第10話 魔王も神竜も賢者も、掃除はできない
宿暮らしにも限界が来ていた。
四人分の宿代は馬鹿にならない。稼いでも稼いでも右から左に消えていく。そこで俺は決断した。町外れの空き家を借りることにしたのだ。
長く空き家だった廃屋で、家賃は驚くほど安かった。屋根は少し傾いている。窓は割れている。中は埃だらけだ。だが直せばなんとか住める。四人で暮らせば宿代よりずっと安い。
大家は鍵を渡すとき、なぜか俺の顔をまじまじと見て逃げるように去っていった。
このごろ町の連中がやたらと俺を遠巻きにする。道で会うとさっと端によけていく。
まあ無理もない。うちのガキ三人がいつも騒がしいからな。近所迷惑なんだろう。俺は保護者として少し肩身が狭かった。
「よし。今日はこの家を大掃除する。全員、手伝え」
俺が宣言すると三人はそれぞれに動きだした。
問題はその動き方だった。
まずノクトが家の周りに手をかざした。
「あるじが安らかに休めるよう、この家に結界を張っておいた。神話級の防壁じゃ。もう何者も、あるじの眠りを妨げはせぬ」
「へえ、便利だな……って、おい」
俺は気づいた。玄関先に置いてあった回覧板が消えている。
「結界のせいで回覧板も差し入れも入ってこないだろ! ご近所付き合いが台無しだ! 町内会をなめるな! 早く解け!」
「ぐぬ……あるじは、わがままじゃな」
次はリントだった。
どこかへ消えたと思ったら、家の前に「どすん」と地響きがした。
見ると、家より大きい魔獣の死骸が転がっていた。
「おっさん! うまいもん狩ってきたぞ! さあ焼け! パーティーだ!」
「でかすぎるだろ! こんなの解体するだけで俺の休日が全部終わるわ! 血抜きだけで日が暮れる! 生ゴミの処理はどうすんだ! ……ああもう、しょうがねえな。いや待てよ。余った肉をご近所に配れば、さっきの結界で下げた町内会の評判も少しは取り戻せるか。よし、塩漬けにするぞ。手伝え」
「やった! さすがあるじ!」
結局俺は、掃除の前に肉の解体をやるはめになった。
そしてセシルだ。
セシルは朝から部屋の隅で何かをかたかた組み立てていた。
「マモル君。君の家事負担を軽減する装置を作った。全自動の洗濯魔導具だ。これで君の労働時間は大幅に短縮される。効率的だろう?」
「お、気が利くじゃねえか。じゃあこの洗濯物を……」
俺が服を入れた次の瞬間、装置から火花が散った。
ぼんと鈍い音がして、俺の服が焦げ臭い煙を上げた。
「消せ消せ消せ! なんで洗濯機から火が出るんだ! 借りたばかりの家が燃えたら敷金がパーだろうが! つーかお前、また徹夜で作っただろ! 目の下のくまがひどいぞ! 俺の服より、まずお前が寝ろ!」
「……む。火力の調整に、もう三徹すれば……」
「寝ろ!」
俺は結局、井戸端で服を手洗いした。
昼になった。
一通り暴れ回った三人が、ようやく落ち着いて掃除を始めた。とはいえ戦力にはならない。
俺は雑巾がけをしながらぽつりとこぼした。
「あー、喉かわいたな。誰か、水でもくんできてくれ」
その一言で、また火花が散った。
「わらわが行く! あるじの渇きは、わらわが癒す!」
「いや、私が行こう。空間転移を使えば、瞬きする間もなく冷えた水を君の手に届けられる」
「たかが水くみに転移魔法じゃと? ならばわらわは、闇の眷属を召喚して……!」
魔王と賢者が、水をくむためだけに世界を滅ぼせる規模の魔法陣を展開しはじめた。
やめろ。家が吹き飛ぶ。
そこへリントが、井戸から普通に水をくんで走ってきた。
「おっさん! オレが一番早いぞ! ほら!」
