第5節 異端審問官と火刑台
短い4話分を1話にまとめました。
これから定期的に同じようにまとめながら、推敲していく予定です。
一度お読みになられていましたら、内容はあまり変わりません。ごめんなさい。
ドミニク神父様たちを見送った僕は、講義室でルカス先生から質問を受けていた。分厚い羊皮紙の本をあけて、次々と先生は質問してくるつもりだ。ルカスは16歳ぐらいの青年だ。ドミニク神父様は優しいけど、年をとっていて気安くできないし、なんか怖いところがあるけど、ルカスさんは、素敵なお兄さんみたいな感じで、初々しい先生って感じだから楽しい気分でいると・・・
いきなり質問してきた。
「この字は読めますか?」
「ラテン文字のアルファベットでPです」
随分簡単だ。そういえば僕、何で読めるんだろう・・・
「ではこの文は読めますか」
いきなりハードル上げてきたぞ。でも何故かすらすら読めるぞ。自然に。
「ポスト・エーユス・モルテム・ミムス・・・」
「ベーネ、ベーネ、ベーネ。素晴らしいです」
ルカスは目を輝かせている。
「では意味は?」
「はい、これはカエサルの『ガリア戦記』の一節でしょう?オルゲトリウスの死後も、ヘルウェティティ族が自分の土地を出ていこうとした件ですね」
「うはぁ~。すごい、すごい、すごい。君は天才ですよ。ドミニク神父様に早くお伝えしないと。ああ、午後になるとかおっしゃっていましたね・・・あなたに教えられるほど私は聡明ではありませんからね。どうしよう・・・」
ルカスは興奮したのか、白い頬を紅潮させている。女の子のようだ。いわゆる男の娘なの?本人も気にしているのか、頬を触って火照りを鎮めている。
「院長様は先程管区会議に出るため、さっき馬車でお出かけになられてしまったし・・・仕方ない、休憩にしましょう。中庭を散歩してもいいですよ。但し、修道院の外には出ないでくださいね。私は司祭館の図書室にいって、君のために、何か本を見繕ってきますから」
ルカスはウキウキして出ていった。本が好きそうだね。
修道士達が神学を学ぶために使っている講義室に、一人残された僕は、やることもないので、ルカスが許可してくれた中庭に出てみた。中庭をぐるぐる回りながら散歩する。丁度黙想の時間のようで、誰もいない。中庭の中心には噴水がある。僕は噴水の池の中に手をいれてみた。ヒンヤリとして気持ち良い。
うーん、退屈だよ・・・
手持無沙汰とは正にこれなんだろうな・・・中庭をウロウロしていると、外から楽し気な笛の音がしてくる。なんだろう・・・僕は、少年らしく冒険することにした。中庭から食堂を通り、食堂から体を洗った井戸の庭を通り、門へと通ずるもう一つの中庭へ通っていった。
門は開いている。僕は知らなかったが、門を入るとすぐ左右に司祭館と聖堂があるのだ。通りに面した門があいているのは、貧民街の教区民であろうと、通りすがりのものであろうと、神により頼むものを拒まないために、開けているのだそうだ。これが僕にはあだとなってしまった。
笛の音が大きくなってきた。本当に楽しげだ。お祭りかなにかがあるのだろうか。門の向うの通りを、変な帽子をかぶった、しかも、いろんな色が混じった変な服を着た男が、笛を吹きながら幾人も子供を引き連れて、門の前を歩いていくのが見えた。僕は気になったので、思わず門へ駆け寄り、外へ出てみた。すぐに戻るつもりだったのだが・・・
門からでるとすぐ、目の前が真っ暗になった。後ろから袋をかぶせられたのだ。そのままさらに袋をかぶせられたようで、その上から、体をロープでぐるぐると縛られているようだ。呼吸ができないよ。次の瞬間、あっという間に肩に担ぎあげられたようで、どこかへ僕を担いだ男が走っていく。力があるので男と思っただけだが・・・僕は声を上げようとしたが、息が苦しいのと怖いのとで何も言えなかった。数秒もしないで馬車のような荷台に載せられて、鞭の音がし、ガラガラと動きだした。
