第37話:その名を呼んだ
長旅を終えた今、俺達は懐かしい扉の前にいる。真っ先にここに来た。家の玄関ではなく、白い廊下にある大きな扉。
気配はする。中に彼女がいることを確信し、俺は勢いよく扉を開けた。
「ただいまクレア!」
「ふぇっ!? ……我が主。みんな……」 クレアが作業台からゆらっと立ち上がった。
「おお! 元気にしておったかクレア!」 駆け寄るスゥにレティが続いた。
二人はクレアを抱きしめ、クレアは表情を驚きから安堵に変えた。研究でも家でも一緒にいることが多い彼女たちの絆は、日に日に増している。家族のようだ。
部屋の奥では、等身大の機人が椅子に腰掛けている。開発中の機人、アルファ。クレアはアルファが動くのに必要な筋肉……魔岩人工筋を付けるために留守番をしていた。近くで見ないと断言できないが、全身が綺麗に磨かれている気がする……。その整った様子から、作業が完了していることを感じ取った。
アルファの様子を見る俺の前に、クレアがゆらりと立った。そのままゆらゆら揺れている。二人に揉みくちゃにされすぎた?
「……我が主……。おかえりなさい……。……もうすぐあっちに……着く頃かなって思ってた。……早く帰ってきてくれて……嬉しい」 ゆらゆら揺れながらクレアが言った。
「……ん? ……クレア。俺達がどのくらいで帰ってきたと思ってる?」
「え……? 毎日寝る前に……つけてる研究ノートが……昨日ちょうど六十日分に……なったから……二ヶ月くらい?」
事態を理解した俺達はクレアを担いで魔機研を出た。俺達がここを出てから六ヶ月が経っている。つまり、クレアは平均して三徹していたということだ。
全力疾走で家に向かい、ニナさんが阿吽の呼吸で開けた玄関の扉を通る。
「セバスさん! クレアを休ませます!」 と食堂に向かって叫んだ。
即座に食堂からセバスさんが現れる。いつも通りキレのある所作だが、やつれていた。
「ああ……ドコウ様。よくお戻りに。これでお嬢様にもちゃんと眠っていただけるはず」
俺の失敗だった。どうやら俺の話を聞いて留守番を決めたクレアは、自分でも気付かないほど研究に没頭してしまったようだ。セバスさんでもどうにも出来なかった。
クレアは途中から俺が背負うことにしたので、顔は見えない。背中に顔を当てているようだが……大丈夫だろうか。
「レティ。クレアの様子を見てくれる? さっきから何も喋らないんだけど……」
「はい!」 レティは俺の背中を覗き込み、 「ドコウさん。このままお部屋に行きましょう」 と言った。
「大丈夫そうなのかな?」
「とっても心地良さそうに眠ってます」
結局、クレアはベッドで半日以上眠り、翌日の朝に俺達と朝食を食べた。睡眠の気持ちよさを思い出したと語るクレアは、いつもの調子を取り戻していた。
ヴァルさんはもちろん、オズさんも朝食を共にした。皆、口早にアルファのことを話すクレアを見てホッとした様子だった。
一刻も早く見せたいらしい。俺達も早く見たい。朝食を済ませた俺達は、皆でアルファのもとに行くことにした。
今日は快晴。日差しは強すぎず弱すぎず。そよそよ吹く風が最高に気持ち良い。
俺とニナさん、そして弟子三人で魔機研裏の広場に来た。もう一人。アルファも一緒に。起動実験だ! アルファはニナさんが作ってくれた木の椅子に座っている。感情がないはずのその顔が、どこかワクワクしているように見えた。
レティが寄ってきた。 「あの、書き込みはどうしましょう? 私、魔岩人工筋の動かし方が分からなくて……」
「そうだね。実際これまでとかなり違うから、今回は俺が書き込むよ」
「分かりました!」
人間の身体を動かしている筋肉は、かなり面白い駆動源だ。なんせ動いてない時ですら力を発揮している働き者なのだから。筋肉が働くのをやめてしまったら、途端に俺達はだらりと倒れ、その場に立つことすら出来なくなる。
