30.初恋と失恋
アルフレッド様は、ゆっくりと俺の口唇に自身のそれを触れ合わせる。そして、ゆっくりと、ちゅ、とリップ音を響かせながら、口唇は完全には離れていない状態で、熱い息遣いを感じる位置まで少し離して……そして、また俺の口唇を確かめる様に、ゆっくりと触れ合わせてを繰り返した。
前世でもキスなんて一度もしたことがないけれど、彼のその行為は俺を求めてくれている事が痛い程分かった。ディルクも俺もその事に胸が苦しくて。嬉しくて、おかしくなりそうだ。
何度目かの接触の後「——すまない。これ以上続けると……私は、君を悲しませる事になる……」と言いながらアルフレッド様は口唇を離して、俺をギュ、と抱き締めた。
口唇が離れてしまったことがとても悲しくて。それと同時にアルフレッド様の台詞に原作の強制力が働いている事を痛感した。
アルフレッド様は間違いなく国王と共にいたセシル様をその目に認識されている。しっかりと存在を確認されていたのだ。
——それは、つまり。アルフレッド様が原作通りにセシル様に一目惚れをされたということだ。
きっと、一目見てセシル様のあの美しい見目に恋に落ちた。でも、体調の悪そうな俺を放っておけず……心配をしてくれたのは本心だろう。だけど、医事室に連れて来たのは婚約を進めてしまって問題なかったのか俺を見ながら思案するためだったのだと思う。
すると、俺が魘され始めて……そんな俺を哀れに思って口付けをしてくれたのだ。分かっていたじゃないか。俺はアルフレッド様にペットの様に思われていると。
彼があまりに、俺に対して必死に行動してくれるから……危うく勘違いするところだった。
さっきの「俺を悲しませる事になる」という台詞は、きっとこのまま口付けを続ければ、俺が勘違いして本当にアルフレッド様に恋をしてしまうことを懸念されての発言だ。大丈夫です、アルフレッド様。俺は勘違いなんて、していません。安心して欲しい。
俺はディルク・ヴァーミリオンに転生したと気付いた時から、最高のかませ犬になろうと、心に誓っているのだから。決して、ふたりの邪魔をするつもりはないのだ。
( 俺……不安な気持ちに負けて、どうか、してた。俺が転生したのは、悪役令息ディルク・ヴァーミリオン。ディルクを倖せにもしたいけど……まずは、ざま婚を成立させなきゃいけない……! )
きっとこれから、たくさんの辛い事がディルクにやって来る筈。それでも、俺がディルクを支える。そして見事にざまぁをふたりにされるために動くのだ。
北の塔に幽閉という断罪は出来れば避けたい。せめて市井落ちくらいの断罪を目指そう。
弱気になっていた自分自身に心の中でぺちんとビンタをお見舞いした。ディルクじゃなくて俺に。こんな弱気なままじゃいけない。そう心を奮い立たせて俺はアルフレッド様の胸元に置いていた両手にグ、と力を入れて必死に笑顔を作りながら言葉を紡いだ。
「……っ、……アルフレッド様。——俺はもう……大丈夫、ですから!あの、お力を使わせてしまって申し訳ないのですが、王立アカデミーまで転移をお願いしてもいいですか……?これ以上、この部屋を俺が使い続けるのも申し訳ないですし」
「——いや、ヴァーミリオン伯爵家まで送り届けるつもりだが……、ディル……?どうした、何か……様子が」
「ディルクー!大丈夫……っ、と。……これはこれは。お邪魔、だった……かな?」
「っ、オスカー!いや、大丈夫だよ。心配して、来てくれたのか。ありがとう」
医事室のドアをオスカーが勢いよくガラッと開けてくれたことに、ホッとする。このままアルフレッド様とふたりきりだと俺の中のディルクに気持ちが飲まれそうで怖かったのだ。
オスカーがやって来てくれたことで、アルフレッド様の腕の力が更に緩まった。
「アルフレッド様、その。ありがとうございました。オスカーに今日の様子を聞きたいので……オスカーのところへ行きます」
「——わかった」
アルフレッド様が完全に腕を解いてくれた事にホッとして、俺は医事室のドア付近にいたオスカーに近付いた。
「ディルク、大丈夫?」
「……うん、寝不足だっただけだから……心配かけてごめん。ありがと」
いつもと変わらないオスカーに何だか安心してしまって、ニコと微笑むとオスカーも嬉しそうに微笑みを返してくれた。
今日は、メンバーを決めるための顔合わせ程度で、ほぼ実地実習は無かったらしい。王立アカデミー生の作成した計画書を基に実習をする為、次の合同実習予定日の1週間前までに計画書の提出をする必要があるとの事だ。
