛ぶ。床に叩きつけられる衝撃で、石片が広間中に散乱した。天井の水滴が落ちる音も、砕ける音にかき消されるほどだ。

アゼリアは思わず息を呑み、胸の中で青い炎が小さく揺れた。

「……す、すごい……」

スケルトンは無言で袋を抱え直し、後方の隊列を保つ。ロゼルは立ち止まらず、赤い瞳を広間の奥に滑らせる。まだ敵の気配はあるかもしれない――警戒が全身からにじみ出ていた。

「まだ油断するな」

低く告げ、握った石の筋肉がビキリと浮かび上がる。

アゼリアは小さく頷き、胸の中で冒険への期待を抑えつつも、その力強さに目を奪われる。

再び静寂が迷宮の広間を包む。


二階層を抜けると、迷宮の暗がりから小さな影が現れた。ゴブリン、コボルト、スケルトン――複数の敵が順番に襲いかかる。

しかし、ロゼルの怪力の前には、どれも脆く砕け散る運命だった。握り潰した石、腕力による投擲、拳ひとつで粉砕される敵たち。ゴブリンの叫び声、骨の砕ける音、そして石が跳ねる音が広間に響く。

アゼリアは後方で、青い炎を静かに灯しながら袋の瓶を守る。スケルトンは無言で荷を抱え、後方の隊列を乱さない。二人は何事もなかったかのように、静かに歩を進める。

敵は何度現れても、ロゼルは一切の油断を見せず、投擲と打撃で瞬く間に制圧した。広間はまた一瞬にして静寂に包まれ、湿った空気だけが反響音を運ぶ。

五階層のフロアボスの部屋に到達する。重厚な扉を前に、ロゼルは赤い瞳で中を確認した。だが、部屋はもぬけの殻だった。

「……やれやれ、肩透かしか」

小さく呟き、肩をすくめる。フロアボスは倒されると、一定時間が経たない限り再出現しない。迷宮の理は非情だ。

アゼリアは小さくため息をつき、静かにロゼルを見上げる。

「でも、もうすぐですね……目的の植物のある六階層」

二人は荷を整え、スケルトンが袋を抱え直すのを確認して、再び石造りの階段を降りる。湿った迷宮の空気が肌を撫でる。遠くの水滴が落ちる音が反響し、冒険はまだ続いていることを知らせていた。

六階層――


六階層の奥深く。

石造りの階段を降り、誰も通らないような細い通路を進むと、やっと目的地に辿り着く。

メインの探索ルートから外れたその空間は、迷宮の奥底らしく、ひっそりと息をひそめていた。

薄い青い光が空間を包む。迷宮の苔が互いに光を反射し合い、まるで呼吸するようにボンヤリと輝いている。光は石床や壁に映り込み、静かで幻想的な景色を作り出していた。

アゼリアは立ち止まり、息を漏らす。

「……ほぉ……綺麗ですね、ロゼル様」

視線の先には、目当ての植物が群生する小さな丘のような場所が広がる。葉や茎が微かに光を放ち、迷宮の奥でひときわ神秘的に輝いていた。アゼリアの胸に、喜びと興奮が同時に流れ込む。

ロゼルは微かに微笑む。

「こういう景色も、冒険者の特権さ。地上では見られない美しさがここにはある」

赤い瞳が光を反射し、慎重に周囲を走査する。だがその視線には、覚悟がにじむ。

「だが、見た目が良くても迷宮だ。死の危険は至るところに潜んでいる」

植物の周囲には、小型の毒を持つ虫モンスターが生息していた。体長わずか数センチから数十センチのそれらは、植物と光に誘われる獲物を待ち構え、近づくものには瞬時に襲いかかる。毒と鋭い針で仕留める、その危険は計り知れない。