緊張。対になった筋肉が骨を両側から引っ張ることで、身体の硬さを調整する。単に動く、止まるという運動だけを見ればひどく非効率。だが、代わりにしなやかな柔軟性を得る。この柔軟性こそが、様々な事態に瞬時に対応する適応力を支えている。
さて、じゃあやってみるか……。俺はアルファに近寄り、魔力プログラミングを開始する。動作確認なので、最初にやるのは二本の足で立つこと。とはいえこれも簡単ではない。椅子から立ち上がる必要があるからだ。
「……よし。じゃあ、行くよ! アルファ、立て!」 俺の指令を受けた途端、アルファの全身に力が込もる。全身の筋肉が互いに引っ張り合い、程良い緊張状態となった。
次にアルファはゆっくりと、しなやかに椅子から立ち上がった。これまでの、どこかぎこちない機人とは一線を画す動き。美しさすら感じる自然な所作だった。
「おお……! こ、これは……成功じゃな!?」 スゥが興奮気味に俺の顔を見る。
その後ろでクレアが口に手を当て、足を震わせていた。
「ああ、大成功だ! 俺の想定以上に滑らかで良い動きだったよ。クレアも見れた?」
「こ、これをボクが……? レ、レティごめん。ボク……腰が抜けそう……」
「わわわっ!」
レティとスゥに支えられたクレアの視線は、アルファに釘付けだ。
魔岩人工筋の性能がいい。制御則が要求する通りの力を、高い精度で発揮しているようだ。とてつもない作り込み……頑張ってくれたのだと再認識する。
その頑張りに応えよう。ここまで思い通りに動くなら、もっと色々できる。
俺は再び書き込みを行った。 「……よし、皆よく見ててよ?」
俺はアルファに次々に指示を出す。その指示に応え、辺りを歩き回り、走り、手を振り、踊るアルファ。その様子に皆は目を丸くしていたが、次第に一つ一つの動作に歓声を上げ、拍手を送るようになった。拍手を送ったところでアルファの動きに変化はないし、アルファが何かを感じることもない。
そんなことは皆も分かっている。それでも自然とそうしてしまう。それは人に対する反応と同じもの。俺達が抱いたのは、作った物が上手く動いたときの感情とは違っていた。
ニナさんが言う。 「本当に凄いですね。腕が六本ある種族のようです」
「嬉しいこと言ってくれるねニナさん! クレアのお陰で、本当に凄い動きだ」
「へへ……我が主、ボク、嬉しい。……でも、まだ完成じゃない」
「その通り! アルファはまだ、俺が書き込んだ運動を再生してるだけだ。ここからスゥにセンサを付けてもらって、レティと制御則を改善して——」
その時、頭上から声が聞こえた気がした。ここは屋外。頭上には空しかない。
「ドコウさん、何か来ます」 とニナさんが言った。緊張した声で。
「……?」 上を見上げると、雲に穴が開いていた。その穴の中心に何かいる。
それはどんどん高度を下げ、俺達の前に降り立った。
青い髪に黄色い瞳。青白い肌の所々には鱗がある。衣服まで纏ったその姿は人間を思わせるが、背中に生えた大きな翼がその認識を否定する。前世でファンタジーゲームが好きだった俺には、ドラゴンの翼に見えて仕方ない。さながら、竜人。
「モ、モンスターか!?」 スゥが慌てて叫んだ。
「恐らく」 ニナさんが肯定する。
人型のモンスターはこれまでも居たが、それらとも明らかに異質。モンスターなら倒す必要がある。しかし俺は、刀を生成していない。どこか様子がおかしい。
竜人は上空から降りる間も、降りた後も、ただ一点を見つめている。その視線の先にあるのは、アルファだった。モンスターは本能的に人間を襲う。いくらアルファがよく出来ているからといって、俺達を無視するなんてあり得るだろうか?
