8.北の領地(2)
俺の発言から、数分の沈黙が続いた。ラインハルト様も何かずっと考え込んでいる様子だ。
( ——誰も、何も口を開かない……まあ、そうだよな。現場を知らない俺の発言よりも、現場にいるラース達の発言を信じるに決まってる…… )
実際、シャドウラットとスウォームラットの区別は難しい。一般的に知られている判断基準は群れを成すか否か。しかし、シャドウラットとスウォームラットの違いをハッキリさせる術はある。
ただ、その判断を出来るのは……正直、ディルクしか、いない。
ディルクは未来の文官を目指す若者達が通う王立アカデミーに在籍している。そこでは魔法理論、歴史、法律、行政学を学ぶ。
2年生になってから彼は、それに加えて軍事戦略を専攻していて、そこで戦術学を学んでいるのだ。戦術学では、地形利用、兵站・補給、陣形、心理戦などを学ぶ。彼はそれに加えて自主的に魔物に関して進んで研究をしていた。
それはもちろん、ラットに関しても。でも、ラットの判別はディルクが現場に行くことでしか判別出来ない。実際目で見て確かめる必要があるのだ。
( このディルクの知識を現場で証明出来れば、ラット判別は間違いなく出来るのに……どう説得したら…… )
俺がどう説得しようか悩んでいると、低く響くバリトンボイスが静かな空間に落ちてきた。
『——公爵様。発言、よろしいか』
沈黙を破ったのは、獣人であり、北の領地の管理を任されているラース・ベルグマンだった。
ラースのバリトンボイスが画面越しに響いたことに、俺はラースを見遣ると、ふんわり俺に向かって彼は微笑んでくれた。柔らかく、暖かなその微笑みに張り詰めていたものが少し解けるような感覚を覚える。
「ラースか……構わない。発言を許可しよう」
『発言の許可、感謝痛みいる。——伯子様、其方が北へ来られたら……ラット判別は可能なのか』
「……っ!はい……!俺は、王立アカデミーで、ラットの生態研究をしています。シャドウかスウォームか、現地に行って確認させてもらえれば、確実に判断は付くかと」
『ふむ……では、スウォームだった場合の対処法も、問題ないか?』
「はい、問題ありません。スウォームラットは大量殲滅は避けるべきです。大量の死骸や血のフェロモンが発生してしまうとブラッドボーンがそこへ目掛けてやってきます。最小限に抑えるには、誘導・封じ込めが効果的です。大量殺傷せず、油を撒いた溝に誘い込み、端だけを燃やして「逃げ道」を作り、領地外へ追い出すのが得策かと」
『……なるほど、承知した』
俺の発言を聞きながら、ラースは腕を組み何かを考えている様だった。初めて会った、ただの伯爵令息である俺の発言を唯一確認してくれたラースに嬉しさが込み上げて、折れそうだった心が救われた気がして、涙が出そうになった。
( web連載の番外編でも、ラースは強さと優しさと男らしさの塊だった。ラース推しがとても多いのも頷ける。俺はぶっちゃけ、ディルクはラースと面識があるなら、ラースとくっついてほしかったんだよなあ…… )
そんな事をほわほわ考えていた俺に向かってラースは『……これは、信じて然るべきかもしれん』と一言放って、ラインハルト様に目線を向けた。
『公爵様。伯子様——ディルク様はこのラース・ベルグマンが全身全霊を掛けて、その御身を御守りすると誓う。ディルク様の力を借りたい。如何か』
( っ!やっぱり……!ラースは男前だ……っ!ありがとう、ラース! )
ラースの提案に涙が零れそうで必死に耐えていた俺の斜め前で、ラインハルト様もコクリと頷いてくれた。そして、父上と母上に目線を送り、口を開く。
「……ふむ。そうだな。ロウエン、シルヴィア……構わぬか?大事なご子息を戦場へ向かわせても」
「ああ。頼もしい息子で、私も鼻が高いよ」
「ラース様、ご迷惑掛けるやもしれませんが、ディルクをよろしくお願いいたします」
「……っ!」
ラースの提案で、全ての風向きが変わった。
俺は必死に耐えていた涙腺がぶちんと切れてしまい、堪えきれずにボロボロっと大きな粒を瞳から零してしまった。胸がギュゥ、っと締め付けられる。
そんな俺に「よかったら、これを」とハンカチを差し出してくれたのはアルフレッド様だ。この方は何処までも公爵令息としての振る舞いを欠かさない。どうか、セシル様と倖せに。いつか盛大に執り行われる結婚式に、俺も参列させて欲しい。一瞬でも婚約者になり掛けた者として……は、流石におかしいな。そうだな、北の領地を守りぬいた同士としてでもいいや。
あれ、アルフレッド様……何故そんな悲しそうな顔を?
そうか。北の領地に行きたいと我儘を言ってる俺が痛々しく可哀想に見えたのかもしれないな。安心してください。領地での作業が終われば、婚約の取り下げもするし、俺は邪魔しない。セシル様だけをどうぞ、思う存分愛してください。
アルフレッド様にお礼を言いつつ、ハンカチで涙を抑えていると「なんて、綺麗な……」と聞こえて。意味がよくわからなくて、その言葉の意味を聞き返すのも微妙だったので、軽く微笑んで誤魔化したら「ゔっ……!」とアルフレッド様が唸った。お腹でも痛いのかな?お大事に、お身体はご自愛いただきたい。
俺は信頼してくれたラースにお礼を言いたくて、涙を拭き、真っ直ぐラースへ目線を向けた。
「ラース様……!初対面の私の話を、信頼してくださって……ありがとう、ございます。そちらへ伺った際は、沢山ご迷惑、お掛けするかもしれませんが……!ラース様、よろしく、ぐぇっ?!」
ラースが映し出されている画面に近づこうと歩みを進めようとしたその時、グ、と腰を引き寄せられてバランスを崩した俺は引き寄せられた方へ全体重を乗せてしまった。
吃驚してその引き寄せた人物を見遣ると、そこには先程まで俺の横にいた——アルフレッド様が。
「ア、ル……フレッド、様……?」
「ラース殿。ありがたい申し出だが貴殿の力を借りるまでもない。……君を守るのは——婚約者である、私の仕事だろう……?なぁ、ディルク?」
「—— へっ……?!」
( え、ええ……?ど、どういう……?!婚約者でもないし……!なんで、なに、この、状況……?!へ?!なっ、なんで?! )
ニッコリ微笑んでいるのに、アルフレッド様の空気は何だか不穏で。俺はあまりの恐ろしさに「ひゃ……ひゃい……」と思わず、アルフレッド様にびくびくしながら返事をしてしまったのだった。