数分走ったところで、馬車は止まり、また担ぎ上げられた。扉の開く音がし、階段を下へと降りていくようだ。重そうな扉が閉まる音がした。布が緩められ、頭にかぶせられた袋が取られた。地下室のようなヒンヤリとした空気を吸った。かび臭いにおいもする。
僕は縛られたまま、椅子に座らされた。前には粗末な木のテーブルがあり、その正面に、陰鬱な顔をした男が座っていた。狂信者のような目で見つめてくる。
「ようこそ、悪魔の子よ」
僕は何のことかわからなかった。きっと人違いだろう。とにかく否定しなければ・・・
「ち、ち、違います。僕は・・・僕は・・・」名前が思い出せないのだから、何も言えない。まさか青あざ公だなんて言えないし・・・
「黙れ!」
男が指図をすると、僕の後ろに立っていた男が布を僕の口におしこみ、更に別の布で口から首へと縛った。さらに椅子にロープで縛りつけてくる。
「口答えは許さぬぞ。今日は6月の5日ではないか。顕現の日を迎えることなく、これからお前は神の正義の裁きをうけるのだ」
感じの悪い男は次々と周りの男たちに指示を出している。
話から、どうやらこの男は、異端審問官らしい。僧服を着ているが、人相が著しく悪い男が数名おり、異端審問官にご主人様と呼びかけている。ほかの大人たちは普通の市民の服をきており、異端審問官様と呼んでいる。
少年が知る由もないが、男は数日前から辻説法で、悪魔の子がこの都市に潜伏していること。そして悪魔の力に目覚め、その恐ろしい力をふるうのが明日であることを宣伝し、多くの追従者を得ていた。その中には市参事会の役員も含まれており、事の重大さに驚き、協力をしているようだ。
「では審問官、お願いします。人々がどんどん広場に集まってきました」
ニヤリといやらしい目で僕をみた審問官は、椅子から立ち上がった。
審問官は地下から外に出ていった。
僕は従者らしき僧服姿の一人と数人の大人たちに囲まれて残された。
だれも目を合わそうとはしなかったし、話しかけれもくれなかった。
僕も、話しかけたくても口には詰め物がされており、ロープできつく椅子にしばりつけられているのだ。血がうまく流れないようで、腕がしびれてきている。言いようのしれない不安に苛まれていた。
ドミニク神父様・・・僕はどうなるのでしょう。
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外にでると、審問官はぐるりと広場を見渡した。
「司教様は城から戻ったか?」
傍にいた僧服を着ている従者らしき男に聴いた。
「まだ司教様の馬車は戻られていないようですので・・・」
なるほどな。馬車で帰らない可能性もあるわけだから、こいつは、いつも正しい情報をくれる。まぁ城からここは近いようで遠いからな。もう間に合わないだろう。やったもん勝ちだ。
「少し前に、カテドラルから使いが来たので、司教様から昨夜ご許可をいただいておりますと嘘をいったら、怪訝な顔をして帰っていったぞ。ふふふ、間抜けな面だった。あんなのばかりだから悪魔の子が孤児院に保護されてしまうのだ」
「そうですね。しかし、あれを悪魔の子と見抜くとはさすがご主人様ですね。どうみても普通の子ですから」
「うむ。あの異教徒の奴隷首輪を使った男を尋問していて気付いたのだ。あの小僧は、他のガキをかくしていた森の狩り小屋の前にいきなり現れたらしい。しかも最初から記憶がなかったらしい。どう考えてもおかしいだろう?」
「・・・そうだったのですか・・・」
「他言無用だぞ。結局、あの男は、それ以上は何も知らなかった。突然高く売れそうな子供と遭遇したので、無理やり首輪をはめたらしい。異教徒の首輪を使ったから異端審問に回ってきたが、本来は管轄外だからな。刑のあと、あのまま門に捨て置かれると思っていたが、まさか孤児院の神父が連れていってしまうとは思っていなかった。まぁ計画通りにかっさらうことができたからよかったが・・・」
「この街でのご主人様のご活躍はきっと教皇様のお耳にもはいることでしょう」
