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面倒見がいいだけなのに、気づいたら最強の連中が俺を"主"と慕ってくる  作者: 夕凪 鏡介


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3/11

第3話 魔王様、本日のバイタルは異常です

結論から言うと、俺は行き倒れの子どもを担いで廃屋に運び込んでいた。

 灰縁地には空き家が三軒あった。そのうち一番マシな一軒を選んだ。屋根が半分残っていて、かまどの跡がある。上等だ。前の職場の仮眠室よりよほど広い。

 断っておくが、これは善意ではない。

 森の縁に死体を放置して、あとで村の誰かに見つかったとする。第一発見者はまず間違いなく俺だ。よそ者で無職で身分証もない。犯人にされるにはこれ以上ない条件がそろっている。

 だから運んだ。俺の平穏な余生のためだ。

 運ぶあいだ、子どもは驚くほど軽かった。骨の上に薄い皮が張っているだけだ。何日も食べていない体の重さを、俺は知っている。

 子どもをわらの上に寝かせて、火を起こした。なべはなかったので、女将にもらった水筒の水を金属のカップに移して火にかけた。白湯くらいは飲ませられる。

 熱がひどい。近づくだけで空気が冷たく張りつめる。悪寒が肌に移ってくるようだ。相当まずいところまで来ている。

 俺は頭のスイッチを切り替えた。夜勤モードだ。

 考えるのはやめる。目の前のことだけやる。熱を下げる。水を入れる。寝かせる。それだけでいい。



 子どもが目を覚ましたのは、白湯が冷めかけた頃だった。

 紅い目が、天井をじろりと見た。それから俺を見た。

 次の瞬間、廃屋の空気がぐっと重くなった。

「……何者だ、貴様」

 声が低い。子どもの声じゃない。

「わらわに、何をするつもりだ」

 ああ、これだ。

 高熱の患者は、目を覚ました直後がいちばん気が立っている。自分がどこにいるのか分からない。誰がそばにいるのか分からない。だから威嚇する。夜勤で百回は見た光景だ。

「起きたか。気分はどうだ」

「問いに答えよ。わらわを、どうする気だ」

「どうもしない。寝てろ。まだ熱が高い」

「ねつ……?」

 子どもは自分の額に手をやろうとして、腕が上がらずに顔をしかめた。

 うん。まだ動けない。指先まで血が回っていない。いい傾向ではない。

 俺は子どもの手を取って、指の先を軽く揉んだ。冷たい。氷みたいだ。それでも脈はしっかりしている。死ぬ体ではない。ただ、限界まで何かを使い果たしただけの体だ。



 子どもは、それでも気力を振り絞って身を起こそうとした。

 そして、名乗った。

「……よいか。よく聞け。わらわは魔王ぞ」

「はいはい」

「焦熱と終焉を統べる者。真の名をノクティス・ヴェルダ。人間ごときが気安く触れてよい存在ではない」

「長いな」

「は?」

「名前。長い。ノクトでいいか」

 子どもが固まった。

 俺は続けた。

「ノクト。水飲めるか。ぬるいけど」

「……いま、わらわをなんと呼んだ」

「ノクト。あだ名。呼びやすいだろ。こまめに声かけて水分とらせなきゃいけないんだから」

 子どもの口が半分開いたまま止まった。

 まあ、こうなる。

 高熱でせん妄が出ている患者に、正論をぶつけても意味がない。魔王だろうが皇帝だろうが、本人がそう思い込んでいるならそれでいい。頭ごなしに否定するのは三流のやることだ。まず相手の言い分を受け入れる。それから安心させる。介護の一番はじめに習うことだった。

「分かったよ。魔王様な。えらいえらい」

「馬鹿にしておるのか、貴様」

「してない。世界征服なんて年中無休のブラックな大仕事だろ。ちゃんと寝ないと体を壊すぞ」

 俺は子どもの背中に手を回して、そっと支えて起こした。カップを口元に運ぶ。

 ノクトは、白湯をじっと見た。それから俺を見た。

「毒か」

「白湯だぞ」

「……わらわを、殺す気ではないのか」

「殺すために火まで起こすやつがどこにいる。飲め。話はそのあとだ」



 ノクトは、少しだけ飲んだ。

 それから、また少し飲んだ。

 飲み終わると、糸が切れたようにわらに沈んだ。まだ本調子には遠い。俺は濡らした布で、土に汚れた顔と手を拭いた。魔王様は抵抗しなかった。というより、抵抗する力が残っていなかった。

