第六十一話「それ以前の話」・3
俺が頭に受けた後遺症、一時的記憶欠落障害……。この障害を負ってしまった人物は、その傷の深さによって記憶の欠落を起こす期間が変わる。俺の場合は四年間だった。なので、産まれた瞬間から後遺症を負う寸前までの記憶と、後遺症を負ってからの四年間の記憶を失う事になる。
厳密的には、それ以前の記憶は既に覚えている事なので、いくつかの鍵をかけられるだけで失う訳ではないらしい。だから、鍵となる想い出を聞かされることで記憶の解放を行う事が出来るそうだ。
問題は空白の四年間の方だ。こちらは厄介で、特に記憶の中でも人間関係を中心に記憶の欠落を起こすらしい。人によっては勉強の方だったりと様々らしいが。
で、俺の場合この四年間の記憶が記憶領域に残らないのだ。
分かりやすくゲームで例えよう。それ以前の記憶はセーブデータにセーブしてあるから残っている。だが、空白の四年間の記憶は、セーブする前に本体が壊れてしまったため、セーブが完了しておらず残らない、とこんな感じだ。
空白の四年間の記憶を取り戻すには、俺の周囲にいた人間から事細かに出来事を話してもらって覚えていくしかないのだ。また、これを四年後の七月二十一日を迎える一週間前から行わないといけないのは理由がある。
何でも、四年が経つと同時に俺の体の記憶領域が一度、パソコンで言う初期化に似たような行動を取るらしい。以前の記憶はセーブされているとはいえ一時的セーブになるようで、そうなると俺の記憶は真っ新になってしまう。そしたら、俺は体は高校生、中身は赤ん坊という状態になってしまう。おまけに、初期化後は昔の記憶が入らないそうだ。そうなると、以前の記憶はもちろん空白の四年間の記憶も入らない。それを防ぐために、この一週間の間で俺の記憶を呼び覚ましているのだ。確かに欠落障害で後遺症後の記憶は覚えられないと思うかもしれないが、そこは人間上手く出来ているようで、頭が覚えておらずとも体が覚えているそうだ。なので、実体験を話される事で体が反応を示すらしい。本当かどうかは分からない、全部ルナーの説明なので信憑性はないのだ。
だが、ルナーがやけに自信ありげに話すので本当なのだと俺は信じている……一応。
「じゃあ響史くんの記憶領域は、小学六年生の七月二十一日までしか記憶してないって事なんだね?」
「そうなるな。だから、パソコンで言うなら、入れたいデータをUSBからパソコン本体に移す感じになるのかな」
「とどのつまり、私が響史くんに言わないといけないのは、それ以前の記憶にかかってる鍵の内の一つを解除する事と、空白の四年間の欠落した記憶を補う事だね?」
やっぱり天然の気がある雛下とはいえ、理解力はいい。俺が言った事をすぐに理解してくれたようだ。
「ああ、少し大変かもしれないけど頼む」
「任せて! あ、でも……それだけじゃ、足りないんじゃない?」
「え?」
「めーちゃんの事だよ」
めーちゃん……か。そうだった、それを忘れていた。
「私の予想だけど、響史くんの以前の記憶は大まかに分けて、家族との想い出、私との想い出、めーちゃんとの想い出に分けられてると思うの。だから、めーちゃんの話も聞かないとダメだと思うよ?」
「やっぱりそうか……でも」
「どうかした?」
俺が少し困惑顔でいると、雛下がきょとんとした表情を浮かべて首を傾げた。
「めーちゃんの事を全くと言っていいほど覚えてないんだ」
「うそっ!? ホント? めーちゃん、哀しいだろうな。あっ、じゃあ私がいくらか話してあげる。もしかしたら、それでも思い出せるかもしれないし」
「ホントか? 助かる」
「もしも私の話だけでめーちゃんの事に関わる記憶が解放されないなら、その時は本人に聞けばいいしね」
確かに雛下の言うとおりだ。めーちゃんの家がどこかなんて知らないし、話に寄れば引っ込み思案な性格なので滅多に表に出て来ないらしいからな。緊急事態の今、なるべく無駄な時間は使いたくない。言い方は悪いけど。
「立ち話もなんだし、家に来ないか?」
「行っていいの!?」
「あ、ああ」
雛下が目をキラキラ輝かせるもんだから、思わず後ずさってしまう俺。どうやら、雛下は相当俺の家に来たかったらしい。
「それじゃあ、すぐに着替えてくるね?」
そう言って踵を返し家に引き返そうとする雛下の発言に、俺は疑問を抱いて問うた。
「ちょっと待て、既に服着替えてるじゃん」
「あー、えと……これ部屋着なんだ。響史くんの家に行くんならちゃんとした格好でいかないと、失礼じゃん」
そこまでしっかりする必要あるか?
