38.婚約の契約(8)
アルフレッド様の表情のあまりにも恐ろしい雰囲気に慄いていると「ディルク」と声を掛けられて。その声のする方へ視線を戻すとラースの少し湿った鼻先が俺の頬をくすぐった。
くすぐったくて、ふふ、と微笑んだ俺以上に、俺を見つめるラースの表情は優しくて。
その表情にほっこりして微笑み返すと「元気そうだな……よかった」と言いながら再度、鼻頭を俺の頬にちょん、とつけた。何のことかよく分からなくて小首を傾げた俺に「気にしないでくれ、それより」とラースがその低く響くバリトンボイスを優しく俺へ向けた。
「——なぜ、急に俺を召喚した?国王陛下の魔力を使ってまで呼び出すなんて……何か、緊急事態なのか?」
「あ、そう、だね。説明しないと。ラース、俺を下ろしてくれる?あと、結界も、解いてほしい」
「……そうか。残念だが、了解だ。———— 」
ラースが俺を下ろしながら、呪文を唱えるとブォンという音と共に、俺とラースを纏っていた光が消える。
すると、アルフレッド様が目と鼻の距離にも関わらず転移呪文で現れて、俺とラースの間に割って入った。勢いが凄すぎて声を上げる事も出来ないままにアルフレッド様の手によって、俺はラースから引き離されて、不穏な空気を纏った彼に抱き締められた。
「……ッ!ア、ルフレッド、様……!」
アルフレッド様の柔らかい口唇を俺の頬のすぐ横に感じて、頬に熱が集中する。
俺の中のディルクは勿論。俺も、この気持ちを自覚してから、アルフレッド様の言動の全てがグサグサと刺さるのだ。心の中で大絶叫祭りを毎時開催している。
最初はあんなに嫌われたい、とか。この人のことは好きにならない、だとか。自分でもあんなこと考えてたなんて、青くて馬鹿だなあと思う。
だって、俺の中のディルクは既に彼に恋をしていて心臓は恐ろしいほど軋んで、胸の苦しみを感じてしまっていたのに。
俺は見て見ぬふりをしようとした。
ディルクの『アルフレッド様を想う気持ち』だけが切り離された状態で前世の記憶を取り戻した『俺』。
別の存在に感じるけど——俺はディルク・ヴァーミリオンとして生を受け、17年間ディルクとして育ってきたのだ。
それはきっと、強制力もあるだろうけれど……それでも。
——彼を愛しいと思うなんて、時間の問題だったのだ。
俺の背中に回った彼の腕は、ぎゅ、としっかり力を込めて俺を抱き締める。
余計に絶叫してしまいそうになるのを必死で堪えた。どれだけ触れ合っても、いまだに彼との触れ合いは緊張するし、心拍が上がる。
「——ディル……?ディル……っ!やっと、この手に……!——ああ。先程、君の可愛い頬に何度か害虫がぶつかったようだ……——消毒、させて」
「へぁっ?!」
そう言いながら、ちゅ、ちゅ、と数度その熱の籠った艶やかで柔らかな形の良いソレをラースの鼻先が掠めた俺の頬に落とす。
その仕草に、勝手な思い込みだけど何だか嫉妬されているように感じて。胸がキュンキュンして、苦しくて、切なさを感じた。
( でも……こんな事をしてくださるのも、きっと今だけ、だろうな…… )
そんなことが頭を掠めて寂しくなってしまった俺は、逆にアルフレッド様の好意を感じたくて。
彼に身を預けたくなってしまって、頭を彼の肩に委ねた。
俺の行動に「ッ、」とアルフレッド様が少し反応されて俺に回った彼の腕に余計に力が入ったように感じて、嬉しさにじわじわと胸が熱くなるのを感じる。
そして、これまでの強制力の事を思い起こした。
俺は、高熱を出して体調不良だったにもかかわらずアルフレッド様に、恋をした。
セシル様は、既に聖女になっていて学園にも通っていないのに……こうして、アルフレッド様にまた、出逢った。
強制力が働いて、その気がなくてもきっと、原作通りに話は進むはずなのだ。
( こんな風に、俺に甘い態度を取ってくれるのも、きっと今だけ。なんか——寂しい )
「コホン!ディルク?アルフレッド——ラース殿に、説明がまだだし、君たちは正式に婚約していない。もう少し、距離を、取りなさい!」
「っ!そ、そう、だった……!」
父上に後ろから大きく咳払いをされて、慌てて起き上がり「アルフレッド様……説明、したいです」と上目遣いでお願いすると、頬に柔らかく口唇を再度落とされて、ちゅ、とリップ音が響いた。
「——ディル、また、後で」
「……ッ!は、はい……」
そうして、ラースは俺とアルフレッド様の婚約の契約の事について国王陛下から説明を受けた。
婚約の契約に際し、ラースの魔力が国王陛下の魔力を異物とみなして、俺の中で暴走する恐れがあること。
その結果、最悪の場合、俺の命の灯が消えてしまう可能性もあることなど。
ラースはその話を聞きながら、神妙な空気を纏って、数秒考えた後に「承知した」と、コクリと頷いた。
「主であるディルクが、公子様との婚約を望んでいるのなら……それが主の倖せならば、私は魔力制御に尽力いたします。しかし、私の魔力は魂と結びついていて、私が完璧にコントロール出来るわけではない。聖女様、サポートを頼みたい」
「はっ!はい!何事もなきよう、尽力いたします!」
「ありがとう。感謝する」
騎士の礼をしたラースに「ぐわ……っ、騎士の礼、恰好良すぎて……ッ!生で見れるなんて最高か!!!」と頭を抱えながらふらついたセシル様をエドガー様が「落ち着きなさい。ほんとに、仕様のない子だ」と、しっかりと支えていた。
そんな、おふたりの事をアルフレッド様はしんどい思いをして見守っているのではないかと少し心配になって彼を見上げると……そこには、無表情であのふたりを見ている彼が。
無。まさに無なのだ。
( こ、これは……!ざま婚本編ではお馴染みの、イライラしているのを必死で抑えている公爵令息の仮面を被ったアルフレッド様の表情だ……!挿絵で見た表情と一寸の狂いもなく完全一致……っ!——やっぱり、セシル様のこと……気に、なってるん、だな )
ちくちく。じりじり。胸の奥が刺されたような、灼ける様な……嫌な痛みが続いて。
あまりの鈍痛に心臓をひっかきたくなる衝動に駆られる。
( お、落ち着け、俺。まだまだ。ざま婚のディルクはもっと、悲しい現場を目の当たりにしている。こんなことで、へこたれちゃ、いけない……! )
そう、心に誓ったところで国王陛下が「——では、契約の儀式を、開始しようか」と口を開かれた。
何が起こってもおかしくない。俺が転生したと気付いてから不測の事態ばかりに戸惑うけれど。
でも、アルフレッド様の正式な婚約者になれるという現実が近付いてきているのを感じて、荘厳な空気感に場違いな程、嬉しくて小躍りしたい気持ちがこみ上げていたのだった。




