第14話 血まみれで上がるな、床が汚れる
三人が消えたあと、俺は焼け跡に一人で立っていた。
どこから手をつけたものか。
屋根は半分落ちている。壁は崩れている。床は水浸しだ。
……待て。これ、大家になんて説明するんだ。
「町内会の集金対応をしていたら燃えました、で通るのか。いや通らんだろ。つーか軍の過失だぞ。国に賠償請求できるんじゃないか? どこに出すんだ、そんな書類」
俺はブツブツ言いながら瓦礫をどけはじめた。
やることがあると余計なことを考えずに済む。それだけの理由だ。
しばらく掘り返して、俺は見つけた。
鍋だ。すすけて真っ黒だが穴は開いていない。取っ手も無事だ。
「……よし。生きてる」
俺はその場に座り込んで、しばらく鍋を見ていた。
これがあれば、飯が作れる。
……あいつら、どうせ手ぶらで帰ってくるからな。食費くらい、暴れたついでにふんだくってこいっての。
夜が更けた。
西の空が、赤かった。
真夜中なのに、そこだけ日が沈まないみたいに赤い。ときどき地面が揺れる。地震じゃない。一定のリズムで、遠くから何かが叩きつけられているような揺れだ。
空から、黒いものが降ってきた。
雪かと思って手を出したら灰だった。
俺は手のひらの灰を見ていた。
何が起きているのかわからなかった。わかりたくなかったのかもしれない。
ただ、あいつらがあの赤い空の下にいることだけは、なんとなくわかった。
「……腹、減ってるだろうな」
口から出たのはそれだった。
あんなに怒って、あんなに暴れて。帰ってくる頃には絶対に腹を空かせている。あいつらはいつもそうだ。
俺は立ち上がった。
かまどの石を組み直した。崩れていたのをひとつずつ積み直す。焦げた薪を割って火をおこした。井戸から水をくんで、すすけた鍋を洗った。
残っていた野菜くずと、塩と、ひとかけの干し肉。
それを鍋に放り込んだ。
手が震えていた。
昨日あいつが人を消したのを見た手前で、俺はスープを煮ている。正気じゃない。自分でもそう思う。
だが、他に何もできないんだから仕方ないだろう。
俺は火の前に座って鍋をかき混ぜ続けた。
四人分だ。少しでも間違えたらあいつらが騒ぐ。
空が白みはじめた頃、足音がした。
三人だった。
……ひどいものだった。
ノクトの白銀の髪が根元まで赤く染まっていた。リントの服はほとんど残っていなかった。セシルは眼鏡をかけていない。三人とも乾いた血で真っ黒だった。
その血が誰のものかなんて聞かなくてもわかった。
ケチャップだ、なんて。もう言えるはずがなかった。
三人は焼け跡の手前で立ち止まった。
そこから動かなかった。
入ってこない。入ってこられないんだ、と俺は気づいた。
ノクトが俺を見ていた。
その目は、昨日の夜に軍勢を消したときの目じゃなかった。
迷子の目だった。
叱られるのを待っている子どもの目だ。あるいは、追い出されるのを覚悟している目だ。
足が震えた。正直に言えば怖かった。
この三人が何をしてきたのか、俺は理解している。理解した上で、それでも。
俺はおたまを持って立ち上がった。
「……おせえよ」
自分でも驚くくらい、いつもの声が出た。
「朝までに戻るって言っただろ。もうすっかり明るいぞ」
三人がはじかれたように顔を上げた。
「それと、そこで止まるな。……いや、止まっとけ。そのまま入ってくるな」
ノクトの肩がびくりと跳ねた。
その顔が目に見えて白くなった。
俺は慌てて言い足した。
「血と泥で床が汚れるだろうが。裏の井戸で洗ってこい。服は脱いで置いとけ。あとで揉み洗いする。……冷めるぞ、スープ」
三人が俺と、かまどの上の鍋を交互に見た。