と、俺は少し呆気に取られたが、雛下は聞かないだろう。まぁ、時間はあるし問題ないか。
「じゃあ、ここで待ってるから」
「あ、いいよ。先帰ってて……着替えたらすぐに行くから」
「そうか? じゃあ、また後でな」
「うん、また後で」
互いに手を振り、俺は歩いて帰宅した。
玄関扉を開けると、俺を出迎えてくれたのは亮祐だった。
「あ、兄ちゃん。おかえり!」
「おう、亮祐はこれからどこか行くのか?」
そう問うと、弟は元気よく頷いて口を開いた。
「健太くんの家!」
「またか? そういや、亮祐はこれからどうするんだ?」
「どうって?」
俺の質問の意図が分かりにくいのか、首を傾げながら亮祐が尋ねる。
「今まで四年間ずっと雛下の家にお世話になってたんだろ? 父さんたちも帰ってきたし、こっちに戻ってくんのかなって」
「う~ん、わかんない。お父さんたち、ちょっと怖い顔してたから」
「怖い顔?」
何かあったのだろうか?
「もういい? 健太くんが待ってるから」
「ああ、悪いな引き留めて。もういいよ」
これ以上ここに縛り付けるのは悪いしな。小さい時くらい自由に遊ばせてやらないと。
俺は亮祐が元気よく出かけるのを見届けてリビングへ向かった。
「父さん……亮祐が怖い顔してたって言ってたけど、どうかしたのか?」
「ああ、響史か。実はな……父さん達、隣町まで帰らなくちゃいけなくなった」
「えッ!?」
突然の報告に、俺は驚愕した。そりゃそうだろう、いきなり帰るとか……。
「どうして?」
「急に仕事が入ってな。隣町にデータや資料なんかをすべて置いてきたから作業が出来ないんだ。いちいち取りに戻ってこっちに……となると、余計に時間がかかる。それに、向こうの家の留守も気になるしな」
「そうなんだ。いつ戻るんだ?」
「二十一日だ」
「――ッ!?」
何の偶然か。その日にちは、俺たちが運命の日と呼ぶ日だった。なつい事件のあった日に帰るなんて、しかもその日は……。
「俺の記憶が、戻るかもしれない日……」
「ああ、会社の人間と交渉してな。二十一日に伸ばしてもらった。本当なら早急に帰らなければならなかったんだ」
父さん、それほどまでに俺のことを……ダメだ、最近どうも涙腺が緩んでる気がする。
「ありがと、父さん」
「なぁに、気にするな。これくらい当然だ……」
「響史、琴音ちゃんはどうしたの?」
俺と父さんの会話に母さんが混じってくる。同時、話題を雛下についてに変えられた。
「ああ、着替えてからすぐ来るってさ」
「あら、うちに呼んだの?」
「その方がいいと思って……。ええと、ダメだったかな?」
「そんなことはないわ。久しぶりだし、お昼も一緒に食べる?」
母さんがニコニコ笑顔で嬉しそうに尋ねる。いや、そんなこと俺に尋ねられても。
「さぁ、本人に訊いてみないと……」
と、そう言った矢先―。
ピンポーン♪
チャイムが鳴った。
「あ、は~い!」
その場に立ち上がり、俺は玄関へ赴く。そして扉を開けると、そこには息を荒げ膝に手をつく雛下の姿があった。
「はぁ、はぁ……」
「ひ、雛下?」
なぜ走ってきたのかと疑問に思いつつ、俺は名前を呼ぶ。すると、俺の声に反応して雛下が俯かせていた顔をあげた。同時、垂れる横髪をかきあげる。額にうっすらと浮かぶ汗と荒れる吐息、若干赤く色づいている頬、さらにその自然の中で取る仕草に、一瞬俺はドキッとしてしまった。
「ど、どうかした響史くん?」
「い、いや……それより、どうしたんだ? 走ってきたのか?」
「……はぁ、はぁ……うん。ちょっと、時間……かかったかな?」
息も絶え絶えという様子の雛下に、俺はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「いや、ホントそんなに急がなくてよかったのに。あがれよ、疲れたろ?」
ちょっと気配りをしつつ、俺は雛下の荷物を持ってあげた。
「母さん、お茶もらえる?」
「ええ、麦茶でいいかしら?」
「あ、はい。すみません」
俺が答えるより先に、雛下が遠慮がちに応える。
雛下は俺が用意した座布団にお姉さん座りで座り、母さんから麦茶を受け取っていた。
「いただきます」
そう一言つぶやいて、雛下がごくっごくっと麦茶を飲む。思わず、その挙動の一部始終を見届けてしまい、俺は慌てて視線をそらした。
「琴音ちゃん、二日ぶりだね」
と、父さんが新聞を広げながら雛下に声をかける。
「あっ、はい。おじさんも元気そうで何よりです」