僧服を着た従者がそう言った。
「まぁそうだ。実績ができれば、ローマから正式に審問官に任じられるだろう。そうすれば、どの都市でも、どの司教のところでも、やりたい放題だ。そうでなくても異端が増えているのだからな。わが修道会も異端者から没収した財産で潤うだろう」
従者と一緒にニヤリと笑った審問官は話を変えた。
「・・・ところで孤児院のやつらはどうだ?取り返しに来そうにないか?」
「先ほど市場帰りの助修士らしきもの何名かが、何の騒ぎか尋ねまわっていましたが、あわてる様子もなく帰っていたようです。まだ気づいてないでしょう」
「では、さっさと片付けるとするか、一煽りしてくる」
「はい、お願いします」
大聖堂前の広場には、すでに火刑台が準備され、民衆が200人ほど集まってきている。
審問官の登場に皆が騒いだ。審問官は手をあげ、民衆を鎮めてから話始めた。
「・・・善良なる老若男女の諸君、わが忠実なる神のしもべたちは、ついに悪魔の子をとらえ、手中に収めることに成功したのだ。今や悪は風前の灯となっておる」
群衆は狂喜した。
「これから半時後に、正当な裁きにより、火あぶりの刑に処したいと思う。皆の者、どうだ?」
「おおおお」
「悪魔を殺せー」
人々はみな口々に色々なことを叫んでいる。暴動になる寸前レベルだが、市参事会の警備兵たちが武器を手に、群衆が一定の距離に入ってこないように押さえている
審問官は群衆の反応をみて、目を細めた。悪魔が怖い愚民などちょろいものだと呟くとまた大きな声で叫んだ。
「では、諸君らの望みどおりにしてやろう。ただし、近寄ってはならぬぞ。火が苦しくなった悪魔が近寄るものに憑りつくやもしれぬ」
民衆はどよめいて、急に静かになった。口々に恐ろしいとか、神や聖母、そして天使、聖人の名を唱えていたりする。
「善良なる神の正義に燃える者達よ。手出しは無用だ。われら忠実なる神のしもべが、刑を執行するのだ。また子供だからといって憐れんではいけない。心に隙をつくると悪霊に入られてしまうぞ」
審問官は、火刑台がで きていることと、薪などが準備できていることを確認し、先ほどの建物地下に戻った。
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ルカスから報告を受けたドミニクは焦った。司祭館の入り口から動けずにいた。
「しまった。あの男の仕業だな」
あの狡猾な計算高い、およそ聖職者とは思えないような、嫌らしい蛇みたいな男だ。
おっと、ルカスが泣きそうだ。私はルカスを慰めようと言葉を紡ぎだした。
「ルカス、君のせいではないのだよ。できれば教えて欲しい。いないことに気づいたのはいつなのだろう?」
「はい、あの子はものすごい賢く、彼を教えるなんておこがましいと思ったので、司祭館の図書室で本を見繕っていたのが・・・えっと3時課のすぐあとで・・・」
ルカスは口ごもった。きっと本に夢中になって時間を忘れたのだろう。ルカスは私と同じ人種だ。本を読みだすと音が聴こえなくなる。周りが見えなくなる。きっとお昼になるまで、本を色々あの少年のために見繕っていたのだろう。中身をいちいちチェックしているうちに、自分のための本を読んでいたはずだ。私は思わず吹き出しそうになった。非常事態かもしれぬのに・・・
「ルカス、気にしなくてよい。怒りはしないから、正直に申しなさい。今は一刻を争うのだから、できるだけ正確な情報が欲しいのだ」
そこへ、5のつく日に立つ市場へ買い物に出かけていた助修士たちが帰ってきた。
彼らは買い物袋いっぱいに食料などを買ったようだ。沢山安いものを買えたようで、嬉しそうだ。おばちゃんかよ・・・
私を見つけると、全員、喜々と近づいてきた。やはりおばちゃんだよ・・・
「神父様、神父様、大聖堂広場が大変なことになってます。なんだか悪魔の子が見つかったそうで、火あぶりになるそうですよ」
「まことか?」