竜人の口が動いた。おかしなほど滑らかに。
「ソンナ……ナンデココニ……」
「!?」 俺は耳を疑った。混乱する。
「威嚇か!? 聞いたことのない鳴き声じゃ! 警戒するのじゃ!」
「ドコウさん。どうしたんですか? 刃舞を」
「アルファは私とクレアさんで守ります!」
スゥが、ニナさんが、レティが慌てている。鳴き声? 違う。言葉だった。
竜人はゆっくりと一歩、アルファに近づいた。その様子に攻撃の意思が感じられない。驚き、喜んでいるようにしか見えない。
「我が主! ……ダ、ダメ!」 クレアが駆けた。アルファと竜人の間に立ち、両手を広げる。 「アルファは我が主達の想いが込められた大切なロボット! 壊させない!」
それを見た竜人は立ち止まり、 「ジョセイ……? イヤマサカ……」 と言った。
言ったのだ。二度目の竜人の言葉を聞き、俺は決断した。クレアの傍に寄り、肩に手を乗せる。震えていた。
「クレア、きっと大丈夫だ。どいてあげよう」
「で、でも! ……我が主、何か考えが……?」
「うん。とても信じられない仮説を検証したい」
「…………分かった」
クレアと俺がどくと、竜人はまたゆっくりとアルファに近づいていった。手がギリギリ届かない距離で足を止める。戦闘用に磨いたであろう鋭い爪が生えた手は、小刻みに震えていた。目元が太陽光を反射して輝いている。
「ヤッパリ、マチガイナイ……。ワスレモシナイ、ウツクシサ……」
アルファの前に跪き、その名を呼んだ。
「……ジュリエット……」
日本語で。
「……わ、我が主……これはどういうこと……」
「俺も確信があるわけじゃない。だから答え合わせをしてみよう」
俺は、地面に膝を付いて涙を流す竜人に近づいた。久しぶりだが、上手く発音できるだろうか。
「オレノコトバガ、ワカルカナ?」
「……! ワカル」 竜人は答えた。
「キミガ、ジュリエット、ト、ヨンダモノハ、オレタチガ、ツクッタ」 久々の日本語は難しい。ゆっくり、丁寧に音にする。
俺の言葉に、竜人はハッと顔を上げた。目を見開き、こちらを凝視する。作った俺達。俺とクレアか。正しい。しかし、これも正しい。
「……ソウデショウ? シヨウサン」
竜人の目から、再び涙が溢れ出た。やっぱりそうだった。なんてことだ。
「……アア、ソンナ……センセイ……?」
「ソウデス」
跪いていた竜人……いや、司曜さんは、這うように俺に近づいた。俺も近づいて腰を落とし、肩に手を乗せる。鱗が硬い。その硬い身体を震わせ、声を震わせ、司曜さんは何とか言葉を紡いだ。
「ドコウ……センセイ……!」
「ウン、ヒサシブリデスネ」
その口調は、俺が知る司曜さんのものと相違ない。しかしその外見は大きく異なる。色々あったのだろう。彼の心中を察することはできない。
「ミンナニ、セツメイシテキマス。オチツイタラ、ハナシヲ、キカセテクダサイ」
「……ハイ」
機人と竜人を残して距離を取った。皆の視線は当然、俺に集まっている。
「ドコウさん。なぜモンスターの言葉を話せるのですか?」 とニナさん。
「あれはモンスターの言葉じゃなかったよ。……俺が前世で使っていた言葉だった」
俺の回答に、ニナさんも息を呑んだ。
次はレティ。 「なんでそれをモンスターが? も、もしかして……ですか?」
「レティの予想通り。あのモンスターは転生者だった」
モンスターに人の意思が宿っている驚き。それが異世界から来た転生者である驚き。
皆が言葉を探している中、クレアが心配そうな顔を俺に向けている。彼女は、研究に込める想いを……誰かが懸命に打ち込む熱意を、誰よりも尊重している。
「我が主、あのモンスター……ううん。あの人、凄くアルファに思い入れがあるみたい。それって……」
「クレアには前に話したね。……そう、前世で俺と一緒にアルファを作った研究者。俺の共同研究者だったのが……彼だ」
クレアは走り出した。俺が前世の話をした時と同じ涙を、瞳に滲ませながら。未だうなだれたままの、竜人に向かって。彼がここにいるという事実。アルファに対する反応。それらの情報が、クレアが悲しむ結論を示している。
