ニンニクとショウガ
光が差し込み、私は目を開いた。
「……ここにいたのか、ニンニク」
冷え切った体、考えることをとうに放棄した心、それが今、電流に貫かれたように息を吹き返した。
忘れようのない声。懐かしくて堪らない。ずっと、秘めていた思いが、のど元にこみ上げる。私は凍える唇で、彼の名前を呼んだ。
「ショウガ、くん……」
冷蔵庫の扉の向こうに、ショウガくんはいた。変わり果てた姿で、私の前にあらわれた。
あの頃、私たちは一緒に農協で出荷されるのを待っていた。
彼は土から掘り出されたばかりで、白菜やキャベツみたいな軟弱な野菜とも、サツマイモやジャガイモみたいな芋臭い野菜とも、まるで違っていた。幾重にも薄皮に包まれた臆病な私は、そんな彼に怯えさえ感じていた。
けれど、倉庫で過ごすうちに、私たちはいつしかお互いのことを話すようになった。それは私たちが同じ、香味野菜だったからかも知れない。
彼と私は外見はまるで違ったけれど、お互い強い匂いを持っていて、まわりからは敬遠されていた。
『ニンニクのここ、白くて……何て……きれいなんだ』
『ショウガくんの、ゴツゴツして……かたいの、すごい……んぅ……!』
いつ出荷されるかわからない暗闇の日々、私たちは愛し合うようになった。荒々しい見た目の割に、彼は優しかった。
息を荒げて、汗だくになって、私たちはお互いの放つ強烈な匂いに笑い合った。
『これじゃあヴァンパイアだって寄ってこないはずだぜ』
『もう、バカ!///』
彼はショウガ、私はニンニク。それでも、同じ香味野菜として、ぼんやりと同じ未来を夢見ていた。
私はあの頃の面影を目の前の彼に探す。薄茶色の皮も、私が愛した固さも、ゴツゴツとした節も、彼は失っていた。
「俺をショウガなんて呼ぶのは、もうお前くらいかも知れないな。俺がショウガだったなんて、知らない人間も多い」
「どう……して……、ショウガくん、そんな姿に」
「俺はもうショウガじゃない。……俺は、ガリだ。それも銀座の一流寿司店で出される、な」
「ガリ……! そんな……! そんな薄くてぺらぺらでピンク色で甘酸っぱいけど噛みしめるとちょっと辛くて風味が生魚のくさみを調和させるガリだなんて!」
「なかなか美味しんぼみたいなこと言うじゃないか」
彼は私を冷蔵庫から引っ張り出した。あまりのあたたかさに私は身震いする。一般家庭の冷蔵庫の温度は五度。室温はおよそ二十度。その差、十五度。でも私にとって、ショウガくんとのふれあいは沸点超えだ。
「ニンニク、お前だって、人のこと言えるのか? その体、あの頃の真っ白だったお前はどこに行ったんだ?」
「知ってるんじゃないの……? 一度、一度醤油漬けにされたら、もう元の体には戻れないって……」
私は身を捩って叫んだ。彼がガリとして漬けられたのと奇しくも同じく、私も漬けられていた。
醤油──おそろしい調味料。あれに漬けられれば、たいていの物はやられてしまう。醤油色に染まるほかない。
私も例に漏れず、醤油に染められていた。染められていただけでは無い。醤油に、私の風味も、味も、すべて吸い取られていた。
「……だしがら、か」
ぽつりと、ショウガが言った。私は力なく頷いた。あの頃、ショウガが愛してくれた私は、もうどこにもいない。
「……何しに来たの? ガリになった自分を、自慢しにきたの? 昔からそう。ショウガは、古根やら、新生姜やら、ガリだって、漬けられたって主役はショウガよ! でもニンニクはニンニクしかないの! 誰も新ニンニクなんて言ってくれない! ガーリックとオニオンの区別もつかない! 醤油に漬けられたニンニクは用済みなの……捨てられる、未来しかない……」
自分の言葉にこれほど傷つくなんて。未来。私と彼は同じ未来を夢見ていた。いつか中華料理あたりで、同じように油で炒められる未来を。
でももう、寿司屋のガリと、ニンニク醤油のだしがらに成り果てたニンニクに、同じ未来なんて、ない。
「ニンニク」
彼が私を抱きしめる。私は必死で彼を振り解こうとした。彼を思う、自分の恋心から逃れようとした。
「やめてよ! 離して! こんな惨めな姿見られたくなかった、放っといて、もう……」
続く言葉は、唇に封じられた。
「……ん、ふぅ……」
抵抗も、偽りの拒絶も、すべて彼の舌に絡め取られる。鼻から抜ける甘ったるい喘ぎが、自分の耳にも、愛し合ったあの頃のままだと教えた。
――愛してた……ずっと……あなただけを……今も……。
冷蔵庫のドアポケットの、ニンニク醤油の瓶の中で、醸成されたひとりぼっちの恋。
唇が離れた時、私は泣いていた。ショウガは私の涙を唇で拭い。もう一度強く私を抱きしめた。
「……ずっと、お前を探していた。やっと見つけた。だから、迎えに来た。お前が、ガリになった俺を見分けられなくても、攫っていくつもりだった。だけど、お前はすぐに俺だとわかってくれた。だからもう、お前を離す理由が無い」
私は彼の腕の中で、首を振った。「ううん」
「変わったのは私。ガリのつけ汁みたいに捨てられるのが私……あなたにふさわしくないのは、わ……」
また唇に言葉の続きを奪われる。今度の口づけは、離れていた時間を埋めるように、じっくりと味わうようなものだった。昔とは完全に違う私たちの形、匂い。それでも、私たちは、ニンニクとショウガであると確かめるような。
「……愛してる、お前を」
「……バカ……」
冷蔵庫の扉が閉じ、私は外の世界に立った。傍らには、ガリになったショウガがいる
「……どこに行くの……?」
「行き先は、決まってる。……あの頃から変わらない」
私は彼とともに、歩き出す。もう振り返らない。
私の頬を愛しげに撫で、ショウガが言った。
「ガリと、ニンニク醤油のニンニクが、一緒にいれる未来さ」
私がバカです