第5話 神竜だろうが、好き嫌いはするな
焼こうとしたトカゲが、人間になった。
正確に言うと、俺がたき火の枝にトカゲを近づけた瞬間だった。腕の中で赤い光がふくらんだ。気がつくと、十歳くらいの子どもが地面に尻もちをついていた。赤みがかった黒い髪。金色の目。裸足。
「あぶねえだろ! オレを食う気か!」
子どもが叫んだ。
俺はしばらく、手のなかの枝を見た。それからその子を見た。もう一度、枝を見た。
「……しゃべった」
「当たり前だ! オレは神竜だぞ!」
なるほど。しゃべるトカゲ。人間になるトカゲ。神竜。
情報が多い。頭のなかで処理が追いつかない。だが不思議なことに、俺が最初に思ったのはそういうことではなかった。
「で、お前も腹減ってるんだろ」
「は?」
「さっき道端でのびてただろ。腹が減って動けなかったんじゃないのか。顔色も悪い。しばらくまともに食ってないな」
子どもは、口を開けたまま止まった。
図星らしい。
俺はその子の顔をあらためて見た。目の下にうっすらくまがある。唇が乾いている。爪の色も悪い。三千年生きた神竜だか何だか知らないが、目の前にいるのは腹を空かせて行き倒れていた子どもだ。それ以上でも、それ以下でもない。
「……いいか、よく聞け」
子どもは砂を払って立ち上がると、腕を組んで胸を張った。
「オレはリント。三千年を生きた神竜だ。天を焼き、山を砕く。人間ごときが崇め、ひれ伏す存在だ。わかったら、頭を垂れて敬え」
「はいはい」
「はいは一回だ! 崇めろ!」
「わかったから座れ。神竜様。で、最後に飯食ったのいつだ」
「……三日前」
「よし。座れ」
リントと名乗った子どもは、なぜか素直に座った。
自分でも、なぜ座ったのか分からないという顔をしていた。
俺は流れで、その額に手をあてた。ひんやりしている。熱はない。うん、こっちは大丈夫だ。
「な、なにをする!」
「熱がないか見ただけだ。動くな」
リントは、また固まった。
その様子を、ノクトが道ばたの木の陰から見ていた。昨日まで死にかけていたとは思えない目つきで、リントをじっと警戒している。
「なぜ、こんな厄介なトカゲがここにいる」
「あぁん? なんだお前。おっさんはオレが先に見つけたんだぞ。新入りは引っ込んでろ」
「たかがトカゲが。わらわの隣に気安く座るな」
「トカゲじゃねえ、神竜だ! だいたいお前こそなんでこんなおっさんに飼われてんだよ!」
空気が、ぴりっと張りつめた。
二人のあいだで、なにか見えない圧のようなものがぶつかり合った。木の葉がざわめいた。風が、逆向きに巻いた。遠くで、鳥が一斉に飛び立った。
「うるさい」
俺は言った。
「声がでかい。頭に響く。喧嘩するなら飯のあとにしろ。あと、飼われてるとか世話係とか勝手に俺の雇用形態を決めるな。俺は無職だ。誰の庇護下にも入ってないし、労基の適用外だぞ」
二人が、同時に俺を見た。
それから、なぜか二人ともおとなしくなった。張りつめていた空気が、すうっと抜けていった。
飯は、ひどい貧乏飯だった。
なにしろ俺は無一文だ。道すがら摘んだ食える野草。女将にもらったパンの最後のかけら。それを、拾った鉄くずをなべがわりにして煮た。塩もない。だから味もしない。だが煮れば腹には入る。それでいい。
リントは、そのスープをひと口すすった。露骨に顔をしかめた。
そして、器用に青物だけをよけ始めた。
「オレは神竜だぞ。なんでこんな苦い草を食わなきゃならねえんだ」
俺は、深く重いため息をついた。
いいか。好き嫌いをするのは勝手だ。俺はお前の親じゃない。立派な食育をしてやる義理もない。
だがな。
「お前が残したその草、誰が片づけると思ってる」
「あ?」
「俺だ。お前のわがままのせいで、俺の休憩時間が生ゴミの処理に消える。それにな。そんな食物繊維ゼロの飯を続けてみろ。三日で便秘になるぞ。腹を痛めて唸るガキの介抱をするのも、結局は俺だ。冗談じゃない。だいたいタダ飯を食ってる居候の分際で、文句を言うな」