クレアは竜人の傍に膝をつき、鋭い爪が生えた手を握った。短い会話。言葉は通じない。それでも何かが通じたように見えた。
竜人はクレアに促されるように立ち上がり、二人でゆっくりと、アルファに近づく。涙を流すクレアは、しかし優しく竜人に微笑み続けている。アルファを作った彼に対して、アルファを作った彼女が出来る精一杯。
小さな手に支えられた鋭い手が、恐る恐るアルファに近づき、そっとその頬に触れた。人を傷つけることに特化したその手は、アルファにもクレアにも、傷を付けなかった。
食堂でセバスさんが淹れてくれたお茶を一口。色々なことが起きた。お茶はいつだって冷静になるきっかけをくれる。
竜人……いや、シヨウさんが落ち着いた後、俺は少し話をした。俺はシヨウさんに会えて嬉しかったが、シヨウさんの語り口は淡々としていた。その話を聞いた今、俺の中にも、再会を喜ぶ以外の感情が渦巻いていた。
シヨウさんはこの世界の言葉が分からなかった。話せるのは日本語だけ。彼が語った話を皆に聞いてもらうため、俺は食堂に皆を呼んだ。この家に住む全員が集まった。
傾いていく日を見ながら、俺は口を開いた。 「少し話したように、前世で俺と一緒に研究していた仲間が、モンスターに転生していた。彼は前世の言葉だけ話すことができる。そこで、俺が彼から聞いた話を、皆に聞いてもらいたい」
「まだ驚きが収まらないのだが、是非聞かせてほしい。どんな話だろうか?」 とヴァルさんが代表して応えた。
「話題は二つ。彼……シヨウさんのこれまでと、モンスターが人間を襲う理由だ」
前世で死んだ俺を最初に発見したのは、やはりシヨウさんだった。殺した犯人のことが許せず、自力で犯人を追い詰めたが、代わりに自分も死んでしまったのだそうだ。消えゆく意識の中、星霊を名乗る者の声が聞こえたと言う。
「星霊……。ドコウさん、それは……」
「俺も、そう思ったよ。ニナさん。『星の声』のことだ。星霊は、シヨウさんに星を護るように言ったらしい」
ヴァルさんが口を開いた。 「星を……護る? どういうことだ。まるで星が危険に晒されているようではないか」
「そういうことみたいだ。そしてシヨウさんは、そのために人類を殲滅しようとした」
ヴァルさんが身を乗り出す。 「なんだと!? それはつまり、我々が星にとっての、敵ということか?」
「鍵は、炎魔法だ」
「炎魔法じゃと?」 スゥが驚く。無視できるはずがない。
俺はシヨウさんから聞いた、星霊の主張を皆に話した。その主張は、俺達が炎魔法に対して知っていることと、矛盾しないものだった。
魔力……そう呼ばれるこの星のエネルギーの枯渇。
ヒト族に分類される人間が考案した炎魔法は元々、火を付けるための簡単な魔法だった。しかし年月が経ち、何度目かの大きな争いが起きた頃、炎魔法は強力な攻撃魔法として発達した。火を付けることは、もはや目的ではなくなった。
熱を発するというのは、大きなエネルギーを必要とする。しかし攻撃用の炎魔法は、膨大なエネルギーを使って生み出した熱の大半を捨ててしまう。破壊は魔力をぶつけることでほぼ達成されるので、熱は活用されない。無駄となる。
炎魔法の研究が進み、威力が上がるほど、無駄になるエネルギーは増えた。そして、ヒト族の人口増加。元々は少数だったヒト族は、今や全人口の大半を占めている。それに伴って炎魔法の使い手も増え、星の魔力はどんどん無駄使いされていった。
「そこで星霊は、自然の声を聞く能力に長けた二人の人間に、炎魔法の危険性と星への影響を伝え、使用をやめるよう忠告した。最初は平和的な交渉から入ろうとしたんだね」
ニナさんは静かに聞いている。
「ど、どうなったのじゃ?」 とスゥが訊いた。
皆には、ジゼルさんと母から聞いた話はしていない。
「ここでの不運は、星の声を聞けた二人が、炎魔法を使えない側の人間だったことだ」
「炎魔法を使えない? ……もしや! ……いや、なんでもない。続けてくれぬか」
ニナさんを心配そうな顔で見つめるスゥ。気付いたニナさんは微笑みを返した。
