9.北の領地(3)
( こっ、婚約者とは……?!それに、呼び方……っ!っ、うあ、ヤバ……っ!心臓、苦し……っ! )
俺がアルフレッド様に「はい」 ( 正確にはビビり散らかして「ひゃい」だったけど ) と返事をしたお陰か、不穏などろどろした黒い空気は一瞬でなくなり……それと引き換えに俺に向けられたのは、うっとりと妖艶な色気のある微笑み。
そして、俺を引き寄せたアルフレッド様の腕に更に力が込められる。
不意の引き寄せだったために、バランスを崩した俺はアルフレッド様の胸に凭れる形になって支えられていて。
伯子の敬称が抜けた突然の呼び捨てと、この現状に、彼に恋焦がれているディルクの心臓は爆音をかましていた。勿論、顔は林檎の様に紅が差しまくっている。真っ赤も真っ赤。自分でも赤くなっていると認識できるほど、その頬には熱が灯っている。
そんな俺の顎をその細長く骨ばった指でクイ、と掬ったのは勿論、俺をこんな状態に仕立てた張本人である——アルフレッド様だ。
「ディルク……?体調、大丈夫だろうか?頬が……赤い」
「だっ!だい、大丈、大丈夫、ですから!あの、はや、早く離して欲しくてですね!」
「何故」
「なぜ、って……!」
「私たちは婚約者なんだから——問題、ないだろう?」
( いやいやいや!問題ありまくりだろ?!まだ婚約者じゃないし、それより何より……!しんぞう……!心臓が、破裂する……っ! )
俺の意識とは別に俺の中のディルクが嬉しさと喜びと驚きとで大絶叫祭りを開催していて身体がぶっ壊れそうだ。そんな大慌てな俺を見てアルフレッド様は嬉しそうに微笑んで「本当に、表情がコロコロ変わって——見ていて、飽きない」とか言ってきたのだけど……それって俺がペットの感覚なのかもしれない、とピンときた。
俺も前世でワンコを一匹飼っていたのだけど、その子も泣いたり怒ったり甘えたりコロコロ表情が変わって見ていて飽きなかった。
( そ、そうか……ペット感覚なら、分かる。ディルク、落ち着け……!お前は、アルフレッド様にペットだと思われている。少なくとも嫌われてはいない!どちらかというと可愛い部類だぞ!よかった! )
『ふむ。公爵様、公子様がディルク様の婚約者だとは露知らず、失礼を申した』
「いやいや、まだ正確には違うんだよ。今日は婚約前の顔合わせだったんだ」
『——と、いうことは……ディルク様はまだ、公子様の婚約者ではない、という事か?』
「ラース殿、正確にはまだ、だが……婚約者になる流れ、だから……婚約者と同義、ですよね、父上?」
「あ——……まあ、そう……なのかな?」
「父上?」
「アルフレッド……どうした?怖いぞ?まあ、そうだな。婚約者、みたいなもの、かな?」
『ふむ』
ペットでも何でもいいから、ディルクの命を救うためにも早くアルフレッド様から離れたいと考えていた俺を他所に、周りは色んなやり取りをしていた様な気がしたけど、それどころじゃなかった俺は聞こえてなくて。
『ディルク様』とバリトンボイスが響いて、名前を呼ばれた事で、ラースへと意識が向いた。
「は、はい……!ラース様、なんでしょうか」
『此方へ到着の際は、すぐに私をお呼びください』
「え、えと……?」
『北の地形の確認が必要でしょう。此方の事は、私が1番よく分かっている。私は、貴方様のお役に必ず立つ事をお約束する』
「……!はい!頼りに、しています!」
『私も、ディルク様を頼りにしている。そして何より——貴方様にお会いできるのを、楽しみにしております。お気を付けて、お越しください』
「はい!俺……私も!楽しみに、して、ぐぅ……っ」
ラースの方へ顔を向けようと動かしたその瞬間に、アルフレッド様の腰に巻き付いた腕にグ、と力が入って。
尚且つもう片方の腕は俺の背中に周り完全に抱きしめられてしまった。全くラースが見えない。ていうか、苦し……ぐえ。
「ディルクの転移は、私が共に」
『——畏まりました。公子様、ディルク様の事よろしくお願いいたします』
「……ラース殿によろしくされなくても、無事に向かうと誓おう」
初めて感じるアルフレッド様の香りに、案の定ディルクはメロメロに蕩けていて。
俺はそのはしゃぎまくりのディルクを抑えるのに必死で、部屋が不穏な空気になっている事に全くもって気づかなかったのだった。




