・夜のまにまに
・夜のまにまに
その日の夜。皆傷付いて泥の様に眠っていた。
バスキーだけ帰って来てないが、恐らくパンドラから貰ったお金で、遊び歩いているのだろう。ドラゴンとかいかにも体力ありそうだしな。
そんな日を跨いで、深夜に俺が起きている理由というのは。
一つ、なんか眠れなかったこと。
二つ、トイレに起きたこと。
三つ、帰りに起きていたウィルトと、鉢合わせしたこと。
「あ、こ、こんばんは」
「……こんばんは」
気まずい。これは気まずい。現在俺の周りには誰もいない。
人間に危害を加える可能性が、無いわけではないという触れこみの人物が、今目の前にいる。間近で見るとすげえ色気。
こんな役所の最低限の電灯に照らされて、美しさが先に来るんだから眼福である。
「君が、あの子たちの新しい友達?」
「え? えっと、どうかな。向こうがそう思ってくれてれば、そうなんじゃないですかね」
「じゃあ友達だね」
なんだろう。穏やかだけど変に力強い人だな。なんだかどこかで見たような感じがする。ウィルトは少しの間、黙って俺のことを見ていた。
どうしよう、接し方に困る。人の父親を呼び捨てにするのはどうかと思うが、今はちょっとだらしない態度のほうが、気を遣わせずに済むだろうか。
俺が役所の人間だと分かったら、口調を丁寧にしてくれた娘さんには申し訳ないが。
「ありがとう、あの子たちの力になってくれて」
「いえ、こちらこそ、ていうか、おじさん怪我大丈夫なの?」
「おじ、ふふ、ええ、大丈夫ですよ。ミトラスたちが手当をしてくれましたから」
言われてみれば火傷の痕や痣などはどこにもない。トレセンではボロ雑巾みたいになっていたのに、今は無傷の状態だ。
「あの、俺、人間なんですけど、その……」
俺は率直に聞きたかったけど、緊張から詰まってしまった。それでも言いたいことは通じたらしく、ウィルトは疑問に答えてくれた。
「そうですね。見れば、何か感じるところがあるかと思いましたが、やっぱり、もうなんともありませんでしたね……」
「それって、どういう?」
ウィルトが受付のほうへ手招きすると椅子が二つ、宙を浮き音も無くやってくる。二人がどちらからともなく座ると、彼は力なく笑った。
「私はね、怖かったんですよ。子どもたちが死んで、私も殺して、戦争が終わって、何もかもそれっきり。もしも人間を見て、何も感じなかったらどうしようって思ったんです。皆のことを、忘れてしまったのではないか、と」
「それ、ディーも似たようなこと言ってた」
ウィルトが意外そうな顔をする。
同じことを考えて、同じように抱え込んでたんだ。
この二人は。親子なんだな。紛れもなく。
「『皆って本当にいたのかなって、あたしの思い出って、あったのかなって』そう言ってた。俺は一人ぼっちだってことを受け入れられないんだって、思ってたけど、おじさんを見て、今は違うって思う。一人じゃないんだ。二人とも、でもそれだけじゃ……って気持ちなんじゃないかな」
もっと沢山いたのにな。前はそこにいたのにな。
寂寞って奴なんだろうか。
二人はそれを、未だに埋められずにいるんだろう。この先も、ずっとそうなのかも知れない。
「一人じゃないけど……か。そうかもしれません」
目を閉じて何かを考え込むウィルト。
その息遣いが、夜の役所に響く。
これがミトラスだったら、構わず抱いたり撫でたりしてやれるのに。
「そういえば、あの時何を話してたの?」
「あの時?」
「ほら、トレーニングセンターで」
ああ、と彼が頷く。
最初に何を話していたのか、地味に気になっていたのだ。
「どうしてあなたを連れてきたのかを、聞きました。そうしたら逆にあの子は私に聞いたんです。『どうですか?』って。私の気持ちを試してきたんですよ」
あのショタやることが悪魔じみてきたな。相手の気持ちを確かめるために、俺を踏み絵にしたんだ。
可能性がほぼないとはいえ、万一俺に敵意が向いたらどうする気だったんだ。
「あなたを突き付けられて、自分の言い訳を自分で黙らせることになって、気持ちが折れてしまった。その後のことは、あなたも知っての通りです。おざなりに戦って、普通に負けました」
あれでおざなりなのか。そして普通の負け方だったろうか。それは置いておこう。
「私の中では、憎しみの気持ちさえ風化してしまっていた。人間とも魔物とも戦って、人間と魔物の子を育てて、失って、私は何をしていたのか。なんだか人生を随分と無駄にしてしまったような気がして」
俺の家だと、俺がいることでさえ嫌がられたもんだけど、この人にとってはきっと他人の子ども全員が、自分の子どもみたいなものだったんだろう。
残念だけど、俺にはこの人の気持ちを分かってあげられそうにない。
「無駄になったの?」
「それは……」
だから俺は、こんな言い方しかできない。
「本当に忘れちゃったの?」
「…………………………」
ウィルトが俺の目を見る。そんな目をしたって優しい言葉はかけてやれない。かけてやりたいけど、それは俺がしていいことじゃない。
「ディーが、あんたに同じことを聞くよ」
「そんなことはない……!」
碧い眼に力が籠る、電灯の薄明かりの下で、俺が見たことのない温もりと、広さを感じさせる瞳だった。ずっと探していたような気さえする。
「もう一度」
「あの子たちと過ごした時間は無駄でもないし、忘れたりもしない。本当にあったことだ。皆、いたんだ。思い出も、全部」
「それを今度は、あの子にも言ってあげなよ」
そこまでを聞いて、俺もそれだけ言って、その場を離れる。これでいいんだ。
ウィルトは、この人は、答えをずっと持っていた。ただ躊躇っていただけだ。なんで言わなかったのか、男でも親でもない俺には分からないけど。
電灯の明かりが煩わしげに点滅する。会話が途切れると、当たり前の静けさが再び俺たちを包んだ。それもじき終わるだろう。夏の夜は短い。
「もう寝よう。夜が明けちゃうよ」
「ええ、そうですね」
声をかけると、後ろから付いてくる気配がする。
気まずさは既に消えていた。
廊下の薄明かりを抜けて、俺たちは自室へ戻った。また布団に潜る訳だけど、不思議と今度は、すんなり眠れるような気がした。
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