31.婚約の契約
今日は、空の日——日本でいうところの金曜日。アカデミーも、学園も休校日。
ローゼンフェスト公爵家からの婚約に関する正式な書状は王家経由であるにもかかわらず、ヴァーミリオン伯爵家へは炎の日(火曜)の夕刻に速達書簡で届いた。本来なら、王家を経由すると一週間は経過するものだとか。それが「書状を出す」とアルフレッド様から伺ったのは太陽の日(日曜)の夜遅く——つまりは二日で全てを完了させてヴァーミリオン伯爵家に届いたというのだから、ローゼンフェスト公爵家と国王様のしごできっぷりには頭が上がらない。
公爵家から国王の承認を得て通達された正式なそれは、家格的にも我が伯爵家は有無を言わさず受諾しなければならないものだ。
母上からは、ローゼンフェスト公爵邸から帰る馬車の中で婚約の意思確認をされていて問題ない旨を伝えたのだけど、「ディルクの様子が何だかいつもと違うように感じたけれど……ただの気のせいだったのかしら」という母上の発言に、何だか全てを見透かされているような気がした。
前世の記憶があると、告白したらきっと驚かれるだろう。今はまだ、混乱させたくないし心配をかけたくない。時が来たら、いつか打ち明けようと思う。けれど、それはまだ今じゃない気がしている。でもいつか、全てを母上には話して……相談したいと思ってはいるのだ。
その馬車の中で、今後の流れの説明を受けていた。王家経由で来た書状を確認次第、父上が書簡にてローゼンフェスト公爵家と王家へ婚約の契約を結ぶための日程調整を飛ばす。本来なら、そのやり取りを数度繰り返して日程が決まる流れらしい。契約をするために、王宮に足を運ぶのは早くてもこの週末。多忙な国王様の日程調整ほど時間のかかるものはないため、もしかしたら月末まで延びる可能性もあることらしいとのことだったのだけど。
蓋を開けてみると、王家経由で届いた公爵家からの書状を受け取った次の日の朝——つまりは俺がお休みを開始した二日目である海の日(水曜)に、この週末の空の日(金曜)に婚約の契約のために王宮へ出向く事を、少し苦笑いしている父上に告げられた。
あまりの速さに、気持ちが追いついていかない。
それでも、婚約に関する全ての事がトントン拍子に進んでいく。
( きっと、これも強制力が働いているんだな……アルフレッド様がどんな想いを抱いていたとしてもディルクと婚約しないと、話が成立しないもんな……婚約を、しないと、いけない )
そして迎えた空の日。支度を終えた俺は父上に呼び出されて客間へ向かった。なんでも、俺に確認したいことがあるらしい。
( 王宮へ向かうのはお昼を過ぎてからだったから……まだもう少し時間があるけど——それにしても、俺に確認したいことって、なんだろう )
到着した客間のドアをコンコンコン、と三度ノックをして「ディルクです。入ります」と言ってドアを開けた。
すると、そこには……三日振りに拝見するアルフレッド様が、窓際に立ってこちらを見ている。
「——アルフ、レッド、様……あの、父上、は」
「……やあ、ディル。三日振り、だな……?すまない。伯爵に無理を言って君を呼び出してもらった。——君と、ふたりで話がしたい。……こっちへ……おいで」
言われるがままに、アルフレッド様の元へ向かうと「一先ず、ソファへ腰かけよう。私の横に座ってくれるか……?」と言われてコクリと頷くとホッとした様な表情のアルフレッド様に胸が苦しくなった。
( なんて表情……また、勘違いしそうになる。けど。勘違いしたらダメだぞ、落ち着け、俺。絶対に違うから。彼は、俺の体調を心配しているだけだ )
そう。アルフレッド様は……俺の体調を、いたく心配されている。
◇
「——ディル様、アルフレッド様からの書簡は……お読みにならないのですか?」
ミスト達が俺の支度を終え、部屋から出ていくのを見計らって執事長であるテスターは俺にそう問いかけた。
炎の日から、森の日まで、三日間、俺の元へアルフレッド様から花束と書簡が届いた。
赤やピンクや白のベゴニアと呼ばれる花であしらわれた花束。その花は、顔合わせの時に公爵邸のガゼボでその日に開花したとマリアベル様がお喜びになられた花だった。