「そんなぁ、嘘ついても一文の特にもなりませんよ。あの、最近街に来た、なんとか会というところの異端審問官がやっているらしいです」
「ありがとう、兄弟、すごく役にたつ情報だった。私はこれから司祭館で本を読むので、もしかしたらご飯もいらないかも。あとルカス、ヨハネとパウロと頼む。ほかの孤児たちと引き合わせてくれ」とルカスにウインクをした。
「畏まりました」
ルカスの顔は青いままだ。そこへ、顔の怖い、エリアスがやってきた。
「神父様、院長が、蛇の抜け殻と伝えてほしいとおっしゃってました」
「ありがとう、兄弟エリアス。私もそう思っていたところです」
「それはそれは喜ばしいことでございます・・・」エリアスがにやりと笑って去って行った。だから怖いから、その笑顔、絶対怖いです。エリアス殿。
私は司祭館の中に入り、そのまま自分の部屋には行かずに、裏口から外に出た。そこには、石造りの物置がある。すこし考えば、木造でいいものがどうして石作りなんだろうと建築通ならきっと首をかしげるだろう。
私は物置の扉をあけ、中に入る前に、誰にも見られていないことを確認し扉を閉めた
壁の一部を押し、横に動かすと、床が開いた。
蛇の抜け殻とは、わが一族が、作った脱出抗なのだ。この階段は、万が一の時、城からわが一族が逃げ出すための避難路なのだ。もちろん、こちらが出口なのだが、今回は逆に進むことになる。
私は階段を下りると即座に駆け出した。子供の時に、兄に連れられて冒険したことがある道だ。これは、わが一族の男子にのみ教えられる道である。城塞都市創建時に建造された地下道なのだ。幸いにして、わが一族は血を血であらうような内紛や相続争いは起こさなかった。だからこの道が使えるのだ。城が落とされそうになったとき、自分や家族が逃げるための道だ。
この地下道は、大聖堂の地下や、下水道の中など、あらゆるところにつながっている。子供のころ、兄と冒険したが、すべてを把握するには至らなかった。まぁ、いざというときに逃げるためにあるのだから、主要なルートだけ把握していればいいのだ。
私は、記憶を頼りに地下道を駆け出していた。院長がエリアスに伝言しているということは、当然、公爵様や、司教様にも話が通っていることだろう。
地下道の割に明り取りや空気抜きがあちこちにあるので、問題なく走りぬけることができた。いくつか十字路に戸惑ったが、修道院から城まではまっすぐ行けるはずだ。私はまっすぐ走りぬけた。しばらくいくと、上り階段が見えた。そういえば、子供のころ、この階段で転んだことがあったなぁ・・・しかし、こんな地下のネットワークなんぞ、よく作れたものだ。失われた技術なのだろうか。時々わが都市ながら感心してしまうことがある。
雑念を捨て、私は走りぬける。これを登りきれば、王座の間のすぐ隣にある、王の執務室のはずだ。
上りきったら、見たことがあるような、ごっつい扉にぶち当たり、あることに気づいた。この扉はこちらからは開かないはずだ。
大声を出すわけにはいかない。この道は誰に知られてもいけないのだ。
まいった。あの少年の声が聞こえたような気がした。助けてと叫んでいるように思えた。幻聴なのだろうが、ここにきて精神的につらくなってきた。物語で語られるような英雄的な行動は、私にはできそうにない。ここで終わりなのか?終わりにしてしまってよいのか?・・・
その時足元に何かが引っかかった感触があった。
どこかで鈴が鳴っている。次の瞬間、厚い扉が開いた。薄暗い暗闇にいきなり明るい光が満ち溢れていった。ドミニクは目が痛くなっていた。
「ザイフリート、遅いぞ」
公爵様だ。
「ふふふ、レオポルトの予言はよく当たるのぅ?」
「兄上、レオは切れ者ですから・・・」
私は拍子抜けしてしまった。気を取り直して、蛇の抜け殻を走ってきた理由について、話そうとした。
「おぬしが保護している例の子が、審問官に捉えられたのであろう?」
私は気が遠くなりそうになった。知ってるなら先に動いてよ!
