1話 下
山羊頭の頭身を人間基準で表すと、成長しているがまだその途上にある、言わば成長期真っ只中の中学生のよう。
まるで友人を遊びに誘うような軽い口調で、そいつは言った。
「お腹空いたろう、ほら食べよー」
確かに空腹ではあったが、蹴ってよこされた元人間が俺に与えられた食べ物だと言うのであれば、腹の虫も治まるというもの。
せめてこの肉が同族だと分からないよう加工するという配慮は……あるはずも無いか。
だって僕、家畜だもの。
「ん? 君ソロで来てるんだ」
「ええ、まあ」
山羊頭が俺に少しだけ興味を惹いたのか、珍しい生き物を見るかのように呟く。
「もしかして"特選"?」
「そんな大層なブランドではありません」
だとしたらより強力な装備で挑んでいるだろうに。こちらは、主要箇所に取り付けた最低限のアーマーと鉄製の剣を着こなす、スリル満点なファッション。
ふぅん、と面白味のない俺の地位には興味を無くしたようで、再び肉に視線を落とした。
どうやら話題は、永久に逸れたままでいて欲しかった新鮮なお肉へと修正されるようだ。
「はいはい、食べて食べて」
ぱんぱんと急かすように手を叩き、共喰いを煽る様は見た目年齢相応の、昂る好奇心を隠しきれていない。
「早くっ、早くっ」
段々と興奮の色が強まり、そしてそれは尚も躊躇する俺を見て苛立ちへ変わる。
「頭働いてるー? そうだ飴玉持ってるんだ僕。好きなんだよねぇ、飴玉」
「あ、飴玉……ですか」
「うんそうそう、ほら」
ごそごそとポケットから取り出されたのは、紛うことなき正真正銘の飴玉。個包装の市販されている一般的なそれである。
「これで糖分補給させたげよっか? そしたら冴えた頭でその舐めきった態度も飴と一緒に無くしてくれるかな?」
明るい口調を保ってはいるが、纏う雰囲気は苛立ちから殺意へと変貌している。感情のグラデーション速度が尋常じゃない。
山と女の天気は変わりやすいというが、魔族にもそれは当てはまるのだろうか。だとしたら性別の区別が容易になるのだが。
これはもう、覚悟を決めるしかないか。
ちくしょう。本当に嫌になる。
「……では、ご相伴にあずからせて頂きます」
現実逃避からなる無意味な時間稼ぎと、山羊頭の機嫌を少しでも取り繕おうという、極めて合理的な判断のもと、座礼と共に感謝の言葉を紡ぐ。
どうやら俺の敬意は伝わったようで、山羊頭はうむうむと頷き、しかし直後に、いやいやと首を横に振る。
「ご相伴にあずかるなよ」
「……は?」
中学生らしく、特に理由もなく嘲りを含んだ言葉で俺を困らせに来ているのか?
訳の分からない言葉の返しにその意図を考察するが、しかし結論に至る前に、その答えを直接山羊頭の口が紡ぐ。
「君一人で平らげるんだ、勿体ないから残さずしっかり完食しなさい」
びしっ、と人差し指を俺へ向け、躾けるかような口調での返答。
「君のその感謝と敬意は僕にではなく、この肉へ向けるべきだ」
先程の座礼をも面白がるように咎め始める山羊頭の言葉を、俺の脳が理解を全力で拒む。
人間に対するモラルは遥か彼方。
生類を憐れむ価値観はこの世にはもう存在しないのだろうか。
ええい、やけくそだ。こうなったら男らしくガッツリと肉に齧り付いてやろうじゃないか。
断れば死ぬのだ。ならば食うしかない。
文字通り、生きるために食うのだ。食って、生き残る。
「そ、それじゃあ失礼して……」
意気込んだのはいいものの、いざ人間を食すとなると生理的嫌悪や異常タンパク質への心配はもとより、どの部位から手をつけていいのかという問題に手をこまねいてしまう。
それに、だ。
この場で、この状況にそぐわない気持ちかもしれないが……じーっとこちらを観察してくる相手を前にして、少々下品な食事になるであろうこの先を思うと、些かならぬ羞恥心がじわりと込み上げてくる。
「ちょっと待ってね、食べやすいようにしたげる」
そんな俺を見兼ねたのか、山羊頭がまるで子供に食べやすいようステーキを切り分けるかのように、人間サイズの肉をバキバキと魔族特有の剛腕をもってちぎっていく。
ものの数分で、手のひらサイズまで肉を小分けにしてくださった山羊頭は、ふぅ、とわざとらしく額の汗を拭う動きをして満足気な様子。
「どーぞ、これで少しは食べやすくなったかな」
「……お手を煩わせて申し訳ありません」
謝罪こそすれ感謝はしない、食べやすい以前の話だ。
ぐちゃぐちゃにぶちまけられた肉は、血と臓物と排泄物とで一緒くたに混合され、耐え難い強烈な異臭と不快感を放っている。
食らう前から胃液が口内までせり上げてくるが、それを前菜として飲み込み、口内を不快感たっぷりの感触が支配する。
最高のコンディションだ。
不快と不快の重奏を存分に堪能するとしよう。
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くちゅ。
だめだ。噛み締めるだけで手が震える。涙が込み上げてくる。体が感動に打ち震えてしまっている。
くちゅ、ち。
だめだ。噛みきれない。皮膚を削ぎ落としていないからだろうか。トリミングがなっていないようだ。
ふぅ、ふぅ……!
