002 異世界からの次元間通信(仮)
これは約一年前、俺が彼女たちのひとりと初めて出会ったときから始まった物語である。
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『じゃあ俺はこれで落ちるよ。乙~』
『僕もそろそろ寝るよ。またねー』
『私も~。明日早いから。じゃ~ね~』
ヘッドホンから聞こえる皆の声に、俺も『おつかれ~』と別れの挨拶をしながら音声チャットをオフにする。
椅子に寄りかかるように背筋を伸ばすと、パキパキと背骨から小気味よい音が鳴った。
学生時代から寝る前にチャットをするのが日課となっている。これが結構いい気分転換になるのだ。
目の前のモニターには、今日の会話のログが流れている。
俺が使っているチャットツールは、今世界中で最も利用者数が多い人気のアプリだ。
操作が簡単なことが人気の理由らしい。
世界中の趣味や話が合う人と、気軽に繋がれるのが特徴だ。
細かくジャンル分けされた『部屋』があり、さらにその中に利用者が『小部屋』を作って語り合いたい内容を書いておくと、気の合う連中が集まってくる。
チャットはキーボードでも音声でも可能で、翻訳機能をオンにしておけば、設定した言語に自動で翻訳ログが表示される。
マイクを使った複数人でのボイスチャットも可能で、俺は主にこれを使っている。もちろん、その音声もリアルタイムでログに変換される。
Webカメラを使えば顔出しも可能で、パスワード付きの部屋でプチ同窓会や打ち上げに利用する奴らもいる。
気軽に楽しめる分、プライバシー管理は自己責任だが、初対面の相手にホイホイと顔をさらす奴は、よほど警戒心が足りないか、ただのアホだ。
俺も数回、リアルの友人と使ったことがあるだけだった。
さて、日付も変わることだしそろそろ寝ようかと、アプリを閉じるためにマウスを握ると、個人チャットのアイコンが点滅していることに気づいた。
そのときは特に気に留めなかったが、今思えば、あれは通常とは違う不規則な点滅だったのかもしれない。
「あれ、誰だ?わざわざ個人チャットなんて……」
心当たりはないが、とりあえず点滅しているマークをクリックしてウィンドウを開く。
その瞬間、モニターに『バチリ』と火花が走った。
「うわああっ!?」
思わず椅子ごと仰け反る。
「なんだ今の?雷か?」
しかし今日は一日快晴だったはずだ。雷の予報など出ていなかったし、外からは遠くを走る車の音くらいしか聞こえない。至って静かな夜だ。
首を捻るが、停電はしていないしモニターも正常に動いている。何だったのだろう。
訝しげに座り直し、マウスを握り直してもう一度チャット画面を見る。
すると、そこに現れたのは――。
「縺薙?螢ー縺瑚◇縺薙∴縺ヲ縺?∪縺吶°?溘b縺怜」ー縺悟ア翫>縺ヲ縺?◆繧芽ソ返ュ斐♀鬘倥>縺励∪縺吶?らァ√?繝悶Λ繧ヲ繝舌Ν繝育視蝗ス螳ョ蟒キ鬲疲ウ慕?皮ゥカ謇?隨ャ荳?鬲悶ー守?皮ゥカ螳、螳、髟キ繝?ぅ繧ェ?昴ヶ繝ォ繝シ繝吶Ν繝吶ャ繝het?」
完全にバグった文字列がズラリと並ぶ画面だった。
「うわあああっ!?」
今度は心臓が跳ね、ガタンと椅子が鳴る。
夜中にいきなりこれは心霊現象のようで心臓に悪い。さっきの火花のせいで過敏になっていたこともあり、恐怖が倍増する。
勘弁してくれ、24にもなってトイレに行けなくなったらどうする。俺はホラーが滅茶苦茶苦手なんだ。
「え、これ、もしかして外国語か?翻訳機能オフにしてたっけ?」
動悸を抑えながら、設定を確認しようとマウスを動かす。
焦っていたせいだろう。うっかり一度切ったボイスチャットを再びオンにしてしまっていた。
「あれ?自動翻訳はオンになってるな……。バグか?……ヤバい!もしかしてウイルスに感染したのか!?」
最悪の可能性に思い当たり、強制終了しようとパソコンの電源ボタンに指を伸ばした瞬間――。
『あれ?男の人の声……もしかして!? もしもーし、すみませーん!私の声、届いてますかー!?』
「ひぃ゛っ!」
いきなりモニターのど真ん中に『丸い枠』が現れ、そこに青いショートヘアの女性の顔がドアップで映し出された。
驚きのあまり、今度こそ椅子から滑り落ちかける。