交渉が失敗した後、人類はこの問題を放置した。加速度的に悪化していく事態に、星霊は次の対応を始めた。それが人類の殲滅。局所最適解。やっぱりだ。
「そこで、シヨウ殿と言ったか……彼の出番となったのか? しかし彼が襲ってきた今日よりもずっと前から、モンスターによる襲撃は激化していたと感じるが……」
「ヴァルさんの言う通りだ。これについては、二つ説明しないといけない」 それこそが苦しい気持ちの原因。俺は問う。 「ヴァルさん。この辺りにもよく出没するビッグラビットのような下級モンスターは、倒すとどうなる?」
「どう……もならんな。素材や食材になることもある。動物と変わらない」
「そうだね。……じゃあ、半魚人や蜥蜴人のようなモンスターは?」
「……魔力になって消える……」
「その通り。一般のモンスターと全然違う。つまり、この二つは全く別の生物だ。そして星霊が人類の殲滅のために生み出したのは、後者。魔力に還る者達」
ヴァルさんが背もたれに寄り掛かる。顎に手を当て、 「なるほど」 と小さく呟いた。
「ではこの魔力に還る者たちに仮の呼称をつけよう。蜥蜴人のように人型の者を『魔人』、ヒルタートルのように……といっても他の例を俺達は知らないけど……まあとにかく人型でないものを『魔獣』としよう」
「とっても分かりやすいです」 とレティ。
「ありがとう。俺のネーミングセンスもついに成長してきたかな? ……と。……じゃあまたヴァルさん、人類に初めて大規模な攻撃を仕掛けてきた『魔人』は?」
「半魚人だ。蜥蜴人の方が早く目撃されていたが、それはわざわざ南半球を調べに行った人間が見つけただけだ。攻撃を仕掛けてきたのは、トニトルモンテでの半魚人が初めてだな」 と即答した。正確に。
この情報は、そもそもヴァルさんから教えてもらったこと。正確に答えてもらう必要があった。避けたくなる話題を、手短に済ませるために。
「……最初に転生した時、シヨウさんは半魚人だったそうだ」
「最初が半魚人……? 最初とはどういうことだ……?」
「シヨウさんは何度も転生してるらしい」 俺は努めて淡々と語った。
「そ、それはつまり!」
「うん。何度も死んでいるってことだ」
「……想像できん……」
彼は前世で死んでしまったが、幸いにも転生した先で俺と再会した……訳では無い。再会は不運だった。
「待て……まさか……。ドコウ殿……まさかシヨウ殿が転生した半魚人とは……ドコウ殿が倒したリーダーでは……」
「そう」 無意識に拳を握り締めていた。少し解く。 「俺が殺した半魚人はシヨウさんだった。そしてシヨウさんはまた生まれ変わった。今度は蜥蜴人に」
「……それは……なんてむごい……」
「初めて武装して現れ、俺の首を落とそうとした蜥蜴人。俺の胸に穴を開けた亀」
ヴァルさんは食堂の隅に目をやった。ヴァルさんだけではない。全員の視線が一点に集中した。食卓も椅子もないスペース。そこには、最も辛い役目を担ったであろう人物が居る。シヨウさんはこの部屋に入ってからずっと、そこで土下座をしていた。
「……彼がドコウ殿のことを認識したのは、つい先程だと言ったな……」
「そう。彼は星のためにずっと全力で戦っていた。独りで。……俺と」 言い切った。
ヴァルさんが勢いよく立ち上がった。拳を握って主張する。 「か、彼をあのように扱うのに反対する! 自らの命を顧みないほどに尊敬する仲間と、そうと知らずに殺し合っていたなど……。私であれば耐えられん……。今の話を聞く限り、シヨウ殿は敵ではない。ましてや一方的な加害者でもない。……立場が……信じた世界が違っただけだ」
「うん。それでこそヴァルさんだ」
「……痛みを伴った皆を差し置くようですまない。しかし、我々が協力し合える可能性が少しでもある以上、私は対等な立場での話し合いを行うべきだと主張したい」
出会った頃のヴァルさんは、妹のレティを護ることに必死だった。その必死さが仇となり、冷静さを欠いたこともあった。その時のヴァルさんが見たら、どう思うだろう?
