001 深夜のチャットに現れたのは、自称・異世界の魔導師でした
ディスプレイの向こう側が、必ずしも現実と繋がっているとは限らない。
それは時には異世界、またはゲームの世界へと繋がることがあるらしい。
どんな運命のいたずらか、俺のディスプレイは異世界、さらには異世界の住人がゲームの世界へと入り込んでしまう出来事があった。
――これは、約一年前。俺が『彼女たち』の一人と出会い、すべてが始まった時から始まった物語だ。
* * * * *
『じゃ、俺はこれで落ちるわ。乙ー』
『僕も寝るね。君も明日も会社でしょ? 早く寝なー』
『私も、明日早いし。おやすみー』
「あいよ、おつかれー」
ヘッドホンから流れる皆の声に、気の抜けた挨拶を返す。
ボイスチャットをオフにし、椅子に深く背を預けて思い切り背筋を伸ばすと、パキパキ、と背骨から小気味よい音が鳴った。画面には、たわいもない会話のログがゆっくりと流れている。
使っているのは、世界シェア一位を誇る超人気チャットアプリ。
趣味の合う人間と手軽に繋がれるのが売りで、翻訳機能も充実している。
……まあ、ネットリテラシーのないアホが初対面で顔出し(Webカメラ)してトラブルになるのも、もはや日常茶飯事な修羅の国でもあるのだが。
「さて、日付も変わったし寝るか……」
アプリを閉じようとマウスを握った、その時だった。
視界の端で、個人チャットのアイコンがチカチカと点滅した。
今思えば、あれは不可思議な予兆だったのかもしれない。
心拍数に同期するような、不規則で、普段と異なるどこか焦燥感のある点滅。
「……誰だ? わざわざ個チャなんて」
心当たりはない。だが、無視するのも寝覚めが悪い。
軽い気持ちでそのアイコンをクリックした。
直後。
――バチリッ!
モニターの表面で、青白い火花が弾けた。
「うわっ!?」
肩が跳ね、思わず体を仰け反らした。
なんだ? 漏電か? 雷か?
しかし今日は雷の予報など出ていなかったし、外からは遠くを走る車の音くらいしか聞こえない。至って静かな夜だ。
パソコンも、何事もなかったかのように平然と動いていた。
「……心臓に悪いっての。寿命縮まったわ……」
冷や汗を拭いながら座り直し、再び画面を覗き込む。
そこに表示されていたのは、この世のものとは思えない『文字列』だった。
「縺薙?螢ー縺瑚◇縺薙∴縺ヲ縺?∪縺吶°?溘b縺怜」ー縺悟ア翫>縺ヲ縺?◆繧芽ソ返ュ斐♀鬘倥>縺励∪縺吶?らァ√?繝悶Λ繧ヲ繝舌Ν繝育視蝗ス螳ョ蟒キ鬲疲ウ慕?皮ゥカ謇?隨ャ荳?鬲悶ー守?皮ゥカ螳、螳、髟キ繝?ぅ繧ェ?昴ヶ繝ォ繝シ繝吶Ν繝吶ャ繝het?」
「ひっ……!?」
画面を埋め尽くす、おぞましい文字化けの羅列。
深夜の自室でこれは反則だ。心霊現象か、あるいは質の悪いブラウザクラッシャーか。
二十四歳にもなってトイレに行けなくなったらどうしてくれる。俺はホラーが絶望的に苦手なんだ。
「あれ、もしかして外国語か? 翻訳機能オフにしてたっけ?」
動悸を抑えながら、設定を確認しようとマウスを動かす。
焦っていたせいだろう。うっかり一度切ったボイスチャットを再びオンにしてしまう。
「あれ? 自動翻訳はオンになってるな……。バグか?……ヤバい!ウイルスか……!? クソ、強制終了――」
焦って電源ボタンに指をかけた、その瞬間。
『あれ? 男の人の声……。もしかして――もしもーし! 聴こえてますかーっ!?』
「ひぃ゛っ!」
モニターの中央に、突如として『真円の枠』が浮かび上がった。
そこに映し出されたのは、青いショートヘアの美少女。
あまりのドアップに、今度は椅子から転げ落ちた。
なんだ、なんなんだ一体。
今のは驚いた。まるでパニック映像だ。
どこから出ているのか分からない声、そして心臓の鼓動がうるさいほどに鳴っている。
こちらのカメラはオフなはずなのに、彼女は期待に満ちた目で画面を覗き込んでいる。
よく見れば驚くほどの美人だ。二十歳前後だろうか?
