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聖血のロゼル  作者: ハナハル


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奈落鬼

奈落鬼バルガスは、ゆっくりと歩いてきた。

ドン。

石が割れる。

その足は、人の胴ほども太い。

踏みしめるたび、床の砂が震える。

カンテラの光が巨体を照らす。

灰色の皮膚。

岩のような筋肉。

背から生えた二本の角。

顔は鬼。

だが体は、巨大なトロールのようだった。

そして何より。

その目。

濁った赤。

人を見る目ではない。

家畜を見る目でもない。

もっと軽い。

まるで——

虫でも眺めているような目だった。

誰も動かない。

誰も声を出さない。

迷宮の空気が、急に冷たくなる。

ロゼインの喉が乾く。

汗が背中を流れる。

鼻の奥に、匂いが届く。

鉄の匂い。

血だ。

それも古いものではない。

新しい血の匂い。

床の黒い染み。

潰れた鎧。

さっき見たものが、頭の中で繋がる。

ロゼインの背筋に寒気が走った。

(……これ)

(全部……こいつがやったのか)

グラドが一歩前に出る。

鎧が重く鳴る。

ガン。

戦斧を肩から降ろした。

だが。

ロゼインは気付く。

グラドの呼吸が、荒い。

この男はBランクだ。

数え切れない魔物を殺してきたはずだ。

それでも。

恐怖している。

「……おい」

グラドが低く言う。

「隊列組め」

後ろで盾が上がる。

弓が構えられる。

回復術師が祈りを始める。

だが。

誰も前に出ない。

奈落鬼は、ただ立っている。

巨大な影を落として。

そして。

ゆっくりと首を傾けた。

まるで。

人間を観察しているように。

グラドが叫ぶ。

「来い…化け物ォ!!」

戦斧を構える。

足を踏み込む。

だが。

奈落鬼は動かない。

ただ。

鼻を鳴らした。

フン。

湿った息が迷宮に広がる。

腐った肉のような臭い。

ロゼインは思わず顔をしかめた。

その瞬間だった。

奈落鬼の腕が。

消えた。

見えない。

速すぎる。

次の瞬間。

グラドの体が。

消えていた。

いや。

違う。

吹き飛んでいた。

ドゴォン!!

石壁が爆発する。

岩が崩れる。

粉塵が舞う。

数秒。

誰も、何が起きたか理解できない。

ロゼインの耳がキーンと鳴る。

やがて。

瓦礫の向こうから。

何かが転がり落ちた。

グラドの兜だった。

ぐしゃりと潰れている。

そして。

瓦礫の隙間から見える。

赤いもの。

肉。

骨。

潰れていた。

人の形ではない。

一撃。

ただそれだけで。

Bランク冒険者が。

肉塊になっていた。

沈黙。

誰も声を出さない。

カンテラの火だけが揺れる。

ロゼインの心臓が激しく鳴る。

ドクン。

ドクン。

ドクン。

頭が理解を拒否する。

(嘘だろ)

(今の)

(何だ)

