14.北の領地(8)
目の前には、ディルクが心から欲している愛しい人の、厚い胸板。
アルフレッド様の鍛え上げられた太い両腕と香りに包まれて、表現できない感情に押し潰されそうだ。
( ヤバい、やばい、やばい……!嬉しくて切なくて、よく分かんない気持ちがぐるぐるして堪んない……!涙、でそう )
アルフレッド様の俺の背中から腰に回る腕と、背中から後頭部にかけて回る腕に少し力が込められたのを感じて「アルフレッド、様?」と声を掛けると、彼から深い、深い溜息が零れ落ちる。
ほんの一時間弱。たったそれだけの時間しか離れていなかったのに、一週間程会っていなかった感覚に襲われている自分に戸惑っていると「ディルク」と俺を呼ぶ声が聞こえて、俺はアルフレッド様の顔を少しでも見ようと少し顔をずらした。すると。
眼前には、超美麗な——アルフレッド様の、苦しそうな表情が。
その表情に、胸が苦しくなって……思わず息を呑んでしまう。
「っ、……アルフ、レッド、さま」
「——君と離れている間、ずっと。気が気じゃ、なかった。こんな気持ち、初めてで……おかしくなりそうだ。君が私の腕の中に居る今が堪らなく、嬉しい」
「えと、その。心配かけて……すみません」
「いや……違う。君の行いは、間違っていない。責めたい訳じゃないんだ。私が言いたいのは、ひとつだけ。お願いだ、ディルク。もうこれ以上、ひとりで無茶をしないでほしい。どうか、今後は。私を君の傍らに置くと約束してくれ」
俺のおでこに、冷ややかな彼のおでこがゆっくりと重なる。
アルフレッド様の鼻が、俺の鼻に今にもくっつきそうで。その距離に心臓が再び爆音を奏で始めた。
でも、その音は。俺からだけじゃなくて彼からも……不思議と響いていて。彼の不安が俺に伝わってくるようで、彼の切ない願いを簡単には振りほどけなくて、もう今後会う事もないのに俺は思わず首を縦に振ってしまったのだ。
「わかり、ました。今後は、このような事がないように、します」
「約束、だからな……?今後——生涯、私から離れる事は……絶対に、許さない」
生涯、なんて。絶対有り得ないのに。
このラット騒動が終息を迎えたら俺たちは王都のそれぞれの家に帰り、俺は婚約の取り下げをする。そうすれば今後、夜会などで会う事はあっても学園も違うし接点などないため、アルフレッド様と俺が共に過ごすことはないだろう。
きっと、このラット騒動の間だけ。かわいいペットのような存在の俺が、目の届かないところにいるのが不安でしょうがないのだ。
俺の低身長も相まって、きっと俺の事は小動物か、何かだと思っているのだろう。
( アルフレッド様って、意外に小動物好きなんだな。——あ。そういえばラット確認の時も休息しなければならない状況下で行きたがっていたし、小動物好きは確定だな。王都へ戻ったら、今回のお礼に世話の手間がかからない動物をお送りするのもいいかもしれない )
そんな事を考えていた俺に「これは……」と言ってアルフレッド様が俺の左手を取った。
そういえば、北の領地の管轄はローゼンフェスト公爵家なのに、その公子様であるアルフレッド様を差し置いて全く関係のない伯爵家の俺が誓いを立てられてしまった事は流石に気まずくて、謝ろうと慌てて口を開いた。
「あっ!す、すみません!これは、その」
「——これは……北の、騎士の誓いの紋様——まさか」
「いや!あの、俺が立ててほしいってお願いしたわけじゃなくて!ラースが、突然……!」
「ラース、——だと?」
「や、その、アルフレッド様を差し置いて、ダメだとは思ったんですけど!ラースが、突然、宣誓を始めて……!俺は友達に、なりたかっただけで……って、え、なに?こわ……っ!アルフレッド様、こわ、くうき、こわい」
「——よく、分かった。喧嘩を売られているというのが、痛いほど」
「え、えええ……?」
「まあ、売られた喧嘩は、買うまでだがな」
そう言いながらニッコリとアルフレッド様は微笑んで。
そして、俺のおでこに——その口唇を落とした。
「——ッ?!」
「覚悟、しておいて。ディルク・ヴァーミリオン伯爵令息。私は必ず手に入れる。絶対に、負けたりしない」
( 俺は断固としてアルフレッド様に喧嘩を売っていないと言い切れる。寧ろ、この空気感……喧嘩を売られているのは俺の方では……?! ていうか、いくらペット感覚だとはいっても、でこちゅーは、ダメ!絶対!)
真っ赤になった俺の顔面を見ながら「ははっ。真っ赤で、かわいい。ずっと見ていたいけど、みんなを待たせているな。移動する。しっかり掴まって」と微笑むその表情に、アルフレッド様の恐ろしさを感じたのだった。