まるでパニック映画だ。
どこから出ているのか分からない声、そして心臓の鼓動がうるさいほどに鳴っている。
本当に、24にもなって漏らすところだった。
こちらの声を拾ったらしい女性の元気な声が、スピーカーから響く。
こちらのWebカメラはオフのままなので、一方的に向こうの姿が見えている状態だ。
よくよく見るが、全く記憶にない顔だ。というか、初対面の相手にいきなり顔出しはマズいだろうに。
おまけにかなりの美人だ。二十歳前後だろうか?もう少しネットリテラシーを考えたほうがいい。世の中変な奴も多いんだから。
リアル心霊現象のような体験に震えつつ、動悸が収まるのを待っていると、画面の中の女性は何やら手元をいじるような仕草をしてから、再び呼びかけてきた。
『もしもーし、もしもーし!……やっぱダメかな?確かに今、声が聞こえたんだけど……』
「………………」
『聞こえていたら返事をして下さーい! お願いしまーす!』
「………………」
『……どうしようかな。……こういうときは、まあ、物語の定番風で。……んんっ』
返事をするべきか迷っていると、彼女がわざとらしく咳払いをした。
『……異世界に住む遠い隣人よ。私の声が届いたならば、どうか耳を傾けてください。私はあなたと言葉を紡ぐもの。あなたと手を取り合う賢者で――』 「……ぶふっ!」 『あっ、今!今また声がした!?』
何を言い出すかと思えば。
さっきまでの溌剌とした声と、今の神妙で『痛い』台詞のギャップに、思わず吹き出してしまった。
どこの誰かは知らないが、この子、ちょっと面白い。
ただの勘だが、今までの経験上、こういうタイプとは話が弾む。
万が一ヤバい奴だったら即ブロックすればいいし。
まだ日付も変わったばかりだし、少しだけ話し相手になることにした。
「あー、聞こえてます。すみませんが、どちら様ですか?初対面だと思うんですけど」
『お……おお……つ、繋がった……?……い、いよっしゃぁああああ!成功だぁー!!』
「うるっさ!?」
スピーカーが音割れするほどの絶叫。
一人暮らしとはいえ、真夜中だ。近所迷惑を考えてほしい。
……まあ、モニターの向こうではしゃぎ回っている姿は、小動物みたいで可愛いけれど。
「すいません、できればもう少し声を落としてもらえますか?」
『よしっ、よしっ!さすが私、天才っ……って、あ。すみません!騒ぎすぎました。通信が成功したのが嬉しくて、ついテンションが上がっちゃって』
俺の声に我に返ったのか、彼女は顔を赤くして居住まいを正した。
あーなるほど。
察するに、彼女はパソコン初心者で、接続方法がよく分からなかったのだろう。それで操作を間違えて、俺の個人チャットに繋いでしまった。
カメラの映像も、設定ミスのせいだろうと結論付ける。
『お騒がせして申し訳ありませんでした。改めてご挨拶を』
「あ、はい。ご丁寧にどうも」
これも何かの縁か。彼女の次の言葉を待つと、少し吊り上がった形の緑色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
『私はブラウバルト王国宮廷魔法研究所、第一魔導研究室室長のティオ=ブルーベルベットです。そちらの世界――つまり私たちにとっての『異世界』とを繋げる、次元間通信の実験をしていました。どうかお見知りおきを』
「………………は?」
あまりに想定外の自己紹介に、変な声が出た。
この子はあれか? 『異世界ロールプレイ』の部屋にでも案内すればいいのか?
改めて彼女の服装を見ると、魔法使いのような黒いローブを羽織っている。形から入るガチ勢らしい。
あの界隈の住人は濃いんだよな……。
傍から見ている分には面白いが、初心者が付き合うと精神をゴッソリ持っていかれる。
そもそも会話が成立しないことすらある。
ぶっちゃけて言えば、重度の中二病患者の隔離施設のような場所だ。
そんなことを考えていると、彼女がさらに追撃してきた。
『……ちなみにそちらは……もしかして『ニホン』という国の方で合っていますか……?』
「え? あ、確かに自分は日本人ですけど……。もしかして、日本に住んでるんじゃないんですか?」
ということは、海外在住か。
いや、それもロールプレイの設定なのか?