シヨウさんは魔岩を纏う亀であった時、レティに致命の攻撃を仕掛けた。ヴァルさんはその攻撃を受け、重症を負った。そのことは話題にすらしない。現状を見つめ、最善の選択を模索している。マギアキジアにとっての……いや、人類にとっての最善の選択を。
以前、ヴァルさんは世界を変える俺の研究を手伝いたいと言っていた。今の言葉は、きっと世界を良い方向に導いた。世界を変えたのはヴァルさんだ。そう言いたくなったが、飲み込んだ。この言葉は、何年後かの酒の席にでも取っておこう。
「ありがとう。俺も土下座をするような必要はないと言ったんだ。でも、どうしても自分を許せないらしくて。ヒト族代表として、ヴァルさんの意見を伝えてみるよ」
「……我が主、それだけでは変わらない……と思う。あの……ボクの言葉を……その人に伝えてほしい」
提案するクレアは涙の跡を残しているが、瞳に強い意思を宿していた。考えがある時、クレアがする表情。俺は頷き、クレアと一緒にシヨウさんの近くに移動した。シヨウさんは土下座の姿勢のまま、頭を上げようとしない。
「セツメイハ、オワリマシタ。ヒトゾクノナカマノ、イケンヲツタエマス」
俺はヴァルさんのことを簡単に紹介してから、さっきの意見を伝えた。シヨウさんは床を見つめたまま、頷くことで了解を示している。
「——イジョウデスガ、カノジョカラモ、ツタエタイコトガ、アルヨウデス」
シヨウさんは相変わらず床を見たままだが、耳がピクリと動いた。顔を上げなくても、『カノジョ』がクレアであることに気付いているだろう。
俺はクレアの顔を見て頷き、合図を送る。
息を吸い、クレアはいつもよりハッキリした発声で、最初の言葉を放った。
「ボクは、ドコウ様を神のように信仰してる」
「……意訳してもいい?」
「ダメ」
むず痒い抵抗感に耐えながら、そのまま直訳する。
「ボクには理解る。貴方が神に冒涜した自分を許せないこと。自分を許すことは、自分の信仰を否定することになる」
「……意訳しても……」
「ダメ」
クレアの言葉を伝えると、シヨウさんはゆっくりと顔を上げた。驚きと懺悔の表情で、クレアの顔を見上げる。
「確かに貴方は、神を傷つけた。でも、それは我が……我らが主の教えを守り、世界に役立とうとした結果。決して自分のためじゃない。……貴方の信仰は、揺らいでない」
シヨウさんが理解する言葉は、俺の口から発せられている。しかしシヨウさんは、クレアから視線を外さなかった。クレアの言葉を受け止めていた。
「貴方はまだ、主のお役に立てる。ボクも手伝う。だからそこで後悔してないで、ボク達に協力して」
クレアの言葉を聞いたシヨウさんは、改めて俺の方を見た。俺はその確認に頷いて応える。立ち上がったシヨウさんは、改めてクレアの顔に目を向ける。シヨウさんの現在の身長は俺と同じくらい。小柄なクレアを見下ろす形になる。
「……ナマエヲ、オシエテホシイ」 シヨウさんが言った。
「……? 我が主、なんて……?」 クレアが俺に訊いた。
「名前を教えてほしいって」
「そっか。……我が主、発音教えてほしい。自分で伝える」
シヨウさんに少し待つように伝え、クレアと共に距離をとった。何度も同じフレーズを繰り返す。日本語の発音はこの世界の言語とかなり違うので難しいが、どんどんそれらしくなっていく。ついに俺のお墨付きを得て、シヨウさんの前に戻るクレア。魔人と交流するその様子を、皆が静かに見守っていた。
「……ボ、ボクワ、クレア。ヨロシク」 クレアはたどたどしく言った。
「……! シヨウ、ダ。ヨロシク」
「我が主、伝わった! 『シヨウ』。合ってる?」
「!」 シヨウさんの目が丸くなった。
「うん、バッチリ伝わったし、今の発音もバッチリだったよ」
ほんのちょっとした一言でも、全然違うものだ。シヨウさんの表情は少し柔らかくなった。それを見て、皆も肩の力を抜いたようだ。
反対する者はその場にいなかった。とはいえ、さっきまでは敵だ。敵対しなくなることと、仲良くなることの間には距離がある。打ち解けるには時間と機会が必要だろう。俺は夕食を提案した。
クレアの言うように、シヨウさんには頼みたいことがある。それは後で話せばいい。
「シヨウサンハ、ショクジ、ッテデキマスカ?」 俺はシヨウさんに話しかけた。