アゼリアはゆっくりと頷き、ロゼルの言葉を真剣な眼差しで受け止める。青い瞳に光が宿り、冒険への期待と緊張が入り混じった表情を作り出す。

「……分かりました、ロゼル様。気をつけます」

静寂の中、二人は光に包まれた植物の群生地帯を前に、次の一歩を踏み出そうとしていた。


ロゼルが視線を植物群生地帯に向け、低く言った。

「ここでお前の力の出番だ。お前の召喚したスケルトンなら、虫に襲われても問題なく植物から蜜を採集できるだろう?」

アゼリアの青い瞳が輝き、微かに笑みを浮かべる。

「なるほど……それなら近づかなくても蜜を採集できます! いい考えとはこのことだったのですね!」

その言葉に、アゼリアは小さく胸を張り、心の中でロゼルを賞賛した。

ロゼルは少し微笑み、赤い瞳で彼女を見やる。

「よし、早速始められるか?」

アゼリアは小さく頷き、青い炎を揺らしながら答える。

「はい」

スケルトンはそれを合図に、無駄のない動きで袋を抱え、植物の間へと静かに進んだ。

スケルトンは、ゆっくりと群生場所へと近づいていった。

ロゼルとアゼリアはその場から少し距離を取り、石床に身を低くして見守る。

一体のスケルトンが、目的の植物に触れようとした――その瞬間。

「ボワーッ!!」

空気を裂く轟音とともに、植物を覆う虫型モンスターが一斉に飛び上がった。

細かな羽が光を反射し、黒い影が渦を巻くようにスケルトンを包む。

だが、スケルトンは一切の動揺を見せず、真っ黒に覆われたまま、ゆっくりと腕を伸ばす。

瓶を抱える骨の腕が、虫の群れに阻まれながらも正確に植物を掴んでいく。

ロゼルは肩をすくめ、赤い瞳を細めて呟いた。

「大丈夫とわかっていても、ゾッとするな……」

視線をアゼリアに向け、低く鋭く声を出す。

「アゼリア! 植物の蜜を採集させろ!溢さないようにそっとだ!」

アゼリアは青い炎を揺らしながら、息を整え、スケルトンの動きを静かに見守った。

無数の羽音とざわめきの中、骨の手が確実に植物を摘み取る――それはまるで、嵐の中で揺れる小舟のような静けさと危険とが合わさったかの様な光景だった。



黒い虫の群れに覆われても、スケルトンは一切動じず、淡々と任務を遂行する。

骨の腕が植物を慎重に摘み取り、瓶いっぱいに蜜を詰め込む。

羽音が激しく響く中、瓶同士がぶつからないよう、位置を細かく調整しながら――スケルトンの動きには無駄がない。

アゼリアは静かに息を整え、青い炎を揺らしながら見守る。

「……計画通りに進んでくれていますね……」

ロゼルも赤い瞳を細め、低く呟いた。

「スケルトンは汎用性が高い……恐れず、疲れず、確実に仕事をこなす。だから頼もしい」

群生地の奥から次の植物に手を伸ばすスケルトンを見て、アゼリアは微笑む。

「おかげで、安全に蜜も採集できます」

スケルトンは淡々と、しかし確実に全ての植物から瓶いっぱいの蜜を集め続ける。

羽音と小さな落下音だけが広間に響き、二人は静かにその光景を見守った。

やがて、蜜いっぱいの瓶が揃い、スケルトン達は最後に一度振り返り、二人の後ろに静かに控える。

「……完璧ですね」

アゼリアは満足そうに微笑み、ロゼルは軽く頷き、群生地を見渡した。

「これで任務の半分は終わった。さあ、戻るぞ」

青い炎が小さく揺れる中、三つの影は静かに迷宮を後にした。

湿った空気と遠くの水音だけが、彼らの行動をそっと包み込んでいた。


スケルトンが瓶いっぱいを抱え、慎重に帰路を進む。

石の段差や湿った床に気を配り、一歩一歩確実に歩を運ぶ。瓶同士がぶつからないよう、骨の手は丁寧に位置を調整していた。

「よし、順調だな」

ロゼルが低く呟く。赤い瞳が奥の暗闇を走る。

だが、通路の先で空気が震えた。

「――来たな」

石壁の陰から、猪のような巨大モンスターが二体、轟音を立てて跳びかかる。

片方はロゼルの目の前に突進してくる。筋肉が弾けるように動き、彼は一瞬でツノを掴むと、全力で振り回し、そのまま豪快にぶん投げた。

「ぐおおっ――!」

巨大な体は壁に叩きつけられ、衝撃が迷宮の奥まで轟く。粉砕される骨と泥の飛沫が空間に散り、余韻が残る。

もう一体はアゼリアの前に立ちはだかる。

青い炎が彼女の周囲に円を描き、微かに揺れる。

その瞬間――普段の可憐な顔は燃え上がるように散り、骸骨の素顔が現れた。

青い炎がその眼窩に揺らめき、威圧的な光を放つ。戦闘時の凛々しさが、可憐さに取って代わった。

