第2話:夢はもう終わったのか?
目を開けると、ぼやけた視界が広がった。いつの間にか眠っていたみたいだ。……茶色い仮眠室? どこで寝たっけ? とりあえず、メガネだな。メガネメガネ……。
「あなた! 起きたわ!」
「おおっ! 早速、手ェ動かしちょるな! ……どれ……」
私の手は、目の前に差し出された指のようなものを無意識に掴んだ。よく見えないが、位置から考えて恐らく小指のDIP関節。……しかしどういうことだ? 私の手で掴みきれない。私の親指には、自分の指が当たる感覚がない。どうやら触覚も寝ぼけているらしい。もしくは、掴んでいるものが極めて太いか。
そういえば、今の声は誰だ? 今さら気が付いた。まだ意識もぼんやりしている。
「ガッハッハ! 力強い! さすがワシの子だな!」
「ええ、とっても元気そう」
やたらでかい声と、とても落ち着く声。声の主を探そうにも、首に力が入らない。
そのまま、にぎにぎしていると、目の前にとても大きな顔が近づいてきた。まるで巨人だ。驚いて握る手に力が……そんなに籠もらなかった。
一体どうしたんだ? 身体は言う事を聞かないし、不思議と怖くもない。むしろ安心すらする。この指のようなものが、やけに暖かいからだろうか。
やや丸顔で立派なヒゲの強面は、締まりのない顔で私を覗いている。よく見ると巨人ほどは大きくない。そういう類で言えば、ドワーフがこんな感じだ。
「よし、決めたぞ! こやつの名はドコウだ! ドワーフ族の族長ドームの息子、ドコウ! ……ど、どうだ?」
「あら、やっと決まったのね。ふふっ。……ええ、すごく良い名だと思うわ! よろしくね、ドコウ……」 頭をそっと撫でられる、優しい感触。
確かに私の名は土公だが、『決めた』? それに今、本当にドワーフと言ったか?
……落ち着こう。考えるためには、まず状況整理だ。……候補は二つ。
候補その一。夢。こちらを採用したいが、それにしてはリアル。徐々に意識がはっきりしてくるほど、リアルさは増した。
この状況は、どう考えても赤子と父の対面、そして名付けのシーンだ。母もいる。その中において私の視点は、明らかに二人の赤子。
やはり、何度考え直しても結論は変わらない。とても信じられないが、候補その二が濃厚。整理された情報から導かれた結論。私はドワーフの赤子、ドコウとして生きている。
自分が導いた非現実的な結論に、実感は湧かなかった。
「あらあら、なんだか不安そうな顔してるわ」 母の優しい声が聞こえた。
直後、私の身体がふわりと浮かんだ。いや、抱き上げられた。そのまま身体を包みこまれると、驚異的な眠気が襲ってくる。
私は土公。三十六歳のロボット研究者だ。精神的にはともかく、身体的には赤子ではなかった。何がどうして、こうなったのか?
私はまどろみながら、思い出してみる。最近、印象に残った出来事は何だったか——。
*
「先生! ロボットが動きました!」
「マジか!」
ああ……そうだ。その日の仕事を始めてすぐ、ノックもせずに司曜さんが飛び込んできた。輝くような表情と興奮する様子から、実験成功の喜びがすぐに伝わってきたことを覚えている。心底嬉しかった。久々の感覚だった。
私がロボットをちゃんと研究し始めたのは数年前。それまでは色々な仕事を転々とし、目の前のことにただ必死に取り組んでいた。ある日、ふとロボット分野に興味が湧いた。アクチュエータ、センサ、コンピュータ。様々な要素が入り混じる。その奥深さの中に自分の生き甲斐が見つかると予感し、飛び込んだ。
幸いにもその予感は的中した。最近、自分が生涯をかけてもやりたいこと、つまり自分の夢が何なのか、ようやく分かってきたのだ。どうやら私は、あまりにも便利で凄くて、誰もが利用したくなるような技術……いわゆる『基盤技術』というものを創りたかったらしい。いや、らしい、ではない。もう確信している。
そんな技術を創れるのは本当に一握りの研究者だけだし、大それた夢であることは分かっている。しかし、この夢を意識すると、不思議とやる気が湧いてきた。