そんな流れもあったからなのか、その花を花束にして三日間、書簡と共に持参をしてくださったアルフレッド様の対応をしてくれていたのはテスターだった。
俺が泣き腫らして学校を休んだあの日、俺は何もテスターに伝えていないけれど、俺のアルフレッド様に対して取っている不自然な行動に俺の涙の原因はアルフレッド様なのだと勘付いたようで「ローゼンフェスト公爵令息様の対応は私がしよう」と自ら門前に向かい、その都度対応してくれていたらしい。
そのことはテスターから、耳にしたばかりだった。
目線の先にある、デスクに纏めて置いてあるアルフレッド様からの書簡の束に手を伸ばそうとした。けれど、無意識に手が直前で止まってしまう。
分かっているんだ。中に目を通してお返事を返さないといけないのは。きっと中身は俺の体調を心配した、当たり障りのない内容だろうという事は、百も承知なのだ。でも。
( それでも、何故か中身を見るのが凄く——怖い )
テスターに返事が出来ず、座ったまま太ももの上でぎゅぅ、と握り拳を作って口篭って固まっている俺に「ディル様に、無理をさせたい訳ではないのです」と言いながら、テスターは跪いて俺の手を両手でそっと握りながら、口を開いた。
「——この部屋中のベゴニアの花も、三日間に渡る書簡も……全て彼から、ディル様への想いを感じますよ。実際彼の対応を全てしましたが、心の底からディル様の事を心配しておられました」
「……ごめん、テスター」
「謝らないでください。読むかどうかを決めるのはディル様です。ただ、アルフレッド様の様子はお伝えしておきたかったので」
「そ、っか……アルフレッド様は俺の体調を、とても心配して、くれてたんだね」
「はい。それはもう。一応『ほぼ完治はしているけれど、明日のために大事をとって休んでいる』旨と『大事をとっているのに貴方様の想いの籠ったこの長ーい書簡に返事を書くために、ディル様も長~く机に向かわねばならないので、体力を使わせたくないため、書簡はこの契約式が完了したらディル様にお渡しします』とだけ申し添えてあります」
しごできテスターには本当に頭が上がらず、テスターに申し訳なさそうにお礼を伝えると「私の仕事はディル様をお守りする事ですからね」とニッコリ微笑みながら返してくれたテスターに涙が出そうになった。
そうなのだ。アルフレッド様からの届いた書簡はなんととても分厚い。ひとつの厚みは、優に2センチはあるんじゃないだろうか。
「やっぱり、優しいなアルフレッド様は……俺も塞がってばかりじゃ、ダメだね。テスターに甘えて、契約が終わったら書簡を読んで返信するよ。アルフレッド様に……お礼、言わなきゃな。テスターありがと。いつも、ごめん」
「——いえ、なにもです。私は貴方様が笑ってくだされば、それで充分なので……心の整理が着くまでは時間がかかるでしょうが、早くいつもの元気なディル様にお逢いしとうございます」
そう言って、微笑んでくれたテスターに涙が出そうになった俺は、テスターの肩にコテンと頭を乗せて「へへへ」と甘えたのだった。
◇
「アルフレッド様、多大なる心配をおかけして……すみません。お花や書簡も、ありがとうございました。書簡のお返事は、婚約の契約が終わって伯爵家へ戻ったら、記させていただこうと思っています」
「気にすることはない。君の体調が心配で、文字に認めないと気がおかしくなりそうだったから認めて渡したまで。返事は急がなくていい。ただ——ディルから、返事を……もらえるのか。っ、——ああ。なんだろうか、この感情は……堪らなく、嬉しい。ディル——楽しみに、している」
そう言いながら、アルフレッド様は俺を見つめて。ゆっくりと俺に近付き——俺を引き寄せて、抱き締めた。
「……ッ!アルフレッド、様……!」
「——ディル……!ああ……!ディルが、私の中にいる……!頼む、逃げないでくれ……!もう少し、君と——このままで、いたい」
少しでも離れないといけないと思い、引き寄せられて密着した身体を遠ざけようと力を入れた途端に、そんな言葉を放たれて。
抱き締められたその身体を、無碍に遠ざける事が、出来なかったのだった。




