7.北の領地
「彼は北の領地を管理してくれているラース・ベルグマンだ」
『ヴァーミリオン卿、伯爵夫人、伯子様、お初にお目にかかります。ラース・ベルグマンです。北の領地の管理をしております。以後、お見知り置きを』
マリアベル様が落ち着いたことを確認したところで、ラインハルト様が呪文を唱え、客間の何もない空間に50インチほどの映像を映し出す。
そこには、ローゼンフェスト公爵家が管理する北の領地の管理者で、狼の獣人であるラース・ベルグマンが映し出されていた。
ラースは灰色の毛並みを纏った大柄な狼の獣人だ。見た目は完全に狼なのだけれど、人語を巧みに操り、騎士団上がりのその逞しい巨体が呼吸するたびに硬質な毛並みが波打つ。
北の領地はローゼンフェスト公爵家に最近付与された領地だ。魔物が発生しやすい魔の森が近くにある管理が困難な領地のひとつ。管理が困難な領地を管理する領主にはそれ相応の報酬が国から与えられるのだが、それに胡坐を掻いて魔物対策を何もしていなかった前領主であるバルカノン公爵のやり方に不満を持った領民……特に北の領地の多く存在していた獣人たちが暴動を起こした。そして、その暴動を治めたのが、アルフレッド様の父君であるローゼンフェスト公爵様——つまりは、ラインハルト様だ。
武力・知力・財力……そして高く領民を纏め上げる力を持ち合わせているその人にこそ、この地を管理してほしいと、獣人を代表してラースが国王様に訴え、北の領地はローゼンフェスト公爵家の管理下におさまった。
北の領地は8割が獣人、残りの2割が人間という構成だ。web連載では、北の領地で勃発した問題を解決するために、結婚後にアルフレッド様とセシル様のおふたりで向かわれたシーンが描かれていた。
( セシル様は聖女の力に目覚めてから結婚していたから難なく解決していたけど……あの問題が今……?ちょっと早すぎないか?聖女がいない今、どう解決すれば…… )
そう。ざま婚本編でも北の領地で魔物が発生してしまうという話があった。でもそれは、聖女であるセシル様の力があったから解決できたのだけど。
( いや、もしかしたら発生した魔物はブラッドボーンじゃないのかも。小物で数匹程度なら、このメンバー、それにラースや獣人の衛兵たちや獣人騎士団もいる。それなら、なんとかなるか……? )
バクバクと心臓が早鐘を打つ。どうかあのイベントではありませんようにと祈るしかなかった。
「ラース、現在の状況を報告してくれ」
『はい。現状、確認が取れている個体はシャドウラット。数は今のところ数十匹程度。数匹処分をしておりますが、発生を確認してから半日ほど経過している現在も数はなかなか減っておりません。北門には領地で訓練を積んでいる衛兵と獣人騎士団を数名配備しています』
「シャドウラットか……数はそこまで多くない個体だな」
ラースからの報告を受けて、少しの安堵を感じている全員の中でひとりだけ恐ろしさに震えている人物がいた。何を隠そう、俺だ。恐れていた事が起こっている現実に、震えが止まらない。
「——ディルク、どうしたの。大丈夫?」
「は、は……うえ」
震えている俺に気付いて、そっと抱き寄せてくれた母上の優しさに、少しホッとした。
この方は本当に。状況の察知力に聡い方だ。だから安心して過ごすことが出来る。
俺は添えてくれた母上の手をそっと包み「ありがとうございます」と声をかけて、頭を整理した。
( シャドウラットの報告……間違いない、これはあのイベントが発生している……!まさかこんなに早く……なんで?俺が転生して間違った行動を取っちゃったから……?! )
シャドウラットは影の様に真っ黒で動きが素早い低級の魔物だ。単独行動が多く群れて行動する事はほぼない魔物。害があるとすれば農作物を食い荒らす程度で人に害を及ぼす魔物じゃない。自然が多い領地ではたまに見かけるし、少し懲らしめたら頭のいい魔物なので、近寄らなくなる。だからシャドウラットが発生した場合は少し痛めつけて追い払うのが定石。
でも実は今現在、北の領地に発生している魔物はシャドウラットではなく、スウォームラットなのだ。シャドウラットとスウォームラットはとても似ている。違いといえば群れの数くらいしかない。スウォームラットは数百程の大所帯で行動するのが常とされていて、数匹程度で移動する事は稀。今回、北の領地で発生したラットが懲らしめても撤退せず数がじわじわ増えきていることを考えると間違いなくこの魔物はスウォームラットだ。
( スウォームラットは数を増やし続ける……こらしめて終わればいいけど、もし増えてきて面倒になって大量殲滅した結果、大量の血と死骸が発生したら……ブラッドボーンは間違いなく、向かってくる……! )
「公爵様、発言、よろしいでしょうか」
「ディルク……構わないよ。どうした?」
魔力も、剣術も、何もできない。
だけど、ざま婚で得た魔物の特徴と、学園で学んだ戦略……そしてこの突出した頭脳をもって俺が出来る事をしたい。
「お願いがあります。俺も、北の領地に、行かせてください……!」
「——!いくらシャドウラットだけだといっても危険だ……!ディルク伯子、何を言って」
「アルフレッド様、ご心配下さりありがとうございます。しかし、今とても危険な状況です。今いる魔物はシャドウラットではなくスウォームラットです」
「……なに……?!スウォームラット、だと……?!」
「はい。間違いありません。——俺は戦えませんが、俺には頭脳があります。あなたと、公爵様、父上と母上……ラースさま、そして北の領地のみんなをお守りするためだけに知略を尽くします。だからどうか、俺も同行させてください」
俺の発言に、辺りがシン……と静まり返った。
それはみんなもスウォームラットの恐ろしさを、その後間違いなくやって来るブラッドボーンの恐ろしさを知っているからだった。




