幕間:ラース・ベルグマン
——どうして、この世は理不尽な事ばかりなのだろう。
「っ!私の子供が……獣だなんて……ッ!出て行って……!顔も見たくない——!」
生まれたばかりの俺を見て実の母親は、そう、言い放った。
獣人の記憶というものは、ほんの些細な事でも記憶に刷り込まれるようで俺はこの時の母の顔も、声も、その全てを覚えている。
悲しくない、と言えば嘘になるが、彼女の唯一の記憶のため、大事にしている。
灰色の硬い毛に覆われた、完全に狼の姿で俺は生まれた。俺の母親は人間で、戦時中、足を負傷して逃げ遅れた母を強姦したのが俺の父である獣人だったそうだ。
母の国に戦争を仕掛けたのも、父の国だったこともあり母は父の国と、獣人自体を嫌うようになったそうだ。
俺を身籠ったと気付いた時には、もう生むしか道がなかったらしい。
母は完全に心を病み、俺を生んで1週間も経たずに帰らぬ人となったらしいと、母のことを教えてくれたのは、母方の祖父だ。
ノースユグレスシアでひとりで生活していた祖父に俺は引き取られた。獣人との生活が性に合わなかった祖母は幼かった母を連れて出て行ったらしい。祖母の獣人に対する呪詛を与え続けられて育った母も、獣人を苦手としていたにも関わらずこの現実だ。それは受け入れられないだろう。
「ラース。私はね、獣人ほど気前が良くて快活で優しい種族はいないと思っている。悲しい記憶しかないお前に私が出来ることは少ないかもしれないけれどね」
ふんわりと柔らかく微笑んで、その皺皺の細く小さな手を俺の頭に乗せて優しく頭を撫でてくれる祖父が俺は大好きだった。そんな祖父が愛していたノースユグレスシアも、俺にはかけがえの無い場所で。
だから、バルカノン公爵のやり方が許せなくて、俺は反旗を翻したのだ。
その後、俺の無計画な暴動をおさめてくれたローゼンフェスト公爵こそ、この国の領主に相応しいと、国王に進言したのだ。
「ラース……!君は本当に凄いな。あの、滅多に他人を褒めない国王が『ラース・ベルグマンほど頭のキレる人間は見たことがない。是非その知力と武力を王国騎士団に欲しい』とベタ褒めだったぞ?あの国王が!有り得ない!私は思わず笑ってしまったよ。どうする?王都へ行くかい?」
「いいえ。私はノースユグレスシアに身を埋めると決めております。有難いお話ではありますが……」
「ははっ!ほんとに、君は……面白いね。では北の領地にて、門番としてその力を発揮してもらおう。よろしく頼むよ」
「ローゼンフェスト公爵の御心のままに」
母に生まれてすぐ捨てられ、祖父に引き取られた。
その祖父から多大な愛情を受けて育ち、祖父と祖父が愛したノースユグレスシアを愛した。
そして、俺の全てを寛容に受け止めて、守ってくれたローゼンフェスト公爵様のもとで、この力を振るうと決めた。
俺は、とても、人に恵まれていると思う。
そして月日は流れた。
始まりは、衛兵たちの報告だった。
「ベルグマン大佐!数匹単位のラットが確認されました。処置は如何いたしましょうか」
「ラットか……少数ならシャドウラットだろう。賢い魔物だから少し懲らしめる程度で散るはずだ。経過報告をよろしく頼む」
「御意!」
ラットの判断基準は個体数だ。スウォームラットの場合は大所帯で移動するのが常。その為、俺はシャドウラットだと判断した。
しかし、それが……恐ろしい事態を招くことになる。
「ベルグマン大佐!シャドウラットですが、一向に数が減りません……!」
「どういう事だ……?!数は数匹単位なのだろう……?!」
「はい!スウォームラットの基準である数百から数千ではないため、間違いなくシャドウラットの筈なのですが……!」
午前中、公爵様へ報告した際に、公爵様の意見も一致していた。しかし、公子様夫婦——特に聖女の力を持つセシル様が「少し気になるので今からそちらへ向かいます」と判断されて、先程到着された。
「気になるだけで何事もなければすぐ帰るので」と。きっとその言葉の通りすぐ帰るだろうと、公爵様も、私も、そう思っていたのに。
「……!これは、スウォームラットです…!大量殲滅は、避けないといけない……!」
「なんだって……?!」
「ベルグマン大佐!報告です!北門に数百のラットが現れ……!魔力部隊が……!」
「まさか」
「申し訳、有りません……!大量の、死骸と、血が……!」
気付いた時には既に手遅れで。
遠くから、無数の山を駆け降りる
猪の、足音。
「——!クソ……ッ!来る……!ブラッドボーンボードが……!」
「ベルグマン大佐!ここは、私が!」
そう言って、セシル様は魔法陣を広域に展開させ、ブラッドボーンボードがノースユグレスシアへ到着する前に浄化魔法を発動。ブラッドボーンボードは消失した。
俺は、初動の判断ミスを負い目に感じ、ノースユグレスシアを後にしてひとり旅に出た。
身を埋める覚悟で、愛した土地を離れる事がこんなにも辛いのかと、自分があの土地を守れなかった事が悲しくて、毎晩頬を伝う涙を堪えきれずに眠れない日々を過ごした。
どうか、もう一度……この地に帰りたい。
「——ラース、様?」
中性的な澄んだ声に名前を呼ばれて、ハッと我に帰る。
( いけない。疲れがでているのだろうか。立ったまま、眠るなんて……しかし、夢を見た気がするのだが……どんな夢、だったか )
返事をしない俺に、目の前の愛くるしい彼は心配そうに顔を覗かせた。
「大丈夫、ですか?すみません、お疲れのところ……!私がすぐにラットの確認をしたい、とか無理を言ったばっかりに」
「いえ、ご心配をお掛けして申し訳ない。大丈夫。さ、ラットの監視を、続けましょう」
その朱い瞳に、ふわりと微笑まれると、優しい祖父を思い出す。しかし、祖父以上に……彼のことは目が離せないのだ。
どうか、君が……憂うことのない様。
今、この瞬間だけでも。
——その背中は。俺が、守りたい。




