ギルド
朝。
薄く差し込む光で、ロゼインは目を覚ました。
最初に感じたのは――視線。
「……」
ゆっくりと目を開ける。
すぐそこに、青い瞳。
「……アゼリア」
「はい、ロゼイン様」
即答。
近い。
近すぎる。
ロゼインは、しばらく黙った。
「……お前」
一拍。
「一晩中、見てたのか?」
「はい。わたくしは寝ませんので」
迷いのない声。
ロゼインは顔を覆った。
「……そうかよ」
小さく息を吐く。
「見るなとは言わねぇが、距離は考えろ」
「申し訳ございません」
アゼリアが少しだけ離れる。
ほんのわずか。
ロゼインは体を起こした。
「……行くぞ」
「はい」
階段を降りる。
昨日と同じ、淀んだ空気。
だが、視線が違う。
カウンターの店主が、すぐに顔を上げた。
ほんのわずかに姿勢を正す。
「……もう出るのか」
声に、侮りはない。
ロゼインは短く答える。
「ああ」
店主は少しだけ間を置き、口を開いた。
「……あんたら、目立ってるぞ」
ロゼインの足が止まる。
「早ぇな」
「こういう街はな」
店主は肩をすくめる。
「面白ぇ話は、一晩で回る」
一拍。
「“ガキが三人潰した”ってな」
ロゼインは鼻で笑った。
「事実だろ」
「違いねぇ」
店主は少しだけ視線を細める。
「……気をつけろよ」
「何をだ」
短い問い。
店主は答えない。
ただ、ロゼインを見る。
“分かってるだろ”という目。
ロゼインは、わずかに口元を歪めた。
「ああ」
一言。
それで会話は終わる。
店主はそれ以上何も言わない。
ロゼインも、聞かない。
十分だった。
扉を開ける。
朝の光が差し込む。
裏通りの空気は相変わらずだが、昨日とは違う。
視線が増えている。
値踏みする目。
探る目。
「……面倒くせぇな」
ぼそり、と呟く。
アゼリアが静かに並ぶ。
「どうなさいますか」
ロゼインは少しだけ空を見上げた。
そして――前を見る。
「決まってる」
口元がわずかに歪む。
「顔出しだ」
歩き出す。
向かう先は一つ。
ロゼインが知っている場所。
この街で、最も人と情報が集まる場所。
――ギルド。
軋む階段を降り、二人は宿を出た。
朝の光が路地を淡く照らす。濡れた石畳が光を反射し、街の喧騒が耳に届く。
ロゼインは少し歩みを速める。
「この街の中心まで行けば、いろんな人が集まってる。冒険者や商人、それに情報屋もな」
アゼリアは後ろで肩を小さく震わせ、目を丸くする。
「……えっと……人が……多いですね……」
迷宮の静けさしか知らない彼女には、歩道に溢れる人々の雑踏が圧倒的だった。
ロゼインは通りを見渡す。荷車を引く商人、腕に鎧をまとった冒険者、魔法陣を試す少年――小さな店先には魔石や魔物の素材が並び、交渉や取引が絶え間なく行われている。
「ここでは、素材や情報が簡単に手に入る。魔石や魔物の材料も、だ」
アゼリアは小さく息を呑み、周囲を見渡す。
「……こんなに……いろんな人が……」
青い瞳がきらりと光る。初めて見る人の多さと活気に、言葉が追いつかない。
ロゼインは先を見据え、歩みを進める。
「……あそこがギルドだ。人も情報も集まる場所だ」
アゼリアは緊張しながらもうなずく。
「……はい、ロゼイン様……」
二人は、街の中心にそびえる重厚な建物へ向かう。
扉の向こうには、冒険者と商人、情報屋が行き交う世界が待っていた。
ギルドの扉を押し開けると、ざわめきと金属音、紙幣を数える音が混ざった独特の空気が二人を包む。
冒険者や商人、情報屋たちが交錯し、カウンターでは魔石や魔物の素材が取り引きされていた。
「こ、これが……ギルド……」
アゼリアは小声で、迷宮しか知らない彼女には活気が眩しく映る。
ロゼインはカウンターに近づき、落ち着いた声で告げる。
「預金の確認と引き出しを頼みたい」
受付嬢は手慣れた手つきで書類を差し出す。
ロゼインは指先をかざして魔力認証を試みる――
だが、反応が返ってこない。
「……あれ?」
体が、以前の感覚と違う。
自然に流れる魔力が、いつもの認証装置に反応しないのだ。
受付嬢は淡々と視線を向ける。
「……認証が通らないようですが」
膝から力が抜け、ロゼインは思わず膝をつく。
「……俺の金が……」
アゼリアがすぐに手を伸ばす。
「ロゼイン様、大丈夫ですか……!」
ロゼインは握った手を見つめ、荒い息をつく。
「……体が……前と違う…からか?…」
受付嬢は淡々と帳簿をめくり、何も言わない。
ただ、いつも通りの手順で手続きを進めようとするだけ。
ロゼインは肩を震わせ、膝を抱え込むようにして途方に暮れる。
変わってしまった自分の体と、昔の生活の隔たりを痛感する――
誰も助けてくれない現実を、静かに受け止めるしかなかった。
膝に力が抜けたまま、ロゼインは肩を震わせて座り込む。
「……ちくしょう……」
吐き出した言葉には苛立ちと諦めが混ざる。
アゼリアは静かに近づき、そっと膝の横に座った。
「ロゼイン様……」
青い瞳が柔らかく光る。
