21.一日の終わり
「——つか、れた。うあ。明日、学校って、マジ?激烈に休みたすぎる……」
自室のベッドに重い身体をぼふんと沈めた。低反発のマットは俺の身体をズブズブと飲み込んでいく。
ヴァーミリオン伯爵家に着いたのは、俺の部屋で観察用に飼育している深淵蛙が3匹揃ってゲオゲオと大合唱を始めた頃だった。つまりは、日本でいうところの深夜0時~2時の間くらい。
この世界の時間は、王都の中心地にある時計塔の鐘の音の回数で確認するか、俺の様に魔物の鳴き声で確認するか——それか、魔力値が高い人は『魔時計』といわれる、文字盤に魔石が埋め込まれた携帯型の時計を持っていたりする。
そういえば、ざま婚本編でアルフレッド様がセシル様に濃紺色の魔石を施した魔時計をプレゼントしていた。
あの挿絵の魔時計、すっごく緻密でモノクロだったのに心なしか魔石の部分が青く見えてすごく感動した記憶がある。魔時計……この世界に転生したからには、一度は見てみたい代物だ。
だけど、婚約者であるディルクは、アルフレッド様から魔時計を受け取る事は、絶対にない。
( アルフレッド様と、婚約……した。ノースユグレスシアでラット騒動が勃発したのは吃驚したけど……もしかしたら、アルフレッド様は今の段階で婚約していたディルクと、ラット騒動に対峙していたのかもしれない。正解は分からないけど——ひとまず、原作から逸れてないのなら、安心した )
アルフレッド様からは、帰り際、目の前にたくさん人がいるのに……抱き寄せられて。固まっている俺の耳元に彼は口を開いた。
「公爵家から明日、正式に婚約の書状を出すから。また、連絡する。今度は——ふたりだけで、逢いたい」
「っ!ひゃ、ひゃい……っ!」
アルフレッド様が耳元に落とした低く淫靡な声音にぞわぞわして。俺は真っ赤になりながら、声を落とされた右耳を右手で塞いで慌てて馬車に駆け込んだ。
ずーっとその声音は耳から離れなくて、馬車の中でも耳から手を離せなかったほど。
( アルフレッド様の馬力が凄すぎて……!ディルクとの出逢いのシーンは原作では描かれていなかったから、よく分かんないんだけど……でもここまで必死にディルクに向かってきてくれているのに、彼はセシル様に……?ちょっと、本当にそうだったならアルフレッド様を疑ってしまうなあ…… )
ざま婚本編の始まりは、アルフレッド様が入学式でセシル様と学園で出逢うシーンから。学園の違うディルクの情報が全くないまま物語はアルフレッド様とセシル様の心の逢瀬が丁寧に描写されて進んでいった。ヴァーミリオン伯爵家から婚約の打診があったのは、今と同じ時期の2年生の途中。ざま婚本編ではこの時既にアルフレッド様はセシル様と友達以上恋人未満な空気感で、アルフレッド様は「婚約したい人が別にいる」と申し出たけど、ラインハルト様に即刻却下される、という流れだった筈。
( 婚約前にディルクと顔合わせ、なんて。そんなシーン、あったかな……?読んだ記憶、ないかも。ていうかアルフレッド様はそもそもセシル様と出逢っているのか……?今の段階で逢ってなかったら……どうなっちゃうんだろう。ていうか俺の行動って、大丈夫だったのかな…… )
様子のおかしいアルフレッド様とラースを思い出して、俺が取った行動のせいで原作を搔き乱してしまったんじゃないかと不安に駆られてしまった。
俺は最推しのディルクが一番大事だけど、根本は、ざま婚激推し芸人なのだ。
原作通り、忠実に。多少の誤差はしょうがないにしても、アルフレッド様とセシル様の恋物語を邪魔したくない。この物語はあのふたりのためのものなのだから。
きっとこのままいけば、ディルクはアルフレッド様に愛想をつかされて傷つき、悪事を働く流れだ。そしてざまぁされて離縁される。
原作のディルクはひとりで孤独に耐え抜いた。でも、今……この子には、俺がついてる。
俺がこのままディルクと溶け込まなければ……どれだけ傷ついても——きっと、支える事が出来る。
( ディルク……?婚約、おめでと。……でも、これから先、きっと。ディルクにとって悲しい事が沢山待ち受けてる。それでも、俺がついてるから。抱きしめる事は出来ないけど、俺が君に寄り添う。だから……一緒に、がんばろうな )
こくこくと、ディルクが頷いている気がする。俺の推し、マジでかわいい。一生推せる。
そして、俺が寄り添う事が出来る人物はディルクの他にもうひとり。それはラースだ。
きっと、アルフレッド様とセシル様がご結婚された後、もう一度ラット騒動が起こる。
その時に、たとえ原作通りにラースがあの地を離れてしまったとしても俺がラースを支えればいい。
最初は騎士の誓いなんて、人生でひとりにしか立てられないものをどうして俺なんかに、と思っていたけど。
別の角度から考えると、これがあればラースを王都に呼んで、ラースの思いに寄り添える。魔力のない俺にとっては最高の連絡手段だと感動してしまった。
( ラースと友達になれて……よかった。話、たくさん聞こう。ていうか、俺が離縁されたらラースを頼ってノースユグレスシアに行って、第二の人生っていうのも、いいかもしれない。もしラット騒動が起こってしまったら同じように対応すればいいし……うん。なんか考えてたら楽しくなってきたな……! )
離縁後のノースユグレスシアでの生活に想いを馳せていると突然、左手の魔石がボゥ、と銀白に灯った。
『——ディルク。起きて、いるか……?』
魔石から聞こえてきたのは、バリトンボイスの持ち主で、北の領地の管理者であるラース・ベルグマン。
俺の友達で、俺の騎士だ。
「ラース!わ!すご!ほんとに連絡取れるんだな!あ!帰り際、挨拶ちゃんと出来なくて、ごめん、な?」
『っ、元気そうで、よかった。遅い時間にすまない。今日中に終わらせないといけない書類作成に追われていて。でも、どうしても。今日は——眠る前にディルクの声が聴きたかった。挨拶は、気にすることはない。今日は本当に、ありがとう。君がいなかったら、どうなっていたか』
「そっ!そんなこと!そんなことない!ない、けど。でも。そう言ってもらえて、嬉しい。……ありがと、ラース」
何万キロも離れている筈なのに。離れている感じがしないのは、ラースがいつも俺に優しさをくれるからだろう。
それから俺とラースは、話をたくさんした。
気付いたら、俺は眠っていて。
朝目が覚めたら、掛けていなかったはずのデュベが俺の身体に掛かっていて。
テーブルの上には、昨日までそこには無かった筈の、花瓶に入った赤いアネモネが飾られていたのだった。