奈落鬼バルガスは。

ゆっくり腕を下ろした。

まるで。

虫を払っただけみたいに。

そして。

また首を傾ける。

人間たちを見ている。

興味深そうに。

その口が、ゆっくり開いた。

牙が並ぶ。

そして。

低く。

くぐもった声が漏れた。

「……グォ」

それは言葉ではない。

ただの音。

だが。

ロゼインの本能が理解した。

こいつは今

遊び始めた。

その瞬間。

隊の一人が叫んだ。

「に、逃げろォォォ!!」

恐怖が、爆発した。


叫び声が迷宮に響いた瞬間だった。

隊列は、一瞬で崩れた。

盾兵が後退する。

弓兵が後ろに下がる。

荷運びの男が荷袋を放り捨てて走る。

二十人の遠征隊。

つい数分前まで、整然としていた隊が。

ただの群衆になった。

「落ち着け!!」

誰かが叫ぶ。

だが誰も聞いていない。

カンテラが揺れる。

足音が乱れる。

鎧がぶつかる。

ロゼインはその場に立ったまま、動けなかった。

視界の端。

瓦礫の下に見える赤い塊。

グラドだったもの。

血の匂いが、濃くなる。

生暖かい。

鉄の味が、喉の奥まで届く。

その時だった。

ドン。

奈落鬼バルガスが一歩踏み出す。

床の石が砕ける。

迷宮の空気が揺れた。

「……ッ」

誰かが悲鳴を飲み込む。

奈落鬼は、ゆっくりと腕を伸ばした。

逃げようとしていた冒険者の一人。

軽装の槍使いだった。

首根っこを——

つまんだ。

「う、あ、ああッ!」

男がもがく。

足が宙を蹴る。

槍が床に落ちた。

カラン。

乾いた音。

奈落鬼はそのまま、男を顔の前まで持ち上げる。

じっと見る。

近くで観察するみたいに。

男の顔は真っ青だった。

「や、やめ……」

奈落鬼は首を傾けた。

次の瞬間。

握った。

グシャ。

骨が砕ける音。

肉が潰れる音。

血が、奈落鬼の腕を流れる。

男の体は。

布袋みたいに潰れた。

それを奈落鬼は、ぽいと捨てた。

ドチャ。

肉の塊が床に落ちる。

数秒。

迷宮は、静まり返った。

そして。

地獄が始まった。

「うわあああああ!!」

弓兵が矢を放つ。

ヒュン!!

矢が飛ぶ。

奈落鬼の胸に刺さる。

……だが。

矢は。

浅く刺さっただけだった。

奈落鬼は矢を見下ろす。

少し考える。

それから。

指で抜いた。

ポイ。

床に捨てる。

まるで。

虫の針でも抜くみたいに。

弓兵の顔が凍る。

「……嘘だろ」

その瞬間。

奈落鬼が動いた。

速い。

巨体とは思えない速度。

ドゴォン!!

拳が振り下ろされる。

床が砕ける。

弓兵は——

床と一緒に潰れていた。

血が、石の隙間を流れる。

奈落鬼はそれを見下ろす。

そして。

笑った。

喉の奥で。

低く。

「……グォ……」

楽しそうに。

「散れ!!散れぇぇ!!」

誰かが叫ぶ。

冒険者たちは四方に逃げた。

だが。

奈落鬼は追わない。

ただ歩く。

ドン。

ドン。

ドン。

近くにいる者を。

順番に殺す。

盾兵が立ちはだかる。

「来い化け物ォォ!!」

盾を構える。

奈落鬼の拳が落ちる。

ドゴォ!!

盾ごと、男の上半身が消える。

下半身だけが倒れる。

血が噴き出す。

奈落鬼はそれを見て。

また笑う。

ロゼインは、やっと体が動いた。

逃げる。

走る。

足が震える。

迷宮の空気が冷たい。

背中に汗が流れる。

後ろから聞こえる。

悲鳴。

骨が折れる音。

肉が裂ける音。

「助け——」

ドゴォン!!

声が途中で途切れる。

ロゼインは振り返らない。

振り返ったら終わりだと。

本能が理解していた。

その時。

迷宮が揺れた。

ドン!!

奈落鬼の拳が、石柱に叩きつけられる。

柱が折れる。

天井が崩れる。

ゴゴゴゴ……

岩が落ちる。

「崩れるぞ!!」

誰かが叫ぶ。

天井の石が落ちてくる。

ロゼインは必死に走る。

足元。

床が割れる。

亀裂。

黒い闇。

奈落。

その瞬間。

足場が崩れた。

「——ッ!?」

ロゼインの体が浮く。

視界が回転する。

カンテラの光が遠ざかる。

上から。

悲鳴。

崩れる石。

そして。

奈落鬼の赤い目が。

穴の縁から覗いていた。

見下ろしている。

落ちていくロゼインを。

まるで。

壊れた玩具を見送る子供みたいに。

その口が。

ゆっくり歪む。

笑っていた。

ロゼインは。

闇へ落ちた。

どこまでも。

どこまでも。

光の届かない場所へ。

奈落の底へ。






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