「……すまない、情けない姿を…」
ロゼインは視線を落としたまま小さく呟く。
「……構いません。ですので、今は少し落ち着いてください」
アゼリアは手を差し伸べる。指先が軽く触れ、ロゼインの肩にかかる。
「……こういう時こそ、私が傍におります」
その言葉に、ロゼインは小さく肩を揺らすだけで返す。
誰にも甘えられなかった自分にとって、骸骨の彼女の存在は不思議な安心感だった。
の力をなんとか取り戻したロゼインは、少しうつむきながらアゼリアに言った。
「……やっぱり、今は手持ちの金も下ろせねぇ。仕方ない……か」
アゼリアが静かに頷く。
「……この体じゃ、以前の魔力認証も通らないし、貯めていた金も使えねぇ」
少し息をつき、肩を落とす。
しばし考え込む。視線が迷宮都市の喧騒に向かう。
「……となると、選択肢は一つか」
小さく息をつき、口元を歪める。
「……冒険者として、新規登録するしかないか……」
アゼリアは微かに唇を開き、軽く息をもらすように頷いた。
「……はい、ロゼイン様。私が支えます」
その決意を胸に、二人は新規登録へと向かった。
扉をくぐると、忙しなく書類を扱う受付嬢達が目に入る。
ロゼインはカウンターに近づくが、目の前の木製カウンターは思ったより高く、普通に立つだけでは届かない。
「……あの」
爪先立ちになり、ぎりぎりの背伸びで声をかける。
その瞬間、受付嬢の目が一瞬止まる。
金色の髪、真紅の瞳、小さな体――ただの子供ではないことが分かる。
(あ……この子……超可愛い……)
思わず微笑みを抑える受付嬢。
「……あの、登録を……お願いします」
爪先立ちのまま、ぎこちなくも真剣な声。
受付嬢は軽く微笑みながら帳簿をめくる。
「わかりました。でしたら、ここの用紙にお名前を記入してください」
ロゼインは少し首を傾げる。
「いや……前の名前は、もう使えねぇ。せっかくだし、新しい名前で登録するか」
肩をすくめるその様子に、アゼリアがすっと前に出る。
「それでしたら、ロゼイン様のお名前は、わたくしが考えてもよろしいでしょうか?」
青い瞳が、少しだけきらりと光る。
ロゼインは一瞬、目を細めたが、すぐに軽く肩をすくめる。
「……お前に任せるよ」
アゼリアは少し微笑み、静かにうなずく。
「では……ロゼル、と名付けさせていただきます」
「ロゼル……」
ロゼインはその名前を口にしてみる。少し照れくさそうに、しかししっくりときた。
アゼリアは小さく息をもらすように頷く。
「……これで、私たちは共に冒険するパートナーになったんですね!」
その声には、喜びと確かな決意が混ざっていた。
ロゼインは、ふと目元を緩めて微笑む。
「……ああ、そうだな」
二人は静かに、しかし力強く、これからの歩みを互いに確かめ合った。
受付嬢が淡々と口を開いた。
「では、お一人様につき、銀貨五枚が手数料になります」
「え……?」
「え……?」
二人は同時に声を上げ、顔を見合わせる。
ロゼインは思わず膝をかがめ、手元の金貨を確認する。
アゼリアも同じく、ポケットの中を探る仕草をする。
二人揃って小さく肩をすくめ、声をそろえるようにぼそりと――
「……前途多難の冒険の始まりってやつか」
受付嬢の言葉に、ロゼルは手元の硬貨を見下ろした。
「……足りねぇな」
ぽつりと呟く。
銀貨五枚が二人分――今の手持ちでは、明らかに足りない。
アゼリアも静かに視線を落とす。
「......申し訳ございません、ロゼイン様......いえ、ロゼル様」
「いや、お前のせいじゃねえ。てかその名は確定なんだな」
ロゼルは小さく息を吐く。
一瞬の沈黙。
そして、ロゼルはわずかに眉を寄せた。
「……登録料なんざ、昔はなかっただろ?」
低く、ぼそりと。
受付嬢は少しだけ目を瞬かせる。
「はい、以前はそのようでしたが……現在は制度が変更されております」
事務的な声。
ロゼルは小さく舌打ちしかけて、やめる。
アゼリアも静かに視線を落とす。
ロゼルは小さく息を吐く。
その様子を見ていた受付嬢が、ふと思い出したように口を開いた。
「……あの、もしよろしければ」
二人の視線が向く。
「初心者冒険者向けの講習と試験を受けていただき、合格されれば、登録費用は免除されます」
一瞬の間。
ロゼルの口元が、わずかに歪んだ。
「そりゃあ…渡りに船だな…」
顔を上げる。
赤い瞳が、はっきりと意思を帯びる。
「それ、受けたい」
受付嬢は軽く頷き、手元の紙を整えた。
「それでしたら、ちょうど本日の午後に試験が行われます」
「ギルド裏の広場にて待機していてください」
一拍置いて、少しだけ声を柔らかくする。
「試験官は、元B級冒険者のランド様が担当されます」
ロゼルは小さく眉を動かす。
「……B級、ね」
受付嬢は続ける。
「現在はギルド職員として勤めていらっしゃいますが、とても実績のある方です」
「ご健闘をお祈りしております」
ロゼルは短く頷いた。
「……ああ」




