16.ローゼンフェスト公爵邸にて
アルフレッド様の転移魔法でローゼンフェスト公爵家へ到着したのは、陽が朱色に染まりかけた頃。公爵様、父上や母上達よりも先にアルフレッド様が俺を抱えて転移してしまったために、すぐに帰る事も出来なかったため(魔力がないから転移魔法も使えないので馬車で帰るしかないのだ……)、取り敢えず客間で待たせてもらおうとアルフレッド様へお声がけしようとした、その時。
「お帰りなさいませ、アル様」
俺たちの前に現れたのはローゼンフェスト公爵家に長年仕えている家令であるヴァルターだ。アルフレッド様がお生まれになる前からこのローゼンフェスト公爵家でその手腕を振るっている大ベテランで、我が伯爵家の執事長であるテスターの師匠でもある。
我がヴァーミリオン伯爵家にて仕えてくれている執事長のテスターは、五十を超えたダンディで優秀な執事長だ。そんな彼が、我が伯爵家へやってきたのは10年程前——俺がまだ7歳くらいの時だろうか。その当時の執事長はまだまだ現役で、これから後任を育てていこうかと考え始めていたところ、当時の執事長を病魔が襲ったのだ。気付いた時にはもう手遅れで、彼は突如として帰らぬ人となってしまった。
急な事で困り果てていた父上と母上。そんな我が家に救いの手を差し伸べてくれたのが、アルフレッド様の母君、マリアベル様だった。
「シルヴィとロウエン様のお力に少しでもなれないかしら……ね、ラインハルト様。ヴァルターの過酷な指導にも耐え抜いたテスターなんか適任じゃないかしら。テスターをヴァーミリオン伯爵家の執事長に推薦したいわ」
「ふむ。そうだね。テスターなら何処へ出向いてもらっても申し分ないだろう。ヴァルター、どうだろうか」
「私も、テスターが適任かと。私はまだまだ現役ですから、ローゼンフェスト公爵家の事はお任せください」
「頼もしいね。——では、テスターを呼んでもらおうかな。ヴァーミリオン伯爵家にて、その手腕を遺憾なく発揮してもらおう」
というやり取りを経てテスターは我が伯爵家へやってきてくれたという事を、いつかにアルコールが程よく入って陽気になった母上が物真似混じりに教えてくれたのだ。母上は物真似がとても似ている……多彩すぎて母が恐ろしい。
優しく、時に厳しく、俺を励まし、支えてくれたテスターが俺は大好きなのだ。
デビュタントでアルフレッド様に一瞬で恋に落ちた前世の記憶が戻る前のディルクは、その夜、テスターを部屋に呼んだ。
テスターの知るアルフレッド様の全てを知りたくて。それは、アルフレッド様と関わるヴァルターのことまでも。恋を知って、想い人であるアルフレッド様の全てを欲してしまったディルクは、テスターから根こそぎの情報をポーっとした表情で聞いていたみたいだ。
——みたいだ……って、変な言い回しだよな。自分でも分かってるんだ。確かにテスターにアルフレッド様のことを聞いてた記憶は残っている。けど、なんか……前世の記憶が戻ってから " アルフレッド様に恋しているディルク " はどこか他人事の様で……不思議な感じなのだ。
前世の俺は、オタクに全振りしていて見事に恋をした事がない。初恋もまだ。だからか、ディルクがアルフレッド様に感じている心臓の痛みや苦しみがきっと恋の衝動なんだろうと感じはするけど、自分のものじゃない感じがするのだ。
( いつか、ディルクの心の悲鳴が、俺にも分かるようになるんだろうか……ディルクの心臓、いっつもしんどそう。こんな事なら恋なんか、しなきゃよかったのに )
テスターを根掘り葉掘り質問攻めにしたお陰で、ヴァルターの事も聞いていたから、年齢も、能力値が高く素晴らしい家令だというのも知っていて。勿論、テスターが過去に受けた指導を聞いていたから思わず、ヴァルターが来た瞬間に背筋が思わずピン!としてしまった。恐ろしや、条件反射。
「ヴァルター。今帰った。手筈は整っているか?」
「ええ。勿論でございます。さ、ディルク様こちらへ」
「ヴァルターさん、初め、まして……え、ど、どこへ」
「ディルク。湯浴みの手筈が整っている。我が家の湯浴みで、疲れを癒してくれ」
「えっ!いやいやいや……!初めてお邪魔したのに、いきなり、湯浴みは……!」
「気にするな。ラットだけだったとは言え普段、戦闘慣れしていない筈なのだから疲れただろう。ゆっくり疲れを取ってほしい」
「で……っ!でも……え、アルフレッド、様……?!ち、近……っ!なんで」
ゆっくりと、アルフレッド様は俺の前にやって来て。
右手で俺の髪を一束掬い上げると、その髪は……アルフレッド様の、口唇に吸い寄せられて。
そして、目の前には……少し潤んだ瞳で俺を見つめる、超美麗な、主人公様。
「それとも——。……一緒に、入ろうか?」
「っ?!いっ!いえ!ひとりで!入らせて!いただきます!」
アルフレッド様の突然の爆弾発言に急激に真っ赤になった顔と両手をぶんぶん左右に振って丁寧にお断りをした。
そして慌ててヴァルターさんに「案内!お願いします!」と移動を促すと、後ろの方からアルフレッド様の堪えているような笑い声が聞こえてきて、心臓がぐっちゃぐちゃの俺は、サウナの後くらい毛穴という毛穴から汗が噴き出している。もう例えがお風呂ばっかりで申し訳ない。俺、お風呂大好きだから。
( いやもうほんと、笑い事じゃなくて……!一緒に入るなんて……っ!マジで心臓爆散しちゃうし、なによりセシル様に顔向けできないから……!そんな冗談、ダメ!絶対! )
俺は、セシル様に対して不誠実なアルフレッド様に憤っていた。
もっとちゃんと、セシル様に向き合ってほしいのに。
( ざま婚ではあんなに愛し合っていたのに。他所の男の心を搔き乱す冗談を言うなんて……!でも、もういい!もう、今後会うことは……ないし。お言葉に甘えて、お風呂は入らせてもらう!公爵邸のお風呂なんて後にも先にももう入れないだろうし!俺、お風呂大好きだし!でも上がったら、父上や母上も絶対に戻ってきているだろうから、すぐ!すぐに帰る!そして1人失恋大号泣パーティを開催する!待っててね俺の枕!俺の涙で、びちょびちょに、濡らしてやるからな! )
そんなぷりぷりしている俺を、ヴァルターさんはニコニコと微笑みながら浴室へ案内をしてくれたのだった。




