sideラース:小さな祈り
俺が生まれて初めて祖父への家族愛以上に、愛しいと感じた人間こそ、俺が唯一、騎士の誓いを立てたディルク・ヴァーミリオン伯爵令息、その人だった。
初めて彼を見たのはラット発生の報告をした時。
画面に映し出された彼は女性かと見紛うほどに美しく、博学で知的。それなのに、それをひけらかすこともなければ出し惜しみすることなく、ノースユグレスシアのために進言をし、現場での経験が皆無であるにも関わらず自ら進んで最前線へ向かい……彼は被害を最小限へと導いてくれたのだ。
彼と接する度に、彼の魅力の沼に堕ちる感覚。——俺は……初めて他人を欲した。
ラット騒動が終息して、報告書を纏め上げた後……どうしてもディルクの声が聞きたくなってしまった。
( 今、ディルクは何をしている……?遅い時間だ。もう寝ているかもしれない。でも、もし起きているなら……声だけでも、聞きたい )
こんなに他人の声を聞きたくなるなんて、初めてだった。産んでくれた実の母、愛情深く育ててくれた祖父、剣や魔術の師事をしてくれた師匠にさえも、こんな感情を持ったことはない。
俺の左手の甲へ記された紋様の中心部に存在している魔石に魔力を注ぐと、ボゥ、と銀白に灯る。そしてプツ、プツ、と通信音が聞こえた後、魔力の安定を感じて繋がった感覚がした俺は、静かにその先にいるであろうディルクへと声を掛けた。
「——ディルク。起きて、いるか……?」
『ラース!わ!すご!ほんとに連絡取れるんだな!あ!帰り際、挨拶ちゃんと出来なくて、ごめん、な?』
俺の呼び掛けに直様反応してくれたことに、嬉しさが込み上げると同時に、胸が締め付けられる。
( ……ッ!——ああ、なんて愛しい声だ。それに、帰り際の挨拶のことを気にしてくれているなんて……考えられない。本当に——君の存在が、眩しい。堪らなく、愛しい )
「っ、元気そうで、よかった。遅い時間にすまない。今日中に終わらせないといけない書類作成に追われていて。でも、どうしても。今日は——眠る前にディルクの声が聴きたかった。挨拶は、気にすることはない。今日は本当に、ありがとう。君がいなかったら、どうなっていたか」
『そっ!そんなこと!そんなことない!ない、けど。でも。そう言ってもらえて、嬉しい。……ありがと、ラース』
それから、何時間だろうか。お互いに他愛もない話をした。きっとディルクは明日も朝から忙しく動き回らなければならない筈だろうが、どうしても俺からは切れなくて。
通信を切ってしまえば……次、君と話が出来るのはきっと。俺の魔力量を考えても、当分先になってしまう。
( 大きな狼の図体で大の大人が、若者の様で笑えるな。——しかし、まだこうしていたい……どうした、ものかな )
以前、俺よりも遥かに年下の団員達の休憩中の会話をふと思い出した。
その団員のひとりは「なかなか彼女との電話を切れないんだよな……」と惚気ていた。その惚気話が、まさか俺自身の話になるとは。予想すらしていなかった事態に戸惑いが隠せない。
あの団員の気持ちは、とてもよくわかる。今度アイツにはメシを奢ろうと心に誓う。
そんな事を考えていると、ディルクとの会話に少しの間が生まれた。
その直後だ。——大きな衝撃が、俺を襲ったのは。
『——俺、アルフレッド様と……正式に婚約することになったんだ』
我が最愛が公子様の婚約を承諾した、と他愛もない話をしている中、少しの間が空いたその時、突然本人の口からそれは告げられた。
今日は婚約前の顔合わせの日だったことは公爵様から聞いていて。正式な書状でのやり取りはまだだった筈のふたりの関係性は、俺から離れたこの数時間で見事に進んでしまったらしい。
( 公子様のあの様子だと遅かれ早かれこうなるだろうとは思っていたが……まさか、こんなにも早いとは……それほど、公子様が——ディルクを離したくなかったということ、なのだろうな )
公子様の俺に対する態度を考えると、是が非でも婚約者という立ち位置は逃したくないだろう。
そんなことを考えていると「ラース、さ。……その。今から話すのは、もしも、もしもの話なんだけど……」と切り出したディルクに「どうした?」と返答をすると、「うん……えっと……」と先程より少しゆったりした口調のディルクの返事に、聞き逃さないように耳をそばだてる。
『——もしも、俺が……アルフレッド様と結婚して、何年か経って……』
「……うむ」
『…………関係が、うまく……いかなくなっちゃうことも、ある、かもしれなくて……』
「——……ディルク……?」
『……その時は、ラースを頼って……ノースユグレスシアに、行っても、いい……?』
その一言。それだけで、心臓が潰された感覚。
じゅ、わ、と。剣で一突きされたような、血流の激しい流れと熱さを感じて。息が、できない。
婚約したばかりだというのに。何をそんなに不安に思う事がある?ディルクに匂いがふたつ存在している事と何か関係があるんだろうか。
あの小さな身体で、あの子はどれほどの思いを抱えているのか。
今すぐ抱き締めたい。君を、この手に。
心配だ。守りたい。君しかいらない。頼ってくれて嬉しい。君にはずっと笑っていてほしい。
——愛している。
好きだ。ディルク……君だけが、欲しい。
「ッ、ディルク……!」
『………………………………スー……』
「っ、——眠って、いる、のか……?」
俺の呼びかけに答える訳でもなく、返答があるのは可愛い寝息だけ。
何時間も話すために魔力を使い過ぎてしまったせいで、俺の魔力は半分以下なのを感じる。
それでも今だけは、どうしても……彼に一目逢いたくて、転移呪文を静かに紡ぐ。
俺の身体は、横になって上には何も掛けないままベッドで眠っているディルクの近くへ降り立った。
数時間振りの彼に胸が熱くなるのを感じた。
「ディルク……逢いたかった。しかし、このままでは風邪を引いてしまうぞ?」
横に無造作に置かれているデュベを彼に掛けると、ディルクの瞳から涙が一筋零れた。
その涙をそっと手で掬うと、穏やかに微笑む君に胸が締め付けられた。
「——君は、何者なんだ。俺では、君を……支えられないだろうか」
君が俺に話したくなるまでは、何も聞かない。
でも、いつか。話したくなったその時は、何時間でも相手になるから。
「毎日でも逢いに来る事ができる様に……魔力量を、増やす特訓をせねばな」
ベッドから見えるテーブルに、呪文を唱えて花瓶とノースユグレスシアで今が見頃の赤いアネモネを転送させた。
赤いアネモネの花言葉は——『君を愛する』。
「少しの間、逢えなくなるが……待っていてくれディルク。俺は、君を——生涯、守り続ける事を誓う」
例え、この先。ディルクが公子様との未来を選んだとしても。
俺は君の傍でずっと、君だけの騎士でいるから。