俺はコップを受け取り、二人の魔法陣を引っぱたいて解除させた。
「ただの水くみに魔力を使うな! トカゲが一番まともじゃねえか!」
「へへっ」
リントが得意げに鼻をこすった。
夕方。ようやく家がきれいになった。
最後に、俺は家の風呂を初めて沸かした。ひび割れた風呂だがちゃんと湯が張れた。順番に体を温めて、俺たちはボロい食卓を囲んだ。
残った肉と野菜でスープを作った。ただ煮ただけの素朴なスープだ。
湯気の立つ器を配ると、三人が一斉にすすりはじめた。
その時、セシルが手を止めてじっと俺を見た。
「……ねえ、マモル君。前から思っていたんだけど。君のやっていることは、たぶん、ただの世話焼きじゃない」
「あ?」
「君は相手が自分でも気づいていない『足りないもの』を正確に見抜いて埋めている。ノクトの孤独。リントの退屈。私の……まあ、それはいい。とにかく、極めて精緻な庇護行動だ。理論上、こんなことができる人間はいない。なぜ君にそれができる? まさか、君自身が――」
また難しい理屈をこね回し始めた。放っておくと、せっかくの飯が冷めて台無しになる。
俺は考え込みかけたセシルの器を、指でこつんと叩いた。
「御託はいいから食え。冷めるぞ」
セシルははっと我に返った。
そして小さく笑って首を振った。
「……まあ、いいか。こんな温かいスープを前にして、世界の理をこねくり回すなんて、愚か者のすることだ」
そう言って、スープをすすった。
何の話か、俺にはさっぱりわからなかった。
俺はただ、腹を空かせた連中に飯を食わせているだけだ。それ以上のことは、何もしていない。
夜。
狭い家に、四人分の寝息が転がっている。
俺は最後まで起きてかまどの火を落とした。
まったく。世話の焼ける連中だ。今日も一日、こいつらの尻拭いで終わった。俺の貴重な休日が、まるごと消えた。俺のリソースはこいつらにどんどん削られていく。割に合わない。まったく、割に合わない。
……でも。
狭い家に転がる寝息を聞いていると、なぜか悪い気はしなかった。この騒がしさが、俺の冷え切っていた日常を、ちょうどいい温度で満たしている気が――
いや。
やめろ。変な勘違いをするな。
これは投資だ。こいつらを立派なパトロンに育て上げるための必要経費だ。手がかかるのも、うるさいのも、ぜんぶ俺の輝かしい余生のためだ。
俺は残ったスープを一人ですすった。
ただ煮ただけのスープが、なぜか少しだけうまい気がした。
……気のせいだ。疲れて、舌がバカになってるだけだ。
そういうことにして、俺は寝た。
あるじは、眠っている。
わたしはその寝顔を見ていた。
千年、わたしは何も持たなかった。玉座も力もいくらでもあった。だが、失って惜しいものなど、ひとつもなかった。奪われて困るものが、何ひとつなかったのだ。
なのに今、わたしには失いたくないものがある。
この傾いた屋根。割れた窓。ただ煮ただけのスープ。うるさい小童と、生活能力のない賢者。そして、あくびをしながらわたしたちの世話を焼くこの男。
これが、わたしの居場所だ。
千年かけて、ようやく見つけた。たったひとつの。
だから決めておく。
もしいつかこの居場所を脅かす者が現れたなら。それが人であろうと、国であろうと、神であろうと。
わたしは、消す。
あるじが「まあまあ」と笑って止めるまで、何度でも。
あるじは知らなくていい。この温かさが、どれほど危ういものの上に成り立っているかを。
知らないまま、あくびをして、明日もわたしたちに飯を食わせてくれればいい。
その平穏は、わたしが守る。
この世界を、すべて灰に引き換えてでも。




