遭難
冷たい石の床の上で、ロゼインは目を覚ました。
背中に伝わる岩の感触は、氷のように冷たい。
湿った空気が服を通して体の芯まで染み込み、
骨の奥から体温を奪っていく。
暗い。
光はほとんどない。
地面に置かれた小さなカンテラだけが、
頼りなく揺れていた。
油はもう残りわずか。
その灯火が消えれば、
この奈落の闇に完全に呑み込まれる。
喉が焼けるように痛い。
ロゼインは震える手で腰の水袋を探った。
振る。
カサ……
乾いた音だけが返ってきた。
わかっていた。
昨日、最後の一滴まで飲み干したことは。
それでも振らずにはいられなかった。
もしかしたら、
ほんの一滴くらい残っているのではないかと。
もちろん、何も出ない。
腹も空っぽだった。
もう二日以上、何も口にしていない。
胃がきりきりと縮み、
時折、内側から捻じられるように痛む。
右腕は動かない。
おそらく折れている。
左脚もまともに力が入らなかった。
落下した時にひどく打ちつけたのだろう。
少し動かすだけで、
鈍い痛みが腰から足先まで走る。
体中が痛み、
息をするだけで胸が軋んだ。
ロゼインは壁にもたれ、
かすれた声で呟いた。
「……ここで終わりか」
夢も。
名声も。
財宝も。
すべて、この暗闇の中で終わる。
誰にも知られず、
骨となって朽ちる。
乾いた笑いが漏れた。
「……冗談じゃねぇ」
まだ死ねない。
こんなところで終わってたまるか。
ロゼインは震える手で胸元を探った。
小さな革袋。
その中に残っていたのは、
最後の気付け薬だった。
乾燥させた薬草を丸めた粗末なもの。
口に放り込み、
奥歯で噛み砕く。
ガリッ。
強烈な苦味が舌に広がった。
喉の奥が焼けるように熱くなる。
心臓がドクンと大きく脈打った。
霞んでいた意識が、
わずかに鮮明になる。
「……まだ、動ける」
ロゼインは剣を杖代わりに石の床へ突き立てた。
ガキン、と金属音が響く。
左手一本で柄を握り締める。
腕に力を込める。
膝が震える。
足が言うことを聞かない。
それでも、歯を食いしばり、
ゆっくりと体を持ち上げた。
立ち上がった――
と言えるほど立派な姿ではなかった。
右腕はだらりと垂れ、
左脚を引きずっている。
体は大きく傾き、
今にも倒れそうだ。
それでも、
ロゼインは一歩を踏み出した。
ズッ……
折れた足を引きずる。
石の床に靴底が擦れる。
一歩。
また一歩。
そのたびに、
全身に痛みが走る。
視界の端が暗く染まる。
吐き気が込み上げる。
それでも進んだ。
生きるために。
その時だった。
カチャ……
骨と骨が触れ合うような音が迷宮に響いた。
ロゼインは顔を上げる。
カンテラの淡い光の先。
そこには、無数の骨が積み上がっていた。
折れた剣。
砕けた鎧。
錆びた槍。
そして、
何十人もの人間の骸。
奈落は、
人を食ってできている。
そんな言葉をロゼインは思い出す。
ロゼインは最後の力を振り絞り、
骨の山へと歩み寄った。
水か。
食料か。
何でもいい。
生きるための何かを。
骨を踏む。
パキッ。
乾いた音。
その時。
カチャ……
骨の山の奥で、
白い影がゆっくりと動いた。
スケルトンだった。
古びた修道服を纏い、
静かにこちらを見つめている。
眼窩の奥で、
青い炎がゆらゆらと揺れていた。
ロゼインの背筋に、
本能的な恐怖が走る。
魔物だ。それも、おそらく特殊個体…
こんな状態で出会っていい相手ではない。
ロゼインは反射的に剣を構えようとした。
右腕は動かない。
左手一本で柄を握り、
震える足で無理やり体を支える。
剣先はぶれ、
まともに構えられているとは言い難い。
それでも、
ロゼインはその細い刃を前へ突き出した。
「……来いよ」
声はかすれ、
ほとんど息のようだった。
だが、
その目にはまだ闘志が残っていた。
生きたい。
まだ終わりたくない。
その一心だけで、
立っていた。
しかし。
限界だった。
気付け薬の効力も尽き、
膝から力が抜ける。
視界が傾く。
剣が手から滑り落ち。
ガラン、と床を転がった。
「……ちくしょう」
最後の言葉を漏らした瞬間。
ロゼインの体は前のめりに倒れた。
そのまま、
スケルトンの足元へと崩れ落ちる。
ロゼインの意識は、
深い闇の底へと沈んでいった。




