19.ローゼンフェスト公爵邸にて(4)
胸が……すっごく切なくて、苦しい。
でも——とても、嬉しいんだ。
今朝、前世の俺の記憶が戻った瞬間に『前世の記憶が戻る前のディルク』と『前世の俺』が一つの器の中で分離をしたらしい。
ディルクの中に俺とディルクが住んでる状態。実態はないから推し活は面と向かって出来ないけど、それでも俺がディルクに話しかけることは出来るし、俺が話しかけた事にディルクが返事する訳ではないけど「ディルクがどう思っているか」は感じることができる。
融合は、日常生活に困らない程度には徐々に溶け込んでいる。でも、完全には難しくて。
前世の記憶が戻った衝撃でなのか……何故か分からないけれど『前世の記憶が戻る前のディルク』が俺に溶け込ませてくれない部分が……アルフレッド様への想いの部分だ。
記憶の分離、というよりかは……心の——想いの分離に近いかもしれない。
だから、アルフレッド様にディルクが感じている事を俺が体験出来ても、それが俺が感じている様に感じなくて……何処か俯瞰して見てしまう。
ディルクとして過ごしてみて分かったのは、ディルクはアルフレッド様の事が、とてもとても大好きだという事だ。それは、恋をした事がない前世の俺が「この胸の痛みや苦しさや切なさが人を恋しいと想う気持ちのひとつなんだな」と理解できるほど。
前世の俺の記憶が戻って、ディルクとして今日一日過ごして……ディルクがどれほどアルフレッド様に強く想いを寄せているかを嫌というほど知ってしまった。
今だって、ホラ。実態は見えないけど、あんなに熱の籠った瞳で見つめられて——プロポーズみたいな事されて。俺の中のディルクは可愛らしくも真っ赤になってぐったりしているのを感じる。
さっきまで声こそ聞こえないけど、小説の挿絵でも見たことのないカジュアルフォーマルな衣装に身を包んだ彼を見てワーキャーしてるディルクは可愛さの権化だった。俺の推しはいつも可愛い。
『——ディルク・ヴァーミリオン伯爵令息。どうか、私と未来を添い遂げてほしい。お願いだ、どうか——私の婚約者に、なってくれないか』
まるで、プロポーズの様な台詞。あの見目麗しくセシル様一筋である筈のアルフレッド様からディルクに対して発せられたという現実に正直驚いている。
もしかしたら、このプロポースまがいの台詞は原作には描かれていない部分で俺が知らないだけ、なのかもしれない。
ディルク自身はかなりの衝撃だったようで、いまだにグッタリしている。なんて可愛いんだ俺の推し。
原作通りに進めるならば、婚約はした方が絶対にいいだろう。俺はざまぁされるための存在なのだから。
でも俺は、ディルクもとても大事なのだ。ざま婚を読み漁っている時もディルクが倖せになるのはどのルートかをずっと考えていた。同人誌を読み、原作を読み、脳内で妄想して……でも何処にも答えはなくて。
その答えを知ってるのは——君。君自身しかいないんだよ、ディルク。俺は君を倖せにしてあげたい。
( ディルク……君は、どうしたい……?君が倖せになれるルートは、どこだろう?今がその分岐点の様な気がするんだ。お願いだ。教えて、ほしい )
ディルクにそう心の中で話しかけると、胸にじんわりとあたたかさが宿って。何故だか目頭が熱くなって……涙が、零れた。
「——ディルク……、涙が……」
アルフレッド様は俺の涙を、その大きな骨ばった細長い指で優しく拭うと「泣かせたかった訳でも、困らせたかった訳でもない……すまない。しかし、私は、君と……離れたく、ない」と言いながら俺の横に腰掛けて俺を抱き寄せた。
アルフレッド様の香りがふわっと香って……余計に胸が苦しくなる。
「……っ、アルフレッド、様」
「こんな感情、初めてなんだ。どうしたらいいか私にも分からない……でも、これだけは、ハッキリと言える。私は君じゃなきゃ——嫌だ」
目の前のアルフレッド様の瞳には、俺しか映っていない。熱の籠ったその瞳に見つめられて心臓がバクバクと、音を奏でる。
「ディルクの鼓動の音……堪らない。私を求めてくれているのを感じる」
「ッ!ぅ、あ。その……あの。何て言ったら、いいか」
「ディルクだけじゃない——私も、同じだ」
アルフレッド様は俺の右手をソッと取り、俺の手の平をアルフレッド様の胸の中央よりやや左に当てた。
俺と変わらないくらいの爆音に目を見張る。
「……っ、これ……アルフレッド様の、すご……おっきい……」
「っ!——はぁ。自分が情けない……こんなにも、欲に塗れているとは……んんっ。聞いてくれ、ディルク。自分でも、こんなに鼓動が早いのは初めてなんだ。今日、君と出逢って、君と過ごして……君が今、私の近くにいるから……君じゃなきゃ、こうはならない」
「は、はい」
「私は……君の婚約者に、なりたい。君と、共に……これから先ずっと」
「ッ、」
おでこにちゅ、と口唇が落ちてきて。そしてコツン、とおでこが重なった。
近距離で見つめられて、堪らなく胸が苦しい。
( ——うん。そうだよな。ディルクは……やっぱり、そうしたいんだよな。分かった。これから先、ディルクにとって悲しい事が沢山あるけど……俺が一緒に乗り越える。一緒に、頑張ろうな。俺がちゃんと支えるから……だから )
ディルクが、アルフレッド様とどうなりたいかなんて。
そんなの……この胸の苦しさで分かることだったのに。
過保護になり過ぎていた自分に反省をして、俺は彼に口を開いた。
「——アルフレッド様、婚約、お受け……します」
「ッ!本当か……!ディルク……!生涯、君を大切に、倖せにすると誓う……!」
ギュ、とアルフレッド様にキツく抱きしめられて、更に胸が苦しくなった。
ディルクのこの胸の切なさや苦しさが、いつか俺のモノだと感じる日が来たら。
その時はディルクの存在を俺は、感じれなくなってしまうのかもしれない。そんな未来を想像して、少し寂しさを感じた。
アルフレッド様の激しいハグに、どったんばったん真っ赤になりながら暴れ回るディルクに「おめでとう」と俺はエアー肩ポンをしたのだった。