右手の掌に炎を集中させると、アゼリアは地面に叩きつける。衝撃が石床を揺らし、その下から巨大な竜種のようなスケルトンが姿を現した。

「いきなさい!」

命令とともに、竜種型スケルトンは猪型モンスターへ突進。牙と爪で容赦なく引き裂き、二体のモンスターは一瞬で粉砕される。残されたのは小さな魔石と黒い牙だけ。

アゼリアは素早く魔石を吸収し、力を自らに取り込む。

「これで……もう少し、ですね」

青い炎が揺れる中、骸骨の顔は戦闘時の威厳を放ち、普段の美しい姿とは異なる戦闘態勢の凛々しさを見せた。

ロゼルは黒い牙を拾い上げ、静かに袋へしまう。

「換金できるな……」

微かに笑みを浮かべる彼の視線は、戦いの余韻を楽しむかのようだ。

瓶いっぱいを抱えたスケルトンは、恐怖も動揺も見せず、変わらぬ調子で後方を進む。

石の段差も湿った床も、すべてを理解しているかのように慎重に歩を運ぶ。

こうして、二人とスケルトンは迷宮の暗闇に溶け込みながら、慎重に帰路を進む。

瓶が割れぬよう、互いに気を配りながら――まだ、冒険は続いていた。

迷宮に、再び静寂が戻った。

ロゼルは腕を軽く振り、ぶん投げた衝撃の余韻を抜くように息を吐く。

赤い瞳が、アゼリアの方へと向いた。

そこには――

まだ、青い炎をまとった骸骨の姿があった。

眼窩の奥で、ゆらゆらと揺れる蒼い光。

戦闘の熱が、わずかに残っている。

「……奈落鬼の魔石の効果か?」

低く呟く。

「以前より、遥かに強力になってるな」

アゼリアは一瞬だけ静止し――

ふっと、炎が揺らいだ。

次の瞬間。

燃えるように散っていた顔の輪郭が、ゆっくりと戻っていく。

骨の頬にまとわりつくように青い炎が収束し、

やがてそれは、なめらかな肌へと変わる。

長い睫毛。

整った鼻筋。

そして、澄んだ青い瞳。

いつもの、すらりとした美しい姿へと戻っていった。

「はい!」

少しだけ嬉しそうに、しかしどこか誇らしげに頷く。

「ロゼル様のおかげで……パワーアップしたみたいです」

胸元に手を当て、小さく息を整えながら続ける。

「特別な魔石を取り込んだおかげか……」

青い瞳が、わずかに揺れる。

「ゆっくりですが……魔石を取り込まなくても、時間と共に魔力を回復できるようになったようです」

その言葉には、確かな実感がこもっていた。

ロゼルは一瞬だけ黙り、

その変化を値踏みするように見つめる。

そして――

口元をわずかに緩めた。

「……以前より、さらに頼りになるな」

短く、だがはっきりとした評価。

アゼリアの表情が、ぱっと明るくなる。

「……はい!」

嬉しさを隠しきれない声だった。

その後ろでは、

瓶を抱えたスケルトンが変わらぬ動きで立っている。

まるで何事もなかったかのように。

ロゼルは視線を前へ戻す。

「行くぞ。帰りも気は抜くな」

「はい!」

静かな返事。

湿った迷宮の空気の中、

三つの影は再び歩き出す。

瓶は、ひとつも割れていない。

だが――

その中に満たされたものは、

最初とは、確かに違っていた。


猪型モンスターを退けた後も、迷宮は静かにはならなかった。

湿った通路の奥。

崩れた石壁の陰。

わずかに開いた床の裂け目。

そこから、気配が滲む。

小さな影が、何度も姿を現した。

ゴブリン。

コボルト。

朽ちかけたスケルトン。

だが――

「遅い」

ロゼルの腕がしなる。

拾い上げた石が、放たれた瞬間にはもう見えない。

空気を裂く音だけが残り――

次の瞬間、ゴブリンの頭部が弾け飛んだ。

踏み込みも最小限。

視線ひとつで次を捉え、無駄なく投げる。

骨が砕け、壁に叩きつけられ、

そのまま沈黙。

戦いは、もはや“処理”だった。

アゼリアもまた、静かに支える。

「右から来ます」

短い声。

それだけで十分だった。

骨が一歩前に出る。

体勢を崩した敵を、ロゼルが撃ち抜く。

連携に、迷いはない。

その後方では――

スケルトンが、瓶を抱えたまま歩き続けている。

腕の角度を微調整し、

瓶同士が触れぬよう支え、

段差では歩幅を変える。

戦闘の衝撃すら、影響しない。

「いい、そのまま崩すな」

「はい」

淡々と、進む。

襲撃は何度もあった。

だが結果は同じ。

現れる。

砕かれる。

消える。

それだけだった。

やがて――

前方に、石造りの階段が現れる。

外へ続く道。

ロゼルは一度だけ立ち止まり、

ゆっくりと周囲を見渡した。

気配はない。

「……抜けるぞ」

短く告げ、歩き出す。

アゼリアが続き、