日本語は流暢だが、顔立ちは確かに日本人とは少し違うが。判断に困る。
『はい、そうです!ニホンの方に通信を繋げるのを最終目標に、試行錯誤したんです!』
「そうだったんですか。随分と日本語が上手ですけど、どこで勉強を?」
『いえ、これは翻訳の魔術です。自動的にお互いの思考を訳してくれるので。残念ながら、ニホンの言語についてはこちらの世界で調べることができませんでした』
「………………なるほど?」
次から次へと設定をぶっ込んでくる。
ただ、彼女が日本在住ではないというのは本当の気がする。
きっとアニメや漫画で日本に興味を持った外国人で、日本人と話したくてこのツールを使ったのだ。
最初に文字がバグったのも、翻訳の変換ミス。 『翻訳の魔法』というのも、チャットアプリの翻訳機能にかけたロールプレイ設定なのだろう。
それにしても、妙にスムーズな会話だ。こんな機能あったか?
翻訳を介しているのは間違いない。彼女の口の動きと、聞こえてくる日本語が全く一致していない。まるで洋画の吹き替えを見ているような違和感がある。
俺の知る翻訳機能は、テキストをログに表示するだけのはずだが……アップデートで音声合成でも追加されたのだろうか?
普段使わない機能だし、俺が疎いだけかもしれない。
……とりあえず、彼女が馴染めそうなコミュニティに案内してやるか。
「えーと、ティオさん……でしたっけ?個人チャットだと俺としか話せないから、一度トップ画面に戻って、興味のあるジャンルの部屋に移動したほうがいいですよ。案内くらいはしますし」
『トップ画面?戻る?……すみません、よく分からないのですが、今そちらと繋がっているのは、不思議なくらい不安定な状態でして。一度でも通信の座標をずらすと、二度と繋がらないかもしれないんです。ご迷惑かと思いますが、このまま繋げておいていただけませんか?お願いします!』
画面の中で、彼女が切実に頭を下げる。
そんなに回線が不安定なのか?
それなら、最初のあのはしゃぎようも納得がいく。よほど苦労したのだろう。海外にはインフラが未整備な場所もある。
なら彼女の回線が安定するまで、少しくらい付き合ってやってもいい。せっかく喜んでいるんだし。
「分かりました、いいですよ。繋がったのも何かの縁ですし、何か聞きたいことがあれば、分かる範囲で教えます」
『本当ですか!?ありがとうございます!ぜひ詳しく、ニホンのことを教えてください!』
俺の言葉に、彼女が満面の笑みを浮かべる。
……やっぱり、めちゃくちゃ可愛いな。
最初の登場と中二病な自己紹介のインパクトが強すぎて霞んでいたが、よく見れば間違いなく美少女だ。不覚にもドキッとしてしまった。
『それでは改めて、私のことはティオと呼んでください。……すみませんが、あなたのお名前を伺ってもいいですか?』
「……あー。まあ、いいか。武田です。よろしくお願いします」
ハンドルネームにするか一瞬迷ったが、名字くらいなら大丈夫だろうと本名を名乗る。珍しい名字でもないし。
さすがにフルネームの『武田章介』までは伏せておいた。
『はい! タケダ……武田さんですね。こちらこそ、よろしくお願いします!』
俺は普段、特定の機能しか使っていないせいで見落としていた。
彼女の映像が画面いっぱいに表示されていたため、その背後に隠れたチャットログが、最初から最後まで意味不明な記号でバグり続けていたことを。
このツールのカメラ機能は本来『四角い枠』であり、水晶玉を覗き込むような『円形の表示』など存在しないことを。
そもそも標準の翻訳機能は文字変換のみであり、自然な会話として再生される『翻訳音声』など実装されていないことを。
そして仮に翻訳機能がオフでも、その国の言語が表示されるだけで、あんな風に文字が化けることはあり得ないということを。
チャットログが解読不能なバグ文字になるということは――彼女がこの世界には存在しない言語を話している可能性を示していたことを。
このとき、俺は単に『日本好きな海外の女の子』と思い込んでいた。
これが、今後長い付き合いとなる彼女たちの最初の一人、ティオとの出会いだった。
読んでいただきありがとうございます。
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