「話さなくても事情は承知しておる。早速、広場に参ろうではないか?」
司教様、話がわかる、いい男なんですね。
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「さてと、準備は整った。さるぐつわをとり、目隠しをさせろ」
僧服を着ていなければ、盗賊にしか見えないような審問官の従者らしき二人が言うとおりに動いた。ロープはほどかれたが、両手を縛られ、さらに腰にロープをくくりつけられた。
「いくら騒がれても、泣き叫ぼうとも、かえって皆悪魔を想起し恐れることだろう。ところが、悲痛な少年の顔は、同情を誘ってしまう。特にご婦人方だ。彼女らが助命を嘆願しだすと厄介だ。群衆の意見が傾きだすと、まずい。今回はやり過ごせたとしても、次回が困難になる。民の怒りが我らにむかうこともありうる・・・」
異端審問官は思い出して、一瞬気の迷いを覚えた。司教や市民の反感は怖い。実際に街を出たところで所属不明の騎士たちに皆殺しにあった兄弟達もいたことだしな・・・結局、犯人はわからなかったのだ・・・特に司教は、貴族出身が多いので、封建領主との結びつきが深い。領主や自らの利権にかかわることなら平気で我らを抹殺にかかるだろう、しかし、迷っていられない。とありあえずこいつだけはやり遂げないとな・・・審問官は決心した。
「さあ、参ろうか」
審問官は低く、しかし、よく聴こえる声でいった。
僕は恐怖で何も言えなくなってしまった。何をされるのだろう。
目隠しをされているので、地下室の階段を上手く上がることができないでいると、審問官らしき声がどなった。
「急げ、ええい、抱えてあがれ」
外にでると、目隠しをされていても日の光を感じることができた。広場には多くの人がいるようで、誰かをののしったり、ブーイングをしていたり、騒がしい。悪意と恐怖に満ちた雰囲気がひしひしと空気を伝わってくる。これが自分にむけられているとは思えなかった。名前でも呼ばれたら悪意に気づくだろうが、何しろ僕は名前がわからないのだから。
「静まれー、静まるのだ。先ほどの注意を忘れたか。目立つ者は憑りつかれるぞ」
審問官の大声だ。あたりは急に静かになった。
僕は数十歩あるかされ、木の台のようなところに抱えられて上らされた。人々の息をのむ音が聴こえた気がする。なんでこんな事になっているんだろう。ドミニク神父様、助けて下さい。
僕は続いて何かに縛り付けられた。手首にはまだロープが巻かれ、しびれているのに、またさらに体をロープで縛られていく。痛い。痛いよ・・・
次に、なにかをガサガサと僕の周囲に積み重ねる音がした。
「では覚悟するがよい。お前の罪は、その身に忌まわしき悪を宿したことだ。よって明日の覚醒の日を迎えることはない」
一体何を言っているのだろう、わけがわからない。なんだ覚醒って?
審問官は命令した。
「火を放て、今こそ悪の滅びるときだ」
僕はその時悟った。え?火だって?火をつけられてしまうの?悪って僕の事なの?
そうか、僕は何だかわからないけど、名前を忘れたことで、あらぬ疑いを掛けられ、火あぶりにされるんだ。嫌だ。死にたくない。ドミニク神父様助けて下さい。
火がつけられる音がした。パチパチと音がしている。熱くなってきた気がする。いや熱いよね。だって火なんだよ。どうしたらいいんだろう。ロープがきつく、身動きもできない。
その時、僕の口から歌が流れるのが聴こえた。僕が?僕が歌っているのか?