その後ろを、瓶を抱えたスケルトンが静かに進む。

一行は、迷宮を抜けた。

――外。

その瞬間。

冷たい夜風が、頬を撫でた。

「……っ」

ロゼルの体が、わずかに震える。

迷宮の湿った空気とは違う、

乾いた冷気。

思わず肩をすくめるようにして、

小さく息を吐いた。

「……夜か」

低く呟く。

空を見上げれば、すでに日は落ちている。

街の灯りが、遠くに滲んでいた。

「……ふぁ……」

小さな欠伸。

そのまま、ロゼルは目元を軽く掻く。

指先でこすり、滲む眠気を押し戻すように。

「お疲れですか? ロゼル様……」

アゼリアが、少し心配そうに覗き込む。

ロゼルは、もう一度目を擦りながら首を振る。

「平気だ。ただ、少し眠いだけだ」

視線を街へ向ける。

「ギルドで換金を済ませたら……少し眠りたい」

「はい」

柔らかな返事。

そのまま二人は、夜の街へと歩き出す。

背後では――

スケルトンが、瓶をひとつも鳴らさず、

静かに後を追っていた。


夜の街は、昼とはまるで別の顔を見せていた。

通りにはランタンの灯りが揺れ、酒場からは笑い声が漏れ聞こえる。

だが――ロゼル達は脇目も振らず、真っ直ぐギルドへと向かった。

扉を押し開けると、木の軋む音とともに、昼間より落ち着いた空気が広がる。

依頼帰りの冒険者たちがまばらに座り、静かに酒を傾けていた。

ロゼルはそのままカウンターへ歩み寄る。

「依頼の達成報告だ」

受付に立っていた女性が顔を上げる。

――その瞬間。

(あ……昼間の可愛い子だ……)

思わず心の中で呟く。

だがすぐに表情を整え、仕事の顔に戻った。

「は、はい。依頼内容を確認いたします」

ロゼルは無言で瓶を差し出す。

中には、透き通るような蜜がたっぷりと満たされている。

一本ではない。

二本でもない。

――カウンターに並べられていく、瓶、瓶、瓶。

受付嬢の手が止まる。

「……え?」

思わず声が漏れた。

依頼書を確認し、もう一度瓶を見る。

そしてロゼルを見る。

「こ、これ……すべて、六階層の採集品、ですか……?」

「ああ」

短い返答。

受付嬢の喉が、ごくりと鳴る。

六階層。

危険度の高いエリア。

しかも虫型モンスターの巣。

普通は――少量でも持ち帰れれば成功。

それを。

(こんなに……? しかも無傷で……?)

瓶は一つとして割れていない。

濁りもない。

完璧な状態だった。

「し、失礼しました……すぐに査定いたします!」

慌てて作業に入る。

だが視線は何度もロゼルへと向いてしまう。

小柄で、華奢で、どう見ても幼い。

だが――やっていることが、まるで一致しない。

やがて査定が終わる。

受付嬢は姿勢を正し、はっきりと告げた。

「確認が取れました。こちら――Aランク依頼、達成となります」

一瞬、周囲の空気がわずかに揺れた。

近くにいた冒険者が、ちらりと視線を向ける。

「報酬は、金貨五十枚です」

カウンターに、重みのある音が響く。

袋に入れられた金貨が、どさりと置かれた。

ずしりとした重み。

それは――家族が一ヶ月生活できる金額、その五十倍。

ロゼルは袋を軽く持ち上げ、中身を一瞥する。

「……確かに」

短く確認し、そのまま懐へしまった。

受付嬢はまだ信じきれない様子で、小さく息を吐く。

「その……お見事でした」

思わず本音が漏れる。

アゼリアは静かに微笑み、軽く頭を下げた。

「ありがとうございます」

ロゼルはそれ以上何も言わず、踵を返す。

「行くぞ」

「はい」

二人はそのままギルドを後にする。

外に出ると、夜の冷たい空気が再び肌を撫でた。

ロゼルは軽く肩を回し――

「……今日はもう終わりだな」

ぽつりと呟く。

アゼリアはその横顔を見つめ、小さく頷いた。

街の灯りの中。

二つの影が、静かに、裏通りの宿へと向かう


治安の悪い、夜の裏通りを抜け、ロゼル達は宿屋の扉を押し開けた。

中は昨日と同じ、酒と油の匂いが混ざった空気。

だがロゼル達に向けられる気配が違った。

カウンターの向こうに立つ店主。

そして、食堂の隅。

昨日絡んできたチンピラ達が、こちらに気づいた瞬間――

びくり、と肩を震わせた。

目を逸らす。

何も言わない。

椅子を引き、わざわざ壁際のテーブルへと移動していく。

――完全に、距離を取っていた。

ロゼルは一瞥すらくれない。

そのままカウンターへ歩み寄ると、

懐から金貨を一枚――

ガンッ!!