支度を邪魔しないよう、部屋の隅で縮こまるように翼を畳んでいる。外見は異様だし、日本語しか話せないが、中身は前世の常識を知る人間だ。皆もそのことに慣れてきた。
そのまま二人で、日本語の会話を続ける。ようやく発音にも慣れてきた。
「試したことはないですが、恐らく可能です。この身体は魔力から作られていますが、構造は動物や人間を参考にしているそうですので」 とシヨウさんは日本語で言った。
「やっぱり……実に興味深いですね。生物模倣の極致と言えそうです」 と俺は言った。
「そうですよね。僕も初めて星霊から聞いた時、感動しました。……しかし先生。星霊はもしかすると……」
「ええ。私も司曜さんと同じように考えてます」
「やっぱり。……ああ、なんだか先生と話していると、研究してたころの感覚を思い出してきました。忘れていた知的好奇心がうずくのを感じます。……ところで、先生」
「何でしょう?」
「こちらの世界でも、そのような言葉遣いなんですか?」
「……実は違います。こっちの世界の父に言われてから、楽に喋らせてもらってます」
「研究で興奮した時のように?」 シヨウさんはニヤリとしているように見えた。
「……確かにそうでしたね……。そう、私は今、この世界に興奮しています」
「では、私との会話も楽にしてください。もう気にする世間体もないんですし」
「……よし、分かった」
その方が、シヨウさんとの距離も取り戻せる気がした。
「……とても良いお弟子さんですね」 とシヨウさんは言った。
「うん。弟子に恵まれる才能は、前世から引き継いだみたいだ」
シヨウさんはフッと笑った。三人の弟子はニナさんと共に料理を運んでいる。
「他にも弟子がいてね。後で紹介させてほしい」
「それは是非。……大きな研究チームになりましたね」
「そうだね。今日また大きくなった」
会話を重ねるごとに、互いを再確認する。二人でアルファを作った試行錯誤の日々が、とても懐かしく感じた。
シヨウさんはその日、この世界で初めて食べ物を口にした。目を丸くする様子から、味覚も俺達と近いことが窺える。当然、シヨウさんも俺達と同じ食卓についている。背中に生えた大きな翼を考慮して、椅子を二つどかした。その翼の内側には、料理を気に入る度に指で尋ねるシヨウさんと、それに応えてこの世界の言葉を教えるクレアが居た。
俺は食後の談笑を楽しむ皆に、切り出した。
「星霊が言うこの星の危機に対して、どうするかを話し合いたい」
「……うむ。そうだな」
「あ、あの!」
ヴァルさんが同意し、全体に協力の雰囲気を作ってくれた直後。レティが手を挙げた。きっと食事中に考えていたのだろう。予め決めていたような動作だった。頷いて促す。
「星の危機は、炎魔法によって魔力が枯渇しちゃうって問題ですよね?」
「そうだね。まあ正確には、どんな星も最後はエネルギーを使い切って寿命を迎えるんだけど、それが急速に早まるってことだと思う」
「それならきっと、魔機研の成果を普及することが、解決に繋がると思うんです!」
レティの発言に、力強く頷くスゥ。俺も全くの同意だ。ヒト族が使う魔法の効率が悪いのなら、ヒト族が魔法を使う必要のない世界を作ればいい。
「レティが目指してることと、一致するってことかな?」
「はい! 魔法を使える人にも、魔法を使えない人にも、皆に魔工学の道具を使ってもらうんです! 加熱魔岩は純粋に熱を生み出せる道具です。他にもスゥさんが開発した発光魔岩は、光るだけの道具。魔力は使いますけど、どれも目的がハッキリしてて、無駄にはしてないと思います!」
「でも、攻撃魔法はどうする? そもそも、一番効率が悪いのは攻撃用の炎魔法だよね」
「それは……」 レティは俺の問いに言い淀んだ。
「誰も攻撃魔法など、使わぬようにしてしまってはどうじゃ?」 とスゥが答えた。
もはや俺が誘導尋問をしているのか、弟子達と以心伝心なのか……。欲しい答えを誰かが返してくれる。しかし、どう実現するか。それは世界平和を成すことと同義だろう。
「先日の式典で、そなたが行った演説を覚えておるかの?」
「……え? ああ、もちろん」
俺はマギアキジアお披露目の式典で、魔工学を人類全体の役に立つ技術にしたいこと、その発展に多くの人の協力が必要であることを説明した。