「ハッハッハ、もうおじさんの歳かー」
雛下の発言に、父さんがにこやかに笑う。すると、そこで雛下が何かに気付いたらしく、慌てた様子で口を開く。
「す、すみません! おじさんだなんて……え、ええとお父さん?」
「いやいや、おじさんで構わないよ? 昔は間違って俺のことをパパだなんて呼んでくれてたもんだが」
「ええっ!? そ、そんな……私、あぁ……あうぅ」
自分の幼い頃の粗相が恥ずかしいのか、顔を真っ赤に染めて俯いてしまう雛下。
「父さん、これから話してもらわないといけないのに、話しにくくさせてどうすんだよ!」
「おっと、こいつは悪かったな。父さんはちょっと席を外させてもらおう。母さん、居間の方にいるから」
新聞を閉じて丸めると、それを脇に挟んで母さんにそう告げる。
「ええ。お昼もそっちで食べる?」
「いや、お昼はこっちでいいよ」
「あっ、そういえば……琴音ちゃんもお昼どう?」
「い、いいんですか? ご迷惑じゃありません?」
やけに丁寧な口調の雛下。ちょっと緊張してるっぽいな。
「ううん、気にしないでいいのよ? これから響史に昔話してあげるんだし、疲れるでしょうから。昔、琴音ちゃんがうちに遊びに来てくれた時に振る舞ってあげた料理、作るわ」
「ホントですか!? ありがとうございます!」
そんなのがあるのか……ダメだ、それも覚えてないな。後でそこらへんの部分も補ってもらうか。
「じゃあ、そろそろ始めよっか」
そう口火を切る雛下の言葉に、俺は少しおっとっととなりながら頷いた。
「ええと、何から話そうか。まずは、小学六年の夏のその後からだね。響史くんは後遺症を受けた後、友人関係が築きにくくなってしまったの……」
雛下は真剣な面持ちで俺の過去を事細かに話してくれた。俺が友人関係を築きにくくなった事、他人の家の場所を記憶しにくくなった事、人物名を覚えにくくなった事、様々だ。幼稚園時代、小学校時代にいた多くの友人は、その殆どが俺と遊ばなくなってしまったという。幼稚園時代にいた友人の内の殆どは、そもそも小学校にあがった時点で少なくなっていたのだが、小学校時代にいた友人の大半もいなくなり、残ったのはめーちゃんと雛下の二人だけだったという。だが、めーちゃんは体が弱いということもあって実質俺の友人を続けてくれていたのは雛下だけだったそうだ。
そうして年月が経ち、俺は光影学園の中等部に入学し三年間を過ごした。最初はなかなか人物名が覚えられなかったりで前途多難だったものの、雛下の協力もあって同じクラス内で十人ほど友達ができたという。そして、そのうちの一人が、亮太郎だったそうだ。
そうか……亮太郎とは何かと縁があると思っていたが、この時出会っていたんだ。
その際、亮太郎との出会いの経緯も話してもらった。こんな大事な話、俺は忘れてしまっていたんだ。いや、違うな……覚えられていなかったんだ。
また、もう一人友達の関係が続いた人物がいた。そう、それが以前部活動紹介の際に出くわした火元鈴だった。
彼女が言うには俺と面識があるっぽいが、俺自身は全くと言っていいほど記憶がなかった。だから、あの時は話をうまく合わせるのに必死だった。でも、体育祭の際曖昧ながらも記憶が出てきたんだ。恐らく、剣道部の件が絡んでるんだと思う。あの時俺は、姉ちゃんを悪いやつらから守るためという目的であの部に所属していたからな。
とにかく、俺の空白の四年間の記憶の間にもいろんなことがあることが判明した。でも、今はこれを詳しく話している暇はない。追々、言うことにしよう。
それより今は、優先的に俺の記憶を復活させる事が先決だ。
「……だいぶ、思い出してきた?」
「ああ、だんだん記憶が繋がってきたよ。亮太郎、鈴、それに……校長との事もこの時に関係してたんだな」
「うん。響史くんが校長先生とやけに仲がいいのは、あの時のことが関連してるんだと思う。他の二人も、結構付き合いが長いんだよ?」
「そうだったんだ……それなのに、俺は」
なんだか、とても申し訳ない気持ちになってきた。あいつらは俺が後遺症に悩まされてるだなんて知らない。知っているのは関係者のみ……これ以上周囲に迷惑をかけるわけにはいかないと、そうしてきたからな。こりゃ、詫びが必要かもな。
そんな事を思いながら俺はふと、雛下を見た。
と、その時だった。
「うぐッ!?」
突如、激しい頭痛が俺を襲った。これは、以前にも味わった……まただ、枷が暴れてやがる!! くっそ、これ以上俺の記憶の復活を邪魔すんじゃ……ねぇ!!!