だめだ。臭い。ジビエのそれとは全く別種の臭い。クソと尿、それと消化液から成るオーガニックなソースがいい仕事をしている。
「ああ、いい食べっぷりだよ全く……いいなぁ」
同族の血肉を食らう俺の逞しさに惚れたのか、山羊頭が恍惚の表情でこちらに躙り寄る。
「ふぅ、ふぅ……おごぇ……!」
「美味しそう……美味しい? ねぇ美味しい?」
夢中で肉を貪る俺に、文字通り指をくわえた山羊頭は触れる距離まで体を寄せて耳元で囁く。
じっとりと湿った吐息が、俺の頬を舐めるように這う。
「では……ご、ご一緒に、いかが……おぇっ……ですか……?」
そこまで迫られたら仕方あるまいと、俺は是非一緒に食事を楽しみましょうと親切心からの提案を持ちかける。
しかし、そんな物欲しそうな顔の持ち主は「遠慮しとく」とつれない反応を示す。
「はぁ、はぁ……菜食主義……でありますか……」
「僕が山羊頭だからかい? はは、皮肉食らっちゃった」
愉快そうに笑う山羊頭の言葉にしかし、今まさに文字通り皮と肉を食らっている俺にとってそれは、強烈なカウンターとなって胃にダメージを与えてくる。
びちゃびちゃと、吐瀉物を撒き散らせながら貪る様子に「もったいないもったいない」と嘆くように呟く山羊頭はついに、俺を抱きしめにくる。
べろべろと口周りに付着したゲロと血肉を舐め取りながら、「おいしいねぇ」と邂逅した時とは思えないほどの親密さで囁いている。
「おいしい、おいしい」
肉を貪る俺の横で、頬に飛び散った破片とゲロを舐める山羊頭。
うーん、シュール。
しかし、汚れを拭き取ってくれる舌は、どうやら俺の頬をメインに味わっているぞと感じた時にはもう遅かった。
「いっ」
頬に走る痛みが摩耗した正気を僅かに取り戻す。
「あぁ! もっと、もっと……!」
ざらざらした表面を持つ山羊頭の舌は、どうやら俺の頬を削り取っていたらしい。
思わず顔を逸らして舌から逃げる俺の動きに、興醒めしたような様子の山羊頭は「なんだよ」と口を尖らせる。
「言ったろう? 僕飴玉好きなんだよ」
「じ、自分の頬は人間のソレであって飴玉では……」
「ありません」と口にする前に、「あるんだよ」と山羊頭に反駁を遮られる。
曰く、人間は食物であり、舌で舐めれば無くなるものであり、中にあるとろとろは美味しい飴玉の特徴と同じであるが故に人間は飴玉である。
まったく、狂った自論だ。
しかし悪いが俺はそんな話に付き合っている暇はない。
肉を、肉を喰らわねば。
「あのさぁ、生殺与奪の権を握ってる僕の相手が優先でしょ普通」
山羊頭の指摘に、俺は「確かに」と再び失いかけていた正気を取り戻す。
一時的に倫理と味覚のタガが外れていた。
主は山羊頭であり、俺は実直に彼(又は彼女)の相手をしていれば生存できる。共喰いは飽くまでもその一環に過ぎないのだと気づく。
山羊頭は、ようやく理解したかとばかりに、こちらの己の傷と同族の血で濡れた頬を舐め、痛みによって窘める。
「おお、味が変わってないね」
すごいすごいと何故か褒められる俺は困惑顔。
曰く、人間は熟成された負の感情により味が上等になる。
まったく、聞いたことがない。
そんな迷信、一体いつ広まったのだ。
負の感情が弱まった俺は、どうやらデフォルトで山羊頭の口に合う飴玉だったらしく、味を一定に保つ性質を持っているという。
所詮プラシーボ効果であろう……と信じたい。ただ、俺がほかの肉と比べ美味いという悲しいまでの現実は、恐らくは否定できない事実。
あれほどまでに人間に対して感情を見せる魔族など、山羊頭以外に経験は無い。
迷信の犠牲として俺は共喰いさせられた。
おやつとして頂かれる為に。
その上、共喰いの意義は皆無だったのだから散々である。
「そんな顔しないでよ、だいじょーぶだから」
一体俺はどんな顔をしていたのだろう。大丈夫とは何が大丈夫なのか。
「君はもう僕のお気に入りのおやつさ。殺しはしない……大事に、大事に取っとくんだから」
飴玉を高級なワインか何かと勘違いしている様子もないが、どうやらノーブランド品の俺は上等な味として気に入られてしまったようだ。
最悪極まるとはこの事か。
これからどのような地獄の毎日が待っているのだろうか……と絶望に沈みかけた俺はしかし、次に発せられた山羊頭の言葉に微かな希望を見つける。
「といっても、基本僕は一人で気ままにいるのが性分でね、君は適当に放牧しとくよ」
不幸中の幸い。なんともまあこの現状を表すのに最適な言葉が他にあるだろうか。
事の始まりであり、最悪の根源である存在だと言う事を一瞬忘れ、放牧を許してくれた山羊頭に感謝してしまっていた。
そんな酷く複雑な俺の心情にはついぞ興味はないだろう。
山羊頭は「たまにつまみ食いしに行くね」と言い残し、この場をさっさと立ち去ってしまった。
「……」
周辺に残るのは、ぼーっと座り尽くす俺と、ほぼ骨と髪の毛、皮膚のみとなった残骸。
「かえろう、はやく」
どれほどの時間座り込んでいたか、ようやく体を動かせるだけの気力が回復した俺はギルドへ向かい、その後、何事もなく自宅へ帰宅することができた。
プライベートな時間と空間に安心しきった俺が、屈辱と恐怖と羞恥で喚き散らし、最後には涙で枕を濡らしながら気絶するように眠ることになったのは言うまでもないだろう。
大丈夫、大丈夫。寝たら大抵元気になるさ。




