20.ローゼンフェスト公爵邸にて(5)
結局、あの後——婚約を口頭で了承した俺を、アルフレッド様は、なかなか離してくれなくて。
俺の中のディルクも、そろそろパンクして失神しそうになっていたから、離してもらおうとアルフレッド様に向かって口を開いた。
「——あの。アルフレッド、様……?」
「……ん……?どうした……?」
「あの、さすがにこれ以上は、心臓が持たないというか……」
「——ああ、本当だ。ディルクの鼓動、さっきより、早くなっているな……?嬉しい」
「っ、そ、そうなんです。早くて、苦しくて……だから、そろそろ離してほしい、です」
「————」
「……?アルフレッド様、あの」
すると、アルフレッド様の俺に回った腕の力が、一層強まった。ぎゅう、と力強く抱きしめられて、切ない気持ちに襲われる。
「ッ、」
「——この手を離してしまうと……君がいなくなりそうで、怖い」
「え、と」
「不安、なんだ。この手に掴んでいないと——どこか遠くへ……私の知らないところへ、君が行ってしまいそうで」
「どこにも、いかな」
「君が私から離れない、という……証が、ほしい」
「あ、かし……?」
アルフレッド様の身体が、俺からゆっくりと離れた。
そして、離れたかと思った彼の熱はおでこに、頬に。アルフレッド様の口唇から俺に与えられていく。
あまりの衝撃に心臓が爆散しかけている俺は「お、おやめ、ください」と彼の胸にぐ、と両手で押し返そうと力を入れると「ディルク」と呼ばれて。目の前の彼を見ると、そこには苦しそうな表情の……アルフレッド様。
そして、俺に回っていた右腕が、するりと解けた。
解いた右手を俺の頬に添えて、親指の腹で俺の上唇から下唇を、まるで壊れやすい宝物を確かめるかのように、彼はゆっくりとなぞった。その感触に思わず息が漏れてしまって、俺の熱を帯びた吐息が彼の指先に触れる。
「——っ、ディルク……」
「アル、フ、レッド、さま……っ、?」
コツン、と。俺のおでこにおでこを重ねて……アルフレッド様は「どうか、この可愛らしい果実に重なる事を……赦して、くれないか」と言いながら、上目遣いでお願いするように俺を見つめる。
( いや、いやいやいや、これは、あれだ……!間違いない!このしっとりした空気感、この距離、この感じ……!えっ、ちょっと、ま、待って?!確かにディルクは、アルフレッド様が大好きだからオッケーだろうけどぉ……!うわ!ディルク、いつでもきてもらってオッケーよ、みたいな空気感勝手に出さないで!俺、おれ、まだアルフレッド様が好きかどうか、よく分かんない……!前世でも、ファーストキッスは、誰ともしたことないのに……!ディルクと完全に溶け込んでるならまだしもっ!ほんとに、ちょ、ま……! )
まだ「いいよ」とも何とも言っていないのに、アルフレッド様の空気感は……どろっどろに甘くなっていく。
危機感しかない。俺はまだ、この空気感に、気持ちがついていけていない。
( ほんとに、まってー!!!心の準備が、できてないっていうか!俺が、ほんとに好きなのは……まだ、アルフレッド様じゃ、な……! )
「アルフレッドー!ディルクも!帰っていたなら、声ぐらいかけなさ——あ。」
「奥さま……っ!今は、ダメです!大事な時で!しかもノックもなしに、淑女がそんなドアを力強く開けるなんて……っ!——あ。」
「————っ!」
バターン!とアルフレッド様の部屋のドアをノックもなしに力いっぱい開けたのはマリアベル様だ。
後ろから慌てて駆け付けたヴァルターも、マリアベル様を止めようと凄い勢いで駆け込んできて、俺とアルフレッド様の状態を見て、ふたりとも固まってしまった。
「——はあ。邪魔が、入ったな」
「まあ、邪魔しちゃったのは悪いけどぉ……心配していたのに、帰ってるのに一言もないんだもの!ヴァルターと侍女たちがバタバタしていたから何事かと思って聞いたら、帰ってるっていうじゃない?ノースユグレスシアの事も聞きたかったから~!うーん。……でも、いい感じだったのに、ごめんね?続けて、いいのよ?」
「いっ?!いえ!!!!続けません!おわり!アルフレッド様!終わりです!」
「チッ」
「舌打ち?!」
アルフレッド様の手が俺から離れて、俺はソファからよいしょと立ち上がりヴァルターから声を掛けられたのでヴァルターの元へ向かった。
「ディルク様、衣服が整いました。お待たせしました」
「ありがとう……お手間と苦労を、掛けました。侍女さん達にも、感謝と労いの言葉をお伝えください」
俺の言葉にヴァルターは目を見張って。そして、ふわりと微笑んだ。
「……ふふ。テスターから聞いていた通りの方だ。お優しく、まっすぐな——」
「へ?」
しっかり聞き取れなくて、ヴァルターに聞き返すと「いえ、なんでもありません。さ、此方でお着替えください」と案内してくれたままに移動した。
ヴァルターの微笑みは、テスターのそれとよく似ていて。俺はテスターに何故だか無性に、逢いたくなってしまったのだった。