だが、もう少しネットリテラシーを考えたほうがいい。世の中変な奴も多いんだから。
リアル心霊現象のような体験に動悸を高鳴らしていると、画面の中の女性は何やら手元をいじるような仕草をしてから、再び呼びかけてきた。
『もしもーし、もしもーし! ……やっぱダメかな? 今、絶対声がしたと思ったんだけど……』
「…………」
『お願いしまーす! 聴こえてたら返事してくださーい!』
「…………」
『……どうしようかな。……こういうときは、まあ、物語の定番風で。……んんっ』
困惑する俺をよそに、彼女はこほんと咳払いをし、なぜか芝居がかったトーンで語り始めた。
『……異世界に住む遠い隣人よ。私の声が届いたならば、どうか耳を傾けてください。私はあなたと言葉を紡ぐ者。あなたと手を取り合う賢者にして――』
「……ぷっ、ふふっ!」
『あっ、今! 今また声がした!?』
耐えきれなかった。
さっきまでの必死さと、今の『痛い』台詞のギャップが凄まじすぎる。
どうやらヤバい霊ではなく、ただの『ちょっと面白い子』らしい。
あくまでただの勘だが、今までの経験上、こういうタイプとは話が弾む。
万が一ヤバい奴だったら即ブロックすればいいしな。
まだ日付も変わったばかりだし、少しだけ話し相手になることにしよう。
「あー、聞こえてますよ。……というか、どちら様ですか? いきなり個チャとか、普通に驚いたんですけど」
『お……おお……つ、繋がった……。……いよっしゃぁああああ! 成功だぁあああ!』
「うっ!?」
スピーカーが割れんばかりの絶叫。
一人暮らしとはいえ、深夜だぞ。近所迷惑を考えろ。
……まあ、画面の向こうでぴょんぴょん跳ねている姿は、小動物じみていて悪くないが。
「すいません、できればもう少し声を落としてもらえますか?」
『よしっ、よしっ!さすが私、天才っ……って、すみません! あまりに嬉しくて、ついテンションが……!』
顔を真っ赤にして居住まいを正す彼女。
なるほど、察した。
彼女はきっと、設定をミスったパソコン初心者なんだろう。そのせいで接続方法のよく分からずカメラもオンになり、俺のところに誤爆してしまった。
そんなところか。
『お騒がせして申し訳ありませんでした。改めて、ご挨拶を。私はブラウバルト王国宮廷魔法研究所、第一魔導研究室室長のティオ=ブルーベルベットです。現在、そちらの世界――私たちにとっての『異世界』との次元間通信実験を行っています。どうかお見知りおきを』
「………………は?」
宮廷魔法? 室長?
彼女の格好をよく見ると、確かにそれっぽい黒いローブを着ている。
……ガチ勢か。
いわゆる『異世界ロールプレイ』に魂を売った、重度の中二病患者だ。
『ちなみにそちらは……『ニホン』という国でお間違いないでしょうか?』
「あー、はい。確かに自分は日本人ですけど。……もしかして、日本に住んでるんじゃないんですか?」
『はい、そうです!ニホンの方に通信を繋げるのを最終目標に、試行錯誤したんです!』
「そうだったんですか。随分と日本語が上手ですけど、どこで勉強を?」
『いえ、これは翻訳の魔術です。自動的にお互いの思考を訳してくれるので。残念ながら、そちらの言語、こちらの世界には資料がなくて』
「…………なるほど?」
(感心するほど設定が細かいな……)
ただ、彼女が日本在住ではないというのは本当の気がする。
きっとアニメや漫画で日本に興味を持った外国人で、日本人と話したくてこのアプリを使ったのだ。
最初に文字がバグったのも、翻訳の変換ミス。 『翻訳の魔法』というのも、チャットアプリの翻訳機能にかけたロールプレイ設定なのだろう。
それにしても、妙にスムーズな会話だ。こんな機能あったか?
映像を見る限り、彼女の口の動きと聞こえる音声は全く合っていない。洋画の吹き替えを見ているような違和感がある。
最近の翻訳アプリには、リアルタイムで音声を合成する機能でもあるんだろうか。俺の知る翻訳機能は、テキストをログに表示するだけのはずだが……?
いや、普段使わない機能だし、俺が疎いだけかもしれない。
……とりあえず、彼女が馴染めそうなコミュニティに案内するか。
「えーと、ティオさん? ここ、個人部屋だから、もっと人がいる部屋に案内しましょうか? 一旦トップ画面に戻ってもらって――」
『トップ画面? 戻る? ……すみません、よく分からないのですが、今、そちらとは奇跡的に繋がっている状態で……。一度切れたら、二度と会えないかもしれないんです。迷惑なのは承知ですが、どうかこのまま繋いでいてもらえませんか? お願いします!』
画面の中で、彼女が切実に頭を下げる。
……そんなに回線が不安定なのか? それなら、最初のあのはしゃぎようも納得がいく。
海外のインフラ事情はよく分からないが、ここまで必死に頼まれては無下にもできない。
「分かりましたよ。繋がったのも何かの縁ですし、何か聞きたいことがあれば、分かる範囲で教えます」
『本当ですか!? ありがとうございます! ぜひ詳しく、ニホンのことを教えてください!』
ぱぁっ、と花が咲くような笑顔。毒気を抜かれるとはこのことだ。
最初の登場と中二病な自己紹介のインパクトが強すぎて霞んでいたが、間違いなく美少女だ。不覚にもドキッとしてしまった。
『それじゃあ改めて……私のことはティオと呼んでください。あなたの名前も、伺ってもいいですか?』
「……あー。まあ、いいか。武田です。よろしくお願いします」
ハンドルネームにするか一瞬迷ったが、名字くらいなら大丈夫だろうと本名を名乗る。珍しい名字でもないし。
さすがにフルネームの『武田章介』までは伏せておいた。
『はい! タケダ……武田さんですね。よろしくお願いします!』
この時の俺は、彼女を『日本好きな海外のコスプレイヤー』だと断定していた。
だから、致命的な違和感のすべてをスルーしてしまったんだ。
――画面いっぱいの映像に隠れた裏側で、ログが意味不明な記号で埋め尽くされていたことも。
――このアプリカメラの機能は本来『四角い枠』であり、水晶玉を覗き込むような『円形のビデオ枠』なんてUIは存在しないことも。
――そして、標準の翻訳機能は文字変換のみであり、自然な会話として再生される『翻訳音声』なんて技術、このアプリには実装されていないことも。
――そして、仮に翻訳機能がオフでも、その国の言語が表示されるだけで、あんな風に文字が化けることはあり得ないということも。
――文字化けはバグではなく、彼女が、この世界のシステムでは定義できない言語を話していた可能性を示していたことも。
――この出会いが一年後、非日常へと急変化するきっかけとなることに、俺は気付かなかった。
それが、今後長い付き合いとなる彼女たちの最初の一人。
ティオとの出会いだった。
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