39.婚約の契約(9)
神真の間。
ここは、王宮の最奥、幾重もの回廊と封の施された扉の先にひっそりと存在している。
そこへ踏み入ることを許されるのは、契約を交わす当人たちと、立会人たる国王陛下、王太子殿下、聖女様——そして、それぞれの家族のみだ。
通常、ここで契約をする場合、当人と国王陛下だけ、というのが常らしいのだけど……父上と母上、ラインハルト様とマリアベル様も婚約する際にはこの契約を行ったと聞き及んでいたし、国王陛下との関係性を考えても今の現状は差支えないのかもしれない。
ここは、王宮の中枢にありながら誰の目にも触れぬ場所。公には語られぬまま、王家と限られた者たちの誓いだけを受け止めてきた秘密の聖域だった。
通常この国の高位貴族間の婚約は、国王陛下を立会人として謁見の間にて、その場にいる全員の署名を交わし、その書面を国王陛下が魔力によって封じる形で結ばれる。そうして王の加護を受けた誓約書は、婚姻の証として王宮に保管され、以後は王家の魔力によってその効力を保たれるのだ。
それゆえ、誓約書ではなく当人の身に直接王の魔力を刻みつける今回の儀式は、通常の婚姻契約よりもはるかに重く、深い意味を持つものなのだ。
( ざま婚本編でも同様の契約だった。やっぱり家格の繋がりを重視する貴族社会だから……父上たち的にも、どうしてもこの婚約は成立させたいんだろうな )
天井高くひらかれた神真の間は、王城のどの広間よりも静謐で、足を踏み入れた瞬間にさえ声を潜めたくなるほどの威厳に満ちている場所だ。
白亜の床には代々の国王の魔力を刻んだ金の魔法陣が広がり、その中心へ向かうたび、淡い光が脈打つように明滅している。
玉座の奥に掲げられた王家の紋章は神殿の祭具のような神聖さを帯び、幾本もの大理石の柱は空を支えるようにそびえ立ち、そのあいだを満たす魔力の気配が、この場所そのものを王国の意志へ変えていた。
その祭壇の中央に荘厳と聳え立つ国王陛下の御前にアルフレッド様と俺が、深の礼を所作をしたことを確認したのち、国王陛下が口を開いた。
「——では只今より、ローゼンフェスト公爵家令息、アルフレッド。ヴァーミリオン伯爵家令息、ディルク。双方の婚約の契約を執り行う。双方、顔を上げ、私の目の前へきなさい。そして互いに忠誠を誓いながら、右手を私の前へ」
国王陛下の促されるままに顔を上げようとした、その時。下の方から「ディル」とアルフレッド様の俺を呼ぶ声が聞こえて。
その声の先に目線を遣ると、俺の前に跪いて手を差し伸べるアルフレッド様がいた。
「ディル、手を。君と共に、参りたい」
「……っ、は、はい」
アルフレッド様の差し出された手のひらに、自分の手をそっと乗せる。触れたところから熱が広がるのを感じていると、ゆっくりと立ち上がった彼は「こうして、君と共にここまで来ることが出来て、嬉しい」と俺のこめかみに口唇を落とした。その行為に頬にはいつもの様に熱が集まるし、キュゥ、と苦しく胸が締め付けられる。
それでも、どうしても溢れ出て止まらない嬉しさに思わず「——俺も、です」と躊躇いながら答えると、アルフレッド様は泣きそうな……それでいて苦しそうな表情をされて。俺は、余計に胸が苦しくなった。
( きっと、強制力に抗えなくて、苦しいのかもしれない。ごめんなさい、アルフレッド様。後、もう少し。結婚して俺をざまぁするまでもうちょっと時間がかかるけど、もう少しの辛抱ですから。こんな俺だけど……それまでは、貴方の横に——いさせて、ください )
そんなことを思いながら、アルフレッド様と共に国王陛下の近く歩みを寄せると「双方、忠誠を」と国王陛下から促されてアルフレッド様へ向き直った。するとアルフレッド様に引き寄せられて、抱き締められる。
「っ!アルフレッドさま……っ!」
「……ッ、もう、逢ってもらえないかと、思っていた……!」
「そんな、こと」
「三日間、君に逢えなくて苦しかったんだ——こうして、君とこの場にいる事が出来て、堪らなく、嬉しい」
俺を抱き締める彼の腕と声は、少し震えていて。心臓が、痛くて、泣いてしまいそうだ。
強制力とか、断罪とか。怖いことは沢山ある。だけど、それでも。俺は————。
「アルフレッド、様」
「……?」
俺の呼びかけに、ゆっくりと離れたアルフレッド様は俺を見つめた。
そして俺は、今の想いを彼に吐露したのだ。
「——私はあなたにこの心を預け、ただあなただけに忠誠を誓います。未来の伴侶として、その栄えにも、苦しみにも寄り添い、生涯あなたの隣に在ることを願い……ここに誓います。どうか、私を、貴方の婚約者に」
「ッ!」
一筋の、綺麗な雫が彼から零れて。次に零れそうなソレを指で優しく拭う。
「泣かないでください、アルフレッド様。俺は、ここにいますよ」
「……っ、情けない、姿を見せた。——ディルク・ヴァーミリオン伯爵令息……君は、本当に私の心を搔き乱すのが得意な子だ」
そう言ってアルフレッド様は俺の右手の甲を手に取り、ゆっくりと自身の口唇に近付けて、優しく柔らかく触れる。
「我が名と我が命にかけて、私はあなたに忠誠を誓う。いかなる宿命が待ち受けようとも、私はあなたを裏切らず、その傍らに在り続けることをここに誓う。あなたの歩む道をともにし、その幸福を守り抜くことを、ここに誓おう。ずっと、私の横で……笑っていてほしい」
そうしてお互いの右手を国王陛下に差し出した。薬指の先にごく浅い傷を魔力によって受ける。にじんだ血が指先を濡らしたその瞬間、国王陛下が厳かに魔力を解き放った。金色の光は血を導として指先から体内へ流れ込み、脈打つ熱となって全身を巡ってゆく。
やがて、その力が薬指に留まると、淡く輝く紋様が静かに刻まれる。
こうして、俺とアルフレッド様の婚約の契約が、国王陛下の魔力のもとに完全なものとなったのだった。