メンバー編成の通知は数日以内にあるらしい。ディルクはこのイベントに参加した事がないけど、実地実習自体は昔からやってみたかったから、普通に楽しみだ。
「アルフレッド様、今日は色々と、その。ありがとうございました。もう、これからは……大丈夫、ですから。さ!帰りましょう!」
「——……ディル……?」
俺は、オスカーにどんな感じだったのかを確認したくてオスカーと話しながら転移のための部屋まで移動をした。俺の中でアルフレッド様への失恋は確定していて……この芽生えかけた気持ちには蓋をする事に決めたのだ。
だから、俺はこの時、アルフレッド様の俺を見つめる表情がどんなものだったかなんて……気付いていなかったのだ。
◇
結局あの後、全員で王立アカデミーまで転送してもらい、アルフレッド様は俺を家まで送ると申し出てくれた。
だけど、これ以上アルフレッド様と近い距離でいない方がいいと思った俺は「連日、転移魔法で魔力を浴び過ぎて疲れが出ているので遠慮させてください」と嘘を吐いた。
すると「では、せめてローゼンフェスト公爵家の馬車で送らせてくれないか」とアルフレッド様は食い下がった。
( アルフレッド様、どうなされたのだろう……俺の体調を心配してくださるのは有り難いけれど……俺はもう、貴方のことを忘れるための枕を涙でびちゃびちゃに濡らすぞ祭を今夜ひとりで開催するつもりなのに。これ以上、公爵令息の振る舞いで俺を掻き乱さないでほしい…… )
今夜はディルクだけじゃなくて、俺自身も。開きかけた蓋を閉じなければならないのだ。
少しでも優しくされたら勘違いしてしまう。弱ってる心ほど優しさが沁みてしょうがない事をディルクになって初めて実感した。
「疲れの蓄積が……今日は酷いみたいなので。折角のお申し出ですが、ヴァーミリオン伯爵家のいつもの馬車で……乗り慣れているもので今日は帰りたいのです。お気持ちはとても有り難いです。でも……アルフレッド様、申し訳、ないのですが」
「——そうか。承知した。……ディル。何か、あれば……連絡が欲しい」
「分かりました。何かあれば、連絡、します」
「っ、ディル、」
「……ッ!アルフレッド、様、失礼、します。また」
「——……、ああ……必ず、また」
アルフレッド様に腕を取られそうになって、慌てて馬車に乗り込んだ。もうこれ以上、彼に近付いてはいけない。
絶対に、俺は——ざまぁされる存在なのだから。
◇
「……初めて、キス……した……」
ベッドに横になりながら、アルフレッド様に何度も触れられた口唇に指を当てる。
嬉しくて、倖せで、胸が苦しい。
きっとこれが……好き、という、気持ちなのだ。
「……っ、アルフレッド様——ずっと、優し、かったし……カッコよかったなぁ……っ……ディルクは本当に、素敵な人に恋、してたんだな——……っ、つらぁ……しんどぉ……、分かってたのに……っ、ぅぁ、やば、涙、止まんない……ぅ、ぅう~~~」
彼の事を考えていたら、泣きたいわけでもないのにボロボロと瞳から雫が溢れて枕を濡らしていく。予定より1日遅れで開催された『ひとり枕を涙でびちゃびちゃに濡らすぞ祭』は明け方まで繰り広げられた。
翌日、俺を起こしに来たテスターは俺の顔色と体調を確認するなり「本日はお休みしましょう。1日安静です」と俺をベッドから出さないように監視まで置き、俺はその日1日部屋から出る事を許されなかったお陰で腫れた目元をみんなに見られることはなくゆっくり過ごした。そして、そこから森の日まで、テスターの許しが出ずお休みをした。
俺が休んでる間、ローゼンフェスト公爵家の馬車がヴァーミリオン伯爵家の前に来ていて、俺をアルフレッド様が迎えに来ていたそうだ。
その事を知ったのは、俺が休みを開始した炎の日の夕方、テスターがアルフレッド様からの書簡と見舞いの花束を持って来てくれた事で知った。
そしてその日から毎日の様に、アルフレッド様から書簡と花束が届く様になったけれど……俺は、彼からの書簡の中身を開けることはなく、空の曜日——日本でいうところの金曜日になった。
その日は王宮へ出向き婚約の契約を両家が交わす日で。
そのイベントは原作にもあったものだから確実に避けては通れず、俺はいつかの顔合わせの時の様に朝からミストや侍女達に丁寧に仕立てられたのだった。