「つまりじゃ。魔工学の発展と普及を共通の目的として、皆で協力するのじゃ」
「……それで攻撃魔法は不要になるかな? 争いは絶えない気がするけど」
「絶えんじゃろうな。サイトウの遺書にも争うのが人間と書かれておったが、妾も同意じゃ。仮に人類同士が争うのをやめたとしても、モンスターに対抗する手段がいる。モンスターが居なくなったとしても、動物を狩る。便利と危険は表裏一体じゃ。根絶などできん。そうではない。魔工学の発展に各国を巻き込み、皆の教養を高めるのじゃ」
「教養……」
「うむ。魔工学を用いた道具に触れれば、自ずとその仕組みに興味を持つ者が出るじゃろう。製作に関わろうと考え、学ぼうとする者も現れる。そこで教えるのじゃ。魔力を熱に変える仕組みを。炎魔法がなぜ炎を纏うのかを」
俺には思いつかなかった意見を、次々に、堂々と提示するスゥ。押し付けがましさはない。謙虚さと気高さに、適切な自信が備わった。
「効率の悪い方法にすがるのは、他に選択肢を知らぬからじゃ。理解が進んだ時、炎魔法を好む者は減るじゃろう」
「人類が魔工学に夢中なうちに、水面下で意識を変える……ってことか……」
「そうじゃ!」 スゥが大きく頷いた。
「となれば、教えることが凄く重要だね」 俺は思考を次のステップに移した。
「そこで『学校』じゃ。ドルフィーネの基盤学校のように、多くの者に魔工学を教える。やがてマギアキジアだけでなく、あちこちで魔工学が発展するようになるじゃろう。それこそが『普及』するということだと思っておる」 スゥは皆の顔を見る。 「どうじゃろう? 壮大な話じゃが、妾は挑戦したい」
俺は、スゥの言葉に抱いた感情を、上手くまとめることができなかった。そして気付くと、ゆっくり手を叩いていた。俺に続いて皆も拍手で称える。
シヨウさんも戸惑いながら、皆に合わせて手を叩いている。……翻訳するの忘れてた。
感動したレティがスゥと意見交換を始め、どんどん構想を練り上げる。そのうちに俺は、スゥの言葉をシヨウさんに伝えた。
「……センセイ! ソレハマサニ、センセイノ……」
「ウン。チョクセツイッタコトハ、ナインダケドネ。……ツタワッテタ、ミタイダ」
シヨウさんは立ち上がり、もう一度拍手を送った。先程よりも大きな音で、精一杯の気持ちを表現している。それを見たスゥは一瞬驚いたが、すぐに嬉しそうに笑う。方針が決まった。
「スゥ。ありがとう。皆、スゥのお陰で俺達のやるべきことが定まったと思う。……異論はなさそうだね」
「はい! 私もスゥさんと一緒に頑張りたいです!」 とレティが言った。
「心強いの。元々はレティが話し始めたことに出しゃばってしまい……すまぬ」
「そんなの気にしないでください! 今、私とってもワクワクして楽しいです!」
レティを見るヴァルさんの表情はとても穏やかで暖かい。とうに自分の足で歩き出し、今や駆けている妹の邪魔にならぬよう、見守る兄。
「さて、じゃあ、今日決めた方針を星霊に伝えないといけないね」 と俺は言った。
「ドコウさん。それには『星の声』を聞く必要がありますが」 とニナさん。
「そうだね。聞くだけなら何とかなる。けど、まず語りかけないと」 俺はシヨウさんを見る。 「幸い、今ならそれも可能なはずだ」
皆の視線がシヨウさんに集まった。シヨウさんはまた事態が分からずに困っている。
「シヨウサン、セイレイト、ハナセナイカナ?」
「……アア。……ハハ」 間を埋める笑い。この数時間で随分と人間らしくなった。
思い出したのかもしれない。
「ワタシモ、イツデモハナセルワケデハ、アリマセン」
曰く、シヨウさんは普段、魔力の濃い南半球にいるそうだ。その理由が星霊とコンタクトを取るため。魔力が特に濃い場所でないと、声が届かないという。……魔力が濃い場所。一つ、この近くで条件を満たしそうな場所が浮かんだ。シヨウさんに話してみると、可能性はあるとのことだった。
皆に、明日は朝から出掛ける必要があることだけ伝え、それに備えて今日はお開きにした。大半が風呂の支度をしに自室へ向かう中、シヨウさんを引っ張って応接間に向かうクレアが視界に入った。……あの目は……うん、近づかないでおこう。
長い一日の疲れを落とすため、俺も大浴場へと向かった。