リントの口がぱくぱくと動いた。
「……いいのか」
「何が」
「オレたち、たくさん」
「知らん。俺はただの介護要員だぞ。腹が減った奴に飯を食わせるだけだ。……それに、腹が減ってちゃ家の修理もできんだろ。こき使ってやるから覚悟しろ」
俺はそれ以上言わなかった。
言えることが他になかったし、たぶん、これ以上言う必要もなかった。
三人は井戸で体を洗った。
水が赤くなった。何度も何度も洗って、それでも爪の間の赤は落ちなかった。
セシルが小さく「落ちないね」と言った。
俺は答えなかった。
代わりに器にスープをよそって渡した。
四人で焼け跡に座って飯を食った。
薄いスープだ。塩と、野菜くずと、干し肉がひとかけ。うまいはずがない。
だが三人とも一言も文句を言わずに飲んだ。
リントが途中で咳き込んで、ごまかすように何度も鼻をすすった。
ノクトが器を両手で包んだまま、うつむいていた。
その手の甲に水滴が落ちた。
俺は見なかったことにした。
「おかわり、あるぞ」
俺は鍋を指した。
三人がほとんど同時に空の器を突き出してきた。
鍋に残っているのは、俺が食うはずだった最後の一杯だけだ。
……まあ、いい。三人で分けさせよう。
飯を食い終わって、俺たちは焼け跡に並んで座った。
朝日が昇っていた。
屋根に穴が開いているから日が差し込んでくる。壁は崩れ、窓は割れ、食卓は炭になっている。
俺はその光景をぼんやり眺めた。
それから、ぽつりと言った。
「……で。今日の寝床、どうするよ。屋根ないんだけど」
誰も答えなかった。
しばらくして、ノクトが言った。
「……直す」
「あ?」
「わらわが直す。次は、燃えぬものにする」
「素人が触ると余計ひどくなるんだよ。……まあ、手伝えってなら手伝ってやるけど」
リントが「オレ、木を持ってくる!」と立ち上がった。
「山ごと持ってくるなよ。加減しろ」
セシルが眼鏡のない目を細めて「……図面を引こうか」と言った。
「お前が作ると火を噴くだろ」
三人がようやく少しだけ笑った。
俺も笑った。
なんにも解決していない。家は焼けたし、国は俺たちを殺す気だし、こいつらは戻れない場所まで行ってしまった。
それでも、今はそれでいいと思った。
〔王国軍統合幕僚本部・緊急被害報告書〕
一、第七騎士団(約三千名)、全滅。生存者なし。
一、第三防衛線都市、一夜にして焦土。
一、教会保有の対魔王結界兵器、七基すべて破壊。原型を留めず。
一、討伐軍総司令官、行方不明。
以上、わずか一夜の被害である。
特筆すべき点を三つ記す。
第一に、三体の厄災は夜明けとともに一切の攻撃を停止し、姿を消した。理由は不明である。まるで門限があるかのように。
第二に、辺境の当該地域において、半壊した空き家一軒とその周囲のみが奇跡的に無傷で残されている。周辺は完全な焦土であるにもかかわらず、である。
第三に。
第七騎士団壊滅の直前、副団長が魔王と交戦した際の記録が通信魔導具に残されていた。以下、そのまま記す。
副団長「なぜだ! 貴様ほどの者が、なぜあのような無力な男に!」
魔王「……黙れ」
副団長「あの男に何の価値がある! 力もない、地位もない、ただの流れ者ではないか!」
魔王「黙れと言った」
副団長「言え! なぜ我らを殺す!」
魔王「――貴様らのせいで」
ここで記録は激しい雑音に覆われる。
解析の結果、雑音の下にかろうじて聞き取れる声が残っていた。
魔王「……来月の約束が、灰になったのだ」
以上。
三体の厄災が何を「約束」していたのか、当本部では特定できていない。
だが我々は、その約束を焼いた。
その事実だけは記録しておかねばならない。