「だ、大丈夫響史くん!?」
「あ、ああ……大丈夫だ」
「記憶が戻りかけてるの?」
雛下が心配そうに俺の背中を撫でさすりながら尋ねる。
「ああ、もう少しで空白の四年間の記憶のピースが埋まりそうなんだ。何かが、何かが欠けてるんだよ」
「それって、もしかして……」
何かを思い出したのか、雛下は荷物の中からある写真を取り出した。そして、それを俺に見せつける。
「もしかしたら、何かのきっかけになるんじゃないかと思って持ってきたんだけど……これを見て!」
言われるがままに見ると、その写真に写っているモノを捉えた瞬間に頭痛の激しさが増した。
「あがぁああああああああ!?」
「響史くん!?」
「響史、大丈夫!? しっかりして!!」
母さんもさすがに心配になったようで、俺の元へ駆け寄る。俺は、側頭部を抑えながら奥歯を噛み締めた。
「雛下……それは、もしかして……自然教室の」
「――っ!? お、思い出したの!?」
「あ、ああ……ぼんやり。曖昧だが、さっきよりも鮮明に思い出せる。メンバーは、俺、雛下、亮太郎、火元、そして……めーちゃんだな」
「そ、そうだよ。じゃ、じゃあ……何を作ったのかも、覚えてる?」
記憶の正誤確認を取るように、雛下が質問を投げかける。
「ああ、……めーちゃんが、ドジ踏んで……黒焦げのカレーが出来たんだよな。後、火元が木の枝で素振りしてて、誤って蜂の巣落としちゃって襲われたこともあったっけ」
「ほ、本当に……本当に思い出したんだ、響史くんっ!!!」
あまりにもの嬉しさか、雛下が満面の笑みで俺の首に己の腕を回して抱きついてくる。
「ちょ、おい!」
「うれしいっ! ようやく、ようやく思い出してくれたんだね?」
「ああ、……でも完全じゃない。どの学年で、いつ行ったのかが思い出せない……」
せっかく頑張ってくれたのにちゃんと思い出し切れず、俺は申し訳ない気持ちで居たたまれなかった。
「そんな……でも、それでも大きな前進だよ! この調子なら、ちゃんと思い出せるよ!」
雛下は、俺を非難もせずにむしろ励ましてくれた。ああ、なんていいやつなんだ。やっぱり、長年俺と一緒にいただけあって俺のことをよく理解してくれている。なのに、それなのに……俺は同じ環境下にあったはずのもう一人の存在を覚えていない。ずっとモヤのかかった存在……どうしてなんだ! どうして思い出すことが出来ないんだよッ!!
俺が歯痒い気持ちでいっぱいになっていると、雛下が俺の考えている事に気付いたのか、こう言った。
「めーちゃんのこと?」
「ど、どうして?」
「響史くんの考えてる事なら分かるよ。長い付き合いだもん」
笑顔でそう言ってくれる雛下。確かにその笑顔には癒されるかもしれない、だが俺は不安だった。だって、俺の考えてる事が分かるだなんて、邪な事考えられないじゃん。プライバシー問題に引っかかりまくりだよ!
「悪い、実の所本当にめーちゃんの事が分からないんだ。少しでもいいから彼女の事が知りたい。教えてくれ」
「うん、めーちゃんはそもそも私とそんなに会話を交わした事はないんだよね。響史くんの事ばっかりで、響史くんしか見てないって感じ。それで、彼女が響史くんと友達になったのは、確か年中さんの時だったよ。私よりも後に響史くんと友達になったから、よく覚えてる。でも、先に謝っておくね? 実は、本名が思い出せないの」
「えッ!?」
雛下の発言に、俺は心底驚いた。何故なら、俺よりも記憶が確かであるはずの雛下さえ、めーちゃんの本名を知らないのだから。
「頭の中では分かるの。それなのに、紙に書こうとしたり口にしようとすると思い出せなくなるの。まるで、誰かに邪魔されてるみたい」
訝しんだ様子で言う雛下に、俺はいよいよ不気味さを感じた。一体何者なんだ、めーちゃんって……。
そんな事まで考えてしまう始末だ。
というわけで三部です。地の文読んでてたまに自分でもわからなくなります。説明って、なかなか大変なんですね。また、今回もセリフ部分をいくらか地の文にしてます。理由はまぁ、圧縮ですね。文字稼ぎはあまりしないようにしたいので。その分ちょっと見にくくなったのが難点ですが。ちなみに、亮太郎、鈴、オカマの過去編もそのうちやると思いますので、ご心配なさらず。
引き続き四部へ。