 汗をかいている。着替えはないので、乾いた布を背中に一枚入れて汗を吸わせた。この手のことは体が勝手に動く。二年間、毎晩やっていたことだ。

 ノクトは、拭かれるあいだずっと俺の手を目で追っていた。その手がいつ自分に害をなすのかを見張るように。だが俺の手は汚れを拭い、汗を吸い取っただけだった。ついでに乱れた前髪もよけてやった。

 紅い目に、戸惑いが浮かんでいた。害されることには慣れていても、世話をされることには慣れていない。そういう目だ。何度か夜勤で見たことがある。ずっと誰にも触れられずに来た人の目だ。

 その途中で、ノクトが急に口を開いた。

「……離れよ。今のわらわでも、貴様ひとりを消し炭にするくらいは」

 その口が、何かを唱えかけた。

 唱えかけたところに、俺は冷ましておいた白湯のカップをもう一度あてがった。

「はい、口開けて。もう一口いっとこう。水分足りてないんだから」

 ノクトの言葉が、ぬるい白湯と一緒に喉の奥へ引っ込んだ。

 こくり、と喉が鳴った。

 それきり、ノクトは何も唱えなかった。物騒なうわ言をつぶやきかけた口から漏れたのは、熱で喉が張りついたようなかすれ声だった。

「……あたたかい」

「白湯だからな」

 ノクトは、自分が今なにを言いかけていたのかも忘れたような顔をしていた。



「……なぜだ」

 ノクトが、天井を見たまま言った。

「なぜ、こんなことをする。わらわが誰か、聞いたであろう」

「聞いた。魔王様だろ」

「ならば、なぜ」

「なぜって」

 俺は布を絞りながら考えた。考えたが、たいした答えは出てこなかった。

「熱があるやつが目の前にいたら、まあそうするだろ。普通」

「普通、だと」

「そう。普通」

 ノクトは黙った。

 それからずいぶん長い沈黙のあと、絞り出すように言った。

「……なぜ、わらわを恐れぬ」

 紅い目が、暗い廃屋の中でらんらんと光った。すさまじい熱量だ。近くにいるだけで肌がぞわりとする。

 なるほど。熱のピークが来たな。こういうとき、幻覚を見る患者もいる。目が普通じゃない。

「こわがる元気があるなら、寝ろ」

 俺は布をたたんで、ノクトの額に乗せた。

「怖い夢は熱のせいだ。朝には引く。それまで俺がいる。だから寝ろ」

 ノクトが、俺を見た。

 さっきまでの、にらむような目ではなかった。

 熱で心細くなっているだけの、ただの子どもの目だ。

「……いてくれるのか」

「行くところもないしな」

 それは本当だった。俺には帰る家も、次の予定もない。だからこれは優しさなどではない。無職のよそ者が、たまたま暇を持て余しているだけだ。元気になったら宿代くらいふんだくってやろうという打算もある。

 自分の中で、そういうことにしておいた。

 ノクトのまぶたが、ゆっくり落ちていった。

 張りつめていた空気が、少しずつほどけていく。悪寒が引いてきたらしい。熱が下がる前触れだ。よかった。峠は越えた。

 俺はかまどの火を少し足して、壁に背を預けた。

 今夜は長い夜勤になりそうだった。



 千年のあいだ、眠りは戦いだった。

 眠っている隙に討たれぬよう、いつも半分だけ目を開けていた。近づいてくる者は皆、剣を持っているかひざまずいているかのどちらかだった。前者は殺しに来る者。後者はもっと悪く、彼女を神に祭り上げて利用しに来る者だった。

 どちらも、彼女を見てはいなかった。魔王という名の恐怖を見ていた。

 だから、この夜のことを彼女は生涯忘れなかった。

 男は、彼女の名乗りに一切ひるまなかった。世界を灰にする者だと告げても、「長いな」と言った。恐怖の代わりに、白湯を差し出した。威厳の代わりに、あだ名をつけた。魔法を放とうとした口には、もう一口の白湯を押し込んできた。

 男にとって彼女は、魔王ではなかった。

 ただ熱を出して腹を空かせた、小さな子どもだった。

 千年ぶりに、彼女は両目を閉じて眠った。

 男が、すぐそばにいた。


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