幕間:ディルク・ヴァーミリオン
「——お前を、愛する事はない。この結婚は形だけのものだ」
結婚式の夜、愛しい彼が俺に掛けた言葉は、そんな言葉だった。
ずっと、小さい頃から、彼を尊敬していた。
同年代の貴族令息の中でも群を抜いて強く、賢く、冷静だと評判で。
そして、デビュタントで初めて彼を見て——その佇まいに心を奪われた。
愛しい、愛してる、好き。貴方の傍にずっと——貴方と未来を共に添い遂げたい。
「父上……婚約したい人が、できました」
夜会の帰り、父上にそう言うと父上は相手を聞いて二つ返事で婚約の打診を相手に送った。
相手からもすぐに婚約の書状が届き、あっという間に俺とアルフレッド様は婚約者になった。
婚約のための契約の時、王宮で逢った彼は、どこか虚ろで。
俺とは目線すら合わず、会話をすることもなく去っていった彼の背中をただただ見つめるだけだった。
それでも俺は、そんな貴方でも一緒に居たいと強く願った。
俺は貴方だけが、愛しくて堪らないのだ。
でもそれから、学舎も違う上に俺からは休日にお誘いする勇気もなく、一度もふたりで出かける事もないままに結婚式まで一度も、彼と会う事はなかった。
その代わりに、彼と、彼の通う学園にいる子爵令息が仲睦まじく過ごしているという噂を聞き……胸が裂ける様に傷んだ。
( 婚約を別の者としたいと、彼が公爵様に訴えた、という話は……本当だったんだな。こちらからの婚約の打診への反応がとても速かったから、彼もその気になってくれていたと勝手に浮かれていた…… )
彼が、俺ではなく子爵令息の彼と婚約をしたいと公爵様に訴えていた、というのは夜会で同年代の貴族たちが陰でコソコソ話していた事だった。
その時は、彼の婚約者になった俺へのただのやっかみだと思うようにして、その場を立ち去ったけれど……。
あの話は嫌がらせでも、なんでもなく、真実の話だったのだ。——それでも。
( それでも。俺は彼と共に生きたい。愛されていなくても、収まってしまえば——いつかは嫌でもきっと、俺の方を向いてくれる。……早く、結婚、したい )
そう思い込んで自分を何とか保った。それしか、俺に残された希望はなかったんだ。
でも、結婚式後の初夜。彼は冷たい目線であの台詞を俺に向けて淡々と言い放った。そして、俺の体裁だけは守ってくれたのか、同じ部屋から移動する事はなく俺をベッドに眠らせ、彼はソファで眠った。
パキパキと、何かが割れていく音が遠くに聞こえる。
胸にドロドロした感情が、日に日に渦巻いていく。
俺に向けられるのは冷たい、氷のような視線。彼に向けるのは暖かい、陽だまりの様な微笑み。
息が、できない。まるで……海の底に沈められて這いあがれない感覚。
心はどんどん擦り減っていく。こんな未来を欲しかったわけじゃない。違う。そうじゃない。
ただ、貴方と。貴方の横で——あんなふうに、笑い合いたかった……だけなのに——。
「…………るく、——ィルク……っ!——ディルク!」
「ッ!……あ、るふ、れ……ッ、」
どんな夢を見ていたかなんて、全く思い出せないけれど……胸が切なくて、苦しくて。
間違いなく怖くて、しんどい夢だった筈だけど、それよりも。
目の前の彼が俺の傍にいる事に——酷く安心感を覚えた。
「酷く魘されていた……!大丈夫か……?!何か怖い夢でも、——涙が」
そう言いながら、アルフレッド様は俺の瞳から頬に伝う涙を指で拭って「具合が悪いのだろうか……痛いところはないか?」と心配をしてくれるその姿に、胸が締め付けられる。
無性にアルフレッド様の温かさを感じたくて。
俺は、自ら彼に手を伸ばして……彼に身を寄せた。
「……っ!ディル……!」
「——突然、こんな、こと……すみません、でも。自分でもよく分からないんだけど……ものすごく、不安なんです。貴方の近くにいれば、不安を感じない……もう少し、このままで……いさせて、ほしい……」
すると、ゆっくりとアルフレッド様の腕が俺に回って。
彼は、俺をキツく……抱きしめてくれた。
「っ!」
「私が近くにいる事で君が安心するのなら、君の不安を取り除けるのなら……何だってしよう。腕を回して……?ディル、大丈夫だ。私がずっと付いている」
「——ッ、……っ、ふ、……!」
アルフレッド様の低く優しい声音に、涙が止まらなくて。
俺はアルフレッド様に抱きしめられながら、ぼろぼろと涙を零し続けたのだった。