「べ、便秘なんて神竜には関係」
「なる。竜だろうが人間だろうが、腸は腸だ。残すな。食え」
俺は器を、リントの前に押し戻した。
「オレは……オレは怒らせたら、国とか焼けるんだぞ!」
「国を焼く前に、その火でこの薪をあぶれ。少しは役に立て。そんで、草を食え。残すなら今後、お前の分は作らない。俺の限られた労働力の無駄だからな」
リントは口をとがらせながらも、たき火に向かってふうっと息を吹いた。
ちいさな青い炎が、しめった薪を一瞬で燃え上がらせた。
「お、便利だな。火起こしの手間が省ける。えらいぞ」
俺が言うと、リントは一瞬きょとんとした。それからぷいっと横を向いた。だが、口の端が少しだけ上がっていた。
感情は込めなかった。ただの業務連絡だ。夜勤で覚えた声だ。相手が暴れようが泣こうが、やるべきことだけを淡々と告げる。
リントは、俺の顔をしばらく見ていた。
それから、なぜか肩をびくっと震わせた。そして、ひどくおとなしく器を受け取った。
青物を、口に入れた。世界が終わったような顔をした。だが、吐き出さずにちゃんと飲み込んだ。
「……にがい」
「そうだな。金がないからな。文句は俺の財布に言え。空っぽだけどな」
リントはそれきり黙って、全部食べた。最後のひと口まで、残さなかった。
その隣でノクトが、自分の器の青物をこれ見よがしに先に平らげてみせた。俺に見せつけるように、こくりと飲み込んだ。それから少し得意げな顔をした。
「……ノクトは偉いな。ちゃんと食えて」
ノクトの耳が、ほんの少し赤くなった。ぷいと顔をそむけたが、まんざらでもなさそうだった。
それを見たリントが、露骨に悔しそうな顔をした。
なんの張り合いなんだ、これは。俺は無職で、飯も満足に出せないのに。
その夜、リントは帰らなかった。
神竜なら、飛んでどこへでも行けるはずだ。だが、たき火のそばから動かなかった。それどころか、俺の隣に陣取ってノクトと無言の押し合いを始めた。
「ここはオレの場所だ」
「わらわが先だ」
「オレのほうが先に飯もらった」
「わらわのほうが先に拾われた。お前などしょせん、非常食であろう」
「……お前ら」
俺は割って入った。
「そういうのはいいから寝ろ。近いんだよ。俺の寝返りスペースを確保しろ」
二人はしぶしぶ距離をとった。とったが、どちらも俺のそばから離れはしなかった。指先が届くくらいの、ぎりぎりの距離だ。
妙な夜だった。
無一文の無職の男が火のそばで、しゃべる神竜と熱の下がった女の子に挟まれて寝ている。どう考えても、まともな状況ではない。
だが、腹は満ちている。火は暖かい。
今夜は久しぶりに、朝までぐっすり眠れそうだった。
それだけで、俺には十分だった。
オレは神竜だ。
だから、だれもオレに逆らわない。人間はみんな地面にひれ伏す。ぶるぶる震える。悲鳴をあげて逃げていく。オレが空を飛ぶ。それだけで街がひとつ、からっぽになる。
つまらなかった。いつも、あくびが出た。
三千年、ずっとそうだった。
なのに、あの男はちがった。
オレが神竜だと名乗っても、崇めなかった。国を焼けると言っても、こわがらなかった。それどころか、オレの皿をつき返してきた。「残さず食え」と、本気で怒ったのだ。
オレが神竜だと、信じていないのか。
いや。ちがう。
あの男の目には神竜も魔王も人間も、おなじに見えている。ただ腹を減らした、世話の焼けるやつとして。
あいつは、オレを崇めなかった。
あいつは、オレを叱った。
そのことが、なんだかとてもくすぐったかった。
だからオレは、帰らなかった。
あのにがい草を、もう一度食べてやってもいい。
あの男がまた「食え」と怒るなら、何度でも食ってやってもいい。
そう思ったのは、三千年ではじめてのことだった。