神よ、慈しみはいかに貴いことか。
あなたの翼の陰に、人の子らは身を寄せ、
あなたの家に滴る恵みに潤い、
命の泉は、あなたにあり、
あなたの光に、私たちは、光を見る。
詩編30じゃないか。どうして・・・僕はこれを諳んじて歌えるのだろう。
人々の間に動揺が広がっていく。まさか悪魔の子の唇から聖歌が紡ぎだされるとは想像だにしなかったからだ。その声は美しいボーイソプラノだ。悪魔に憑りつかれることを恐れて無言でありつづける人々の静けさは、かえって聖歌を大きく聴かせることとなっている。皆混乱してきているようだ。異端審問官はまずいと思ったようだが、さすがに火がついている中に入って口をふさぐことはできない。悪魔に惑わされるなと叫ぼうと思ったが、かえって自分への不信感を増大させる可能性もあり、審問官は、もっとを火をもえたたせろと部下に小さく伝えた。実際に形勢逆転で、自分が暴徒のリンチにあうこともありうるからだ。
僕は一部で火が勢いを得たような気配に恐れたが、僕の唇は勝手に動いていた。
今度は、ウェニ・クレアトール・スピリトゥスが歌われていく。
創造主である聖霊よ、私のところに来てくださいという古い聖歌だ。
僕はどうしちゃったんだろう。聴こえるのは僕の口からだ。だんだん熱くなってきたし、煙が鼻をさすのに、どうして歌が歌えるんだろう。ああ、そうか、僕はもう死んでいるのかもしれない。天国に近づいているのかもしれない。6年しか生きてないうえに、記憶があるのは4日もないじゃないか。このままは嫌だ。
どこかからか馬の蹄の音と、ラッパの音が聴こえる。天国のトランペットってこういう音なのかな。もしかして、馬車で天国から迎えがきたのでは?
なんか誰かが叫んでいる。苦しくて意識が遠のいてきた。やっぱり僕は死ぬんだな・・・
静かな空間にカテドラルの鐘の音が鳴り響いてきた。
そういえば、ここの大聖堂の鐘をちゃんと聴くのは初めてじゃないだろうか。いよいよ僕は死ぬのだろう。僕はいったい誰なんだろう。お父さんやお母さんはどんな人だったのだろう。天国にいったら会えるのかな?迎えにきてくれるのかな。
天国の入り口には大きな門があって、聖ペテロが天国のカギをもって待ってるって聞いたことがあったなぁ。ペテロはやっぱり元ユダヤ人だから髭だらけなんだろう・・・
僕はいろんな考えが溢れて、涙がどんどん溢れてくるのを感じた。
そして。僕は暖かい光に包まれた。ロープが急にするりと抜けおち。体が空中に浮遊する感覚を覚えた。
僕は何か暖かい存在を身近に感じた。気配というか。包まれるというか・・・お母さんなの?それとも神様ですか?僕を助けてください。
涙で濡れて気持ち悪くなっていた、ぐちょぐちょ目隠しが自然と外れた。
なんとなく察してしまった。僕は死んで、魂が天国にいったのだろう。
目をぐしぐしとこすると、目の前に手足があちこち変な方向についている、グロイ死体があった。
・・・あちゃー、天国でなくて地獄だったか・・・
がっかりしていると、後ろに街の喧噪を感じた。
振り返ると、すこし先に、この前の都市の中央門が見える。
驚いて、また前を見ると、あの男の死体が見えた。
僕は、独りで車輪刑の刑場の前に立っているのに気付いた。
ガリア戦記は、カエサルの本のタイトルですから、お話の中では、千年以上も前の本ですね。当時のガリア、西ヨーロッパは広大な森に囲まれていたそうです。カエサルというとわかりにくいかもですが、初代ローマ皇帝ユリウス・シーザーのことです。シーザードレッシングは、最近作られたもので、彼とは関係ないそうです。
異端審問は、黒歴史ですね。13世紀になると、異端審問官が教皇に認められて、あちこちで力を振るうことになります。大抵弱い人がターゲットになるところが、今の日本みたいですね。有力者を狙った場合は、審問官が虐殺されることもありました。それで聖人認定って、今ならありえませんよね。
地下道、なんだか自分でもやりすぎかなって思っていましたが、改稿しませんでした。