重い音を立てて、叩きつけた。

店主の目が、見開かれる。

「な……っ」

金貨。

見間違いじゃない。

指先で恐る恐る触れる。

本物だ。

「……い、いきなり何だ」

戸惑いと警戒が混ざった声。

ロゼルは淡々と言い放つ。

「一番いい部屋を使う。食事は部屋に運べ。あと湯も用意しろ」

店主は思わず顔をしかめる。

「……おいおい、うちはそこまで高級な宿じゃねぇぞ」

金貨を指で弾きながら、続ける。

「この宿で一番いい部屋でもな、銀貨5枚だ。金貨なんざ出されても――」

肩をすくめる。

「釣りなんか用意してねぇ」

一瞬の間。

ロゼルは、まるでどうでもいいことのように言った。

「なら、しばらく泊まらせてもらう」

店主が言葉を失う。

ロゼルはさらに一言だけ付け足す。

「部屋の清掃はいらない」

それだけ言うと、もう興味を失ったように背を向けた。

「行くぞ」

「はい」

アゼリアが静かに続く。

後ろでは――

店主が、金貨と二人の背中を交互に見ながら、呆然と立ち尽くしていた。

チンピラ達は、ひそひそと何かを囁き合いながらも、決して近づこうとはしない。

――昨日とは、まるで別の空気だった。

階段を上る足音が、静かに響く。

ギシ、ギシ、と木が軋む。

二階の奥。

扉の前でロゼルは一瞬も止まらず――

扉を開ける。

そして。

「……はぁ……」

そのまま、部屋に入るなり――

ぼさっ

ベッドへと倒れ込んだ。

小柄な体が沈み込み、シーツがふわりと揺れる。

顔をそのままクッションに押し付ける。

「……ふが……ふが……」

くぐもった声。

「……つかれた……」

アゼリアはその様子を見て、くすりと小さく笑う。

そして、優しく微笑みながら言った。

「お疲れのようですね、ロゼル様」

返事はない。

ただ、クッションに顔を埋めたまま――

もぞもぞと動く。

だが、そのまま。

「……くく……」

小さな笑いが漏れた。

脳裏に浮かぶのは――

今日の報酬。

金貨、五十枚。

今まで、一度も手にしたことのない額の金貨。

クッションに顔を沈めたまま、口元だけが歪む。

「……はは……」

ニヤリ、と笑った。

「……明日は……」

くぐもった声。

だが、その中に確かな高揚がある。

「服も……装備も……新調だな……」

少しだけ顔を横にずらし、息を吐く。

「……忙しくなるぜ……」

部屋の中。

静かな夜。

ベッドに沈むロゼルと、穏やかに見守るアゼリア。


くぐもった声が、クッション越しに漏れる。

だが――

そのまま、動かなくなる。

ぴたりと。

数秒。

そして。

「……すぅ……」

静かな寝息。

完全に落ちた。

アゼリアは一瞬きょとんとし――

ふっと、小さく笑った。

「……もう、お休みになられたのですね」

くすり、と。

ベッドの横に立ち、ロゼルの様子を覗き込む。

クッションに顔を埋めたまま、ぴくりとも動かない。

先ほどまでの“忙しくなる”宣言が、嘘のようだ。

「……湯で体を清めるのではなかったのですか?」

当然、返事はない。

「……ロゼル様?」

軽く肩をつつく。

――反応なし。

完全に熟睡している。

アゼリアは少しだけ困ったように首を傾げ、

それから、また微笑んだ。

「……ふふ」

小さく息をつく。

「では、明日から……ですね」

静かにそう呟き、

そっと毛布を引き上げてやる。

ロゼルは、むにゃ、とわずかに顔を動かし――

「……もう一体……いける……」

寝言。

アゼリアが一瞬、固まる。

「……何が、でしょうか」

思わず真顔で返す。

だが次の瞬間。

「……金貨……もっと……」

アゼリアは、数秒黙り――

そして。

「……ふふっ」

今度は、はっきりと笑った。

「やはり、ロゼル様ですね」

部屋の灯りが、静かに揺れる。

外の喧騒も、少しずつ遠ざかっていく。

ベッドの上では、夢の中でも稼ごうとしている主人と、

それを見守る少女。

――相変わらずの二人だった。

その夜は、少しだけ穏やかで、

ほんの少しだけ、可笑しかった。




























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