夢に気づくと同時に、もっと早く気づきたかった、と思った。三十六歳。もう若手賞の対象ではない。周囲には、二十代から脚光を浴びている研究者が大勢いる。夢を諦めるつもりは毛頭ないが、もっと早く気づいていれば、今より軽い足取りで、夢に突き進んでいたかもしれない。
『——司曜さんは朝まで休息を取るのがいいでしょう。いい論文を書くには、体調を整えることが重要です』
そういえば、こんなメッセージを送った。司曜さんは幼い頃からロボット研究に強い思い入れがあったらしい。まだ二十代で若く、賞にも、何にでも挑戦できる。
大きな研究成果というものは、しょっちゅう得られるものではない。しかし、今回の成果は大きな研究成果に違いない。司曜さんの努力の結晶だ。良い論文に仕上げたい。
「……よし、まずはこんなもんかな」
時刻は二十時。コメントを付け終わった。椅子から立ち上がり、居室内の少し広い場所に移動する。両手をバンザイのように上げ、肘が直角になるまで下ろす。またバンザイをして、下ろす。何度か繰り返した。腰痛と肩こり対策のため、一息ついたときにはこうして肩甲骨を動かすようにしている。
耳には周囲の雑音を消すイヤホン。音楽は何もかけていない。夜の大学は静かだが、エアコンや換気扇の音を消すと、さらに集中できる。
——ドンッ。突然、イヤホンでは消せない、自分の身体を伝わる音が聞こえた。同時に背中を、熱いような、痛いような感覚が襲う。刺された?
あまりにも強烈な痛みに、私はあっけなく意識を失った。
*
——そうか、刺されて死んだのか……。私はベビーベッド……というか岩? くり抜かれた岩に敷かれた布の上で目を開け、ぼんやり茶色い天井を眺める。あれも岩だろう。
刺された、ということは誰かの恨みを買っていたということだ。心当たりはないが、自分が知る世界が全てじゃない。何か私が知らない事情があり、私を恨む人がいた。
「……ばぶ」
私はため息をついた。赤ちゃん流ため息だ。赤ちゃんってため息するんだっけ?
(あなた! ドコウが喋ったわ! バブって!)
急に周囲が騒がしくなったが一旦置いておく。
終わってしまった、私の夢。見つけてから終わるまで早かった。
私には家族はいなかったので、そういった未練はない。司曜さんのことは気になるが、間際に良い成果が出たのは幸運だった。あれを発表すれば大丈夫だろう。
(なにィ!? 刃舞だと!? そいつァ確か……高等剣技じゃねえか! こやつめ、剣術の才能まであんのか!?)
親バカの波動を感じるが、やはり一旦無視して考え続ける。
もう少し、夢に挑戦してみたかった。関連する技術の知識を深め、色々なことを試し、コツコツ理論を創り上げてみたかった。それも、死んでしまったなら仕方ない……。
……あれ? 身体の感覚を確認する。背中にはやや硬い岩の感触。腕を上げると、小さなクリームパンのような手が見えた。
私は今、生きている。土公ではなく、ドコウとして。 新たな生命として確かに。
いわゆる転生。にわかに信じられないが、これはむしろ、チャンスじゃないか? しかもどうやらドワーフ族。ドワーフといえば技工に優れた種族というのが定番だ!
気づきが、確信に変わっていく。
そう……。そうだ。この世界で夢を叶えればいい。ようやく見つかった一生の夢に、二生をかけて挑むとは滑稽。でも、良いじゃないか! 突然始まった転生後の人生。しかし生きる目的は、そう簡単には変わらない!
(あなた見て、ドコウの顔……!)
(なんて良い目しやがる。……よォし分かった! ワシに任せとけ! ……だがすまねェ、ワシが教えられるのは拳術だけだ。しばらくは、それで我慢してくれよ!)
生きる気力が湧いてきた。父と母も興奮している。
まずはこの世界、何より、この世界の技術について知る必要がある。ドワーフがいるくらいだから魔法だってあるかもしれない。きっと前世では考えもしなかった技術体系が広がっているはずだ! 頭がまだ見ぬ技術への期待で満たされていく。
赤子の仕事は食べて寝ることらしい。妄想にふける私は、瞬時に意識を手放した。




